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迫り来る波濤
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ハワイ、真珠湾。
傷だらけの主力艦達。
奇跡的に小破で済んだサウスダコタ艦橋から、その惨状をいつまでも見続けるハルゼー。
猿どもを挽肉にしてはやったが…あの程度の数をヤる代償としてはあまりにも重い。
後半の砲撃戦に関しては仕方あるまい。
いくらベテランのリー爺さんとて、あんな化け物相手にはどうしようもない。
その前の空母決戦だ。
誤算の一つは我が新鋭グラマンF6Fヘルキャットに対し、ジャップはジャップでゼロをアップデートしてきた事。
確かに優位は築けたが、終始圧倒しての殲滅は出来なかった。
連中は連中で直ぐにそれなりの対処をして来ている。航空戦ではまだ絶対優勢は築けていない事実は認めねばならん。
勿論パイロット達は敢闘し相当な打撃も与えた。
我が合衆国の今後の機動戦略の復活大強化のビジョンを思えばトータルでは勝利とはいえなくはない。ないが…。
「ハルゼー閣下、ニミッツ太平洋艦隊司令長官より入電。
任務完遂ご苦労。
貴官自身も含め全将兵を一旦休めるように。
正式な報告はその後受ける…と。」
カーニー参謀長の言葉に、ハルゼーは大きく息をつく。
「ふん…ならば遠慮なく。
将兵に明日18:00まで上陸許可。
貴官等も休め。」
「イエス・サー!」
ハルゼーはCICを後にする。
一方、1943年1月末となって、やや遅まきながら日本国内で今次海空戦の顛末が報道された。
「大本営海軍部より。我が連合艦隊とその荒鷲、中部太平洋にて再建なった米機動部隊と激突。辛うじて退ける」
戦果と被害についてはぼかしつつも大筋では事実…
だったが、肝心の
「一か八かのハワイ強襲上陸はやはり駄目でした」
と言う戦略的敗北については触れられていない。
しかし国民の側も、今までの当然のような快進撃ムードとは風向きが変わりつつある、その事を何となしに察知する。
そう仕向けているような新聞ラジオの文脈ではあった。
いっぽう、中支戦線では、山下将軍率いる第19軍が奮戦。次々と増派される中国軍を撃はしつつ沿岸部制圧、打通作戦を継続。
2月2日に香港を遂に完全制圧し、そのままインドネシア方面の友軍と合流せんばかりの勢いである。
だが…2月5日にまた暗雲…と言うより来るべくしてきた災厄…が訪れる。
連合軍オーストラリア方面航空軍に呼応して、アメリカ機動部隊が前回無傷であったエンタープライズ等の空母に新造エセックス級を加えた正規空母6隻基幹の任務部隊を派遣。
ガダルカナル島を大空襲、3日がかりで犠牲を出しつつも日本航空戦力を無力化してしまったのである。
おそらくは同島のみならずソロモン諸島、ニューギニア方面への地上軍も含めたアメリカ、連合国の反撃も時間の問題…。
そのタイミングで2月中旬某日、宮中にてようやく、昭和天皇の午前にて、東條がかねてより調整を重ねていた最高戦争指導会議が執り行われる運びとなった。
「まずは、畏れ多くも開戦の詔勅のもと、陸海軍の将兵の敢闘精神にてここまで拡げた版図でありますが。」
そう切り出す東條。
「ここに来て当初の予測通りといいますか、殊に米国の戦力強化が著しい。
正直海軍の皆様には申し上げにくいが、南方でのオーストラリア封鎖。
あるいはハワイ方面への進出での短期決戦は絶望的になったかと…インドネシア、ジャワ、スマトラ島の資源地帯、そしてマリアナ諸島。
この線まで陸海軍とも戦線を縮小し、戦力を集中して太平洋方面は守りを固めるべき…と考えるものであります。
どうかご一考を。」
「いや、総理、それはいくらなんでも弱腰に過ぎませぬか!?」
軍令部総長永野修身はそう抗議した。
いやして見せた、と言ったほうが正しいか。
当初の想定よりは航空戦力等に余裕があるにせよ、もとより米国の国力戦力とは比べようもなく、そもそも今回のガ島空襲に呼応して艦隊を送り込む余裕がなかった事が現状を物語る。
「…とは言え、我が海軍も連合艦隊はじめ各戦力の再編に専念したいと言う意見も確かにあります。」
そうトーンダウンするしかなかった。
「しかし、退がるだけでここまで血を流してきた陸海軍将兵が納得するかねえ。」
参謀総長杉山が今度は割り込む。
「勿論…陸軍におきましてはインド解放の為の、攻めの姿勢も忘れてはならぬと考えます。
この大戦の大義たる、アジア諸国の白人勢力からの解放、それを敢行する事は忘れてはなりません。」
「米英が圧倒的な戦力で本土に肉薄。
あるいは空爆などで蹂躙する。
そうなる前に講和を探らねばならぬ。
そう言う意図で以降は戦を進めねばならぬわけか」
昭和天皇が、そう下問された。
東條は改めて向き直り、深々と頭を下げた。
「御意に御座います。」
早期講和…。
その場にいる皆が、それをなさねば本当の亡国となる事実を噛み締める。
「ただ戦争には相手というのがあります故。
日露の日本海海戦のような奇蹟を望むのは無理としても、戦線縮小で集中した戦力で1度ないし2度、特に空海の決戦にて大打撃を与えねば、真珠湾以降怒り狂う米軍にわが帝国への侵攻を諦めさせる。そう言う気構えが必要となります。」
それには陸海軍の一層の協力、さらには統帥の一体化が必要である…。
とまでは、この場では様々なしがらみで言えぬ東條であった。
傷だらけの主力艦達。
奇跡的に小破で済んだサウスダコタ艦橋から、その惨状をいつまでも見続けるハルゼー。
猿どもを挽肉にしてはやったが…あの程度の数をヤる代償としてはあまりにも重い。
後半の砲撃戦に関しては仕方あるまい。
いくらベテランのリー爺さんとて、あんな化け物相手にはどうしようもない。
その前の空母決戦だ。
誤算の一つは我が新鋭グラマンF6Fヘルキャットに対し、ジャップはジャップでゼロをアップデートしてきた事。
確かに優位は築けたが、終始圧倒しての殲滅は出来なかった。
連中は連中で直ぐにそれなりの対処をして来ている。航空戦ではまだ絶対優勢は築けていない事実は認めねばならん。
勿論パイロット達は敢闘し相当な打撃も与えた。
我が合衆国の今後の機動戦略の復活大強化のビジョンを思えばトータルでは勝利とはいえなくはない。ないが…。
「ハルゼー閣下、ニミッツ太平洋艦隊司令長官より入電。
任務完遂ご苦労。
貴官自身も含め全将兵を一旦休めるように。
正式な報告はその後受ける…と。」
カーニー参謀長の言葉に、ハルゼーは大きく息をつく。
「ふん…ならば遠慮なく。
将兵に明日18:00まで上陸許可。
貴官等も休め。」
「イエス・サー!」
ハルゼーはCICを後にする。
一方、1943年1月末となって、やや遅まきながら日本国内で今次海空戦の顛末が報道された。
「大本営海軍部より。我が連合艦隊とその荒鷲、中部太平洋にて再建なった米機動部隊と激突。辛うじて退ける」
戦果と被害についてはぼかしつつも大筋では事実…
だったが、肝心の
「一か八かのハワイ強襲上陸はやはり駄目でした」
と言う戦略的敗北については触れられていない。
しかし国民の側も、今までの当然のような快進撃ムードとは風向きが変わりつつある、その事を何となしに察知する。
そう仕向けているような新聞ラジオの文脈ではあった。
いっぽう、中支戦線では、山下将軍率いる第19軍が奮戦。次々と増派される中国軍を撃はしつつ沿岸部制圧、打通作戦を継続。
2月2日に香港を遂に完全制圧し、そのままインドネシア方面の友軍と合流せんばかりの勢いである。
だが…2月5日にまた暗雲…と言うより来るべくしてきた災厄…が訪れる。
連合軍オーストラリア方面航空軍に呼応して、アメリカ機動部隊が前回無傷であったエンタープライズ等の空母に新造エセックス級を加えた正規空母6隻基幹の任務部隊を派遣。
ガダルカナル島を大空襲、3日がかりで犠牲を出しつつも日本航空戦力を無力化してしまったのである。
おそらくは同島のみならずソロモン諸島、ニューギニア方面への地上軍も含めたアメリカ、連合国の反撃も時間の問題…。
そのタイミングで2月中旬某日、宮中にてようやく、昭和天皇の午前にて、東條がかねてより調整を重ねていた最高戦争指導会議が執り行われる運びとなった。
「まずは、畏れ多くも開戦の詔勅のもと、陸海軍の将兵の敢闘精神にてここまで拡げた版図でありますが。」
そう切り出す東條。
「ここに来て当初の予測通りといいますか、殊に米国の戦力強化が著しい。
正直海軍の皆様には申し上げにくいが、南方でのオーストラリア封鎖。
あるいはハワイ方面への進出での短期決戦は絶望的になったかと…インドネシア、ジャワ、スマトラ島の資源地帯、そしてマリアナ諸島。
この線まで陸海軍とも戦線を縮小し、戦力を集中して太平洋方面は守りを固めるべき…と考えるものであります。
どうかご一考を。」
「いや、総理、それはいくらなんでも弱腰に過ぎませぬか!?」
軍令部総長永野修身はそう抗議した。
いやして見せた、と言ったほうが正しいか。
当初の想定よりは航空戦力等に余裕があるにせよ、もとより米国の国力戦力とは比べようもなく、そもそも今回のガ島空襲に呼応して艦隊を送り込む余裕がなかった事が現状を物語る。
「…とは言え、我が海軍も連合艦隊はじめ各戦力の再編に専念したいと言う意見も確かにあります。」
そうトーンダウンするしかなかった。
「しかし、退がるだけでここまで血を流してきた陸海軍将兵が納得するかねえ。」
参謀総長杉山が今度は割り込む。
「勿論…陸軍におきましてはインド解放の為の、攻めの姿勢も忘れてはならぬと考えます。
この大戦の大義たる、アジア諸国の白人勢力からの解放、それを敢行する事は忘れてはなりません。」
「米英が圧倒的な戦力で本土に肉薄。
あるいは空爆などで蹂躙する。
そうなる前に講和を探らねばならぬ。
そう言う意図で以降は戦を進めねばならぬわけか」
昭和天皇が、そう下問された。
東條は改めて向き直り、深々と頭を下げた。
「御意に御座います。」
早期講和…。
その場にいる皆が、それをなさねば本当の亡国となる事実を噛み締める。
「ただ戦争には相手というのがあります故。
日露の日本海海戦のような奇蹟を望むのは無理としても、戦線縮小で集中した戦力で1度ないし2度、特に空海の決戦にて大打撃を与えねば、真珠湾以降怒り狂う米軍にわが帝国への侵攻を諦めさせる。そう言う気構えが必要となります。」
それには陸海軍の一層の協力、さらには統帥の一体化が必要である…。
とまでは、この場では様々なしがらみで言えぬ東條であった。
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