上 下
1 / 49

東條英機ととある秘書官、そして…【避けられぬ戦争】

しおりを挟む
「ついに、大命が私に降ってしまった」
天を仰ぎたい気持ちとなりつつも、東條は新たな執務室にて真っ直ぐ前を向き、襟を正す。
昭和16年(1941年)10月。
日米開戦避けがたし。
その緊迫した情勢でのぎりぎりの交渉に先駆けて、日本帝国総理大臣近衛文麿が事実上の政権投げ出し。
あくまで戦争回避を望まれる天皇は、暴走を繰り返す陸軍を抑えられる唯一の人物として、東條を指名あそばされたのである。

しかし、容易ではない…。
お上…昭和天皇の御意志が戦争回避に有るとはっきり伝えられるや、それまでの陸軍大臣時代の強権論を翻してまでアメリカ、イギリスとの和平を訴え模索した。
が、国内外のさまざまな障害に、改めて直面する…。
アメリカに対しては、侵攻した中国からの撤兵を、急激に行わず、治安を維持しつつ徐々に、などと妥協案を提示したが、あっさり跳ね除けられてしまう。
プラス、ネックとなっていた日独伊三国同盟を骨抜きにする事も仄めかしていたのだが…。
そして、陸海軍部内において、未だ渦巻く強硬派の存在。
「まさか東條閣下ともあろうお方が、米英との妥協を考えているのではありますまいな?」
佐官級達の参謀達がそう言って押しかけてきたこともある。
「黙りなさい!お上のご意志はあくまで和平にある!」
流石に東條も一喝して、追い返したのだが。
さらには激務の合間に自邸に帰ると。
「腰抜け東條、勝てる戦を何故やらぬ」
などと一般国民の投書が複数来る始末であった。

やはり、対米英、開戦不可避か…。
執務室で天を仰ぐ東條。
お上になんとお詫び申し上げてよいやら。

かつて総力戦研究所で弾き出された、「日本必敗」の結論。
帝國の頭脳を集めたらそう言う結論が出ました。
だからアメリカ、イギリスの言われるがままとなっても戦争回避します。
東條のみならず、過半数の政府、軍部の上層部が同じ考えなのであるから、あっさりとそう国内外に宣言する。

…それができたら苦労はしない。
お上…陛下が和平をお望みであってさえ。
巨大かつ破滅的な戦争への歯車は止まらない。
この帝國に誰か独裁者がいて、他の将兵や臣民にそれを強要しているのではない。
逆なのだ。
お上でさえ、無論この東條自身も、この帝國の、「誰も矢面で責任を取らない仕組み」が作り出す巨大な流れ…それが止められないのだ。
その場その場の空気、事変に毎度左右に流され、追い詰められると集団恐慌を起こし、一部のよくわからない声の大きな連中に引きずられて、大戦に突入する寸前に今追い込まれる…。
やはり、戦う他ないのか。

「あまり思い詰めても良い事はありませんよ。」
そう言えば、居たのだな。
有明一郎…首相秘書官。
帝大次席卒業の自称数学者。
とは言え、出先での身の回りの世話、直近の来客の接待等で一番気がつく。
そう言った理由で副官と従兵を兼ねたような立ち位置で半ば私的に登用した。
周囲にはそう説明している。

良くも悪くも、その場に空気のように溶け込むのが上手く、ずっと東條に侍っていてさえ、来賓にお茶を出すまで存在に気づかれないことすらあった。

時々、2人きりになると長話をする事がある。
だが、この時は少し特別だった。
「運命には逆らえない…たとえ畏れ多くも陛下が大命を下したとしても、肥大化した陸海軍や煽られた民衆は止まりませんよ」
な…
東條は目を剥いた。
貴官が意見するような事ではない。
そう一喝する所なのだが本来は…。
彼…有明一郎の声には、人を惹きつけ落ちつかせる不思議な何かがあった。

「ですが、運命に備え、大きな波をいなして乗りこなし、躱わす方法ならあります。
アメリカやイギリスに負けず、あくまで陛下を中心とした、なるべく正しい方向にこの国の舵を切る方法に…。」
「5分だけ聞こう。」

「石頭」「上等兵」「カミソリ東條」
そう陰口される自分には本来考えられないことだが…やはり有明の言う事ならばと言う何かがあった。
「では、お言葉に甘えまして。
もし開戦やむなしとなれば、海軍がハワイ。
陸軍がフィリピン制圧。
そこを起点に仕掛けていくと『仮定』しましょう。」
東條は軽い驚きを浮かべる。
が、なんとなしに彼なら直接間接に得る断片的な情報からそのくらい割り出してもおかしくないと自身を納得させる。
「多分、全般に国力100倍といえ、こと太平洋方面では準備不足のアメリカは『最初は』存外に苦戦。つまり我が帝国は各戦線で快進撃となりましょう」
「うむ、それは各方面の予測でも出ておる」
「ですが、その予測ではっきり出ていても、誰も正視していないこととして、陸も空も海も、明らかに質も量も圧倒的な戦力を押し出し、あとは恐るべき総力戦に我が国は巻き込まれましょう。
遅くとも昭和18年後半には、双方に埋め難い差が出る。
恐れながら閣下も軍人たちも、兵や市井の臣民たちも、その『総力戦』なるものがどう言うものかも分かっていないかと…」
「何もかもをも灰塵に帰す亡国の道…国が破れて山河も無くなるか…」
東條は軽く汗を拭いつつ、珈琲をすする。

「まずその破滅を回避するには…この戦いの主戦力が何になるかを見極めるべきです。
そう、航空戦力…。
海軍は空母を機動的に運用して、あるいは緒戦で相応の戦果を挙げるかもしれません。
確かに連合艦隊司令長官の山本五十六閣下らは画期的な戦術をこれから用いて戦果を挙げていくかと思われます。
ですが、不徹底です。
それが証拠に、漏れ聞くところによると、海軍全般の大艦巨砲主義の極致とも言える超巨大戦艦が、年明けにも公試に入ると。」
東條は重く頷く。
なぜ知っているか?など、もはや野暮な問いかけにおもえたのだ。


しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

蒼海の碧血録

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。  そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。  熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。  戦艦大和。  日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。  だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。  ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。 (本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。) ※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

暁のミッドウェー

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。  真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。  一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。  そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。  ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。  日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。  その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。 (※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)

処理中です...