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【13】絢爛な王宮にて (アルフレッド視点)
しおりを挟むヴェルーデ最南端のコルツの街を出て国境を越え、いくつかの宿場に泊まりながらようやく目的地であるシャーリドの王都に入った。
シャーリドに入ってからの行程はタイトで、アリシアを二人きりの『視察』に誘っても疲れを理由に断られ続けた。
貴族の女性が自分で馬に乗って移動しているのだから、たしかに疲れは相当なのだろう。馬車にしてはどうかと聞いたがその気は無いようだった。
一堂に会して食事ができるような宿ばかりでもなく、配られた食事の包みを部屋でジャンと食べるだけの味気ない日が続いた。まあこれを味気ないと感じてしまううちは『物見遊山気分』と思われても仕方がない。
携帯する水をめぐって、シャーリドの民とヴェルーデ側の従者との間で小さな諍いがあった時にはアリシアが通訳をして事なきを得た。ハワード公がヴェルーデから連れてきた通訳が途中で引き上げてしまい、アリシアに助けてもらったのだ。
重要な会合の場合の通訳は、当然双方から出す。だが小さな会話の場合は片側の通訳だけで話を進める場合もある。そうした場面で通訳は双方の主張や心情をいかに汲み取りそれをどう表現するかが重要で、その匙加減一つで着地点が変わってしまう。
アリシアはそれを巧く訳し、互いが納得できるところに導いた。
通訳とは言葉の理解力だけではなく、双方にとって適切な言葉をいかに瞬時に探せるかの能力が必要なのだと改めて感じた。
シャフラーン語は第二外国語として王立学園で必修科目の一つだ。第一外国語の帝国語と併せてみっちり学ぶ。苦手という意識も特になく成績も悪くなかったが、実際の会話となると思ったように話せなかった。聞くことはなんとかなっても伝えることが難しい。
自分の勉強の足りなさを、密かに恥じた。
***
シャーリドの王宮に一行は招かれた。
コバルトブルーと白を基調とした絢爛な宮殿は、豪華なものを見慣れているはずの自分でさえ圧倒されるほどだ。
この宮殿への入口に立った時点で、シャーリドの国力がどれほどのものか分かる。
いくつかの国を併呑してさらに領土を拡げようとしているシャーリドを、『新興国』として下に見ている帝国内の一つの王国に過ぎない我が国ヴェルーデ。
シャーリドの第一王子が帝国の皇女を娶ったら、いったい勢力分布はどうなってしまうのか。
この宮殿は国力を見せつけるように外からも内からも輝いている。
その輝きを前に光が作り出す影に自分が飛ばされ吞み込まれてしまうような、そんな感覚に捕らわれたがアリシアが俺を引き戻してくれる。
「アルフレッド殿下、このドレスをありがとうございます。ふわっとしていて締めつけ感がないのに、そう見えないように丁寧に作られています。私の希望をこんなに素敵に叶えてくださって嬉しいです」
「……うん、とても綺麗だ。似合っている。締めつけ感がないのならたくさんお菓子が食べられるのではないか?」
「この国のお菓子をいろいろ食べるのも視察のうち……ということにしてください」
「……そこはもうアリシアに全面的に任せよう、適任だ」
アリシアはいたずらが見つかった子どものような笑顔を見せた。
シャーリド王との会食とあってアリシアは美しく装っている。このところ乗馬服姿ばかりを見ていたので、アリシアのドレス姿に目を奪われた。
このドレスはこの視察のために急ぎ作らせて贈ったものだ。アリシアの希望を尋ねたら、一人で着ることができてラクなものということだった。
肝心のドレスの色については俺に任せるというので、アリシアの澄んだ淡いグレーの瞳の色ではなく、そこはもう遠慮なく自分の目の青色にした。
深い青がドレスの裾に向かって少しずつ淡い青になって白くなる。
アリシアが歩けば裾が波のように動き『水の都』と呼ばれる我がヴェルーデ王国を象徴しているとも言えた。
ドレスをまとったアリシアは本当に美しく、さながら女神のようだった。
シャーリド王が広間にその姿を見せた。
威圧感さえ覚える宮殿の絢爛さにあまり似合わない、朗らかな雰囲気をまとっている。
こうした人物が最も恐ろしいと多くの歴史書は教えてくれていたが、その対処法はすぐに思い出せない。
今できることは、何でも学び取ろうとすることと相手と自分に誠実にあろうとすることくらいだろうか。
「よくいらしてくださった。今回は視察のためということで、ヴェルーデ王から過分なもてなしは不要との言葉を事前にいただいているが、遠路はるばる来てくれた礼はさせてほしい。
第一王子であるイクバルの婚姻の準備は順調に進んでいる。挙式の後に貴国ヴェルーデに訪れることをイクバルはとても楽しみにしている。
短い時間ではあるが我がシャーリドでゆるりと過ごしてもらいたい」
シャーリド王の挨拶が終わるとこちらが挨拶を返す番だ。
「ドラータ帝国ヴェルーデ王国が長子アルフレッド・イザイヤ・ヴェルーデにございます。
こちらでいろいろと学びイクバル殿下がヴェルーデにいらした際には、国を挙げてお心に添うおもてなしをできればと思っております。
そしてこちらが私の婚約者であるアリシア・ノックスビルにございます。私の通訳として此度は同行しております」
「ノックスビル公爵家の長女にございます」
アリシアはシャーリドの慣習に則って、家の名前のみを名乗りそれ以外の挨拶をしない。
この国では女性が前に出ることはほとんどないと言う。本来ならばこうした場でさえ紹介されないことも多いようだ。
「アルフレッド殿下のシャフラーン語はとても美しく通訳を必要とするとは思えぬが、婚約者殿がそれを務めるのであればそれは心強いものだな。近隣国での騒動を聞くに、婚約者である令嬢と仲睦まじくしているアルフレッド殿下のことは信がおけるというものだ。
イクバルとは年も近く、第一王子という立場も同じで仲良くしてもらえればこんなに心強いことはない。どうかよろしく頼む。そして婚約者殿もこのシャーリドを楽しんでもらいたい」
シャーリド王は、その後王妃やイクバル殿下をはじめとする主だった王族を紹介すると、後はイクバル殿下に託して王妃殿下と共に下がった。この宴の主催はイクバル殿下のようだ。
***
国王夫妻が下がってからは、緊張感が解けてそれぞれが近くの者たちと話す心地よいざわめきが広がっていった。
一皿ずつそれぞれの前に料理が運ばれてくるスタイルではなく、何人かにひとつの大皿が置かれ、そこから取り分けてもらうようで、自分で取ってもよいらしい。
料理の皿で埋め尽くされたテーブルのすべての味を試すのは無理だったが、これまで味気ない食事が続いていたので心から満足した。
「殿下、こちらのお菓子を召し上がりましたか? とても美味しいです」
勧めてくれたのは、ハートの形をした何かが入っているパウンドケーキだろうか、それをひと口サイズにしようと、アリシアが切り分けてくれる。
まるで夫の世話を焼いてくれる妻のようで、思わずその美しい手元を見つめてしまう。腹はいっぱいではあるが、アリシアに勧められてはもちろん食べる。柔らかい干した果物の食感から、じんわりと甘味が広がって確かにこれは旨い。
「この菓子に入っている果物はデーツと言います。シャーリドでは菓子にも料理にも多く使われるものです。デーツを干したものをタムルと言い、私は毎日のようにタムルをそのまま食べています」
イクバル王子の言葉をアリシアが伝えてくれる。
だいたいは聞き取れているが,、耳慣れぬ固有名詞が入るとやや戸惑うので助かる。
「イクバル殿下、甘味がとてもいいですね」
そう返すと殿下は微笑を返してくれる。もう少し、噛むほどに甘味がじんわりとやってきてそれが旨いということを伝えたかったが、自分のシャフラーン語力では言えなかった。
「アリシア、そのタムルというのをシャーリドのご一行が我が王宮を訪れた直後の休憩の場で出すのはどうだろうか。ヴェルーデに来られるのは長い旅の最後だ。そこで祖国シャーリドでいつも食べている甘味があれば寛げるのではないか?」
「それはとてもいい案ですね! 従者の方々に最初に王宮で腰を下ろして戴く場所に置くのですね。さっそく伺ってみますわ」
アリシアはイクバル殿下に話した。
「そのタムルは、身分の低い者も食べられるのでしょうか」
「デーツの木はあらゆるところに植えられており、庶民でも気軽に口にできます。美容にも良いと王宮の女性たちもよく食べていますね」
「まあ! 美味しいだけではなく美容にも良いとは素晴らしいことを伺いました」
アリシアは目を輝かせた。
「君の美容の分も含めて、たくさん買って帰ろう。そして饗応の場で使えるか検討しよう」
「ありがとうございます、これはいろいろなお菓子に入れてみたいですわ」
ニンジンの葉が入ったパンのように、アリシアが俺に手作りのタムル入り菓子を振舞ってくれることを願って、馬車に積めるだけ買おう。
「アルフレッド殿下と婚約者殿の仲の良さを見ていると、なんだか温かい気持ちになりますね。私もルチアナ皇女殿下とお二人のような関係を築きたいものです。
時にアルフレッド殿下、これから宮殿の庭をご案内したいのですがいかがでしょう?夜の庭園は昼とは違う美しさと自負しております。ぜひ、殿下と婚約者殿にお見せしたい」
「それは嬉しいご提案ですね。シャーリドの美食を堪能しすぎた我が腹も、どうやら散策を求めているようです」
努めて明るく返したものの、気持ちは少し陰る。
イクバル殿下に、自分とアリシアの『仲の良さ』を見て温かい気持ちになると言われたが、それはひとえにアリシアがそのように振舞ってくれているからに過ぎない虚像で、俺は何もしていない。
こうして俺の都合で振り回してしまっているのに、アリシアは『仲の良い婚約者』を演じてくれている。きちんと事の経緯を伝えて謝罪すべきなのに、いまだにできていない。
婚約者に興味がなかったのに破棄して撤回して一緒に過ごすことが増えたら興味が湧きました、あまつさえ惚れましたなどと、どうやって伝えて謝罪すればいいのか。
ジャンは想いを伝えろと言うが、俺はそのはるか手前で足踏みをしている愚か者なのだ。
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