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【11】出発前(アルフレッド視点)

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孤児院から戻りソファに身体を投げ出す。
ジャンからシャーリドへの視察旅行の前に気持ちを伝えろと言われ、今日のアリシアは孤児院にいる日だと思い出し、そちらに向かった。

アリシアはいた。
日差しの中、スカートをたくし上げ素足をさらけだして裸足で洗濯をしていた。
あの姿が目に焼き付いてあれからどうにもダメだ。
女性のスカートの奥まで進んだことはある。でもそれらのどの時も、特に何の感慨もなかった。
つくづく過去の自分は最低だった。

何をしていてもあの時のアリシアを思い出し、そこで止まってしまう。
マチルダは、男女の間に友情は成立しない派閥の会長だと言っていたが、俺は今日からスカートから見える素足派閥の会長になろう。会員は俺だけでいい。

それにしても、いつもあんなふうにアリシアは孤児院で洗濯をしているのか?
誰でも入れる場所で、素足をさらしているなんてとんでもないだろう!
……思わず立ち上がってしまった。
よろよろと座り直して頭を掻きむしる。

「……殿下」

その上、スカートをたくし上げたままよろめいたアリシアを抱きとめてしまった。
うん……俺はアリシアを抱きしめた。
アリシアから甘い匂いがした。
ゴテゴテしたしつこい甘さではなく、なんかこう清潔な甘さとでもいうのだろうか。
鼻の中に強制侵入してくる香水の臭いは苦手だが、アリシアの匂いはなんていうかこう、奥ゆかしい感じの……そう! 奥ゆかしい甘さ、それだ!

腕の中のアリシアは思ったよりも小さく華奢だった。
すっぽりと俺の腕の中に収まるアリシアと密着してしまい、身体の真ん中を何かが駆け抜けた。
もっと強く抱きしめそうになって慌てて離した。

「……殿下」

アリシアがパンを焼いたというのも驚いた。
そんなことをする公爵令嬢がいるのだろうか。
あのパンを割ったところから立ち上る湯気の香ばしい匂い、あんなに熱いパンなど俺は初めて食べた。
緑の草みたいなものが入っていたがあれはニンジンの葉だという。
そういうのは身体にいいのだろう?

子供の頃に野菜を残すと、侍従に野菜は身体に良いので残しませんようにと言われたものだ。
アリシアと結婚したらセレニティ宮で暮らすことになるのだろうが、そこの主寝室の続きにキッチンを増設するのはどうだろう。
そこでアリシアにパンを焼いてもらうのだ。
王太子の身体を案じたパンを王太子妃が作る……絵本にして国内の子どもたちに配ってはどうか。さっそく絵描きを手配しよう。

「……殿下! アルフレッド殿下!」

「な、なんだジャン、そこに居たのか。何の用だ」

「孤児院から共に戻り、それからずっとここに居ますね。何をさっきから頭のおかしいことを言っているのですか」

「え? 声に出ていたのか」

「思いっきり出ていましたね。気持ち悪いのとか訳の分からないのとか全部」

「おまえは図書室で不敬という文字を辞書で調べてくるといい」

「その間にアリシア嬢に、今度こそ気持ちを伝えてくるとおっしゃるのでしたら」

「……言おうとはしたのだ、言おうとは……。だがなかなかそう、思うようにできなかったというか」

「今の殿下は誰だか分からないくらいに変わりましたね。以前はいろいろなことに冷めているというか、何にも興味を感じていないように思っていました。
それが婚約破棄と言ってしまうほど興味の無かった婚約者にこんなに情緒不安定になるなんて、何かへんな物でも拾って食べたのかというくらいに変わりましたね」

「情緒不安定……」

「でも今の殿下、嫌いじゃないです」

「そうか、気が合うな。案外俺も今のこの感じを嫌いではない。胸が躍るこの感じ、悪くないな」

「その勢いで言えればいいですね」

それが簡単にできたら苦労しない。
明日もアリシアの顔を見ることができる。チャンスはきっとあるだろう。


***


王宮の『碧水の間』にシャーリドへの視察に赴く者たちが集められていた。
シャーリド一行の訪問予定となった帝国内の王国は、どこも事前に視察団をシャーリドに送る。
なるべく人数を絞って向かう、そうハワード公爵が説明した。
従者を多く連れていけばそれだけ時間も金もかかるというのが主な理由らしい。

リカルドも饗応役だが今回の視察には行かないそうだ。
アルフレッドが国外に出ている間、王に万が一のことがあった場合を考えリカルドは残る。
国外でアルフレッドに何かあった場合も、リカルドが同行していたら成人の王子二人に同時に危険が及ぶ可能性もある。
同じ理由でハワード公は現地に向かうが、ノックスビル公は残る。
というよりノックスビル公は、この件に関しては事務仕事ばかりを割り振られているようだった。

ハワード公の話は続く。
視察団はシャーリドに入ってすぐに王宮に挨拶に向かう。
そして王宮内に宿泊し、シャーリドの王都を視察するという手筈とのこと。
視察は王族と面識を持つこと、シャーリドの雰囲気を掴むこと、これが大きな目的であってそう時間をかけることもないという。


「最後に紹介させてもらう、私の娘のマイラだ。此度の視察に加わることになった。アルフレッド王太子殿下と同じクラスで学んでいる。マイラには今回の視察でシャーリドの女性王族との繋がりを作ってもらう。
その他女性ならではの視点からシャーリドの文化を捉えてほしいと思っている。それではよろしく頼む」

会議の途中で入ってきた人物が同級生のマイラ・ハワード公爵令嬢と気づいて驚いた。
彼女も同行するなど聞いていないが、ハワード公にしてみれば今回の件の『お飾り』と思っている俺にそうしたことを事前に言う必要はなかったということだろう。

マイラ嬢とは学園で同じクラスだが、話したことはない。
押しの強いハワード公と違って印象が薄い。
俺の……婚約者とするためにハワード公が養女にしたという。
彼女はそれを解った上でこの視察に同行しようとしているのだろうか。

今となっては、陛下がノックスビル公爵家のアリシアと婚約させた意味が解る。
国を思いその身を引くことも前に出て盾となることもできるノックスビル公爵と、自分の家を富ませることが第一目的のハワード公爵とはまったく違う。
いざという時に王室を支えてくれるのはノックスビル公だ。
アリシアとマイラ嬢の対比でアリシアを選ぶわけではなく、アリシアがいいのだ。

少し前の自分は、見聞を広めるどころかその足元さえ見えていなかった。
だが、少しずつ変わってきているように感じている。
ハワード公が何を思ってマイラ嬢を視察団に入れたのか分からないが、婚約者を変えることなどありえない。
アリシアでなければ結婚など考えられない。

改めて視察団のメンバーの名前を確かめていくと、ハワード公の息のかかった者が多いと気づく。
当たり前と言えばそうだった、ハワード公が自在に操れる者を多く配置するのは分かりきったことだ。
会議が終わったらアリシアを茶に誘おうと思っていたが、それどころではなかった。


***


「兄上、旅に持っていく衣裳の相談なら適任者は僕ではないけど」

リカルドは突然の来訪者である俺を、相変わらず冷たい目で招き入れる。

「視察にハワード公の養女も同行するらしい。そろそろ俺を助けてくれてもいいだろう、リカルド」

「助けてくれとも言われてないのに兄上なら自分から手を貸すの? 僕は兄上ほど自意識過剰ではないから、自分が求められているかどうか分からなくてね」

「求めれば応えてくれるのなら話は早い。このリストのメンバーについて分かっていることを、余さず教えてくれないか。ハワード公についてのあらゆることも」

「しょうがないな、この貸しは高くつくからね」

そう笑ったリカルドは幼い日に俺を追いかけていた頃の目をしていたが、それは俺がそう思いたいだけのことかもしれなかった。
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