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32:アメリア

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 玄関ホールに突然姿を現したアラスターを、グリンデルバルドの家令アルバートは驚くことなく迎えた。
 もはやこの程度のことでは動じることもないのだろう。少年期にはもっと色々やらかしていた。
 寧ろ、漸く静かに訪うことを覚えましたかと言わんばかりの表情だ。

 「お久しぶりですな、アラスター様」

 「何やら、面倒なことになっていると聞いたが?」

 「はい。すでにいらっしゃっております」

 わがままな令嬢のあしらいに大分苦労したのだろう。アルバートは完璧な笑みを浮かべて言った。長年父に仕えている優秀な男の手を焼かせるとは、なかなか骨のあるご令嬢のようだ。

 「なるほど? 半日ほど待たせてやればよかったな」

 「ここ最近の旦那様は胃薬ばかり所望しておりますよ」

 軽口を叩きながら応接室に向かう。
 アルバートが応接室の扉をノックしアラスターが来たことを伝えると、グリンデルバルド侯爵から入室を許可する返事が返って来た。
 侯爵の前には、メイフィールド家の当主とその娘が座っている。若い頃には女性に人気があったらしい公爵だが、今は些かだらしのない体型になっているせいか、年齢よりも老けて見える。

 「遅れて申し訳ありません。なにぶん忙しい身でありますゆえ、なかなか時間が捻出できず」

 「それほど待ってはおりませぬよ、なぁ、アメリア」

 「ええ、アラスター様がお忙しいのは十分存じております。ですがこうして私のために時間を作ってくださって、とても嬉しく思いますわ」

 言外に迷惑だと含ませたが、相手には全く伝わらずにアラスターは眉間に皺を寄せる。厚顔無恥めと、胸の内で吐き捨て令嬢を見下ろすが、グリンデルバルド侯爵に座るよう促された。
 渋々と侯爵の隣に腰を下せば、侍女達がいそいそとお茶を淹れ出した。アラスターが座るのを待っていたのだろう。

 「グリンデルバルド侯爵から聞いているかとは思うが、我が娘との婚姻を前向きに考えてはくれぬか? 貴殿にとっても悪い話ではないと思うのだがね」

 公爵は前振りもなく本題を切り出す。話が早くて助かると思いながらも、相手の必死さが伺える。それほど娘の願いを叶えてやりたいのか。それとも、アラスターの後ろ盾である国王の影響力が欲しいのか。

 「私は生涯独り身と決めておりますので。ご令嬢には私よりも良き縁がいくらでもございましょう」

 「私はね、救国の魔法使いとしての貴殿の能力をとても買っているのだよ。その魔力を後継に残さないのは、国の損失とさえ思っている。我が家は娘ひとりきりだ。私の後継として婿養子にと考えているが……」

 貴族として力を欲しがるものは多いが、ここまであからさまなのは品がなさすぎだ。
 アラスターはアメリアを一切視界に入れないよう、紅茶を口にする。
 アメリアの方は視線を落としながらも、隙さえあればアラスターに秋波を送ってくる。その煩わしさに、思わず結界を張り巡らせようかという気になった。
 公爵が語り出した、いかに娘が素晴らしいかという話を右から左に聞き流す。

 昨日倒れて帰って来たフヨウは、今朝もいつも通りにユージーンの店に出かけた。アラスターは休むように言ったのだが、大丈夫だと言って聞かなかった。ユージーンにくれぐれも頼むと伝えてくれと、メガンに言い含め不承不承フヨウを送り出したが、やはり気になってしまう。今のフヨウはとても不安定だ。しかも彼に下らないことを吹き込んだ人物はまだ見つかっておらず、再びフヨウに接触して来ないとも限らない。フヨウには守りのピアスをつけているが、フヨウが危険を感じなければ転移の魔法陣は展開しない。心無い言葉を投げかけられても、フヨウは黙って耐えるだろう。そして、アラスターの前では何事もなかったと笑みを浮かべるのだ。
 やはり早く屋敷に戻り、フヨウに接触した人物を調べあげるべきだと判断したアラスターが、公爵の一方的なお喋りを終わらせようとした時だ。

 「まぁ、まずは二人で話でもしたらどうかな。娘を少しでも知ってもらえれば、貴殿の考えも変わるかもしれぬ。 のう、アメリア?」

 人の屋敷でまるで主人のように振る舞う男に苛立ちを覚えたアラスターがチラと隣を伺えば、グリンデルバルド侯爵は澄ました顔で紅茶を飲んでいる。ここは静観を決め込むつもりらしい。

 「アラスターさま、こちらに通していただく前に、素敵なお庭が目に飛び込んで来ましたの。ぜひ、案内して頂きたいわ」

 _……図々しい_

 うんざりとしたアラスターだったが、適当に案内をして追い返そうと席を立つと、アメリアとともに庭へ転移をする。並んで歩くのも不愉快だ。屋敷の中を並んで歩き、事情を知らない下女や下男におかしな勘違いをされても困る。
 最初こそ転移に驚いていたアメリアは、何が嬉しいのか矢鱈とアラスターを褒め上げる。転移など特別なことではない。アラスターにとっては日常的な移動手段だ。

 「メイフィールド嬢、」

 「アメリアとお呼びくださいませ」

 「……メイフィールド嬢、私はあなたの期待には応えられない。ですので、早々にお帰りいただきたい」

 「何故ですの?」

 「先ほども申し上げた通り、私は誰とも婚姻を結ぶつもりがない」

 「アラスター様が後見人をしている少年の為ですか? なんでも、エヴァンス卿に生き写しだとか……」

 アメリアの言葉にアラスターは視線を鋭くした。フヨウやキーランのことを勝手に口に出されるのは不愉快だ。

 「身寄りのない子供を引き取り、自らその生活のお世話をされるのは大変慈悲深く高潔な行いだと思いますわ。けれども、もう宜しいのではないのでしょうか。アラスター様は充分な贖罪を行いましたわ。亡きエヴァンス卿もアラスター様の幸せを願っていると思います……ですから、そろそろご自身の幸せをお考えになってみては。わたくし、きっとアラスター様が幸せになるためのお手伝いができると」

 「今、贖罪とおっしゃられたか?」

 「え? ……ええ、」

 ー……成る程。お前だったかー

 気は乗らなかったが、此処に来た甲斐があったと言うものだ。
 意外にも早く、フヨウに下らない事を吹き込んだ人物がわかった。令嬢本人か、あるいは誰かを送り込んだのか。
 何れにせよ、公爵家であればアラスターが後見人をしている子供の情報を手に入れる事は簡単だろう。フヨウの身元が定かではなく、その上アラスターに仕えていた魔法剣士に姿がそっくりであるという事も。
 そして、屋敷に出入りしている馬車を追えば、何処を目的地にしているかぐらいは容易に解る。それが毎日定刻に行われているのだ。フヨウの行動も把握できた。日々見張っていれば、フヨウが一人になる機会を狙うことができる。
 大切なものを無遠慮に踏み荒らす者にかける情けはない。アラスターは酷薄な笑みを浮かべアメリアに視線を向けた。

 「……確かに彼なら私の幸せを願ってくれているかも知れません。ですが、私の幸せはあなたの傍らだけには決して無い」

 「……ア、アラスター様?」

 「誰の許しを得て、彼に会った?」

 「な、なんのことですの?」

 「……まぁ、いいでしょう。どうやら貴方には貴族の令嬢としての慎み深さが足りないようだ」

 「なっ!」

 怒りか或は羞恥にか、顔を赤くして表情を歪めたアメリアを連れ応接室に転移する。思わぬ収穫もあった。もうこれ以上無駄な時間を過ごすつもりはない。

 「おや、もう戻って来たのかね」

 公爵は余裕の笑みを浮かべているが、正面に座るグリンデルバルド侯爵は相変わらずの無言でカップを口に運んでいる。その表情には特に何の感情も浮かんではいない。さぞ有意義な時間を過ごしていたのだろう。幾許かの労いの気持ちを抱きながら、アラスターは公爵に向き直った。

 「……ご息女との婚姻はお断りさせてもらう。今後二度とこのようなお話は持ち出されぬようお願いする」

 「な、なんだと、」

 まさか断られるとは思っていなかったのだろう。公爵はソファから立ち上がるとアラスターに詰め寄った。

 「貴殿にとってもまたとない良い話だと思うが、それを断ると?」

 「私は陛下よりこの国に於いて身の振りの自由を許されている。ゆえに、望まぬ婚姻をする必要がない」

 そもそもメイフィールド公爵は、腐竜の件に関わる王家の失態を知らされていなかった。それだけでも国王がメイフィールドをどう思っているかは推して知るべしであろう。わざわざ父や兄を心配する必要はなかったのだ。

 「なっ! 失礼ではないか! この青二才が思い上がるのもいい加減にするがいい!」

 「さて? 私がいつ思い上がったと?」

 アラスターはわざと魔力を薫せる。一種の威圧だ。今では魔力の放出を自由自在に制御できるが、幼い頃は失敗して力を暴走させたことも屡々だった。当時の事を思い出したのか、グリンデルバルド侯爵はわずかに苦い顔をするとスッと立ち上がる。

 「アルバート、客人がお帰りになられる。お見送りを」
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