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厄災の黒炎竜インサニアメトゥス

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「あの男は、小者のくせに野心ばかりが強くてね。そこそこ役に立ってくれていたのだが、何を勘違いしたのか、私から心の臓を奪い竜の主になろうとしたのだ。だから、身の程をわきまえぬ彼奴あやつには餌になってもらったのだよ。あれほど欲していた偉大なる竜の一部となれたのだから、彼もさぞ光栄に思っていることだろう」
 ファガーソン卿は余計な欲を出すから命を落とすことになるんだ。第二王子で失敗してるんだから、大人しくしていればよかったものを。
 しかし、この卵は一体どこから持ってきたんだ? 確かインサニアメトゥスは、火の山の釜で燃え尽きたはずだ。
「……竜がどこから来たか気になるかね?」
「ああ、大いに興味があるね」
「ならば、教えてやろう。厄災竜は火の山の釜で燃え尽きたが、その心の臓だけは燃えずに残っていたのだ」
「はぁ? 心の臓だって?」
 火の山の釜でも燃えないなんて、どんな心の臓だよ。とんでもないな。
「厄災竜は鱗一つでも魔獣を大発生させる。そんな大陸を支配できる強大な力をみすみす焼き捨ててしまうとは、どの国の王も皆愚か者だ。だが、我が国は違う。竜の心の臓は我が城の地下で150年の間、復活の時を待っていた」
「なるほどね。どおりで……」
 シュテルンクルストの地下に魔素が充満していた理由がわかった。体の一部だけでも結構な魔素を吐き出すのに、心の臓なんてあったらそりゃぁ地下が魔素溜まりになっても不思議じゃない。
「我が厄災竜を復活させるため、かつて竜が地上に出現した時のように魔獣を呼び、時に生き血を与えたが心の臓が動き出すには至らなかった。ところが、偶然にもお前の兄が心の臓に触れた途端、竜は急激に復活の兆しを見せ始めたのだ。厄災竜の復活には魔力が必要だったのだよ。あれは大した駒にはならぬと思っていたが、思わぬところで役に立った」
「あんた、厄災竜の魔素に浸りすぎて頭がおかしくなったんじゃないか? じゃなきゃ、インサニアメトゥスを甦らそうだなんて、狂気じみた事を思いつくわけがない」
「貴様! 不敬だぞ!」
 気色ばんだ護衛騎士が剣の柄に手をかけたけれど、それよりも一瞬早く剣を抜いたパーシヴァルが俺の前にでた。
護衛騎士は悔しげに顔を歪める。ふん。いいところなしだな。
 俺は大切な人を魔獣に殺されて涙を流していた人達の事を絶対に忘れない。だからこそ、こいつらのくだらない野望は完膚なきまでに叩き潰さなきゃな、
 それにしてもウェリタスよ。大した魔法使いじゃないことを見抜かれているぞ。いくら売り込んだところで、この王太子はウェリタスのことを竜の給餌役ぐらいにしか思っていない。
 ウェリタスも薄々それに気がついていたんだろう。だから、なんとか王太子付きの魔法使いとして残れるよう、魔力切れになってでも竜に魔力を与え続けたんだ。
「魔力を得て姿を取り戻した竜はこの地で魔素を吸い上げ、いよいよ復活の時を迎える。各地で起きている魔獣の大発生は、厄災の黒炎竜復活の兆しだ。お前達にも、これの鼓動が聞こえるだろう?」
 魔素を吸い上げてるだって?
 一瞬、脳裏に魔獣の森が過ぎる。いや、まさか……
 この神殿から、魔獣の森まではそれなりの距離がある。だけど、この竜が魔素を吸っているのだとしたら、この周辺や魔獣の森が静かな理由に説明がつく。
「……サフィラス、こいつを地上に出すのはまずいぞ」
「うん。でも、もう手遅れかも」
 不気味な低い唸り声を上げながら黒い塊が不気味に蠢き、表面に大きな亀裂が入る。なんとも言いようのない禍々しい気配が漏れ出ると、隙間から血のように紅い眼がギョロリと覗いた。
「フシャーッ!」
「駄目だ、ケット・シー。君の手に負える相手じゃないよ」
 威嚇の声を上げて飛び出そうとしたケット・シーを幻獣界に帰す。いくらケット・シーでも、あいつの相手は無理だ。
「素晴らしい……素晴らしいぞ……! さぁ! 我がしもべ、インサニアメトゥスよ! お前の力を大陸中に知らしめるのだ……!」
「おい! 馬鹿! やめろっ!」
 竜の紅い眼がぐるりと動いて、両手を広げ喚いている王太子に向けられる。大きな口がばかりと開いたかと思うと、あっという間もなく王太子の横に立っていた魔法使いに喰らいつく。同時に絶叫した王太子の右腕は肩から無くなっていた。咀嚼するでもなく、インサニアメトゥスは魔法使いと王太子の腕を飲み込む。
 ……馬鹿だな。インサニアメトゥスが人如きに従うわけがない。あの竜は、黒い炎を吐き出しながら地上のあらゆるものを焼き、喰らい尽くす。ただそれだけだ。
 魔法使いを喰らったことで、孵化のための最後の魔力をその身に取り込んだのだろう。巨大な竜は、ぬらぬらと黒い鱗を光らせながら、いよいよその全貌を現そうとしていた。
 竜の大きさに耐えられなかった祭壇が、地響きとともに崩れだす。
「パーシヴァル! ここはもう駄目だ、出よう!」
 転移で外に脱出しようとすると、パーシヴァルの視線がチラリと王太子に向けられる。
 アレは捨てて行ってもいいんじゃないかな? って思ったけど、まだ生きているのに見捨てるほど俺も非道じゃない。片腕を失い呻いている王太子と、すっかり腰を抜かして役に立たなそうな護衛を拾って遺跡の外へ転移する。
 それとほぼ同時に、土や瓦礫を噴き上げながら巨大な黒竜が地下から現れた。
 見上げるほどの黒い竜は、俺が知っているあいつと寸分違わない。まさか、またこいつと対峙することになるとはな。なんとも感慨深いものがある。
 完全に地上に姿を表したインサニアメトゥスは、長い尾で周囲の木々を薙ぎ倒し、夜空に向かって咆哮を上げた。
「うっ……」
 耐えかねるほどの大きな声に堪らず耳を塞ぐ。
 不気味な声は方々に響き渡り、驚いた鳥達が一斉に飛び立つ。
「……とりあえず、ヴァンダーウォールに竜の復活を知らせに行こう。あれが復活した以上、何が起きるかわからない。オルトロス、一旦帰るよ」
 呼びかけながらオルトロスに視線を向ければ、芋虫ウェリタスが二つの頭に変わるがわる舐められて、すっかりドロドロになっていた。
「や、やめろっ……! くそっ! ふざけるな!」
 なんだかわからないけど、ウェリタスが随分とオルトロスに気に入られている。本当はここに置いていっちゃおうかなって思っていたけど、仕方がないので一緒に連れてゆくことにした。
 聞きたいことも色々あるし。ひとまず、ヴァンダーウォールで預かってもらおう。

 ヴァンダーウォールに戻った俺たちは、ヴァンダーウォール卿にインサニアメトゥスの復活を報告する。
 150年前に地上から消えたはずの厄災竜が再び現れたんだから、辺境の猛者達もさすがに騒めいた。
「何が起きるのかわからないので念のために、領民は避難させてください。特に魔獣の森近くの村はそれなりの対策が必要かもしれませんが……でも、あくまでも念の為なので」
 インサニアメトゥスはまだ復活したばかりだ。あいつが黒い炎を吐き散らす前に倒して仕舞えば、深淵にそれほど影響は出ないだろう。
「サフィラス……まさか、」
「うん。ちょっと戻ってあいつ倒してくるから、パーシヴァルは此処で万が一に備えて、」
「駄目だ!」
「っ!」
 パーシヴァルの大きな声に驚いた俺は、思わず肩を跳ね上げる。
 ……面と向かってパーシヴァルに怒鳴られるなんて、初めてじゃないか? それに、滅多に見ることのない怖い顔をしていて、なんだか新鮮だ。
「いくらサフィラスでも、インサニアメトゥスを倒すなど無理だ! 絶対に行かせるわけには行かない!」
「パーシヴァルの言うとおりだわ、サフィ。相手は大陸を滅ぼすような竜なのよ。魔獣を相手にするのとは訳が違います」
 ベリサリオ家の面々が俺を取り囲む。アデライン夫人だけじゃない。ヴァンダーウォール卿もお兄さん達も、心から俺を心配してくれてるのがわかる。なんだかちょっとこそばゆいけど、俺は大丈夫。前回は少々手こずったけど、今回はちゃーんと策があるのだ。
 それに、トライコーンの杖もあるしね! これがあれば百人力だ。
「インサニアメトゥスをそのままにしておくわけにはいかないよ。あいつは黒い炎であらゆるものを焼き尽くして、生きとし生けるもの全てを食う。そんなのを放っておいたら、大陸が死の大地になっちゃうだろ」
「……わかっている、だが!」
「聞いてくれ、パーシヴァル。多分、この大陸であの竜を倒せるのは俺以外にいない」
 パーシヴァルも薄々わかってると思う。普通の魔法使いや剣士にあれは倒せない。だからと言って、俺が一人で倒せるとも思ってないんだろうな。
「思い出してよ。かつてインサニアメトゥスを倒した魔法使いの事を」
「フォルティス・シニストラか……」
「そう、の魔法使いは無詠唱であらゆる魔法を操った。で、俺も無詠唱の魔法使いだ。奇しくも厄災竜の復活に合わせるように、無詠唱の魔法使いが存在するだなんて、これはもう運命の女神フォルティーナが俺に厄災竜を倒せと言ってるとしか思えないだろ?」
 そもそも、倒した本人だ。今回は二度目だから、前よりは上手くやる。
「……だとしても、なぜサフィラスなんだ」
 眉間に深い皺を寄せたパーシヴァルが苦しげな表情を浮かべた。
「パーシヴァル、俺を信じて欲しい。俺は、絶対にあいつを倒して戻ってくる」
 俺にはあいつを倒せる自信しかない。それに、将来俺たちが冒険する大陸を焦土にされたら堪らないからね。
 そんな思いを込めて夏空のような目をじっと見つめれば、パーシヴァルが目を閉じて深いため息をついた。
「……サフィラス、これを」
 俺の手を取ったパーシヴァルが上着の隠しから何かを取り出すと、左の薬指にはめる。薬指で鈍い光を反射したそれは、ウェリタスから取り返した盟友の指輪だった。
「必ず、俺の元に帰ってくると約束して欲しい」
「勿論!」
「……無茶は、しないでくれ」
「了解!」
「サフィラス……愛している」
「へ?」
 気がついた時には、パーシヴァルの腕の中だった。
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