上 下
61 / 171
連載

ヴァンダーウォールの異変

しおりを挟む
 今回に限りということで、夜間の無断外出については見逃してもらった。
 少しは反省しているので、暫くは大人しくしていようと心に誓う。まだ一度目だから大丈夫だとは思うけど、女神の微笑みも3度までともいうし。それにアウローラのような完璧なご令嬢を怒らせたら、竜を怒らせるより大変なことになりそうだ。
 それから赤髪のお兄さんは、お礼を言いにきたはずなのに最後は謝罪で締め括って帰っていった。
 パーシヴァルに指輪を貰ってから色々と騒がしかった俺の周辺も、一週間も経てばだいぶ落ち着いた。
 赤髪は「せめて友人としての付き合いを許してほしい」と、今度は静かにやってきたので、彼とは友人になった。根は悪い奴じゃないからな。
 あれほど俺を睨んでいたナイジェルは、俺を見ると逃げるようになった。例の噂を振り撒いた件で、だいぶ絞られたらしい。自業自得だな。
 漸く静かな学院生活が送れると安堵したところで、机の上に鎮座する名画図録を思い出してしまった。ずっと忘れたままでいたかったけれど、そろそろ到達度試験の事も考えなきゃならないな。
 ……まぁ、名画についてはまだいいか。今、頭に詰め込んでもきっと忘れる。
 伯爵については思うところが有りすぎるけれど、今の俺にはどうすることもできない。ボロでも出して自滅してくれるのが一番なんだけど。万が一伯爵家が無くなっても、夫人はウェリタスとアクィラを連れて実家に戻るだろうから、彼らの心配はしなくても大丈夫だろうし。
 解決していない問題はあれど、緩やかな日常に戻り始めていた。



 「サフィラス、少しいいだろうか」

 一限目が終わると、パーシヴァルがクラスにやってきた。いつも涼しげな表情をしている彼には珍しく、深刻そうな顔をしている。朝食の時にはいつものパーシヴァルだったのに、何かあったのだろうか?

 「どうしたの?」

 「俺は今からヴァンダーウォールに戻る。暫くはこちらに戻って来られないと思う」

 「え? 何かあったの?」

 「……ヴァンダーウォールの森で、魔獣が溢れ出した」

 周囲に聞こえないよう、一段声を落としたパーシヴァルがそう言った。

 「は?」
 
 魔獣が森から溢れただって?

 「ついさっき、父から風隼ふうじゅんが来た。風隼を飛ばしてくるとは余程のことだ。俺は暫く学院から離れるが、俺がいない間に無茶な事はしないと約束して欲しい」

 え? まさかパーシヴァルは俺を置いて行くつもりなのか?

 「何を言ってるの、パーシヴァル。俺も行くよ」

 「いや、サフィラスを連れて行くことはできない。マテオを全力で飛ばしても、ヴァンダーウォールまで4日はかかる。かなり強行軍になる上に、向こうの様子も解らないんだ」

 マテオで行くなんて冗談だろ? 俺の転移なら一瞬なのに。パーシヴァルは真面目がすぎる。便利な俺をどんどん利用すればいいのに、安易に俺に頼らない。彼がそう言う男だって知ってたけど、俺たちは仲間だ。なんの遠慮がいるものか。

 「俺は盟友なんだろ? 盟友っていうのは、こういう時にこそ共に戦うものじゃないか。それに、冒険者は仲間の危機には必ず駆けつけるって決まってるんだ。いくらマテオの脚が強靭だって、俺の転移には敵わないよ。俺が行けばどんな状況も必ず好転する。だから、俺を連れて行けって。駄目だって言っても、俺は転移ができるんだからな。パーシヴァルよりも先にヴァンダーウォールに行くからね」

 ヴァンダーウォールは俺にとって、第二の故郷と言っても過言じゃない。その故郷が魔獣に荒らされていると聞いて、黙っていられるわけがないだろ。置いて行っても俺は勝手に行くぞ。パーシヴァルの両腕を掴んで訴える。
 暫く俺と睨み合っていたパーシヴァルだったけれど、ふっと表情を緩めた。

 「……わかった、サフィラス。俺に力を貸して欲しい」

 「勿論だ! よし! そうと決まれば、すぐに出発しよう!」

 俺はクラスメイトにアウローラへの伝言をお願いする。アウローラなら詳しく説明しなくても、パーシヴァルと行くとさえ伝えれば解ってくれるだろう。ヴァンダーウォールの異変は、今日にでも公爵閣下の耳にも入るはずだから。
 パーシヴァルと俺は、マテオを迎えに行ってヴァンダーウォールの城へと転移する。
 この間お邪魔した時の長閑さがすっかりと消え去った城は、物々しい雰囲気に包まれていた。
 街の人たちが城の敷地内に避難してきているところを見ると、魔獣がオリエンスに侵入したんだろう。ジェイコブさんが兵士たちに指示を出しながら、避難してきた人々を誘導しているところだった。

 「ジェイコブ、今戻った」

 「パーシヴァル様!? それにサフィラス様も!」

 駆け寄ってきたジェイコブさんは、いつものピシッとした執事の姿ではなく、ヴァンダーウォール軍の制服を着ていた。それに、少し疲れているように見える。

 「母上は何処に?」

 「ホールでサンドリオン様と怪我人の手当てをしております」

 「わかった。マテオを頼む。行こう、サフィラス」

 「うん」

 「サフィラス様」

 俺がパーシヴァルと共に行こうとすると、ジェイコブさんに呼び止められる。振り返れば、ジェイコブさんは深々と頭を下げていた。
 
 「ジェイコブさん、今夜はゆっくり休めますよ」

 俺はそう言うと、少し先で足を止めて俺を待っているパーシヴァルのところへ走った。



 城の中は怪我をした人たちが集められ、さながら野戦病院の様相を呈していた。戦時中を思い起こさせる光景だ。それだけで、今のヴァンダーウォールの状況が芳しくないことが窺える。国の盾と剣と言われるこの地がこんな事になっているなんて、どう考えても尋常じゃない。
 アデライン夫人もいつもの貴婦人の装いではなく、シンプルで動きやすい服を身に纏い、厳しい表情で女主人としての采配を振るっていた。

 「スザンナ、避難所の方はどうなっていますか?」

 「先ほど女性と子供達の食事を配ったところでございます」

 「そう、わかりました。サンドリオン、あなたはまず休みなさい。此処数日ずっと治癒の魔法を使い通しなのですからね。休まないと倒れてしまうわ」

 「いえ、わたくしはまだ大丈夫ですわ」

 「サンドリオンさん、アデライン夫人の言う通りだよ。こんな時こそ休まなければ、却って効率は悪くなる。休める時にしっかり休んで食べないと」

 「サフィラスさん?!」

 「母上、ただいま戻りました」

 「パーシヴァル! ……本当によく戻りました」

 パーシヴァルの顔を見たアデライン夫人の表情が僅かに緩んだ。こんな時だ、頼もしい息子が帰って来れば心強いよな。

 「サフィラスさん、ここまでパーシヴァルを送ってくださってありがとう。本当に感謝します。今日はおもてなしが出来なくて申し訳ないけれど、落ち着いたら必ず美味しいお肉をご馳走するわ。スザンナ、レモネのお菓子は残っていたはずね。それをサフィラスさんにお渡しして」

 「はい! 直ぐにお持ちいたします」

 「待ってください、アデライン夫人。俺は一緒に戦うためにここに来たんですよ」

 「なんですって?」

 「大切な人たちの危機を放って置いて、ひとり王都になんて戻れません。だって、俺はヴァンダーウォールの盟友ですから」

 俺は左手を挙げて、パーシヴァルに貰った盟友の証をアデライン夫人に見せる。

 「まぁ!」

 アデライン夫人はパーシヴァルと同じ青い目を大きく瞬かせると、辺境伯夫人らしく華やかに微笑んだ。

 「……そうですか。わかりました、サフィラスさん。あなたの力をお借りするわ」

 「任せてください。その為に来たんです」

 「母上、状況を説明願います」

 「2人とも、こちらへ」

 アデライン夫人に案内されて別室に移動する。そこは辺境伯の執務室だった。有事の際は、アデライン夫人がこの部屋の主人になるらしい。
 重厚な執務机の上には、オリエンス周辺の詳細な地図が置かれている。

 「はっきり言いましょう。現在、オリエンスは大変な危機に直面しています。今の状況でどこまで持ち堪えられるのか、正直分かりません」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王家の影一族に転生した僕にはどうやら才能があるらしい。

薄明 喰
BL
アーバスノイヤー公爵家の次男として生誕した僕、ルナイス・アーバスノイヤーは日本という異世界で生きていた記憶を持って生まれてきた。 アーバスノイヤー公爵家は表向きは代々王家に仕える近衛騎士として名を挙げている一族であるが、実は陰で王家に牙を向ける者達の処分や面倒ごとを片付ける暗躍一族なのだ。 そんな公爵家に生まれた僕も将来は家業を熟さないといけないのだけど…前世でなんの才もなくぼんやりと生きてきた僕には無理ですよ!! え? 僕には暗躍一族としての才能に恵まれている!? ※すべてフィクションであり実在する物、人、言語とは異なることをご了承ください。  色んな国の言葉をMIXさせています。

壁の花令嬢の最高の結婚

晴 菜葉
恋愛
 壁の花とは、舞踏会で誰にも声を掛けてもらえず壁に立っている適齢期の女性を示す。  社交デビューして五年、一向に声を掛けられないヴィンセント伯爵の実妹であるアメリアは、兄ハリー・レノワーズの悪友であるブランシェット子爵エデュアルト・パウエルの心ない言葉に傷ついていた。  ある日、アメリアに縁談話がくる。相手は三十歳上の財産家で、妻に暴力を働いてこれまでに三回離縁を繰り返していると噂の男だった。  アメリアは自棄になって家出を決行する。  行く当てもなく彷徨いていると、たまたま賭博場に行く途中のエデュアルトに出会した。  そんなとき、彼が暴漢に襲われてしまう。  助けたアメリアは、背中に消えない傷を負ってしまった。  乙女に一生の傷を背負わせてしまったエデュアルトは、心底反省しているようだ。 「俺が出来ることなら何だってする」  そこでアメリアは考える。  暴力を振るう亭主より、女にだらしない放蕩者の方がずっとマシ。 「では、私と契約結婚してください」 R18には※をしています。    

ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました

中七七三
恋愛
わたしっておかしいの? 小さいころからエッチなことが大好きだった。 そして、小学校のときに起こしてしまった事件。 「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」 その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。 エッチじゃいけないの? でも、エッチは大好きなのに。 それでも…… わたしは、男の人と付き合えない―― だって、男の人がドン引きするぐらい エッチだったから。 嫌われるのが怖いから。

みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

キザキ ケイ
BL
親を亡くしたアルビノの小さなトラは、異世界へ渡った────…… 気がつくと知らない場所にいた真っ白な子トラのタビトは、子ライオンのレグルスと出会い、彼が「獣人」であることを知る。 獣人はケモノとヒト両方の姿を持っていて、でも獣人は恐ろしい人間とは違うらしい。 故郷に帰りたいけれど、方法が分からず途方に暮れるタビトは、レグルスとふれあい、傷ついた心を癒やされながら共に成長していく。 しかし、珍しい見た目のタビトを狙うものが現れて────?

ある日、聖龍に好かれた少女は、第一王子の婚約者となりました。

はるきりょう
恋愛
伯爵家の双子の姉、アリシャは、妹と比べ、地味で目立たない。彼女は誕生パーティーを抜け出し、湖に一人でいた。そんな時、真っ白は龍が飛んでくる。 龍はこの国では宝とされている。野生の龍は決して人になつかないはずなのに、白龍はアリシャの頬をひとなめした。 そこから、白龍に選ばれた娘として、第一王子と婚約する話。 ※感想いただけるとうれしいです!! ただ、苦情や批判は受け付けておりません。どうしても言いたいことがある場合は、提案型でお願いします!これはあまりにも。。。というものには返信しませんので、あしからず。 (今後、UPするすべてにこの文言を載せる予定です!!) ※小説家になろうサイト様でUPしているものを若干修正してあります。

西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~

雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。 元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。 ※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。

7年経って思い出した?今更ですよ

仏白目
恋愛
男爵家の次女のマーリン.ブルーバードと婚約者のギルバート.レイクはレイク子爵家の三男でマーリンとは幼馴染で相思相愛の関係、お互いの両親共に仲が良く家族ぐるみの付き合いだ 15歳で婚約して、学園を卒業してからの結婚と決めていた、 そして18歳になり学園も卒業して2週間後に結婚式を控えている 2人共幸せの真っ只中 「父の仕事の事で用事を頼まれて、明日行って来るよ、明後日には戻るから」 ギルバートは、そう言って出かけたきり予定の日になっても帰ってこなかった 両家の捜索でひと月経った頃ようやく見つかり 何があったのか事情を聞こうにも、何も覚えていないギルバートと、その横にはお腹の大きな女性がいた・・・   *作者ご都合主義の世界観のフィクションです

大魔法師様は運命の恋人を溺愛中。〜魔法学院編〜

みるくくらうん
BL
大魔法師様は運命の恋人を溺愛中。 の二作目の作品となります。 まだご覧頂いていない方は、一作目から見て頂ければと思います。 ----------------------------------  王族特務・大魔法師という王族の次に高い地位を持つハイエルフ、リヒト・シュヴァリエ。  銀髪碧眼で容姿端麗、シュヴァリエ家の当主として王都最大の図書館“ミスティルティン魔法図書館”を運営しながらも、時には危険を伴う王族特務の仕事をこなす優秀なリヒト。  ある日、親を亡くし奴隷として過ごしていた北部出身のフィン・ステラと出会ってからは、溺愛の限りを尽く日々を送っていた。  フィンは、天然で騙されやすいピュアな少年だが、一度読んだ本の内容を忘れる事が無いという天才頭脳の持ち主。  トラブルはあったが、王都三大名門の”ミネルウァ・エクラ高等魔法学院“に首席で入学することが出来た。  リヒトから溺愛されながら、魔法学院に通う日々が始まります。 メインカップリング: 溺愛系ハイスペックイケメン大貴族(リヒト)×天然愛され系童顔庶民(フィン) 年上×年下です。 サブカップリングもいくつか出現します。 性描写は★をつけております。 (甘々〜過激) キスのみであればつけておりません。 ※キャラへの質問あれば、お気軽に質問してください!キャラがお答えします!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。