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50 騙し合いを繰り広げます

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 思いもよらない銅鑼の音に、皆の動きが止まる。余韻が残る中、一人、また一人と引き寄せられるように戸口に顔を向けた。そして視界に映ったものに眉を顰め、表情を曇らせていく。鈴花もその男が目に入った途端、言葉を失った。

(……え?)

 二人の武官に両脇を支えられるようにして立っており、左足の骨を折っているのか添え木がされていた。またその顔は赤黒く腫れていて、元の顔立ちはとらえづらい。痛ましい姿で、酷い扱いを受けていたことを物語っていた。ここに来る前に身を清めたようで髪は整えられ、きれいなほうを着ているだけに、傷が目立っている。

(まさか……)

 栗色の髪に黒目。百官たちは「まさか」と呟き、非難の視線を右丞相に向けていた。その右丞相は苦虫を噛み潰したような表情で、入って来た男を睨みつけている。そして鈴花が隣の仮面の皇帝に視線を向けた時、心臓を掴まれたような衝撃を受けた。その瞬間、直感的に、本能的に理解した。

(あの皇帝は、本物じゃない)

 怪我をした男が入って来た刹那、毒針のような殺気が彼から放たれたのだ。闇の玄家として訓練された鈴花だからこそ、嗅ぎ取った同業者の気配。次々に押し寄せてくる情報が鈴花の頭を流れていく。

(だけどそれよりも、あの男が問題だわ……)

 用意された椅子に音もなく座った男を、鈴花は凝視する。まるで親の仇でも見つけたかのように、険しく鋭い。
 椅子に座り、首を巡らせて皆の顔を確認した彼の瞳には、強い意思が宿っている。顔は腫れ、手首は細く、体は袍に着られているようだ。それでも気品は残っており、他者を圧倒する気迫があった。周りは新たな展開に、この騒動に終止符を打てる存在なのかと期待を寄せていたが、鈴花は違う。困惑の表情は徐々に確信へと変わり、怒りが滲むものへと転じる。

(何やってるの……? お兄様)

 記憶にある姿に重ね、結論に至った鈴花は視線で宵、そして父親の背中を刺す。一瞬宵の肩が跳ねた気がしたが、気に掛ける余裕はない。

(見間違えるはずがないわ。あれは兄の凉雅よ……なら、この茶番は何? どこから仕組まれていたの。誰が)

 矢継ぎ早に疑問がわいて出てくる。顔が腫れて面影もないが、あれは兄だと鈴花は確信した。皇帝が行方不明になって以降姿を消していたが、こうして連れてこられたということは、珀家で捕らわれていたのだろう。
 すぐに医官が傍により、状態を見始めた。朱家、蒼家、玄家からも側に控えていた医術の心得がある官がつく。玄家への追及は新たな証人の話を聞いてからということになった。
 しばしの猶予が生まれ、鈴花は口元に手をやって現状の思惑に対し思考を巡らせる。

(これは宵? いえ、お父様の策ね……なら、何が目的なの? あれは皇帝じゃない……じゃぁ、本物はどこ?)

 あらゆる可能性を探っていく。翻弄されている自分が歯がゆく、また策の全てを知らされていない状態が腹立たしい。

(お父様は珀家を潰そうとしている……でも、それは国のため? それとも、自らが国を手にするため?)

 ここにきて、また疑惑が持ち上がってしまった。今兄が扮する皇帝が珀家の罪を明らかにすれば、邪魔者は消えてご落胤と認められた宵か、皇帝に扮する兄が玉座につける。どちらにせよ、玄家の政治における影響力は増すだろう。

(あれを兄だと明かすつもりかしら、それとも……)

 兄の凉雅は誰かになりすますことを最も得意としており、その気になれば玄家の技術を用いて骨格も顔も変えてでも、皇帝に成り代わるだろう。

(私はどう動くべきなの? もしお父様たちが玉座を狙っているなら……止めないと)

 先ほどまでとは違う不安に、鈴花は息苦しくなる。そして鈴花が父親の出方を伺っているうちに、医官たちによる診療が終わり、衰弱しているが精神には問題ないという見解がでた。一人精神を病んでいる可能性を指摘したが、三家の見立てが優先されたのだ。

(あの医官は、珀家側だったのね……)

 右丞相と言葉を交わしていた医官であり、懇意にしていたのだろう。そして右丞相が心外そうな表情で口を開くよりも前に、掠れているが聞き取りやすい声が聞こえた。

「私は……何者かに襲われてから、珀家にて幽閉されていた」

 その表情は恨みがましく、じっと右丞相を見ている。すぐさま右丞相は線の細い青年を吹き飛ばしそうな大声で否定した。

「違う! その者は気を病んで療養しているんだ。元々嘘つきな奴で!」
「……私が邪魔で、消そうとしたのだ」

 淡々とした声は皇帝と同じで、自分の兄ながらその技能の高さに恐れを抱く。きっと他の人の目には、今までの四人よりも皇帝らしく見えているはずだ。

「黙れ! 皆、聞く耳を持ってはなりませんぞ。ただの妄言です!」
「私の次は、玄家を始末しようとしたのか。浅はかだな」

 鈴花はいつでも動けるように少し腰を浮かし、事態を見守る。ここからどう転がるのか、どこに持って行こうとしているのかが図り切れない。緊張の糸が張り詰め、鈴花は唾を飲みこんだ。
 鋭い、責めているような凉雅の目。刺すような沈黙が流れ、右丞相は小さく呻く。

(あの目……苦手なのよね)

 闇が溶け込んだような真っ黒な瞳に見つめられると、悪いことをしていないのに言い訳を探してしまう。何かやましいことがあれば、全てを見通されているような気になる。そして周りの猜疑心に満ちた目が、鉛のような空気が不安を掻き立て余裕をなくす。そうなると人は、大げさに行動し口がすべるものだ。
 右丞相は立ち上がると玄家の方を睨みつけ、口泡を飛ばす。

「そもそも、どうやってここへ来た! まさか、我が邸に攻め入ったのか! 許さんぞ玄家!」

 右丞相に憤怒の表情を向けられても、父親も宵も何も返さなかった。ただ兄と同様静かに見つめている。珀家の官たちから宥める声が出始めるが、右丞相の顔色は悪くなっていく一方だ。

「全ての元凶は玄家だ! 皆、騙されてはなりませんぞ!」

 珀家の周辺や百官の中から、右丞相に同意する声が上がり始めるが、凉雅は一睨みして黙らせた。体は襤褸雑巾のようなのに、強者の凄みがある。無意識に右丞相は足を一歩引いた。額には脂汗がにじんでおり、その狼狽えた様子が椅子に座る男に何かがあると周りに印象付ける。
 そして右丞相は凉雅を指さすと、大声で言い放った。

「そ、そいつは皇帝ではない! 珀家が保護した者が皇帝なのだ! 我ら珀家が、部族に襲われた陛下を見つけたのだ!」

 銅鑼にも負けぬ大声が堂庁ひろまに響き、口から滑り出た言葉に鈴花はしっぽを出したと口角を上げる。すると、太師が訝しそうな声を上げた。

「彼が皇帝を名乗ったとは聞いておりませんが、陛下なのですかな? それと、我らは陛下を襲ったのが部族だという情報は得ておりませんが」

 凉雅は珀家に捕らえられ、事件の真相を知る者としてそこにいた。憶測として、陛下である可能性は皆の脳裏にあるだろうが、誰も口にはしていない。さらに、襲撃跡には敵の死体が無かったため、朝廷は襲撃者を割り出せていなかったのだ。

「い、いえ。これは、その使用人の妄言でして、気を病んで自分が皇帝だと叫んでいたものですから……それに、襲撃者は玄家を襲ったのが部族でしたから、てっきり」

 右丞相は慌てて弁解するが、疑いの目はいっそう強くなった。何より、凉雅が纏う威風が右丞相を悪に見せかけていく。人は劇的な物語を好む。この逆転劇は実に大衆好みで、珀家についていなければ痛快だろう。
 珀妃も立場が悪くなったことを理解しているようで、化粧で白い肌をますます白くしていた。それでも苦し紛れか鈴花を睨んでいるのだから、まだ心は折れていない。
 太師は顎髭を撫でながら、難解そうな表情で右丞相に問いかける。

「右丞相殿……あなたは、その男を自らの使用人だと」
「そうでございます! 彼は我が家の使用人でございます」

 ふむと相槌を打つ太師は、髭を撫でる手を止め首を傾げた。

「だが……私には玄家のとこの息子に見えるがの」

 太師が父親である玄家の当主に視線を向け、「どうか」と問えば「さよう」と答えた。これには、右丞相だけでなく百官たちも驚きを隠せず、どういうことだと蜂の巣をつついたような騒ぎになる。

「まさか、そんなはずはない!」

 さすがの右丞相も泡を食ったような顔をし、椅子に座る男と父親を何度も見比べた。

「自分の息子も見間違えるようならば、私は当主を引退しますが?」
「なっ、ならば、皇帝はどこにいる」

 取り乱したゆえの失言に、珀妃が目を剥き「どういうこと、お父様!?」と詰め寄った。右丞相はすぐに失言に気づくがもう遅い。

「そこの男が皇帝だって言ったじゃない! 私を后妃にしてくれるって!」
「あ、当たり前だ! 今のはわしが言ったのではない。げ、玄家だ! きっと声真似でもしたのだ!」

 そこからの崩壊は早く、珀家についていた官たちが続々に「仮面の男は皇帝ではないのか」、「皇帝を襲ったのか」、「騙していたのか」と詰問する。紛糾する中で玄家、朱家、蒼家だけは静観していた。

(あれ……お兄様がいない)

 そしてふと気が付けば椅子から兄が消えており、鈴花が急いで視線を四方に飛ばせば、左手前に座っていた。

(あ、この影の薄さはお兄様だわ)

 自分の役目は終わりだと、皇帝になりきることをやめて戻って来たのだろう。誰かに成りすましていれば存在感を発揮するが、玄凉雅に戻ればとたんに集団に紛れてしまうのだ。素晴らしい隠密としての才能だ。

(それで……引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、どう収めるつもりなのかしら)

 鈴花は軽く息を吐き、春明が淹れてくれたお茶を飲む。さすがに気を回し、頭を使い過ぎて疲れてきた。怒号が飛び交い始め、耳も痛い。
 とその時、前方に座っていた宵が立ち上がった。肩越しに振り返り、凉雅に顎で指図する。すると凉雅は嫌そうな顔をしつつも身軽な動作で立ち上がり、片足立ちでひょいひょい移動していった。宵は少し驚いた顔をしていたが、鈴花の視線は宵から外れて兄へと向けられる。

(何する……あ)

 兄が向かった先にあった物を見て、次の行動が理解できた鈴花は両手で耳を塞いだ。

(もう、どうとでもなればいいわ)

 振り回され過ぎて、もう考えるのを放棄した鈴花は、無心になって目の前で繰り広げられている言い争いに目をやる。そしてほどなく出撃でもするのかというほどの大音量で銅鑼が鳴らされ、人々はやっと動きを止めた。

「茶番劇はここまでだ」

 にやりと笑った宵がそう言えば、朱家と蒼家の自称皇帝も立ち上がった。
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