50 / 64
50 騙し合いを繰り広げます
しおりを挟む
思いもよらない銅鑼の音に、皆の動きが止まる。余韻が残る中、一人、また一人と引き寄せられるように戸口に顔を向けた。そして視界に映ったものに眉を顰め、表情を曇らせていく。鈴花もその男が目に入った途端、言葉を失った。
(……え?)
二人の武官に両脇を支えられるようにして立っており、左足の骨を折っているのか添え木がされていた。またその顔は赤黒く腫れていて、元の顔立ちはとらえづらい。痛ましい姿で、酷い扱いを受けていたことを物語っていた。ここに来る前に身を清めたようで髪は整えられ、きれいな袍を着ているだけに、傷が目立っている。
(まさか……)
栗色の髪に黒目。百官たちは「まさか」と呟き、非難の視線を右丞相に向けていた。その右丞相は苦虫を噛み潰したような表情で、入って来た男を睨みつけている。そして鈴花が隣の仮面の皇帝に視線を向けた時、心臓を掴まれたような衝撃を受けた。その瞬間、直感的に、本能的に理解した。
(あの皇帝は、本物じゃない)
怪我をした男が入って来た刹那、毒針のような殺気が彼から放たれたのだ。闇の玄家として訓練された鈴花だからこそ、嗅ぎ取った同業者の気配。次々に押し寄せてくる情報が鈴花の頭を流れていく。
(だけどそれよりも、あの男が問題だわ……)
用意された椅子に音もなく座った男を、鈴花は凝視する。まるで親の仇でも見つけたかのように、険しく鋭い。
椅子に座り、首を巡らせて皆の顔を確認した彼の瞳には、強い意思が宿っている。顔は腫れ、手首は細く、体は袍に着られているようだ。それでも気品は残っており、他者を圧倒する気迫があった。周りは新たな展開に、この騒動に終止符を打てる存在なのかと期待を寄せていたが、鈴花は違う。困惑の表情は徐々に確信へと変わり、怒りが滲むものへと転じる。
(何やってるの……? お兄様)
記憶にある姿に重ね、結論に至った鈴花は視線で宵、そして父親の背中を刺す。一瞬宵の肩が跳ねた気がしたが、気に掛ける余裕はない。
(見間違えるはずがないわ。あれは兄の凉雅よ……なら、この茶番は何? どこから仕組まれていたの。誰が)
矢継ぎ早に疑問がわいて出てくる。顔が腫れて面影もないが、あれは兄だと鈴花は確信した。皇帝が行方不明になって以降姿を消していたが、こうして連れてこられたということは、珀家で捕らわれていたのだろう。
すぐに医官が傍により、状態を見始めた。朱家、蒼家、玄家からも側に控えていた医術の心得がある官がつく。玄家への追及は新たな証人の話を聞いてからということになった。
しばしの猶予が生まれ、鈴花は口元に手をやって現状の思惑に対し思考を巡らせる。
(これは宵? いえ、お父様の策ね……なら、何が目的なの? あれは皇帝じゃない……じゃぁ、本物はどこ?)
あらゆる可能性を探っていく。翻弄されている自分が歯がゆく、また策の全てを知らされていない状態が腹立たしい。
(お父様は珀家を潰そうとしている……でも、それは国のため? それとも、自らが国を手にするため?)
ここにきて、また疑惑が持ち上がってしまった。今兄が扮する皇帝が珀家の罪を明らかにすれば、邪魔者は消えてご落胤と認められた宵か、皇帝に扮する兄が玉座につける。どちらにせよ、玄家の政治における影響力は増すだろう。
(あれを兄だと明かすつもりかしら、それとも……)
兄の凉雅は誰かになりすますことを最も得意としており、その気になれば玄家の技術を用いて骨格も顔も変えてでも、皇帝に成り代わるだろう。
(私はどう動くべきなの? もしお父様たちが玉座を狙っているなら……止めないと)
先ほどまでとは違う不安に、鈴花は息苦しくなる。そして鈴花が父親の出方を伺っているうちに、医官たちによる診療が終わり、衰弱しているが精神には問題ないという見解がでた。一人精神を病んでいる可能性を指摘したが、三家の見立てが優先されたのだ。
(あの医官は、珀家側だったのね……)
右丞相と言葉を交わしていた医官であり、懇意にしていたのだろう。そして右丞相が心外そうな表情で口を開くよりも前に、掠れているが聞き取りやすい声が聞こえた。
「私は……何者かに襲われてから、珀家にて幽閉されていた」
その表情は恨みがましく、じっと右丞相を見ている。すぐさま右丞相は線の細い青年を吹き飛ばしそうな大声で否定した。
「違う! その者は気を病んで療養しているんだ。元々嘘つきな奴で!」
「……私が邪魔で、消そうとしたのだ」
淡々とした声は皇帝と同じで、自分の兄ながらその技能の高さに恐れを抱く。きっと他の人の目には、今までの四人よりも皇帝らしく見えているはずだ。
「黙れ! 皆、聞く耳を持ってはなりませんぞ。ただの妄言です!」
「私の次は、玄家を始末しようとしたのか。浅はかだな」
鈴花はいつでも動けるように少し腰を浮かし、事態を見守る。ここからどう転がるのか、どこに持って行こうとしているのかが図り切れない。緊張の糸が張り詰め、鈴花は唾を飲みこんだ。
鋭い、責めているような凉雅の目。刺すような沈黙が流れ、右丞相は小さく呻く。
(あの目……苦手なのよね)
闇が溶け込んだような真っ黒な瞳に見つめられると、悪いことをしていないのに言い訳を探してしまう。何かやましいことがあれば、全てを見通されているような気になる。そして周りの猜疑心に満ちた目が、鉛のような空気が不安を掻き立て余裕をなくす。そうなると人は、大げさに行動し口がすべるものだ。
右丞相は立ち上がると玄家の方を睨みつけ、口泡を飛ばす。
「そもそも、どうやってここへ来た! まさか、我が邸に攻め入ったのか! 許さんぞ玄家!」
右丞相に憤怒の表情を向けられても、父親も宵も何も返さなかった。ただ兄と同様静かに見つめている。珀家の官たちから宥める声が出始めるが、右丞相の顔色は悪くなっていく一方だ。
「全ての元凶は玄家だ! 皆、騙されてはなりませんぞ!」
珀家の周辺や百官の中から、右丞相に同意する声が上がり始めるが、凉雅は一睨みして黙らせた。体は襤褸雑巾のようなのに、強者の凄みがある。無意識に右丞相は足を一歩引いた。額には脂汗がにじんでおり、その狼狽えた様子が椅子に座る男に何かがあると周りに印象付ける。
そして右丞相は凉雅を指さすと、大声で言い放った。
「そ、そいつは皇帝ではない! 珀家が保護した者が皇帝なのだ! 我ら珀家が、部族に襲われた陛下を見つけたのだ!」
銅鑼にも負けぬ大声が堂庁に響き、口から滑り出た言葉に鈴花はしっぽを出したと口角を上げる。すると、太師が訝しそうな声を上げた。
「彼が皇帝を名乗ったとは聞いておりませんが、陛下なのですかな? それと、我らは陛下を襲ったのが部族だという情報は得ておりませんが」
凉雅は珀家に捕らえられ、事件の真相を知る者としてそこにいた。憶測として、陛下である可能性は皆の脳裏にあるだろうが、誰も口にはしていない。さらに、襲撃跡には敵の死体が無かったため、朝廷は襲撃者を割り出せていなかったのだ。
「い、いえ。これは、その使用人の妄言でして、気を病んで自分が皇帝だと叫んでいたものですから……それに、襲撃者は玄家を襲ったのが部族でしたから、てっきり」
右丞相は慌てて弁解するが、疑いの目はいっそう強くなった。何より、凉雅が纏う威風が右丞相を悪に見せかけていく。人は劇的な物語を好む。この逆転劇は実に大衆好みで、珀家についていなければ痛快だろう。
珀妃も立場が悪くなったことを理解しているようで、化粧で白い肌をますます白くしていた。それでも苦し紛れか鈴花を睨んでいるのだから、まだ心は折れていない。
太師は顎髭を撫でながら、難解そうな表情で右丞相に問いかける。
「右丞相殿……あなたは、その男を自らの使用人だと」
「そうでございます! 彼は我が家の使用人でございます」
ふむと相槌を打つ太師は、髭を撫でる手を止め首を傾げた。
「だが……私には玄家のとこの息子に見えるがの」
太師が父親である玄家の当主に視線を向け、「どうか」と問えば「さよう」と答えた。これには、右丞相だけでなく百官たちも驚きを隠せず、どういうことだと蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
「まさか、そんなはずはない!」
さすがの右丞相も泡を食ったような顔をし、椅子に座る男と父親を何度も見比べた。
「自分の息子も見間違えるようならば、私は当主を引退しますが?」
「なっ、ならば、皇帝はどこにいる」
取り乱したゆえの失言に、珀妃が目を剥き「どういうこと、お父様!?」と詰め寄った。右丞相はすぐに失言に気づくがもう遅い。
「そこの男が皇帝だって言ったじゃない! 私を后妃にしてくれるって!」
「あ、当たり前だ! 今のはわしが言ったのではない。げ、玄家だ! きっと声真似でもしたのだ!」
そこからの崩壊は早く、珀家についていた官たちが続々に「仮面の男は皇帝ではないのか」、「皇帝を襲ったのか」、「騙していたのか」と詰問する。紛糾する中で玄家、朱家、蒼家だけは静観していた。
(あれ……お兄様がいない)
そしてふと気が付けば椅子から兄が消えており、鈴花が急いで視線を四方に飛ばせば、左手前に座っていた。
(あ、この影の薄さはお兄様だわ)
自分の役目は終わりだと、皇帝になりきることをやめて戻って来たのだろう。誰かに成りすましていれば存在感を発揮するが、玄凉雅に戻ればとたんに集団に紛れてしまうのだ。素晴らしい隠密としての才能だ。
(それで……引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、どう収めるつもりなのかしら)
鈴花は軽く息を吐き、春明が淹れてくれたお茶を飲む。さすがに気を回し、頭を使い過ぎて疲れてきた。怒号が飛び交い始め、耳も痛い。
とその時、前方に座っていた宵が立ち上がった。肩越しに振り返り、凉雅に顎で指図する。すると凉雅は嫌そうな顔をしつつも身軽な動作で立ち上がり、片足立ちでひょいひょい移動していった。宵は少し驚いた顔をしていたが、鈴花の視線は宵から外れて兄へと向けられる。
(何する……あ)
兄が向かった先にあった物を見て、次の行動が理解できた鈴花は両手で耳を塞いだ。
(もう、どうとでもなればいいわ)
振り回され過ぎて、もう考えるのを放棄した鈴花は、無心になって目の前で繰り広げられている言い争いに目をやる。そしてほどなく出撃でもするのかというほどの大音量で銅鑼が鳴らされ、人々はやっと動きを止めた。
「茶番劇はここまでだ」
にやりと笑った宵がそう言えば、朱家と蒼家の自称皇帝も立ち上がった。
(……え?)
二人の武官に両脇を支えられるようにして立っており、左足の骨を折っているのか添え木がされていた。またその顔は赤黒く腫れていて、元の顔立ちはとらえづらい。痛ましい姿で、酷い扱いを受けていたことを物語っていた。ここに来る前に身を清めたようで髪は整えられ、きれいな袍を着ているだけに、傷が目立っている。
(まさか……)
栗色の髪に黒目。百官たちは「まさか」と呟き、非難の視線を右丞相に向けていた。その右丞相は苦虫を噛み潰したような表情で、入って来た男を睨みつけている。そして鈴花が隣の仮面の皇帝に視線を向けた時、心臓を掴まれたような衝撃を受けた。その瞬間、直感的に、本能的に理解した。
(あの皇帝は、本物じゃない)
怪我をした男が入って来た刹那、毒針のような殺気が彼から放たれたのだ。闇の玄家として訓練された鈴花だからこそ、嗅ぎ取った同業者の気配。次々に押し寄せてくる情報が鈴花の頭を流れていく。
(だけどそれよりも、あの男が問題だわ……)
用意された椅子に音もなく座った男を、鈴花は凝視する。まるで親の仇でも見つけたかのように、険しく鋭い。
椅子に座り、首を巡らせて皆の顔を確認した彼の瞳には、強い意思が宿っている。顔は腫れ、手首は細く、体は袍に着られているようだ。それでも気品は残っており、他者を圧倒する気迫があった。周りは新たな展開に、この騒動に終止符を打てる存在なのかと期待を寄せていたが、鈴花は違う。困惑の表情は徐々に確信へと変わり、怒りが滲むものへと転じる。
(何やってるの……? お兄様)
記憶にある姿に重ね、結論に至った鈴花は視線で宵、そして父親の背中を刺す。一瞬宵の肩が跳ねた気がしたが、気に掛ける余裕はない。
(見間違えるはずがないわ。あれは兄の凉雅よ……なら、この茶番は何? どこから仕組まれていたの。誰が)
矢継ぎ早に疑問がわいて出てくる。顔が腫れて面影もないが、あれは兄だと鈴花は確信した。皇帝が行方不明になって以降姿を消していたが、こうして連れてこられたということは、珀家で捕らわれていたのだろう。
すぐに医官が傍により、状態を見始めた。朱家、蒼家、玄家からも側に控えていた医術の心得がある官がつく。玄家への追及は新たな証人の話を聞いてからということになった。
しばしの猶予が生まれ、鈴花は口元に手をやって現状の思惑に対し思考を巡らせる。
(これは宵? いえ、お父様の策ね……なら、何が目的なの? あれは皇帝じゃない……じゃぁ、本物はどこ?)
あらゆる可能性を探っていく。翻弄されている自分が歯がゆく、また策の全てを知らされていない状態が腹立たしい。
(お父様は珀家を潰そうとしている……でも、それは国のため? それとも、自らが国を手にするため?)
ここにきて、また疑惑が持ち上がってしまった。今兄が扮する皇帝が珀家の罪を明らかにすれば、邪魔者は消えてご落胤と認められた宵か、皇帝に扮する兄が玉座につける。どちらにせよ、玄家の政治における影響力は増すだろう。
(あれを兄だと明かすつもりかしら、それとも……)
兄の凉雅は誰かになりすますことを最も得意としており、その気になれば玄家の技術を用いて骨格も顔も変えてでも、皇帝に成り代わるだろう。
(私はどう動くべきなの? もしお父様たちが玉座を狙っているなら……止めないと)
先ほどまでとは違う不安に、鈴花は息苦しくなる。そして鈴花が父親の出方を伺っているうちに、医官たちによる診療が終わり、衰弱しているが精神には問題ないという見解がでた。一人精神を病んでいる可能性を指摘したが、三家の見立てが優先されたのだ。
(あの医官は、珀家側だったのね……)
右丞相と言葉を交わしていた医官であり、懇意にしていたのだろう。そして右丞相が心外そうな表情で口を開くよりも前に、掠れているが聞き取りやすい声が聞こえた。
「私は……何者かに襲われてから、珀家にて幽閉されていた」
その表情は恨みがましく、じっと右丞相を見ている。すぐさま右丞相は線の細い青年を吹き飛ばしそうな大声で否定した。
「違う! その者は気を病んで療養しているんだ。元々嘘つきな奴で!」
「……私が邪魔で、消そうとしたのだ」
淡々とした声は皇帝と同じで、自分の兄ながらその技能の高さに恐れを抱く。きっと他の人の目には、今までの四人よりも皇帝らしく見えているはずだ。
「黙れ! 皆、聞く耳を持ってはなりませんぞ。ただの妄言です!」
「私の次は、玄家を始末しようとしたのか。浅はかだな」
鈴花はいつでも動けるように少し腰を浮かし、事態を見守る。ここからどう転がるのか、どこに持って行こうとしているのかが図り切れない。緊張の糸が張り詰め、鈴花は唾を飲みこんだ。
鋭い、責めているような凉雅の目。刺すような沈黙が流れ、右丞相は小さく呻く。
(あの目……苦手なのよね)
闇が溶け込んだような真っ黒な瞳に見つめられると、悪いことをしていないのに言い訳を探してしまう。何かやましいことがあれば、全てを見通されているような気になる。そして周りの猜疑心に満ちた目が、鉛のような空気が不安を掻き立て余裕をなくす。そうなると人は、大げさに行動し口がすべるものだ。
右丞相は立ち上がると玄家の方を睨みつけ、口泡を飛ばす。
「そもそも、どうやってここへ来た! まさか、我が邸に攻め入ったのか! 許さんぞ玄家!」
右丞相に憤怒の表情を向けられても、父親も宵も何も返さなかった。ただ兄と同様静かに見つめている。珀家の官たちから宥める声が出始めるが、右丞相の顔色は悪くなっていく一方だ。
「全ての元凶は玄家だ! 皆、騙されてはなりませんぞ!」
珀家の周辺や百官の中から、右丞相に同意する声が上がり始めるが、凉雅は一睨みして黙らせた。体は襤褸雑巾のようなのに、強者の凄みがある。無意識に右丞相は足を一歩引いた。額には脂汗がにじんでおり、その狼狽えた様子が椅子に座る男に何かがあると周りに印象付ける。
そして右丞相は凉雅を指さすと、大声で言い放った。
「そ、そいつは皇帝ではない! 珀家が保護した者が皇帝なのだ! 我ら珀家が、部族に襲われた陛下を見つけたのだ!」
銅鑼にも負けぬ大声が堂庁に響き、口から滑り出た言葉に鈴花はしっぽを出したと口角を上げる。すると、太師が訝しそうな声を上げた。
「彼が皇帝を名乗ったとは聞いておりませんが、陛下なのですかな? それと、我らは陛下を襲ったのが部族だという情報は得ておりませんが」
凉雅は珀家に捕らえられ、事件の真相を知る者としてそこにいた。憶測として、陛下である可能性は皆の脳裏にあるだろうが、誰も口にはしていない。さらに、襲撃跡には敵の死体が無かったため、朝廷は襲撃者を割り出せていなかったのだ。
「い、いえ。これは、その使用人の妄言でして、気を病んで自分が皇帝だと叫んでいたものですから……それに、襲撃者は玄家を襲ったのが部族でしたから、てっきり」
右丞相は慌てて弁解するが、疑いの目はいっそう強くなった。何より、凉雅が纏う威風が右丞相を悪に見せかけていく。人は劇的な物語を好む。この逆転劇は実に大衆好みで、珀家についていなければ痛快だろう。
珀妃も立場が悪くなったことを理解しているようで、化粧で白い肌をますます白くしていた。それでも苦し紛れか鈴花を睨んでいるのだから、まだ心は折れていない。
太師は顎髭を撫でながら、難解そうな表情で右丞相に問いかける。
「右丞相殿……あなたは、その男を自らの使用人だと」
「そうでございます! 彼は我が家の使用人でございます」
ふむと相槌を打つ太師は、髭を撫でる手を止め首を傾げた。
「だが……私には玄家のとこの息子に見えるがの」
太師が父親である玄家の当主に視線を向け、「どうか」と問えば「さよう」と答えた。これには、右丞相だけでなく百官たちも驚きを隠せず、どういうことだと蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
「まさか、そんなはずはない!」
さすがの右丞相も泡を食ったような顔をし、椅子に座る男と父親を何度も見比べた。
「自分の息子も見間違えるようならば、私は当主を引退しますが?」
「なっ、ならば、皇帝はどこにいる」
取り乱したゆえの失言に、珀妃が目を剥き「どういうこと、お父様!?」と詰め寄った。右丞相はすぐに失言に気づくがもう遅い。
「そこの男が皇帝だって言ったじゃない! 私を后妃にしてくれるって!」
「あ、当たり前だ! 今のはわしが言ったのではない。げ、玄家だ! きっと声真似でもしたのだ!」
そこからの崩壊は早く、珀家についていた官たちが続々に「仮面の男は皇帝ではないのか」、「皇帝を襲ったのか」、「騙していたのか」と詰問する。紛糾する中で玄家、朱家、蒼家だけは静観していた。
(あれ……お兄様がいない)
そしてふと気が付けば椅子から兄が消えており、鈴花が急いで視線を四方に飛ばせば、左手前に座っていた。
(あ、この影の薄さはお兄様だわ)
自分の役目は終わりだと、皇帝になりきることをやめて戻って来たのだろう。誰かに成りすましていれば存在感を発揮するが、玄凉雅に戻ればとたんに集団に紛れてしまうのだ。素晴らしい隠密としての才能だ。
(それで……引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、どう収めるつもりなのかしら)
鈴花は軽く息を吐き、春明が淹れてくれたお茶を飲む。さすがに気を回し、頭を使い過ぎて疲れてきた。怒号が飛び交い始め、耳も痛い。
とその時、前方に座っていた宵が立ち上がった。肩越しに振り返り、凉雅に顎で指図する。すると凉雅は嫌そうな顔をしつつも身軽な動作で立ち上がり、片足立ちでひょいひょい移動していった。宵は少し驚いた顔をしていたが、鈴花の視線は宵から外れて兄へと向けられる。
(何する……あ)
兄が向かった先にあった物を見て、次の行動が理解できた鈴花は両手で耳を塞いだ。
(もう、どうとでもなればいいわ)
振り回され過ぎて、もう考えるのを放棄した鈴花は、無心になって目の前で繰り広げられている言い争いに目をやる。そしてほどなく出撃でもするのかというほどの大音量で銅鑼が鳴らされ、人々はやっと動きを止めた。
「茶番劇はここまでだ」
にやりと笑った宵がそう言えば、朱家と蒼家の自称皇帝も立ち上がった。
0
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。
木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。
そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。
ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。
そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。
こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~
柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。
その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!
この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!?
※シリアス展開もわりとあります。
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる