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10 客引き男に声をかけます

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「気立てのいい子ばかりだよー」

 男の張りのいい声が響く。
 客引き自体は珍しくもない。今はまだ昼過ぎだから少ないが、日が落ちればあちらこちらから似たような誘い文句が聞こえてくる。ただ、鈴花が足を止めたのはその声質を知っているような気がしたからだ。

(んー、何かしら。全く同じじゃないんだけど、似た声を知ってるような)

 それは例えば、兄と父の声が似ているような、そんな既視感だ。頭を悩ませていると、ハッと閃いた。

(そうよ。陛下だわ! ぼそぼそと小声で聞きにくかったけど、もう少し高ければ似てるわ)

 客引きの男は栗色の髪で、ことさら皇帝を連想させた。興味が惹かれて、思わず声をかける。

「ねえ」
「はい、すぐにご案内……」

 客だと思ったのに女性である鈴花が立っていたので、その男は続く言葉を飲み込んでしまった。妓楼で女の客は基本的にいない。虚をつかれた男は、徐々に怪訝な顔になっていく。

(あら、よく見たらけっこういい男。お父様、なかなかいい人を働かせているじゃない)

 栗色の髪を後ろで束ねた黒目の彼は端整な顔立ちで、美しい妓女の中にいても引けを取らないだろう。鼻の周りにあるそばかすが口惜しかった。小豆色の短い上着であるしゅうを着崩し、胸元が開いている。腰のところを白く細い帯で締め、灰色のゆとりのあるズボンを穿いていた。庶民の一般的な服装だ。

「えっと、身売りに来たんじゃねぇよな?」
「ち、違うわよ!」
「じゃぁ、主のおつかいか? 俺、色は売ってないんだけど」

 彼は鈴花をどこかの侍女だと思ったのか、軽くあしらうように手を振ってうんざりした顔を浮かべる。遊郭には男娼もいなくはない。とんだ誤解に鈴花は顔を真っ赤にする。

「そ、そんなつもりじゃないわ!」
「なら、何しに来たんだよ。ここはお嬢さんのような可愛い子が来るようなとこじゃねぇぜ。まぁ、本気で身売りするならうちの妓楼の五指には入りそうだけどよ」

 その上勝手に値踏みされ、今度は怒りで顔が赤くなる。

「違うってば! ちょっと知り合いに似てたから声をかけただけよ!」
「……へぇ? 俺みたいな美丈夫が他にいるって?」

 面白そうに口端を上げて、男は顎に手をやる。実際美丈夫なので嫌味ではなくただの事実だ。

(軽い調子の人ね……しかも女に慣れてる)

 これはまともに相手にしたら疲れると、鈴花は見切りをつけて本題に入る。時間は限られているのだ。

「顔は分からないけど、声がね。……その、もう少し声を高くできる?」

 少なくとも性格は全く違うと思いながら、鈴花はそう要求する。男は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに咳払いをして少し声を出すと、

「こんにちは、お嬢さん」

 と少し高めの声を作った。それが不思議なくらいしっくりきて、鈴花は目を丸くする。

「すごい、それで、面をあげよって言ってくれる?」

 ここまで来れば恥は捨てる。彼は変なことを言うなと首を傾げつつも、素直に言葉を返してくれた。

「面をあげよ」
「……すごい。そっくり」
「そんなに似てんの?」

 聞き心地のいい楽器のような声。皇帝の声は仮面のせいでくぐもり、不明瞭になっていたが通ずるものがある気がする。つい聞き惚れてしまった鈴花は慌てて表情を引き締め、言葉を返す。

「えぇ、いなくなった知り合いにね……変なこと言ってごめんなさい。あなた、お名前は?」

 少なくとも鈴花が修練していた三年前にはいなかったように思う。

「俺はしょう、見ての通り客引きだ。お嬢さんは?」

 人懐っこい笑みを浮かべる宵は、瞳に興味の色を乗せて鈴花を見る。

「鈴花よ。いつからここにいるの?」
「えっと……二年前くらいかな。もともと他の妓楼で下男をしてたんだけど、潰れちゃってよ。ここで雇ってもらったんだ」
「ずっと花街で仕事を?」
「そ、母親が遊女だったから、生まれも育ちもここ」

 宵はいきなり身の上を訊かれても嫌な顔をせず教えてくれた。鈴花は「そうだったのね」と呟く。妓女がお客との子どもを身ごもることは珍しくはない。その場合相手に見受けされることが多いが、なかには相手が分からず見受け人もない妓女もおり、生まれた子どもは妓楼で面倒を見るのだ。女の子なら妓女の世話をする禿かむろに、男の子は下働きの丁稚でっちに。そしてそのまま妓女や下男として働き続ける人も多かった。

「そうなの……。ごめんね、知り合いに似てたものだからつい声が聞きたくなっちゃって。今度はお客さんでも連れてくるわ」
「おう。かわないさ。また遊びに来いよ、小鈴シャオリン

 そう言って二ッと口角を上げる宵からは、花街で生きてきた逞しさが感じられ、力強い印象を受ける。小声で話し、優しく繊細そうな皇帝とは真逆だ。

(な、馴れ馴れしいわ……)

 いきなり名前に小を付けて「ちゃん」呼びしてきたので、内心少し引いてしまう。

「……えぇ。じゃ、また」

 鈴花は微笑を浮かべて手を振り、くんの裾を翻して花街を後にした。今から後宮へ帰れば陽が落ちる前にはつくだろう。帰り際に大通りで春明へのお土産も買わなければいけない。

(それにしても、似てたわね……)

 鈴花は皇帝の体格はあまり覚えていないが、髪色と声はよく似ていた。口調や性格は全く違うが、あれぐらいなら鍛え上げれば影武者ができそうだ。

(陛下にも、影武者がいればよかったのに)

 いたのかもしれないが、襲撃に遭った時は皇帝自身だったのだろう。そう考えてから、違うかと首を横にふる。

(影武者がいれば、本人に成り代わって一時的にでも混乱を鎮めたはずよ)

 鈴花は立ち止まり、振り返って南の方角に視線を飛ばした。皇帝は都の南、竹林の中で襲われたと聞く。近くに集落が点在しているうら寂しいところだそうだ。

(早く、どうか早く見つかってください……)

 鈴花は心の中で祈ると、後宮へと歩き始めた。ふと東の空に目をやれば、どんよりとした雲が押し寄せていて、明日は天気が悪くなりそうだ。それがなんだかこの国の未来を表すような気がして、胸の内に広がった苦さに気づかぬふりをし、鈴花は進んだ。
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