上 下
2 / 64

2 皇帝は変わり者のようです

しおりを挟む
 新しい皇帝が玉座についたのは、一か月前のことだ。名を鳳翔月ほうしょうげつといい、若く今年で20歳だった。元々は第五公子で、母親の身分が低いため物心がついてからは市井で育ったと伝わっている。皇位など望みようもなかったのだが、先帝が崩御された後の皇位争いで上四人の公子が相討ちになり、玉座が回ってきた。

 鈴花が知っているのはそれぐらいで、初めて聞いた時は「幸運な人もいるのね」ぐらいにしか思わなかったのだ。そんな皇帝の新情報があると聞いて、鈴花は目を輝かせる。退屈で閉塞的な後宮の中では、ささいな噂話もいい暇つぶしだ。

 春明は「話半分に聞いた方がいいのですが」と前置きしてから、宮女たちから聞いた話を披露するのである。

「今のところどこの妃にもお渡りはなく、後宮に足を向けることはないようです。今は表の政治で手一杯だとか……。そしてここが面白いのですが、皇帝の装いが少々変わっているそうです」
「装い?」

 そう言われて鈴花が思い浮かべるのは、祭礼の時に皇帝が着ているゆったりした礼服だ。数年前の建国祭で先帝の姿を見たことがあり、衣も冠も堂々たる格式の高いもので目が釘付けになった覚えがあった。だが、変わっているとはどういうことだろうか。

 春明はもったいぶった顔で、声を潜めて続きを口にした。

「なんでも、ずっと仮面をつけていらっしゃるそうです」
「……仮面?」

 皇帝の装いとはかけ離れた言葉に、興味を引かれた鈴花は体を起こす。

「皇帝として迎えられた時からずっとだそうですよ。それに、声もほとんどお出しにならないって」
「じゃぁ、どのようなお姿か分からないじゃない……」
「あ、御髪おぐしの色は栗色だそうですよ」
「そんな、髪の色だけ分かっても……」

 鳳蓮国において、栗色の髪はそう珍しくもない。もともとこの国は黒髪黒目の鳳国と、栗色の髪で茶色い目の蓮国が合わさってできた国だと伝えられている。そのため、街の大通りを見回せば栗色と黒色の頭が揺れているのだ。
 鈴花は顔が見られないなんて残念と、落胆を隠しきれない。

「お顔に問題があるのかしら」
「そこまでは……ただ、暗殺を恐れてという話もありますね」

 稀に見る幸運で皇帝となったが、すでに母親は他界しそもそも身分が低かったため後ろ盾はない。権力は政治を執行する丞相が握っており、若い皇帝が政治を執り行う正殿において苦労をすることは目に見えていた。

(あれ、でも陛下って末の公子だから、命を狙われることはないと思うのだけど……)

 その疑問が顔に出ており、春明は詳しく説明をする。

「先帝陛下の時代は後宮の規模が大きく、公子公主も多かったでしょう? 先帝はお力が有り余る方だったから、市井にご落胤がいるのではという噂があるんです。妓楼にも通われていたそうですし、ありえない話ではなくて……」

 先帝の時代は妃嬪ひひんだけで二十数名、そこに官女や下女を加えると二千をゆうに超える規模だった。だが寵姫が多く、公子を五人授かったことが原因で国が割れる手前まで荒れたため、今帝の後宮は規模を縮小し、今のところ妃嬪は片手ぐらいの数しかいない。

「まだ荒れると思われているのね……お父様、なんてところに入れたのよ。どうりで二家からまだ来ていないわけだわ」

 五つの名家は代々一人は後宮に娘を入れていたが、現在三家のみだ。後宮は広く、下手すれば一つの街ほどの広さがあり、六つの区画に分けられそれぞれに宮や棟がある。名家の娘は上級妃であり、宮を一つ与えられていた。それがまだ三つしか埋まっていない。それだけでうら寂しく、閑散としているように思えるのだ。

「まぁ、寵を競う相手が減ったと思えばいいではありませんか。残るしゅ家とそう家はどちらも美姫と名高いですし」
「なによ、私だって成長すれば美を備えた女性になるんだから」

 鈴花は美しいというよりは可愛らしい風貌で、体も小柄なので小動物のような愛らしさがある。春明は点心を頬張る様子は、まさに栗鼠《りす》が木の実を頬に溜め込んでいるようだと思っているのだが、口には出さなかった。
 そんな春明を鈴花は指さし、得意げな顔をして言い放つ。

「春明、今に見てなさい? 私は後宮に入ったからには皇貴妃こうきひを目指すわ。私の魅力で皇帝陛下を骨抜きにするんだから!」

 皇貴妃は妃嬪の中で第一位の呼び名だ。向上心の高い鈴花は後宮入りが決まった時からそう意気込んでいたのだ。それなのに、皇帝の渡りは無く、姿を見たことすらない。

「はい、私も期待しておりますので」
「なによその適当な返事は……」

 全く期待をしていなさそうな春明の言い方に、面白くないと鈴花は頬を膨らませる。春明の態度は鈴花が後宮に入って妃になったからといって、変わることはなかった。仕えてくれている宮女や下女との距離を測りかねている鈴花にとって、気心が知れた春明がいることは心強い。

(まぁ、しばらくは放っておかれても我慢するけど、陛下に会ったら一言くらい可愛く上品に文句を言ってやるわ)

 そう心の中で誓っていると、房室へやの外が騒がしくなってきた。走廊ろうかを足早に歩いてくる音が聞こえ、二人は顔を見合わせる。

「鈴花妃様、大変でございます!」

 やって来たのは宮女の二人で、礼を取ってから興奮冷めやらぬ顔を鈴花に向ける。二人とは会ってまだ二週間だが、これほど慌てている様子は見たことがない。

「あら、どうしたの?」

 鈴花は居住まいを正し、上品で余裕のある笑みを浮かべて問いかけた。その落ち着いた表情の裏で、楽しそうな気配に目を輝かせている鈴花が見え、春明は緩む頬を引き締める。
 位が高い方の宮女が一歩前に進み出て、一大事件を伝えた。

「今夜、天架宮てんかきゅうに陛下がお出ましになります。そのため、妃様は足をお運びいただきますよう」
「まぁ、やっと会えるのね。でも、ここにお渡りになるのではなく、天架宮だなんて……」

 後宮は皇帝の寝所がある奥殿のさらに後ろにあり、六区画に分けられたうち奥殿に一番近いのが天架宮で現在は空いている宮だ。ちなみに鈴花が与えられた景雲宮けいうんきゅうは天架宮の奥にある。本来なら皇帝が妃嬪の下を訪れるものであり、呼びつけるなど聞いたことがない。

(これも暗殺を恐れてなのかしら……)

 釈然としない鈴花の困惑が宮女たちにも伝わったようで、二人は戸惑った表情で頷いている。二人とも先帝の後宮時代から仕えており、後宮のなんたるかを熟知しているゆえに驚いたのだ。
 そこに春明が口を挟む。

「理由を考えてもいたしかたありません。とにかく、夜まであまり時間もありませんし、急いで支度をいたしましょう」

 今は昼を少し過ぎたころ。これから数ある襦裙の組み合わせを選び、くつを合わせ、装飾品を選ぶ。さらに香を選んで焚き染めさせ、髪も整えなければならない。

(やっと陛下に会えるんだから、印象に残るようにしないと!)

 楽しくなってきたと、鈴花は口角を上げてまだ見ぬ皇帝に想いを馳せた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。

猫宮乾
恋愛
 再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。

処理中です...