上 下
2 / 6

二話

しおりを挟む
 こうなると分かっていた私は適当に返事をし、さっさと後片付けに入った。兄はぶつぶつと元婚約者に対して文句を言いながら、年季の入ったドアを痛めないように優しく開けて出ていった。私はティーセットの片づけをし、厨房に寄って兄からよろしくされたものを持って部屋に帰る。倒さないようにと箱につめたものは、そこそこの重さがある。保冷のための氷も入れているから、さらに重くなっていた。

 部屋に帰ると冷たいそれを丸テーブルの上に並べ、スプーンも用意した。並べられた筒形の器の中身は黄色で、つやつやとおいしそう。プリアン家名物のプリンで、昔からお金はないが広い牧場で牛と鶏を飼っているので、新鮮な卵と牛乳が自慢なのだ。それを生かして作られたのだと伝わっている。

 5つのうち1つだけ器の色が違うものは私の分だ。プリアン家は家族そろってプリンが大好きなので、プリン担当の料理人がいるし、いつだって用意されている。使用人も好きに食べていいので、私はプリンを作りすぎなかったらもう少しお金が貯まるんじゃないかなって思ってる。

(まあ、おいしいプリンが食べられるから幸せだけど……。まだ来ないし、食べちゃお)

 用意ができた私は、お駄賃だと思って先に食べことにした。

(いつもながらきれいなつや~)

 私はカラメルソースがたっぷりかかったとろけるプリンが好きで、カラメルソースの中からすくい上げたプリンが顔を出すところがたまらない。口に入れると滑らかな舌触りで、カラメルソースのほろ苦さにミルクと砂糖の甘さが溶けあって最高。たまごのコクやバニラの香りがプリンを極上にしてくれる。

 おいしさに私まで蕩けていると、ノックがされドアが開いた。入って来たのは当然兄で、私がすでに食べているのを見ると眉間に皺を寄せ、お礼も言わずに椅子に座る。そして手前にあったプリンに左手を伸ばし、右手でスプーンを掴み取ると、大きめにすくって口に入れた。口に入った瞬間、険しかった顔が少し緩む。

(わぁ……やけ食い)

 三口で一つ目がなくなり、二つ目を平らげたところで、ふぅと息を吐く。

「……うん、おいしい。やっぱ気分転換はプリンに限る」

 顔を洗って髪を整えてきたらしく、だいぶ落ち着いた顔をしていた。まだ目は吊り上がっているけど。

「できれば自分で取りにいってほしいけどね」

 かれこれ何回目かわからない文句だけど、一応言っておく。こう言うと兄はいつも、「むっ」と口を横に引き結んで、気まずそうな顔をするのよね。理由も知っているけど、毎回身代わりにされているんだから、それぐらい遊ばせてほしい。兄はプリンにスプーンをさしたまま手を止め、拗ねた子どものような顔で小さく返した。

「お嬢様にプリンが好きだなんて知られたくないって、分かってるくせに」

 兄のちょっと恥ずかしそうな顔なんて見たくもないんだけど、少し困った顔をするのが面白くて、つい話題にしてしまう。

「つまんない意地を張っちゃってさ~」
「俺はお嬢様が求める最高の執事でありたいの!」

 そう言ってまたプリンを食べ始めて、すでに4つめ。見ている私が胸焼けしてきた。兄は大の甘党で、中でもプリンが大好きなんだけど、なんでお嬢様に知られたくないかっていうと馬鹿馬鹿しい昔話がある。

 まだお嬢様が7歳で、私たちがお仕えして2年が過ぎた頃、お嬢様がこうおっしゃったの。「素敵な大人って、苦いコーヒーとか辛いものが食べられる人よね。甘いお菓子とかプリンも食べないんだわ」って、おやつのプリンを食べながら。当時兄は11歳。すでにお嬢様が大好きだったから、お嬢様が望む大人になるんだってその日からお嬢様前では甘いものを食べなくなった。

 コーヒーはブラックを無理して飲むし……まだ子どもだったのに。使用人たちとご飯を食べていても、辛い香辛料を入れて食べていたし……お嬢様見てないのに。どこからお嬢様のお耳に入るか分からないから、外では完璧な執事を演じるって意気込んで、今に至っているのだからその熱意はすごい。でも、プリンだけは止められないみたいで、こうして私にプリンを取りに行かせてるんだけど。

(ほんと、馬鹿よね~)

 私は溜息をついて、向かいの席に座る。紅茶を入れて飲んでいると、持ってきた5個のプリンを食べ尽くした兄は、満足したのか息をついて背もたれに背を預けた。

「お嬢様、プリンをお嫌いになられたからなぁ。子どもの時のようにお好きだったら、一緒にプリンについて語り合えるのに」
「うーん、まぁ、ちょっとやめておいたほうがいいと思うよ」

 兄はお嬢様の次にプリンが好きで、プリン研究なんていうものもしている。休日は変装してまでプリンの食べ歩きをしていて、至高のプリンを追い求めているらしい。このプリンはプリアン家が発祥らしく、領地にはいくつかお店がある。兄は本日のプリンのおいしさ、できについて語り始めた。兄の好みは固めの卵をしっかり感じることができるプリンだ。私はなめらかとろける派なので、余計なことは言わずに相槌だけ打つ。そして、話しているうちに話題はお嬢様へと移っていき、兄はぽつりと零す。

「お嬢様にも早く結婚式をあげていただきたいのになぁ」
「まぁ、そんなに焦らなくてもいいんじゃない?」
「だってなぁ、お前も少しは困るだろう」

 珍しく優しくて頼りになる兄の顔を出して来た。頭の中の9割はお嬢様のことだけど、少しは私のことも考えてくれているみたい。

「ん~。まぁ、結婚してくれたら気が楽だけどね」

 だからこそ兄にはさっさとお嬢様に告白してほしいのだけど、「次のお見合い相手を考えないとなぁ」と呟く当たり、伝える気はなさそう。

 そして話はまたあの元婚約者になり、兄は狭量が狭いだの、お嬢様にはもっといい人がいるだの、ぶつぶつ言っていた。私はあくびを堪えながら微笑を作って頷いておく。語る兄は放置にかぎる。

「まぁ、あとでお嬢様の様子を伺いにいくといいわ。私は先にお嬢様をお慰めしてくるから」
「なっ!? 俺も行く!」
「お嬢様は今とても傷ついていらっしゃるから、同性の私が行った方がいいの」

 そう言うと、兄は悔しそうに唸り、「女になれたら……」なんて呟いているけど無視無視。それに、予めお嬢様に後で部屋に来るように頼まれていたのだけど、兄に言うつもりはない。私は手早くプリンの容器をトレーに乗せ、兄に「しっかり頭を冷やしておいてね」と言い置いて部屋から出た。「はーい」という生返事だったけど、お嬢様の前では完璧執事になるから心配はしていない。

 厨房に寄って、さらに3つの別のプリンをもらう。プリアン家の人々はそれぞれ好みのプリンがあるから、固さや味が違うプリンが常に作り置きされている。

 私はティーセットもカートに乗せ、お嬢様のお部屋まで運んでいく。そう、このプリン、次はお嬢様がご所望なのよね。毎日お昼のおやつにプリンを3つ。兄は、お嬢様はプリンが嫌いだって思っているけど、全く違う。というか、色々と全く違う。

 私はドアをノックして、お嬢様の鈴のような可愛い返事を聞いてから中に入った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄を、あなたのために

月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

悪役令嬢は南国で自給自足したい

夕日(夕日凪)
恋愛
侯爵令嬢ビアンカ・シュラットは7歳の誕生日が近づく頃、 前世の記憶を思い出し自分がとある乙女ゲームの悪役令嬢である事に気付く。 このまま進むと国外追放が待っている…! 焦るビアンカだが前世の自分は限界集落と称される離島で自給自足に近い生活をしていた事を思い出し、 「別に国外追放されても自給自足できるんじゃない?どうせなら自然豊かな南国に追放して貰おう!」 と目を輝かせる。 南国に追放されたい令嬢とそれを見守る溺愛執事のお話。 ※小説家になろう様でも公開中です。 ※ネタバレが苦手な方は最新話まで読んだのちに感想欄をご覧になる事をおススメしております。

フランチェスカ王女の婿取り

わらびもち
恋愛
王女フランチェスカは近い将来、臣籍降下し女公爵となることが決まっている。 その婿として選ばれたのがヨーク公爵家子息のセレスタン。だがこの男、よりにもよってフランチェスカの侍女と不貞を働き、結婚後もその関係を続けようとする屑だった。 あることがきっかけでセレスタンの悍ましい計画を知ったフランチェスカは、不出来な婚約者と自分を裏切った侍女に鉄槌を下すべく動き出す……。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

婚約破棄されたから、執事と家出いたします

編端みどり
恋愛
拝啓 お父様 王子との婚約が破棄されました。わたくしは執事と共に家出いたします。 悪女と呼ばれた令嬢は、親、婚約者、友人に捨てられた。 彼女の危機を察した執事は、令嬢に気持ちを伝え、2人は幸せになる為に家を出る決意をする。 準備万端で家出した2人はどこへ行くのか?! 残された身勝手な者達はどうなるのか! ※時間軸が過去に戻ったり現在に飛んだりします。 ※☆の付いた話は、残酷な描写あり

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

処理中です...