上 下
155 / 194
アスタリア王国編

147 気弱な令嬢とお茶をしましょう

しおりを挟む
 本日は図書館で知り合ったナディヤが遊びに来るということで、リズは張り切って部屋を掃除し迎える準備をしていた。エリーナは勉強中で、リズは侍女仕事に励んでいる。家具を磨き上げたリズが満足げに部屋を見回した時、ドアがノックされた。
 すぐに返事をしてドアを開け、来訪者が目に入ったとたん一歩引いて恭しく頭を下げる。

「クリス様、おはようございます」

「リズ……エリーはもう勉強に行ったんだね」

 クリスは部屋を覗き込み、エリーがいないのを確認すると少し落胆する。

「はい、何かお伝えしましょうか」

「いや、仕事の前に顔を見たかっただけだから……」

 クリスはエリーナが悩んでいると知ってから朝食の席などで注意深く観察し、それとなく訊いてみたが空振りに終わっていた。そしてリズの顔を見て、少し考えるようなそぶりを見せる。

「リズはエリーが勉強している間は、手が空いているよね」

「あ、はい……掃除などをしておりますが、命じていただければ何なりと」

 思案顔のクリスは頭の中で自分の予定を思い出す。現在十年間のしわ寄せが一気に来ているため、クリスは多忙を極めていた。一日中政務に駆り出されており、その中リズを休憩時間や夜に呼び出すのも申し訳ない。となると、午前中のエリーナが勉強をしている時間がよいのだが……。

「すぐにじゃないけど、エリーのことで話したいことがあるから。また日にちは追って連絡するね」

 リズは王女付きであり、始終エリーナの側にいるためクリスと話す機会は少ない。リズはエリーナの話が聞きたいのかと納得し、にこやかに頷いた。

「かしこまりました」

 そして政務へと向かうクリスに頭を下げて見送ると、今度は本棚の周辺をさらに綺麗に磨き、本の順番がおかしくないかを確認する。ナディヤは大切なロマンス小説仲間になるはずなので、一切妥協しない。
 そうしているうちにエリーナが勉強から戻ってきて、ナディヤが来る時間になったのだった。



「ナディヤさん。これが全部ラルフレアのロマンス小説よ」

 エリーナはさっそく自室にナディヤを案内し、壁一面を埋めるロマンス小説を披露した。エリーナの背より高い、大きめの本棚三つ分。どうしても置いてこられなかった小説たちで、残る本棚二つ分の小説はオランドール家で預かってもらっている。

「す、すごいです」

 ナディヤはふるふると感動に震え、口を開けてロマンス小説の背表紙に目を滑らせていた。隣に立つエリーナは得意気であり、壁際で見守っているリズが苦笑いを浮かべていた。アスタリアへ引っ越すにあたり、ロマンス小説の量を巡ってクリスとエリーナの攻防を思い出したからだ。最後は量を削ると、服の間や荷物の隙間に詰められると学んだクリスが折れた。

「好きなだけ借りたらいいわ。そして、読んだ本について語りましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 エリーナはいきいきとお気に入りの本を紹介していく。好みの押し売りにならないように、丁寧にナディヤの好みを訊いていた。そしてひと段落したところで、お茶を飲みながらおしゃべりへと移る。
 部屋の真ん中にティーセットが置かれており、リズがタイミングを見てお茶を淹れた。ナディヤはすっと動き始めたリズに驚いたのか、目を丸くしている。リズはさすがのモブであり、存在を消して壁になることに長けていた。
 静かに優美な動きでお茶を淹れると、またすっと壁に戻る。

「あ、あの。改めまして、今日はこのような光栄な機会を設けていただき、ありがとうございます。生きているうちに王族の方とお話ができるなんて、感無量です……」

 ナディヤは身を小さくして、ちんまりと椅子に腰かけていた。ガチガチに緊張しており、固まっている。見かねたエリーナがお茶を勧めれば、やっと震える手でカップを取った。

「そんなおおげさに言わなくても……知ってるでしょうけど、わたくし、少し前までは伯爵令嬢よ?」

 目の前に座るナディヤ・グリフォンは侯爵令嬢だ。今年で十八歳であり、一個下なのだが童顔で十五、六歳に見える。桃色のふわふわした髪は腰に届き、長めの前髪の奥に琥珀色の丸い瞳がきらめいていた。庇護欲をそそる可愛らしい顔をしているのに、隠れているのがもったいないとエリーナは思う。

「い、いえ。眩しすぎて、同じだなんて思えません」

 うつむきがちなナディヤを見ながら、エリーナは事前にクリスや侍女から教えられた情報を思い浮かべた。
 ナディヤはグリフォン侯爵家の三女だが後妻の子であり、上二人が前妻の子どもだった。ナディヤの母親は昨年この世を去り、前妻よりも位が低かったことやナディヤの性格もあって姉二人からきつく当たられているそうだ。
 もともと気が弱くお淑やかで優しかったナディヤは、ますます人の顔色を窺うようになり自信を持てなくなったらしい。そんな不憫なナディヤであり、おどおどとエリーナに不安げな視線を送っていた。

「ナディヤさん。卑屈になる必要はないわ。悪役令嬢のように堂々と覇気を纏うのよ」

 そこですかさずおすすめの悪役令嬢が出てくる小説を勧める。壁と同化しているリズは「そのアドバイスは違う」と無表情の下でつっこんだ。

「あ、悪役令嬢?」

「そうよ。好きな人を一途に思い、自分の想いを貫く姿は素晴らしいわ」

 突如悪役令嬢の良さを語られ、ナディヤは目を白黒させる。そしてしばらくエリーナの悪役令嬢談義に相槌を打っていた。このままではナディヤが悪役令嬢に感化されてしまうと危機感をもったリズがお茶を淹れに動く。お菓子も追加した。
 そして話題が出されているお菓子に変わり、場が少し和みだしたところでナディヤがちらちらと壁の絵に視線を向けていた。それに気づいたエリーナが小首を傾げて尋ねる。

「あの絵がどうかしたの?」

「その、もしかして、シルヴィオ殿下の御作ですか?」

 ナディヤは期待する目をしており、いい表情をしていると思いつつエリーナは頷いた。

「そうよ。殿下がラルフレアに留学中に描かれた学園の庭園なの」

「あの、近づいて見てもいいですか」

「いいわよ」

 ナディヤは嬉しそうに、いそいそと近づき絵を見上げる。小さめのキャンパスには噴水と色とりどりの花が描かれていた。ナディヤは感嘆の声を漏らし、うっとりと見つめる。エリーナは隣に立ち、それほどすごい絵なのかと改めてじっくり見た。エリーナに絵の良し悪しはあまり分からない。

「ナディヤさんは絵が好きなの?」

 初めて会った時も、芸術分野の本を借りていた。

「はい。特に風景画が好きなんです。これを見ているだけで遠くへ行けた気分になるので」

 裏を返せば遠くへ行くことがほとんどないということだ。ますます不憫に思えて、エリーナはじぃっとナディヤを見つめた。

「機会があれば他の絵も借りてくるわね」

「え、そんな! 恐れ多いです!」

 その後ナディヤはエリーナ推薦の小説を三冊抱え、何度も頭を下げてエリーナの自室を後にした。敷地内にある図書館にはよく来ていても、王宮内は慣れていないようで、終始キョロキョロして侍女について行った。なんとも心配になる後ろ姿である。

 そして二人きりになった途端、リズが侍女の顔から友達の顔に変えてエリーナに近づいて来た。何か気にかかっている顔をしている。それはエリーナも同じで、余っていたお菓子をつまみながら、口を開いた。

「ねぇリズ。あの子、すごくヒロインっぽいわね」

「思いました? 同感です」

 可愛い顔をしているのに残念な見た目。義理の姉たちに冷遇されているという不憫さ。弱弱しく守ってあげたくなる性格。それはヒロイン像の一つだ。

「辛い目にあっていたヒロインが攻略対象に出会って返り咲くというテンプレが起こりそうですよね」

「本当ね。ゲームじゃなくてもああいう子っているのね」

 エリーナはそう呟いてからリズと目を合わせた。お互い黙り込む。

「エリーナ様……一応ここはゲームをもとにした世界です」

「……何も起こらないわよね」

 乙女ゲームに詳しい二人がヒロインっぽいと感じたことは脅威である。ナディヤが急に何かの鍵のような気がしてきて、言い知れぬ不安がよぎる。クリスを選びアスタリア王国へ来た。リズの中にもシナリオはなく、何が自分たちに関係するのかが分からない。
 エリーナは気を取り直してお菓子を口に入れる。だがバターの効いたクッキーは先ほどより硬く、あまり味を感じることはできなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された侯爵令嬢は、元婚約者の側妃にされる前に悪役令嬢推しの美形従者に隣国へ連れ去られます

葵 遥菜
恋愛
アナベル・ハワード侯爵令嬢は婚約者のイーサン王太子殿下を心から慕い、彼の伴侶になるための勉強にできる限りの時間を費やしていた。二人の仲は順調で、結婚の日取りも決まっていた。 しかし、王立学園に入学したのち、イーサン王太子は真実の愛を見つけたようだった。 お相手はエリーナ・カートレット男爵令嬢。 二人は相思相愛のようなので、アナベルは将来王妃となったのち、彼女が側妃として召し上げられることになるだろうと覚悟した。 「悪役令嬢、アナベル・ハワード! あなたにイーサン様は渡さない――!」 アナベルはエリーナから「悪」だと断じられたことで、自分の存在が二人の邪魔であることを再認識し、エリーナが王妃になる道はないのかと探り始める――。 「エリーナ様を王妃に据えるにはどうしたらいいのかしらね、エリオット?」 「一つだけ方法がございます。それをお教えする代わりに、私と約束をしてください」 「どんな約束でも守るわ」 「もし……万が一、王太子殿下がアナベル様との『婚約を破棄する』とおっしゃったら、私と一緒に隣国ガルディニアへ逃げてください」 これは、悪役令嬢を溺愛する従者が合法的に推しを手に入れる物語である。 ※タイトル通りのご都合主義なお話です。 ※他サイトにも投稿しています。

転生侍女は完全無欠のばあやを目指す

ロゼーナ
恋愛
十歳のターニャは、前の「私」の記憶を思い出した。そして自分が乙女ゲーム『月と太陽のリリー』に登場する、ヒロインでも悪役令嬢でもなく、サポートキャラであることに気付く。侍女として生涯仕えることになるヒロインにも、ゲームでは悪役令嬢となってしまう少女にも、この世界では不幸になってほしくない。ゲームには存在しなかった大団円エンドを目指しつつ、自分の夢である「完全無欠のばあやになること」だって、絶対に叶えてみせる! *三十話前後で完結予定、最終話まで毎日二話ずつ更新します。 (本作は『小説家になろう』『カクヨム』にも投稿しています)

【本編完結済】白豚令嬢ですが隣国で幸せに暮らしたいと思います

忠野雪仁
恋愛
良くある異世界転生の物語です、読む専でしたが初めての執筆となります。 私は転生した。 転生物語に良くある中世ヨーロッパテイストに剣と魔法の世界 イケメンの兄と両親、なのにチョット嫌かなりふくよかな私。 大陸の中でも大きな国家の筆頭公爵の娘に生まれ、 家族にはとても愛されていた。 特に母親と兄の溺愛は度を越している。 これだけ贅沢な材料を揃えているのに、 出来上がったのは、具沢山で美味しくも無く、それでいて後味にラードが残る様な残念豚汁の様な人生を引き継いだ。 愛の重さが体重の重さ、女神様から貰った特典で幸せになれたら良いなと奮闘する事にします。 最終的な目標は転生先の文化技術の発展に貢献する事。 ゆるーく、ながーくやって行きたいと思っていますが、何せ初の作品。 途中、シリアスな別の短編なども書いてみて色々試したいと思います。

もしもし、王子様が困ってますけど?〜泣き虫な悪役令嬢は強気なヒロインと張り合えないので代わりに王子様が罠を仕掛けます〜

矢口愛留
恋愛
公爵令嬢エミリア・ブラウンは、突然前世の記憶を思い出す。 この世界は前世で読んだ小説の世界で、泣き虫の日本人だった私はエミリアに転生していたのだ。 小説によるとエミリアは悪役令嬢で、婚約者である王太子ラインハルトをヒロインのプリシラに奪われて嫉妬し、悪行の限りを尽くした挙句に断罪される運命なのである。 だが、記憶が蘇ったことで、エミリアは悪役令嬢らしからぬ泣き虫っぷりを発揮し、周囲を翻弄する。 どうしてもヒロインを排斥できないエミリアに代わって、実はエミリアを溺愛していた王子と、その側近がヒロインに罠を仕掛けていく。 それに気づかず小説通りに王子を籠絡しようとするヒロインと、その涙で全てをかき乱してしまう悪役令嬢と、間に挟まれる王子様の学園生活、その意外な結末とは――? *異世界ものということで、文化や文明度の設定が緩めですがご容赦下さい。 *「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも掲載しています。

悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!

ペトラ
恋愛
   ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。  戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。  前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。  悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。  他サイトに連載中の話の改訂版になります。

見ず知らずの(たぶん)乙女ゲーに(おそらく)悪役令嬢として転生したので(とりあえず)破滅回避をめざします!

すな子
恋愛
 ステラフィッサ王国公爵家令嬢ルクレツィア・ガラッシアが、前世の記憶を思い出したのは5歳のとき。  現代ニホンの枯れ果てたアラサーOLから、異世界の高位貴族の令嬢として天使の容貌を持って生まれ変わった自分は、昨今流行りの(?)「乙女ゲーム」の「悪役令嬢」に「転生」したのだと確信したものの、前世であれほどプレイした乙女ゲームのどんな設定にも、今の自分もその環境も、思い当たるものがなにひとつない!  それでもいつか訪れるはずの「破滅」を「回避」するために、前世の記憶を総動員、乙女ゲームや転生悪役令嬢がざまぁする物語からあらゆる事態を想定し、今世は幸せに生きようと奮闘するお話。  ───エンディミオン様、あなたいったい、どこのどなたなんですの? ******** できるだけストレスフリーに読めるようご都合展開を陽気に突き進んでおりますので予めご了承くださいませ。 また、【閑話】には死ネタが含まれますので、苦手な方はご注意ください。 ☆「小説家になろう」様にも常羽名義で投稿しております。

【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~

イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」   どごおおおぉっ!! 5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略) ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。 …だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。 それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。 泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ… 旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは? 更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!? ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか? 困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語! ※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください… ※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください… ※小説家になろう様でも掲載しております ※イラストは湶リク様に描いていただきました

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

処理中です...