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千尋は生まれつき身体が弱く、小さい頃から入退院を繰り返していた。性格も内気なため、友人すらできない。そんな彼女の遊び相手は、隣の家に住む颯人だけだった。
中学三年の秋。その日の千尋は、朝から喘息の発作が出たため、心配をした母の美代子に、学校を休まされていた。
夕方。彼女が自室で勉強をしていると、部屋のドアがノックされる。
「千尋ー」
「あ、入って良いよ」
千尋が返事をすると、高校の制服に身を包んだ颯人が入ってきた。
「……相変わらず、散乱してるな。この物を広げながら勉強するやり方、どうにかしたらどうだ?」
「で、でもこのやり方のほうが、すぐに調べられるんだもん」
千尋は昔から、ノートにプリント、教科書に参考書など、いろいろと自分の周囲に散らばしてから、勉強する癖がある。そのため、彼女の部屋にはいわゆる勉強机が無く、ローテーブルでしているのだ。
颯人は千尋が片付けた場所に、バスケ部のロゴが入ったエナメルバッグを、どんっと置く。そしてブレザーがシワにならないように彼女から渡されたハンガーにかけると、部屋にある適当なクッションを掴んで、腰を落ち着けた。
「調子はどうだ?」
「もう大丈夫だよ。お母さんが心配性なだけ」
「そう言って、この前倒れたのは、誰だっけ?」
颯人は千尋の頭を掴むと、ぐぐっと手に力を込めた。
「いたたたた。いたいよ、颯人君」
「おまえの大丈夫は、信用できないんだよ。もう学校だって違うんだから、俺は助けに行けないんだぞ」
「う、うん」
「前に、おばさんから倒れたって聞いた時、すげぇ心配した」
「ごめんね」
千尋が俯くと、今度はぽんぽんと、颯人は彼女の頭を撫でた。
彼は妹分のことを撫でながら、ローテーブルの上に広げられている教科書を見る。
「数学、やってんのか」
「そう。でも、ちょっとわかんなくなっちゃって」
「なら、今日も勉強会だな」
そこから、颯人による授業が始まった。
中学三年間はもちろん、高校に入学してからも、常にテストで上位をキープしている颯人は、人に教えるのがうまい。そのため、学校を休みがちな千尋の家庭教師役を、幼い頃から務めている。
「それで、この公式を当てはめると?」
「答えは……こう?」
「そう。正解」
颯人は誉めるように、千尋の頭を撫でた。
「颯人君って、いつも私の頭を撫でるよね」
「撫でやすいんだ。嫌か?」
「ううん。颯人君に撫でられるの、安心する」
千尋は猫のように目を細め、無意識にすり寄った。そんな甘える彼女に、颯人は笑う。
その日のノルマを達成した千尋は、颯人に礼を言って、勉強道具を片付けた。そして二人でジュースを片手に、まったりとすごす。
「にしても、千尋は理解は早いが、一度つまずくと、進みが遅くなるな」
「うっ」
「しかも理数系に限る」
「ううっ」
自覚がある千尋は、小さく唸って頭を抱えた。
「理数系のほうが答えがひとつで、わかりやすいだろ? 公式とか記号を覚えればいいんだし」
「それができたら、苦労しないよー」
千尋はぐでーっと、テーブルに伸びる。
「暗記が駄目ってわけじゃねぇもんな。漢字や歴史の年号は、覚えられてるし」
「理数は、答えがひとつしかないから、なんか嫌」
「歴史も国語だって、あるだろ?」
颯人が不思議そうに、首を傾げる。
「そうだけど……。歴史はいわゆる過去の振り返り。国語はテストだと、答えはあるけど、多くは読んで自分の答えを述べよじゃん」
「ああ。千尋はレポートの類は得意だもんな」
「いろんな人の論文を読んで、納得した上で自分の意見を言う。私はこのほうが好き」
「そういうものか?」
千尋はグッと手を握って、力強くうなずく。
「結論から言うと、相手を言いくるめることが出来れば勝ち」
「それは言わないほうがいいと思うんだが」
千尋の言葉に、颯人は笑う。
「俺にはわからねぇな。決まった答えがないのって、不安だ」
「颯人君は理数系だからね。明確に答えがあるほうが安心できるんだよ」
「そうかもな」
そのとき、颯人のバッグから、バイブ音が響いた。鳴動音が長いことから察するに、電話であろう。
颯人はガサゴソと、かばんを漁る。ようやく掘り出したスマホの画面を見て、彼はハッとした表情を浮かべた。
「あー、千尋。悪い、ちょっと用事できた」
「そ、そっか」
一瞬、表情が沈むも、すぐに千尋は心配させまいと作り笑いを浮かべる。
「今日のノルマは終わってるし、気にしないで。それに勉強会だって、約束してたわけじゃないし」
バツが悪そうな表情をする颯人に、千尋は気にするなと、慌てながら手を振った。
「ほら、早く電話に出ないと切れちゃうよ」
「ごめんな。また明日にでも、来るから」
颯人はエナメルバッグを肩から下げ、ブレザーを手に持つ。そしてドアノブを握りながら、振り返った。
「くれぐれも、無理すんなよ。今夜は冷えるって言ってたし、ちゃんと暖かくして寝るんだぞ」
「もう! 大丈夫だってば」
眉尻を下げて、申し訳なさそうにしながら、颯人は帰っていった。
「……お兄ちゃん離れ、しないとなぁ」
一瞬だけ見えた画面には、「松岡由美」と女性の名前が表示されていた。
千尋はいつまでも、颯人に頼るのはよくないと思いつつも、まだ甘えていたいという気持ちもあり、モヤモヤとした思いを、感じていた。
中学三年の秋。その日の千尋は、朝から喘息の発作が出たため、心配をした母の美代子に、学校を休まされていた。
夕方。彼女が自室で勉強をしていると、部屋のドアがノックされる。
「千尋ー」
「あ、入って良いよ」
千尋が返事をすると、高校の制服に身を包んだ颯人が入ってきた。
「……相変わらず、散乱してるな。この物を広げながら勉強するやり方、どうにかしたらどうだ?」
「で、でもこのやり方のほうが、すぐに調べられるんだもん」
千尋は昔から、ノートにプリント、教科書に参考書など、いろいろと自分の周囲に散らばしてから、勉強する癖がある。そのため、彼女の部屋にはいわゆる勉強机が無く、ローテーブルでしているのだ。
颯人は千尋が片付けた場所に、バスケ部のロゴが入ったエナメルバッグを、どんっと置く。そしてブレザーがシワにならないように彼女から渡されたハンガーにかけると、部屋にある適当なクッションを掴んで、腰を落ち着けた。
「調子はどうだ?」
「もう大丈夫だよ。お母さんが心配性なだけ」
「そう言って、この前倒れたのは、誰だっけ?」
颯人は千尋の頭を掴むと、ぐぐっと手に力を込めた。
「いたたたた。いたいよ、颯人君」
「おまえの大丈夫は、信用できないんだよ。もう学校だって違うんだから、俺は助けに行けないんだぞ」
「う、うん」
「前に、おばさんから倒れたって聞いた時、すげぇ心配した」
「ごめんね」
千尋が俯くと、今度はぽんぽんと、颯人は彼女の頭を撫でた。
彼は妹分のことを撫でながら、ローテーブルの上に広げられている教科書を見る。
「数学、やってんのか」
「そう。でも、ちょっとわかんなくなっちゃって」
「なら、今日も勉強会だな」
そこから、颯人による授業が始まった。
中学三年間はもちろん、高校に入学してからも、常にテストで上位をキープしている颯人は、人に教えるのがうまい。そのため、学校を休みがちな千尋の家庭教師役を、幼い頃から務めている。
「それで、この公式を当てはめると?」
「答えは……こう?」
「そう。正解」
颯人は誉めるように、千尋の頭を撫でた。
「颯人君って、いつも私の頭を撫でるよね」
「撫でやすいんだ。嫌か?」
「ううん。颯人君に撫でられるの、安心する」
千尋は猫のように目を細め、無意識にすり寄った。そんな甘える彼女に、颯人は笑う。
その日のノルマを達成した千尋は、颯人に礼を言って、勉強道具を片付けた。そして二人でジュースを片手に、まったりとすごす。
「にしても、千尋は理解は早いが、一度つまずくと、進みが遅くなるな」
「うっ」
「しかも理数系に限る」
「ううっ」
自覚がある千尋は、小さく唸って頭を抱えた。
「理数系のほうが答えがひとつで、わかりやすいだろ? 公式とか記号を覚えればいいんだし」
「それができたら、苦労しないよー」
千尋はぐでーっと、テーブルに伸びる。
「暗記が駄目ってわけじゃねぇもんな。漢字や歴史の年号は、覚えられてるし」
「理数は、答えがひとつしかないから、なんか嫌」
「歴史も国語だって、あるだろ?」
颯人が不思議そうに、首を傾げる。
「そうだけど……。歴史はいわゆる過去の振り返り。国語はテストだと、答えはあるけど、多くは読んで自分の答えを述べよじゃん」
「ああ。千尋はレポートの類は得意だもんな」
「いろんな人の論文を読んで、納得した上で自分の意見を言う。私はこのほうが好き」
「そういうものか?」
千尋はグッと手を握って、力強くうなずく。
「結論から言うと、相手を言いくるめることが出来れば勝ち」
「それは言わないほうがいいと思うんだが」
千尋の言葉に、颯人は笑う。
「俺にはわからねぇな。決まった答えがないのって、不安だ」
「颯人君は理数系だからね。明確に答えがあるほうが安心できるんだよ」
「そうかもな」
そのとき、颯人のバッグから、バイブ音が響いた。鳴動音が長いことから察するに、電話であろう。
颯人はガサゴソと、かばんを漁る。ようやく掘り出したスマホの画面を見て、彼はハッとした表情を浮かべた。
「あー、千尋。悪い、ちょっと用事できた」
「そ、そっか」
一瞬、表情が沈むも、すぐに千尋は心配させまいと作り笑いを浮かべる。
「今日のノルマは終わってるし、気にしないで。それに勉強会だって、約束してたわけじゃないし」
バツが悪そうな表情をする颯人に、千尋は気にするなと、慌てながら手を振った。
「ほら、早く電話に出ないと切れちゃうよ」
「ごめんな。また明日にでも、来るから」
颯人はエナメルバッグを肩から下げ、ブレザーを手に持つ。そしてドアノブを握りながら、振り返った。
「くれぐれも、無理すんなよ。今夜は冷えるって言ってたし、ちゃんと暖かくして寝るんだぞ」
「もう! 大丈夫だってば」
眉尻を下げて、申し訳なさそうにしながら、颯人は帰っていった。
「……お兄ちゃん離れ、しないとなぁ」
一瞬だけ見えた画面には、「松岡由美」と女性の名前が表示されていた。
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