18 / 25
8ー1
しおりを挟む
神流と銀を見送り、比奈は自室へと戻った。
文机の前まで来ると、脇に置いてある行灯に火を入れて、手元を明るくする。そして眠気が訪れるまでと、本を読み始めるも、身体は疲れているはずなのに一向に睡魔は来ず、彼女は諦めたように本を閉じた。
「困りました……」
比奈が途方に暮れていると、突然、強い風が吹く。
その風で行灯の灯りが消える。御伽噺のように、月からの使者が舞い降りてきそうなほどの大きな満月も、風に乗ってやってきた厚い雲によって、隠れてしまい、辺りを漆黒の闇が包み込む。
(なんだか、とても嫌な予感が……。黎明様……)
比奈は胸騒ぎを覚え、黎明からもらった腕飾りにそっと触れた。
その頃、黎明は鬼の姿のまま、人気がなくなった夜の町を歩いていた。
「クソッ。情報がまったく集まらねぇ。旅の僧侶の姿なら、誰も怪しまねぇもんな」
黎明は昼間から、比奈の部屋に結界を張った僧侶のことを調べていたが、名前はもちろん、どこから来たのか、今いる場所はどこなのかといった情報は一切、出てこなかった。
「頼みの綱は鎌鼬か……」
自分一人では無理だと思っていたので、情報収集が得意な鎌鼬にも協力してもらっていた。しかし、
「お前らでも、わかんなかったか」
「すいやせん」
結果は空振りだった。
「わかったのは、かなり術に詳しいってことくらいでさぁ。どうかお気を付けくだせぇ。まぁ、鬼である黎明様であれば、心配ないと思いますが」
「おう」
『黎明様……』
黎明は小さく呼ばれた気がして、顔を上げた。
「比奈……?」
「若君、どうしやした?」
鎌鼬の問いかけに応えず、黎明は耳を澄ませる。
(気のせいか? いや、でも今の声はたしかに比奈だ)
丸い満月が、雲で覆われる。その途端、比奈と揃いの腕飾りが熱を持って、輝きだす。
(まさか、比奈のところに!?)
「わ、若君? その、腕輪」
「悪い! 俺は行く!」
そう言って、黎明は彼らをその場に残し、地面を蹴って屋根の上に躍り出た。
比奈の家の方から、結界で遮られているせいか、黎明でもかすかにしか感じ取れないが、不穏な妖気が漂ってくる。
(間に合ってくれ! 比奈っ!!)
黎明は走り出した。
比奈が不安を感じていると、がさっと誰かが庭の草を踏みしめる音が聴こえた。
(だれ?)
比奈は神流から渡された短刀を握りしめ、そっと縁側に出て、雨戸の影から庭をのぞく。するとそこには、今まで誰もいなかったはずの庭の中心に人影があり、比奈は眉を寄せた。
(黎明様は来られないと、兄様がおっしゃっていた。なら、あれは……)
雲が流れ、隠れていた月が再び現れる。満月に照らされて姿を見せたのは、笠を深く被って顔を隠し、片手に錫杖を持った僧侶だった。
「お坊、様?」
「……ずいぶんと、美しくなられたな娘御よ。迎えに来たぞ」
そう言って、僧侶は顔を上げる。彼の瞳は、赤く不気味に輝いており、口からは人間にあるはずのない鋭い牙を覗かせていた。
「っ!?」
比奈の全身を、悪寒が駆け抜ける。
(あれは、よくないモノだ。近寄らせては、いけないモノ)
彼女は部屋の中に逃げ込む。
「きゃっ」
だがその途端、身体から力が抜けて、倒れてしまった。その拍子に、短刀が床を転がる。
(な、なんで。ち、からが、はい、らない)
比奈は腕に力を込めるが、まるで上から重しを乗せられているかのように、まったく身体を動かすことが出来ない。
「そう怯えることはなかろう。わしはただ、対価を貰いに来ただけだ」
僧侶は笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と比奈へと近づいて来る。
「おぬしを他の妖怪から守るかわりに、年頃になったとき、わしが貰い受けるとな。安心しろ。おぬしの両親から、承諾は得ている」
僧侶の話に、比奈は驚きを示した。
「どういう、こと、ですか」
僧侶は比奈が意識を保っていることに、意外そうに目を瞬かせる。
「ほう。わしの術の中で意識を保つか。しかし、真実を聞かされなんだか。哀れよのぉ」
ついに僧侶は、庭から縁側へと上がる。比奈は恐怖で身体を震わせた。
「妖怪たちの間で噂されておることを、知っているか? 異能持ちの者に子を産ませて、それを引き継がせることができるかどうか。わしは気になっておってなぁ。昔に行った実験では、母となる者が幼すぎた。だから今回は失敗をせぬよう、頃合いをずっと待っておったのよ」
部屋へと入って来たヤツは、怯える比奈に笑みを向ける。
「ようやくだ。ようやくこれで、実験を再開できる」
「い、いや。こ、ないで。来ないで!」
僧侶が比奈の腕を掴む。その直後、
バチィッ
と強い火花が散った。
僧侶はあまり強い痛みに、比奈から手をひく。そして己の手から上がる煙を、忌々しそうに睨んだ。
比奈は翡翠の腕飾りが、淡い緑色の光を発しているのに気付く。
(黎明様のお守りが……。い、今のうちに、せめて、刀をっ)
比奈は全身に力を込めて、必死に腕を伸ばして短刀の柄を握ろうとする。
「いったいどこの誰じゃ。この娘御は、わしのもの! 誰にも渡さんぞ!」
僧侶が襲い掛かると同時に、比奈は手繰り寄せた短刀を、鞘から抜き放った。
「ぅ!」
鮮血が、僧侶の腕から飛び散る。ふと、僧侶の気が逸れたからか、身体が幾分か軽くなったのを感じた比奈は、身体を起こして、短刀の切っ先を敵に向ける。
「このわしに、刃向かうか」
「わ、わたしは、たとえ、とうさまと、かあさまに、きらわれて、いたとしても、あなたの、ものには、なり、ませんっ」
芯の強い瞳で、僧侶を睨む比奈。だが、隠しきれない恐怖と怯えで、剣先がカタカタと音を立てる。
「その度胸は良し。だが、己の夫となる相手に逆らうのは、教育がなっておらんな!」
僧侶は力強く腕を払い、比奈の手から短刀を弾き飛ばした。
「きゃあっ!」
比奈はその勢いで倒れ込む。
「わしに逆らうとどうなるか、思い知らせてやろうぞ」
僧侶は己の皮膚が発火するのも構わず、比奈に馬乗りになり、彼女の着物に手をかけた。
「い、いや! いやぁ! 助けて、助けて! 黎明様ぁ!!」
「比奈から、離れやがれぇぇ!!」
怒号と共に、何者かが強烈な蹴りを、僧侶に叩き込んだ。
文机の前まで来ると、脇に置いてある行灯に火を入れて、手元を明るくする。そして眠気が訪れるまでと、本を読み始めるも、身体は疲れているはずなのに一向に睡魔は来ず、彼女は諦めたように本を閉じた。
「困りました……」
比奈が途方に暮れていると、突然、強い風が吹く。
その風で行灯の灯りが消える。御伽噺のように、月からの使者が舞い降りてきそうなほどの大きな満月も、風に乗ってやってきた厚い雲によって、隠れてしまい、辺りを漆黒の闇が包み込む。
(なんだか、とても嫌な予感が……。黎明様……)
比奈は胸騒ぎを覚え、黎明からもらった腕飾りにそっと触れた。
その頃、黎明は鬼の姿のまま、人気がなくなった夜の町を歩いていた。
「クソッ。情報がまったく集まらねぇ。旅の僧侶の姿なら、誰も怪しまねぇもんな」
黎明は昼間から、比奈の部屋に結界を張った僧侶のことを調べていたが、名前はもちろん、どこから来たのか、今いる場所はどこなのかといった情報は一切、出てこなかった。
「頼みの綱は鎌鼬か……」
自分一人では無理だと思っていたので、情報収集が得意な鎌鼬にも協力してもらっていた。しかし、
「お前らでも、わかんなかったか」
「すいやせん」
結果は空振りだった。
「わかったのは、かなり術に詳しいってことくらいでさぁ。どうかお気を付けくだせぇ。まぁ、鬼である黎明様であれば、心配ないと思いますが」
「おう」
『黎明様……』
黎明は小さく呼ばれた気がして、顔を上げた。
「比奈……?」
「若君、どうしやした?」
鎌鼬の問いかけに応えず、黎明は耳を澄ませる。
(気のせいか? いや、でも今の声はたしかに比奈だ)
丸い満月が、雲で覆われる。その途端、比奈と揃いの腕飾りが熱を持って、輝きだす。
(まさか、比奈のところに!?)
「わ、若君? その、腕輪」
「悪い! 俺は行く!」
そう言って、黎明は彼らをその場に残し、地面を蹴って屋根の上に躍り出た。
比奈の家の方から、結界で遮られているせいか、黎明でもかすかにしか感じ取れないが、不穏な妖気が漂ってくる。
(間に合ってくれ! 比奈っ!!)
黎明は走り出した。
比奈が不安を感じていると、がさっと誰かが庭の草を踏みしめる音が聴こえた。
(だれ?)
比奈は神流から渡された短刀を握りしめ、そっと縁側に出て、雨戸の影から庭をのぞく。するとそこには、今まで誰もいなかったはずの庭の中心に人影があり、比奈は眉を寄せた。
(黎明様は来られないと、兄様がおっしゃっていた。なら、あれは……)
雲が流れ、隠れていた月が再び現れる。満月に照らされて姿を見せたのは、笠を深く被って顔を隠し、片手に錫杖を持った僧侶だった。
「お坊、様?」
「……ずいぶんと、美しくなられたな娘御よ。迎えに来たぞ」
そう言って、僧侶は顔を上げる。彼の瞳は、赤く不気味に輝いており、口からは人間にあるはずのない鋭い牙を覗かせていた。
「っ!?」
比奈の全身を、悪寒が駆け抜ける。
(あれは、よくないモノだ。近寄らせては、いけないモノ)
彼女は部屋の中に逃げ込む。
「きゃっ」
だがその途端、身体から力が抜けて、倒れてしまった。その拍子に、短刀が床を転がる。
(な、なんで。ち、からが、はい、らない)
比奈は腕に力を込めるが、まるで上から重しを乗せられているかのように、まったく身体を動かすことが出来ない。
「そう怯えることはなかろう。わしはただ、対価を貰いに来ただけだ」
僧侶は笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と比奈へと近づいて来る。
「おぬしを他の妖怪から守るかわりに、年頃になったとき、わしが貰い受けるとな。安心しろ。おぬしの両親から、承諾は得ている」
僧侶の話に、比奈は驚きを示した。
「どういう、こと、ですか」
僧侶は比奈が意識を保っていることに、意外そうに目を瞬かせる。
「ほう。わしの術の中で意識を保つか。しかし、真実を聞かされなんだか。哀れよのぉ」
ついに僧侶は、庭から縁側へと上がる。比奈は恐怖で身体を震わせた。
「妖怪たちの間で噂されておることを、知っているか? 異能持ちの者に子を産ませて、それを引き継がせることができるかどうか。わしは気になっておってなぁ。昔に行った実験では、母となる者が幼すぎた。だから今回は失敗をせぬよう、頃合いをずっと待っておったのよ」
部屋へと入って来たヤツは、怯える比奈に笑みを向ける。
「ようやくだ。ようやくこれで、実験を再開できる」
「い、いや。こ、ないで。来ないで!」
僧侶が比奈の腕を掴む。その直後、
バチィッ
と強い火花が散った。
僧侶はあまり強い痛みに、比奈から手をひく。そして己の手から上がる煙を、忌々しそうに睨んだ。
比奈は翡翠の腕飾りが、淡い緑色の光を発しているのに気付く。
(黎明様のお守りが……。い、今のうちに、せめて、刀をっ)
比奈は全身に力を込めて、必死に腕を伸ばして短刀の柄を握ろうとする。
「いったいどこの誰じゃ。この娘御は、わしのもの! 誰にも渡さんぞ!」
僧侶が襲い掛かると同時に、比奈は手繰り寄せた短刀を、鞘から抜き放った。
「ぅ!」
鮮血が、僧侶の腕から飛び散る。ふと、僧侶の気が逸れたからか、身体が幾分か軽くなったのを感じた比奈は、身体を起こして、短刀の切っ先を敵に向ける。
「このわしに、刃向かうか」
「わ、わたしは、たとえ、とうさまと、かあさまに、きらわれて、いたとしても、あなたの、ものには、なり、ませんっ」
芯の強い瞳で、僧侶を睨む比奈。だが、隠しきれない恐怖と怯えで、剣先がカタカタと音を立てる。
「その度胸は良し。だが、己の夫となる相手に逆らうのは、教育がなっておらんな!」
僧侶は力強く腕を払い、比奈の手から短刀を弾き飛ばした。
「きゃあっ!」
比奈はその勢いで倒れ込む。
「わしに逆らうとどうなるか、思い知らせてやろうぞ」
僧侶は己の皮膚が発火するのも構わず、比奈に馬乗りになり、彼女の着物に手をかけた。
「い、いや! いやぁ! 助けて、助けて! 黎明様ぁ!!」
「比奈から、離れやがれぇぇ!!」
怒号と共に、何者かが強烈な蹴りを、僧侶に叩き込んだ。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
番太と浪人のヲカシ話
井田いづ
歴史・時代
木戸番の小太郎と浪人者の昌良は暇人である。二人があれやこれやと暇つぶしに精を出すだけの平和な日常系短編集。
(レーティングは「本屋」のお題向け、念のため程度)
※決まった「お題」に沿って777文字で各話完結しています。
※カクヨムに掲載したものです。
※字数カウント調整のため、一部修正しております。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
蛙の半兵衛泣き笑い
藍染 迅
歴史・時代
長屋住まいの浪人川津半兵衛は普段は気の弱いお人よし。大工、左官にも喧嘩に負けるが、何故か人に慕われる。
ある日隣の幼女おきせが、不意に姿を消した。どうやら人買いにさらわれたらしい。
夜に入って降り出した雨。半兵衛は単身人買い一味が潜む荒れ寺へと乗り込む。
褌裸に菅の笠。腰に差したるは鮫革柄の小太刀一振り。
雨が降ったら誰にも負けぬ。古流剣術蛟流が飛沫を巻き上げる。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
精成忍夢
地辻夜行
歴史・時代
(せいなるにんむ)
一夜衆。
とある小国に仕える情報を扱うことに長けた忍びの一族。
他者を魅了する美貌を最大の武器とする彼らは、ある日仕える空倉家より、女を生娘のまま懐妊させた男を捕えよと命じられる。
一夜衆の頭である一夜幻之丞は、息子で相手の夢の中に入りこむという摩訶不思議な忍術を使う息子一夜千之助に、この任務を任せる。
三賢人の日本史
高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。
その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。
なぜそうなったのだろうか。
※小説家になろうで掲載した作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる