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第四話 初めての野宿に戸惑いつつも

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 アストの鞄には二人分の食事が詰め込まれており、夜はそれでなんとかなった。それでも、私にとって何もない森で眠るというのはかなり難しかった。ベッドもなく、枕もないんだから。

「俺は一晩寝なくても平気だから、お前は寝てろよ」
「そうは言われても、私。こんな硬い地面じゃ眠れないわ」

 小石を取り除きながら、私はため息と愚痴を吐き出した。もう周囲は薄暗く、深い森を駆け抜けるのは無理がある。

「本当は、いいところのお嬢様か?」

 アストの問いかけに、私は首を横に振るしか出来なかった。アストは木にもたれかかると、木の枝をたき火にくべていった。炎はゆらゆらと揺れ、それはまるで私の心のようだった。

「そんなわけないでしょ」
「だよなあ……」

 アストがいなければ、私は何も出来なかった。猫探しに来たところで、町の外への一歩が重かったのだ。私はあまりに無力だった。今頃、屋敷に居れば柔らかいベッドに横たわり、ハーブの香りのするお茶を飲み、眠りについているころだと思う。そう思うと、家を浅はかな気持ちで出たことへの後悔の念がつのってきてしまった。それでも、私はあの伯爵と結婚なんてしたくはない。
 アストは私の不安を感じ取ったのか、話題を振ってくれた。

「クレアは、夜って好きか?」
「夜? ……暗いし、何も見えないし、鬱蒼としていて好きじゃないわ」
「散々な言われようだなあ……」
「だってそうじゃない? 真っ暗の中で、何をするっていうのよ」

 アストはそう言うと、腕を組みながら私を見つめた。アストのオレンジ色の瞳が、たき火と相まって煌めいて見えたから、私はちょっとドキッとしてしまった。

「夜って言われると、大体そう言われちゃうんだよな」
「だって、そうじゃない」
「クレアはさ、物事の表面しか見ない奴のこと、どう思う?」
「何よ突然。私がそうだって言いたいの?」

 私はあからさまに不機嫌になってみせた。それが幼く我儘であるかのようで、すぐに恥ずかしくなった。年の割に、アストは大人びて見える。

「うーん。勿体ないなと思ってさ。クレアはいい奴だから」
「どうせ、私は物事の表面しか見ないわよ」

 失礼しちゃう。何なのいきなり。アストは唸りながら、眼を上へ向けた。私も釣られて空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
 星々が煌めき、時折流れては消えていく。
 夜は真っ暗ではなく、星々の輝きの中にいた。

「うそ……。綺麗…………」
「夜じゃなきゃ、この星空は見れないぜ」
「気付かなかった。凄い、どうしてこんなに……」
「町の明かりが無いからさ。その分、こうやって綺麗に見えるんだ。俺は時々、森まで星空を見に来るんだ」

 星々の瞬き。それは生命の輝きのように美しい。私は初めて夜空を美しいと感じ、息を飲んだ。満天の星空に、私は眼を奪われてしまった。しばらくの間、静かに星空を眺めていたが、ふと思い立ってアストに声を掛けた。

「森まで来るのは、絵を描くために?」
「それもあるけれど、単純に星空が好きなんだ。冬は寒くて見られないだろう?」
「そうね。夜は放置魔法があるから、暖かいけれどね」

 放置魔法というのは、その名の通り、設置して放置しておける魔法のこと。寒い北方地域では冬の夜だけそのままでは凍結してしまうために、温かな魔法の膜が町に掛けられる。そのおかげで、洗濯物は夜の方が乾いてしまうため、この地域では夕方に洗濯をして、夜の間に乾かす習慣が出来てしまっている。

「あ」

 私はそこまで言って、ようやく気付いた。

「そっか。町からは、この星空は見えないんだったわね。とはいえ、わざわざ森まで気軽には来れないものね……」
「そういうこと。冬にここまで来ていたら、凍えてしまうからな」
「じゃあ、初夏から秋までしか見られないのね」
「秋も寒いから、夏の間だけだな。凄く綺麗だろう?」
「ええ、凄く綺麗だわ……」

 満天の星空。その輝きを見ていたら、私の悩みなどちっぽけなもののように思えてくる。まだお父様から正式に言われた訳でもなく、呼ばれただけだった。ちゃんと話も聞かずに家を出て、こんなところまで来てしまった。アストは、そんな私を嗤うだろうか。

 アストは、正直だ。だから、笑ってしまうかもしれない。それでも、聞いて欲しいと思ってしまったの。

「ねえ、アスト」
「うん?」
「町のはずれにある、一番大きな屋敷があるでしょう」
「ああ、シルフィード家か」

 知らなければ良かったのに、と思った私は星空を眺めながら、少しずつ話していった。

「そこに御令嬢がいてね、結婚させられそうになっているの」
「へえ。年ごろなら、仕方ないんじゃないか」
「まだ18歳よ」
「俺と同じ歳か……。ちょっと早い、か?」

 星の一つが煌めき、流れていく。私は眼を閉じて、その星に願いを込めた。眼を開けるころには、その星はもう消えてなくなっていた。

「相手は45歳のおじさんなのよ」
「それはまた……。災難だな」
「一度会っただけで見初められて、しつこく手紙をもらっていたの」
「それはまた……。ちゃんと断らなかったのか?」
「断ってたに決まってるでしょう? あんなおじさんと、誰が結婚するものですか。でも、相手は伯爵なのよ」

 私の言葉に、アストが声を重ねてくる。

「そのおじさん。どんな奴なんだ? 嫌味な奴なのか?」
「どんなって……。18歳の娘に求婚するような人よ? 厭らしい人に決まってるわ」

 アストからの返答が帰らず、クレアは見上げていた視線をアストへ向けた。アストはたき火に木の枝をくべながら、黙って聞いていた。

「何よ、何とか言ってよ」
「いや。クレアは何でもすぐ決めつけてしまうんだなと思って」
「どういうこと?」

 アストはぱちぱちと鳴るたき火をいじりながら、バツが悪そうな顔をしていた。決めつけるって何よ、失礼しちゃう。だってそうじゃない?

「何度も何度も、18歳にポエムを送ってくるような相手なのよ?」
「ポエムを律儀に書いて送るなんて、愛されてるってことじゃないか」
「はあ⁉」

 私は鳥肌を感じ、その場で立ち上がって見せた。それでもアストは私を見つめたまま、持っていた小枝をたき火にくべてしまった。

「俺が言いたいのは、相手の本質を見ずに決めつけだけで判断していいのかってことだよ」
「それは……」
「クレアはいい奴だから言うが、愛もない結婚が多いっていうのが貴族様だろ? 相手はクレアを愛してるんだから、結婚の申し入れだってしたんだろ。クレアはそいつを良く知らないで色々言うが、実はいい奴かもしれないだろ」

 愛している、その言葉に私はドキリとしてしまった。私に言われた訳でもないのに。

「…………でも……」
「俺はクレアが伯爵に恋愛感情持つまで、結婚を待ってもらうくらいは出来ると思うんだ。そこまで愛してくれている伯爵が、愛されてないまま結婚なんてしないんじゃないか?」

 私は言い返せなくなった。アストの言う通りだったのだから。私は確かに年齢で相手を決めつけてしまっていた。相手を知ろうともしていなかった。ただの45歳のおじさんではない。相手はいい大人なのだ。それが、愛を乞う手紙を律儀に送ってきていたということは、私を愛しているからに他ならない。それでも、やっぱり受け入れられないものがある。
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