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第10環「白銀の懐中時計」
⑩-1 夢を腕に抱き、涙を流す①
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フェルド共和国はかつて花が咲き乱れ、緑豊かな国であり、ルゼリアという大国の属国であった。光の柱の影響からか、その美しい緑は若干失われていたが、最近になって草花たちは元の咲き乱れた姿へ戻ろうとしている。自然とは、力強い生命の息吹だ。
大巫女になったばかりの少女、ティトーは男として育てられていた。まだ7歳という幼い少女にとって、大巫女という職業や立場よりも、肉親である兄との距離を気にしていた。
西方に行けば、セシュール国がある。今の王はラダ族族長のルクヴァであり、ティトーにとっては父親だ。その父親との再会が間延びする事態に発展していたことは、少女にとって喜ばしいことではなかった。
それどころか、出立した国、大国ルゼリアへの召還命令に近いものが、王命により発令されていた。
「じゃあ、僕はルゼリア王国に行かなくちゃいけないんですか?」
寂しそうに呟いた少女は、ベッドから体を起こすと銀の懐中時計を片手に、そして片手に兄であるレオポルトの手を握った。その体制のままでマリア、そして聖女アレクサンドラことサーシャの話を聞いていた。
「まだティトー様は眠ったまま、目覚めていないことになっています。今日一日くらいはゆっくり考える時間が取れますわ。アドニス司教もそのつもりであると思いますの」
「そうよ。そもそも、セシュール国へ行ってから、ルゼリア国に行ってもでもいいのよ。ティトーが決めていいの」
「お兄ちゃんとアルは、セシュール国に帰るの?」
二人の顔を交互に見つめながら、不安そうに尋ねるティトーに、兄レオポルトは優しく答えた。
「帰らなくてはいけないが、ティトーがいる間は帰らない。だから、ゆっくり考えても構わない」
「アルは? 新聞、僕はまだ読んでいないけど。お兄ちゃんから聞いたよ」
ティトーの言う新聞とは、セシュール現国王になっているラダ族族長ルクヴァに、タウ族族長や他の族長が連名で出した『アルブレヒト王子の身柄について』だ。新聞を読む限りでは、もはやアルブレヒトは死刑囚ではない。それだけではなく、亡国となったアンセム国や領地の問題を主張する事も出来るだろう。王子であるという肩書すら、復活するかもしれないのだ。
「俺は戦後、一度も祖国に足を踏み入れてはいない。祖国に歓迎されているとは思えないからな」
アルブレヒトの身分は亡国であるアンセム国の王族だ。その地位を保護すべきであるのであれば、セシュールへ一刻も早く帰国すべきであろう。その重要性には、幼いティトーでも理解できた。
「どうしてどう思うの?」
ティトーはその純粋な眼差しでアルブレヒトを見つめると、祈るように尋ねた。アルブレヒトは俯くと同時に、視線を避けるように体勢を変えた。
「アルは、アンセム国に帰りたくないの?」
だからこそ、その質問を投げかけられた際に目線が泳いだのを、少女に知られずに済んだのだ。それでも、少女はそんなアルブレヒトの反応に気付いていた。
「……落城した城を、見たくないんだ」
その言葉で、レオポルトの表情が陰りを見せる。何もわからないティトーは悲しそうな視線を二人へ向けるしか出来なかった。
たった7歳。7歳という少女に、戦争の悲惨さを語ることが出来ないのだ。そんな中、マリアが重い口を開いた。
「ねえティトー。戦争で何があったのか。正しく知らないで、それを聞くのは惨い事だわ」
「おい、マリア……」
だからこそレオポルトの呼びかけにも、マリアは頑として譲ろうとはしなかった。
「レオ、あなたは知ってるでしょう。何があったのか」
レオポルトも視線を外してしまった。それどころか、ティトーと繋いでいた手を緩めてしまったのだ。ティトーはレオポルトを見つめたが、すぐにマリアを、そしてアルブレヒトを見つめた。
「……違うもん。知ってる知らないじゃないもん。アルは故郷の様子を知るのも、いやなの?」
「それは……」
「僕は、お父さんの国を見るのが好き。王様じゃなくなっても、好きだよ。でもね、フェルド共和国も好きだよ」
「ティトー……」
「……戦時中、城から身を投げて、母親が死んだ」
鉛と鉛が衝突したような、鈍い音がした。
それが心音の音なのか、衝撃だったのか、ティトーにはわからない。ティトーは絶句したまま、アルブレヒトをベッドから見上げた。アルブレヒトは俯きながら、視線を外したままで吐き捨てるように、喉から声を振り絞るかのようだ。わかりやすい程、苦痛を表情に表している。
「…………」
「その後で、父親がフェルド平原で命を絶ったと聞いた」
マリアがアルブレヒトの背中を摩るが、アルブレヒトはそれを手でもって止めさせた。視線の重なった二人だが、アルブレヒトから視線は外されていく。
「アル……」
「大丈夫だ。それに、ティトーは知らないだけだったんだ。そうだろ」
「ごめんなさい……」
「明るい話題じゃないからな。今まで黙っていた俺も悪い。レオも、いつまでも自分を責めないでくれ。俺だって辛いんだぞ」
苦笑いを浮かべて誤魔化すアルブレヒトに、一行は寂しく感じるとともに、戦争の悲惨さを噛みしめてしまう。それは幼いティトーにとっても同じ事だった。
「レオお兄ちゃん、マリアお姉ちゃん、それからサーシャお姉ちゃん」
ティトーは一人ずつ目線を合わせながらその名を呼ぶと、頭を深々と下げた。丁寧なお辞儀をした後に、ティトーは向き直ってそう発言した。
「ちょっと、アルブレヒトさんと二人にしてもらっていいですか」
「どうしたんだ、ティトー」
それでもティトーは首を横に振るとアルブレヒトを真っ直ぐ見据え、その曇りのない瞳を煌めかせていた。
「アルブレヒトさんと、お話したいことがあるの」
大巫女になったばかりの少女、ティトーは男として育てられていた。まだ7歳という幼い少女にとって、大巫女という職業や立場よりも、肉親である兄との距離を気にしていた。
西方に行けば、セシュール国がある。今の王はラダ族族長のルクヴァであり、ティトーにとっては父親だ。その父親との再会が間延びする事態に発展していたことは、少女にとって喜ばしいことではなかった。
それどころか、出立した国、大国ルゼリアへの召還命令に近いものが、王命により発令されていた。
「じゃあ、僕はルゼリア王国に行かなくちゃいけないんですか?」
寂しそうに呟いた少女は、ベッドから体を起こすと銀の懐中時計を片手に、そして片手に兄であるレオポルトの手を握った。その体制のままでマリア、そして聖女アレクサンドラことサーシャの話を聞いていた。
「まだティトー様は眠ったまま、目覚めていないことになっています。今日一日くらいはゆっくり考える時間が取れますわ。アドニス司教もそのつもりであると思いますの」
「そうよ。そもそも、セシュール国へ行ってから、ルゼリア国に行ってもでもいいのよ。ティトーが決めていいの」
「お兄ちゃんとアルは、セシュール国に帰るの?」
二人の顔を交互に見つめながら、不安そうに尋ねるティトーに、兄レオポルトは優しく答えた。
「帰らなくてはいけないが、ティトーがいる間は帰らない。だから、ゆっくり考えても構わない」
「アルは? 新聞、僕はまだ読んでいないけど。お兄ちゃんから聞いたよ」
ティトーの言う新聞とは、セシュール現国王になっているラダ族族長ルクヴァに、タウ族族長や他の族長が連名で出した『アルブレヒト王子の身柄について』だ。新聞を読む限りでは、もはやアルブレヒトは死刑囚ではない。それだけではなく、亡国となったアンセム国や領地の問題を主張する事も出来るだろう。王子であるという肩書すら、復活するかもしれないのだ。
「俺は戦後、一度も祖国に足を踏み入れてはいない。祖国に歓迎されているとは思えないからな」
アルブレヒトの身分は亡国であるアンセム国の王族だ。その地位を保護すべきであるのであれば、セシュールへ一刻も早く帰国すべきであろう。その重要性には、幼いティトーでも理解できた。
「どうしてどう思うの?」
ティトーはその純粋な眼差しでアルブレヒトを見つめると、祈るように尋ねた。アルブレヒトは俯くと同時に、視線を避けるように体勢を変えた。
「アルは、アンセム国に帰りたくないの?」
だからこそ、その質問を投げかけられた際に目線が泳いだのを、少女に知られずに済んだのだ。それでも、少女はそんなアルブレヒトの反応に気付いていた。
「……落城した城を、見たくないんだ」
その言葉で、レオポルトの表情が陰りを見せる。何もわからないティトーは悲しそうな視線を二人へ向けるしか出来なかった。
たった7歳。7歳という少女に、戦争の悲惨さを語ることが出来ないのだ。そんな中、マリアが重い口を開いた。
「ねえティトー。戦争で何があったのか。正しく知らないで、それを聞くのは惨い事だわ」
「おい、マリア……」
だからこそレオポルトの呼びかけにも、マリアは頑として譲ろうとはしなかった。
「レオ、あなたは知ってるでしょう。何があったのか」
レオポルトも視線を外してしまった。それどころか、ティトーと繋いでいた手を緩めてしまったのだ。ティトーはレオポルトを見つめたが、すぐにマリアを、そしてアルブレヒトを見つめた。
「……違うもん。知ってる知らないじゃないもん。アルは故郷の様子を知るのも、いやなの?」
「それは……」
「僕は、お父さんの国を見るのが好き。王様じゃなくなっても、好きだよ。でもね、フェルド共和国も好きだよ」
「ティトー……」
「……戦時中、城から身を投げて、母親が死んだ」
鉛と鉛が衝突したような、鈍い音がした。
それが心音の音なのか、衝撃だったのか、ティトーにはわからない。ティトーは絶句したまま、アルブレヒトをベッドから見上げた。アルブレヒトは俯きながら、視線を外したままで吐き捨てるように、喉から声を振り絞るかのようだ。わかりやすい程、苦痛を表情に表している。
「…………」
「その後で、父親がフェルド平原で命を絶ったと聞いた」
マリアがアルブレヒトの背中を摩るが、アルブレヒトはそれを手でもって止めさせた。視線の重なった二人だが、アルブレヒトから視線は外されていく。
「アル……」
「大丈夫だ。それに、ティトーは知らないだけだったんだ。そうだろ」
「ごめんなさい……」
「明るい話題じゃないからな。今まで黙っていた俺も悪い。レオも、いつまでも自分を責めないでくれ。俺だって辛いんだぞ」
苦笑いを浮かべて誤魔化すアルブレヒトに、一行は寂しく感じるとともに、戦争の悲惨さを噛みしめてしまう。それは幼いティトーにとっても同じ事だった。
「レオお兄ちゃん、マリアお姉ちゃん、それからサーシャお姉ちゃん」
ティトーは一人ずつ目線を合わせながらその名を呼ぶと、頭を深々と下げた。丁寧なお辞儀をした後に、ティトーは向き直ってそう発言した。
「ちょっと、アルブレヒトさんと二人にしてもらっていいですか」
「どうしたんだ、ティトー」
それでもティトーは首を横に振るとアルブレヒトを真っ直ぐ見据え、その曇りのない瞳を煌めかせていた。
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