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第一環「春虹の便り」
①-8 風の知らせ④
しおりを挟む「外が暗いの、これは一雨来るわよ。早めに夕食の食材を仕入れてきたいのだけど、戸締はお願いできる?」
気付けば外は薄暗く、雲も空を覆いつくそうとしている。外では生ぬるい風が吹いているだろう。女将はグリットにウインクした。グリットは席を立ち、制止した。カップから手を雑に離したため、中身が少しこぼれた。
「待ってくれ。女将は様子見に行くっていうんだろ、必要ない、やめてくれ」
「でも、もしそうなら詳しい話を聞く必要があるじゃない」
「いや、グリット、俺たちだってそう思いたいんだ。それでも、万が一があるだろ。お前に何かあれば……」
グリットは窓の向こうを見つめた。先ほどより風が出てきているようで、カウンター席から見える窓には、民家に干されたシーツを慌ててしまいこんでいる女たちが見て取れる。
「もし、そうだとしたのなら」
グリットは一瞬の間を置いた。自身には必要な間だった。窓の外を遠目で見つめたが、無意識であった。
「すぐに反応して声をかけるのは、きっと俺だ。俺しかいない。将軍はそれをわかって送り出した」
グリットはカップとり、残っていたココアを飲み干した。上手く混ざっていなかった砂糖が、底でじゃりじゃりしている。非常に甘みを感じ、自然に口元が緩んだ。
「腐っても将軍と親父さんは親友同士なんだろ」
グリットは親父さんの事も、信頼しているのだ。
「そりゃあな。さすがに俺も二人の仲を裂くなど、到底無理だと知っているさ」
「どうやって連絡を取ったのかは知らないが、俺が親父さんと連絡を取ったのは最近だ。親父さんだって、まさか俺から連絡が来るとは思ってなかっただろ」
「お前、連絡を取っていたのか!」
「さすがに驚いていたさ。だからこそ、先に親友の将軍に連絡を取った可能性はある。将軍は理由があって隠していた子供に、銀時計を渡して俺を探し出すように送り出した。俺が接触すれば、当然お兄様にも伝わる。俺がお兄様と一緒に居ることを、あの二人は疑わなかったってわけだ」
グリットは外を眺めた。風は先ほどより一層強くなってはいるが、恐らく風は何かを知らせたいのだ。
それが何故なのか。知る者は、物理法則だけであろう。
過去における選択と、封じたはずの後悔の念が押し寄せてくる。それでも、今は古き友からの知らせであると、信じてみるべきだと、本能で感じることにしたのだ。
「まあさすがに、弟が居たっていうのは信じられないから、どうしてそういうことにしようとしたのか、まったくわからん」
「いや、弟って、お前そいつが誰なのかは」
「適当に弟って、そういえって言われているんだろ。それに5,6歳なら、大戦前に生まれている。もしそうであるなら、どうやって隠し通せた? 俺も、あいつの親父さんも知らないはずだ、そんな素振はなかった。どうせ他人の空似だ」
「お前……」
大旦那の言葉には、僅かながらの願いが込められている。グリットがその話を信じようとする気がないのは、女将も分かっている。例えそうだとしても、二人は願わずにはいられない。グリットにも、それはよくわかっている。
グリットは無言で席を立ち、扉の鍵を開けて出ていった。女将はカップ見ると一瞬顔を曇らせたが、いつも通りカップを洗った。混ぜるの忘れてたわ、と呟きつつ。
大旦那は扉に鍵をかけると、一服するためいつも通り厨房の裏へ出た。雨粒が見えたとき、大旦那は思い出して、一言呟いた。
「あ、たまごないんだった」
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