【完結】暁の荒野

Lesewolf

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第10輪「白銀の涙を取り零ス」

⑩-12 くまのぬいぐるみ②

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 アルベルトはそのまま腰に回していた腕を背中まで上げると、ぐっとティニアを引き寄せる。ティニアは狼狽えて目を閉じ俯くが、そのままあごに軽く手を当て、上を向かせた。

 ティニアは唇を震わせながら、その一言をなんとか紡ぎだす。

「やめて」

 ティニアは震えは唇だけではなく、全身に行き渡る。アルベルトは力を緩めることなく、その力で抱き留める。

「嫌なら振りほどけばいい」

 そうだ、嫌なら振りほどけばいい。彼女ならそれが出来るであろう。我儘な下心は、アルベルトの全てを支配する。

「やだ。どうしてこんなことするの、やめて」
「どうして? じゃあお前は何で、いつまでそうやって…………、いつまで、とぼけているつもりなんだ」

 ティニアの体が強張り、力が入る。その力を強引に抑えながら、アルベルトはその唇をみつめる。
 唇に自身を近づけ、そして――――。

「嫌! 離して」


 唇から発せられた言葉。明確な拒絶。そして触れる手に、頬から滴る雫が指へ触れ、男は正気に戻った。

「ッ…………」

 慌てて拘束を解くと、ティニアは床へ崩れ落ちた。

 沈黙が、部屋を支配してしまう。
 アルベルトは先ほどの自問自答を思い出す。眠れていないせいで、冷静な判断が出来ず、思うが儘に行動してしまっている。

「わるい……。俺、そんなつもりじゃ」
「………………」


 ティニアは今の状況に気付いていないわけではないだろう。とぼけている様子もなく、項垂れている。
 自身の好意に気付かず、本当に何もわかっていなかったのかと、アルベルトの心は大きな焦燥感に包まれていく。


 彼女を手に入れたい。
 ずっと、永遠に傍に置いておきたい。

 その為なら、何だって出来るのだと。恐ろしい気持ちが芽生える。


 もう好意を、気持ちを隠せるわけがない。
 アルベルトに隠している気はなかったが、肝心のティニアへは何も伝わっていなければ意味はない。
 伝わるわけがない、彼女は他の者より長い時を生き、そしてその感覚は常人を超えているのだ。

 彼女は、レンは人ではない。
 精霊のような存在とは、どういった存在であろうか。
 

 想い人。
 そして、大切に持ち続ける、銀の懐中時計。

 その言葉が、物が、想いが。アルベルトを焦らせ、縛り付ける。

 そもそも、告白もまだである。はっきりしていないのは、自身も同じであるというのに。
 告白による影響を恐れているのだ。


 ――――拒絶、そして変わる関係を恐れている。

 それでも、目の前の女性と手に入れたいと、愛を乞うのだ。


 ◇◇◇

「ティニア様、パジャマってこれでいいですか?」

 ふいに少女の声が部屋へ響き、扉が開けられる。放心状態だったティニアは、涙を流したままフリージアを見上げた。
 フリージアは少し大きめのブラウスを羽織っているが、それは可愛らしいネグリジェにも見える。


「あ…………」
 
 フリージアは口元に手を当てると、座り込んだまま涙を流すティニアへ駆け寄った。

「ど、どうしたの。ティニア様! 泣いて……」
「ごめん、なんでもないの。うん、パジャマはそれでいいけれど、ボタンが一つずつ、ずれているね」

 ティニアは袖で涙を拭うと男を振り切ってフリージアのボタンを留めようと屈んだ。しかしティニアの手は、小刻みに震えており、ボタンを閉めることが出来ない。

「あれ、どうしたんだろう。ごめん、自分でボタン、しめてもらえる?」
「う。うん……」

 慌ててボタンを留める少女を見つめ、ティニアは手をついてなんとか立ち上がると、少女へ向かって声をかけた。


「今日は二人で寝よう。このお兄ちゃんは、ちょっと、疲れているから」
「あ、はい……」

 ボタンを留め終えたフリージアは、足早に部屋を後にするティニアを見送った。そのまま振り返ってアルベルトへ向き合うと、少女はその愛らしい声で語りかける。

「おにいちゃんも、大丈夫?」
「あ、ああ……。わるい、変なところ、見せちまって」
「ううん。二人は恋人なんだから、喧嘩もするよね。でも、ティニア様は悲しくて泣いてたわけじゃないと思う。口元に力が入ってて、何かに堪えてたみたいだった」
「…………」


 恋人ではない。それは明確だ。アルベルトは告白すらしていない。冗談交じりに彼女を誘うだけで、本気で関係をはっきりさせようとして来なかったのだ。
 少女は冷静にティニアを分析していた。その事に違和感を感じつつも、アルベルトにそれを指摘する余裕などない。

「あの、おにいちゃん」
「アルベルト。アルでもいい。どうした?」
「じゃあ、アル様?」
「いや、それはちょっと」

 様付け。
 その言葉で頭によぎったのは、ティニアが可笑しくなった時の呼び名、“アルブレヒト様” であり、そして。熊公、ブランデンブルク初代辺境伯だ。

 想い人も、ブランデンブルク初代辺境伯も亡くなっている。彼らに自分が勝つことなど出来るだろうか。

「あの、アルおにいちゃん。あのね……」
「なんだ?」
「ティニア様の部屋の、くまのぬいぐるみ、知ってる? あの子ね、名前があったの」
「うん? ああ、あれか」

 アルベルトはティニアの部屋をのぞいた時の、彼女らしからぬ可愛らしい、くまのぬいぐるみを思い出す。黒と白のチェックのマントを羽織る。そう、あれが熊だ。


「あの子の名前、アルっていうんだって。お兄ちゃんの事?」
「いや、俺じゃない。ティニアには、俺じゃない想い人がいるんだ」

 すぐに否定できてしまう。それは、心をえぐるかのように。それは想い人か、それとも熊公アルブレヒトか。

「ねえ、アルおにいちゃん」
「どうしたんだ。フリージア。怖がらせたか?」
「ううん。あのね。なんとなくだけど」

 フリージアはその煌めく青い瞳でアルベルトを見上げると、視線が重なった。フリージアは人の眼を見て会話を好むようであり、目線が合うまでにその話をしようとはしなかった。

「ティニア様は、アルおにいちゃんのこと好きだと思う」
「……それはないさ」
「でも……」
「ほら、いいから今日は休んでな。ティニアが待ってるから」
「応援してる。あたしね、二人の事応援してるから」

 フリージアは手を振ると部屋を後にした。フリージアの去った後の部屋で、アルベルトは乾いた笑いを浮かべる。

「はは。応援されたか」

 その呟きは虚しくも闇へと消えゆく。

「俺は、こんな事をしたかったんじゃない」

 一人自問自答し、心の中で何度も問いかけたのだった。部屋の静寂は男の心へ深く沈み込み、答えの見つからないといを泥沼へと引きずり込む。
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