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第三輪「とある、一つの約束と」
③-5 小景異情「その一」③-43-1
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「うーん。早く起きれた。朝食くらい作りますかあ……」
住み慣れた部屋をいつものようにパジャマで出ようとドアノブに手を掛け、立ち止まった。
「待って。あいつがいるんじゃない」
もう一度自分の服装を確かめると、パジャマとして使っている着古したパーカーなのだ。これでは恥ずかしい。
「でもこんなに朝早く起きてるわけ……」
マリアはソーッとドアノブを回し、扉を開けた。幸い電気はついておらず、薄暗い。と、ここで違和感に気付いたのだ。テーブルの上の書置きと、その下に置かれた本を見つけたのだ。家具はそのままであり、アルベルトの泊った部屋は、布団だけが綺麗に畳まれていた。
「ベッドなのに綺麗にするのね……」
書置きには、「物音が響くので家具を元に戻さずに出立した」、「夕飯のお礼と共に、家具を戻すために午後に家を訪ねる」、「外出していて不在であれば、改めて訪ねる」、それから感謝の言葉が並んでいた。時間は書かれていない。
「律儀ね……」
本はヘッセのものであり、恐らく渡しそびれた3冊目の本であろう。庭仕事の本のようであるが、紛れもなくヘルマン・ヘッセ著だ。
今日は土曜日だが、花露店のメアリーが診察日とのことで、珍しくマリアは休みではある。が、ティニアには当然孤児院があるのだ。
「うーん。多分、会えるならティニアがいる方がいいよね」
ティニアの部屋から物音は聞こえない。珍しく寝坊しているようだった。昨晩、彼女は早く休んだ筈である。マリアはティニアの部屋に近づくが、何の音も無い。不審に思い、マリアはティニアの部屋の扉を軽くノックしたが、応答は無い。
「…………ティニア、起きてる? 大丈夫? 開けるよ?」
マリアが部屋のドアノブに手を掛けた時、玄関の扉が開き、マリアの髪をいたずらにさらった。そこにはティニアが居り、特にコートも羽織らずに居たのだ。服装は、昨晩とは違い、ワンピースを着ている。
「ティニア! もう起きてたの?」
「おはよ~。うん、起きてたよ。夜明けくらいに物音もしてたし。丁度あの人が帰宅したところだったみたいだね~」
「そうなんだ。じゃあ、見送りをしたわけでもないのね」
「うん? ああ、帰ったのは二時間くらい前かな」
ティニアはマリアが片手に持ったままのメモを見つめると、特に感情を出すわけでも無く、あっさりとしていた。今になっての普段と変わらない姿に、マリアは違和感を覚えた。
「ねえ、ティニア」
「なに?」
「本当にあいつのこと、何も思ってないの?」
珍しく驚いた表情を浮かべると、ティニアはマリアを見つめた。質問に驚いたというより、何故マリアが理解していないのかという表情だ。
「ボクがあいつに気があるのか、ないのかってこと?」
「うん」
ティニアはとぼけるように、お道化るように首を傾げた。やはり、いつもの彼女ではない。
「あるように見えた?」
「うーん……」
ティニアの表情は元から曖昧だった。それは本心を隠した上で、全く関係のない表情を作るからだ。逆に分かりやすい表情を浮かべるとき、それは実に作為的だ。
最初は全く気付かなかったが、彼女の傍に居ればおのずと理解していく。彼女が何かを隠す時、それは行われるのだ。そんな彼女が今、余りにも不自然なほど、ひどく分かりやすい表情を浮かべている。
ずっと何かの違和感はあったのだ。
それは、ティニアが怯えたように泣いていた光景だった。アルベルトを前にしたティニアに、その時の様子は見て取れなかった。忘れていたわけでもない。
アルベルトは素直に出来ないが、ティニアは違ったのだ。本人の前では素直だが、本人さえいなければ素直ではないのだ。誤魔化すように、取り繕っているようにも見える。
ティニアは黙り込んだマリアを見つめると、閃いたかのように上へ目線を送った。
「マリアから見たら、あの人はイケメンなの?」
「…………え?」
「え? 違った?」
それが意外だったかのようでいる。当然だが、それは違う。マリアにとっては、全く以てそれはあり得なかった、予期していなかった発言であった。
「どう見ても、アルベルトの前では普通じゃなかった。ううん、素直だったのに」
「ええ。そう、なのかなあ」
最近になって、マリアはティニアをよく見るようにしていた。今まで距離を取っていたにしろ、その違いはきっとミュラー夫妻やアドニス神父ならすぐに気付くはずだ。ティニア自身はそれが分かっていないかのようだ。故意に好意を隠してはいるものの、その好意に気付いていないようである。
彼女は会話だけのために立ち止まり、向かい合って会話をしている。いつも何かをしながら会話をする彼女が、会話のためだけにマリアに向き合っているのは最近になってからだ。
「あの人は冗談を言っていて、ボクに気があるように言ってるだけだよ」
当たり前のように話している。そこに寂しさも、未練もないかのようだ。偽りの仮面を外すことにしたのか、それとも。素直なティニアは愛らしく、可愛らしくも感じるのだ。やはり、義理の姉とは違う。似ているだけで、全く違う二人だ。レイスなら完璧を目指し、ミスはしない。
「そんなのわからないでしょ」
マリアも、そんなティニアに向き合い直し、目線を合わせる。身長差はほとんど無く、自然と目線が合わさる。
「ううん、あれは冗談だよ」
「どうして、断言してしまうの。私には分からないけど。あと私は特にイケメンだとも思ってないわ。整ってはいると思う。じゃなくて、そういう気は無かったの。1ミリもないからね。でも、アルベルトは冗談なんて言ってないと思う。私に対して言う軽口の方が、よっぽど冗談じゃない。アルベルトの想いを、なんでそんなに、こうもあっさりと断言してしまうの」
「うーーん」
ティニアは考え込んでいるが、恐らく彼女は、どう説明すればマリアが理解できるのかを思案している。言いくるめようなど、ティニアらしくない。
ある程度を受け止め別口から、相手へ考えを改めさせる。それでも無理なら、それ以上は踏み込まずに宥める方向へ持って行く。そういう人だったはずだ。マリアはまだティニアをよく理解できて居らず、誤解しているのかという寂しさを抱えた。
ふと、マリアは目の前の女性の右手に、光るものを目にした。ティニアがその手を握り締め、光が反射したのだ。
住み慣れた部屋をいつものようにパジャマで出ようとドアノブに手を掛け、立ち止まった。
「待って。あいつがいるんじゃない」
もう一度自分の服装を確かめると、パジャマとして使っている着古したパーカーなのだ。これでは恥ずかしい。
「でもこんなに朝早く起きてるわけ……」
マリアはソーッとドアノブを回し、扉を開けた。幸い電気はついておらず、薄暗い。と、ここで違和感に気付いたのだ。テーブルの上の書置きと、その下に置かれた本を見つけたのだ。家具はそのままであり、アルベルトの泊った部屋は、布団だけが綺麗に畳まれていた。
「ベッドなのに綺麗にするのね……」
書置きには、「物音が響くので家具を元に戻さずに出立した」、「夕飯のお礼と共に、家具を戻すために午後に家を訪ねる」、「外出していて不在であれば、改めて訪ねる」、それから感謝の言葉が並んでいた。時間は書かれていない。
「律儀ね……」
本はヘッセのものであり、恐らく渡しそびれた3冊目の本であろう。庭仕事の本のようであるが、紛れもなくヘルマン・ヘッセ著だ。
今日は土曜日だが、花露店のメアリーが診察日とのことで、珍しくマリアは休みではある。が、ティニアには当然孤児院があるのだ。
「うーん。多分、会えるならティニアがいる方がいいよね」
ティニアの部屋から物音は聞こえない。珍しく寝坊しているようだった。昨晩、彼女は早く休んだ筈である。マリアはティニアの部屋に近づくが、何の音も無い。不審に思い、マリアはティニアの部屋の扉を軽くノックしたが、応答は無い。
「…………ティニア、起きてる? 大丈夫? 開けるよ?」
マリアが部屋のドアノブに手を掛けた時、玄関の扉が開き、マリアの髪をいたずらにさらった。そこにはティニアが居り、特にコートも羽織らずに居たのだ。服装は、昨晩とは違い、ワンピースを着ている。
「ティニア! もう起きてたの?」
「おはよ~。うん、起きてたよ。夜明けくらいに物音もしてたし。丁度あの人が帰宅したところだったみたいだね~」
「そうなんだ。じゃあ、見送りをしたわけでもないのね」
「うん? ああ、帰ったのは二時間くらい前かな」
ティニアはマリアが片手に持ったままのメモを見つめると、特に感情を出すわけでも無く、あっさりとしていた。今になっての普段と変わらない姿に、マリアは違和感を覚えた。
「ねえ、ティニア」
「なに?」
「本当にあいつのこと、何も思ってないの?」
珍しく驚いた表情を浮かべると、ティニアはマリアを見つめた。質問に驚いたというより、何故マリアが理解していないのかという表情だ。
「ボクがあいつに気があるのか、ないのかってこと?」
「うん」
ティニアはとぼけるように、お道化るように首を傾げた。やはり、いつもの彼女ではない。
「あるように見えた?」
「うーん……」
ティニアの表情は元から曖昧だった。それは本心を隠した上で、全く関係のない表情を作るからだ。逆に分かりやすい表情を浮かべるとき、それは実に作為的だ。
最初は全く気付かなかったが、彼女の傍に居ればおのずと理解していく。彼女が何かを隠す時、それは行われるのだ。そんな彼女が今、余りにも不自然なほど、ひどく分かりやすい表情を浮かべている。
ずっと何かの違和感はあったのだ。
それは、ティニアが怯えたように泣いていた光景だった。アルベルトを前にしたティニアに、その時の様子は見て取れなかった。忘れていたわけでもない。
アルベルトは素直に出来ないが、ティニアは違ったのだ。本人の前では素直だが、本人さえいなければ素直ではないのだ。誤魔化すように、取り繕っているようにも見える。
ティニアは黙り込んだマリアを見つめると、閃いたかのように上へ目線を送った。
「マリアから見たら、あの人はイケメンなの?」
「…………え?」
「え? 違った?」
それが意外だったかのようでいる。当然だが、それは違う。マリアにとっては、全く以てそれはあり得なかった、予期していなかった発言であった。
「どう見ても、アルベルトの前では普通じゃなかった。ううん、素直だったのに」
「ええ。そう、なのかなあ」
最近になって、マリアはティニアをよく見るようにしていた。今まで距離を取っていたにしろ、その違いはきっとミュラー夫妻やアドニス神父ならすぐに気付くはずだ。ティニア自身はそれが分かっていないかのようだ。故意に好意を隠してはいるものの、その好意に気付いていないようである。
彼女は会話だけのために立ち止まり、向かい合って会話をしている。いつも何かをしながら会話をする彼女が、会話のためだけにマリアに向き合っているのは最近になってからだ。
「あの人は冗談を言っていて、ボクに気があるように言ってるだけだよ」
当たり前のように話している。そこに寂しさも、未練もないかのようだ。偽りの仮面を外すことにしたのか、それとも。素直なティニアは愛らしく、可愛らしくも感じるのだ。やはり、義理の姉とは違う。似ているだけで、全く違う二人だ。レイスなら完璧を目指し、ミスはしない。
「そんなのわからないでしょ」
マリアも、そんなティニアに向き合い直し、目線を合わせる。身長差はほとんど無く、自然と目線が合わさる。
「ううん、あれは冗談だよ」
「どうして、断言してしまうの。私には分からないけど。あと私は特にイケメンだとも思ってないわ。整ってはいると思う。じゃなくて、そういう気は無かったの。1ミリもないからね。でも、アルベルトは冗談なんて言ってないと思う。私に対して言う軽口の方が、よっぽど冗談じゃない。アルベルトの想いを、なんでそんなに、こうもあっさりと断言してしまうの」
「うーーん」
ティニアは考え込んでいるが、恐らく彼女は、どう説明すればマリアが理解できるのかを思案している。言いくるめようなど、ティニアらしくない。
ある程度を受け止め別口から、相手へ考えを改めさせる。それでも無理なら、それ以上は踏み込まずに宥める方向へ持って行く。そういう人だったはずだ。マリアはまだティニアをよく理解できて居らず、誤解しているのかという寂しさを抱えた。
ふと、マリアは目の前の女性の右手に、光るものを目にした。ティニアがその手を握り締め、光が反射したのだ。
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