十年目の離婚

杉本凪咲

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 馬車の窓から街の景色が流れていた。
 その流れに誘われるように、俺は記憶の蓋を開けた。

 ……侯爵家の長男として生まれた俺は、何不自由のない生活をしていた。
 勉強も剣術も得意で、芸術にも熱心に取り組み、成果を出した。
 そんな俺が望めば、両親は何でも与えてくれた。

 子供ながらに、俺は勝ち組だと確信していた。
 友人も多く、毎日が楽しかった。
 両親もいつも笑っていて、あの時は全てが上手く回っていた。
 
 時が経ち、俺は十六歳になった。
 貴族学園に入学を果たした俺は、そこで運命の出会いを果たした。
 
 一目惚れだった。
 同じクラスの彼女は、凛とした雰囲気と屈託のない笑顔を持っていた。
 自然と周囲に人が集まっていて、まるで太陽のような存在だった。

 俺は彼女に近づき、親しくなった。
 そしてついに愛の告白をした。
 緊張で、心臓が破れてしまうんじゃないかと思った。
 
「私でよければ」

 彼女はぼそっと恥ずかしそうに言った。
 天にも昇る気持ちになった俺は、思わず彼女を抱きしめていた。

 こんなに幸せでいいのかと思うほどに、俺の人生は充実していた。
 特に彼女と過ごす日々は、かけがえのない宝物のように思えて、彼女と人生を添い遂げたいと思っていた。

 だが、学園の卒業間際、突然彼女は言った。

「ブッシュ様。私たち、別れましょう」

「……は?」

 世界がぐらついた。
 呼吸が荒くなり、今にも倒れそうだった。
 
「どうして? 何かあったのか?」

 声が震えている。
 彼女は俯いたまま、俺に言う。

「他に好きな人が出来ました。だからブッシュ様とはもう……」

「誰だそいつは……」

 胸がナイフで刺されたように痛んだ。
 その男がこの場にいたのなら、きっと殴り殺してしまうほどに怒りが湧いていた。
 彼女は怯えたような声で答える。

「へ、平民の男性です……わ、私の初恋の人なのです……」

 彼女は昔、泥棒に財布を盗まれた所をその男に助けられたという。
 それでその男のことが好きになり、今まで秘かに思い続けていたらしい。
 最近偶然に再開を果たし、既に男女の関係になっているみたいだった。
 
 説明を聞き終えた俺は、拳を握りしめた。

「ふざけるなよ……お、俺を……ずっと騙していたのか……」

 体の中で溶岩が煮えたぎっているようだった。
 果てしない怒りが湧いてきて、全身に広がっていく。
 
「申し訳ありません……しかし、彼は、私の初恋の人なのです……だからどうか……」

「ふざけるな!!!」

 気づいたら拳が出ていた。
 彼女は「きゃっ」と悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。
 恐る恐る顔を見ると、鼻から血が出ていた。

「ど、どうか……お許しを……」

 太陽のように輝いていた彼女は、もうここにはいない。
 世界のどこにもいない。

「許すわけがないだろう」

 もう何も分からなくなった。
 ただ、目の前の女を殴っていた。
 彼女は泣き叫び、懺悔を口にしたが、俺は手を止めなかった。

 やがて拳に痛みを感じた所で、俺は意識を取り戻した。
 彼女は死んだように床に倒れていた。
 顔は大きく腫れあがり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
 意識はあるみたいだが、立ち上がる元気はないみたいだった。

「もういい。勝手にしろ」

 俺は力なく呟いた。
 途端に足の力もぬけて、その場に崩れ落ちた。
 ただただ熱い涙が流れていた。
 

 ……俺は目を閉じると、記憶に蓋をした。
 時折思いだす最悪の記憶は、今でも俺を苦しめている。
 再び目を開けた時には馬車は停まっていた。
 目的地についたらしい。

 俺が馬車を降りると、メイドが立っていた。
 俺に向かって丁寧にお辞儀をした。

「マドレーヌはどこにいる?」

 ここは彼女の実家だった。
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