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 この世界は悲しみで溢れている。
 目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚を見て、私は率直にそう思いました。

「これが現実なのです。どうか受け入れてください」

 自分でもなんて冷たい言葉を放つのだろうと、断罪したい気持ちになりました。
 フィオナ様は叫び声をあげ、その場に崩れ落ちました。

 まだ学園に通う子供なのです。
 両親の死を知って、正気でいられるはずがありません。
 私だって、こんなに心が痛いのですから。

 使用人もメイドも、皆が泣いていました。
 執事である私も目頭が熱くなりました。
 しかし泣くわけにはいきません、年長者である私が、この家を引っ張っていかなくてはいけないのです。

 私は一人孤独に決意を固めました。
 しかし、それを嘲笑うかのように、旦那様の兄にあたるロード様が家にやってきました。

「ブラントンよ。当主は私が引き継ごう」

 ロード様は旦那様と違い、野心家でした。
 金と権力のためなら、手段を選ばないような方でした。
 だから私は彼が当主となることに断固反対をしました。

 しかしロード様は納得のいかない様子で叫びました。

「私にはこの家の当主となる権利があるはずだ! 執事であるお前に四の五の言われる筋合いはない!」

 すかさず、私も言い返します。

「あります! 私は弟様が子供の時からこの家に仕えてきました! 今のあなたにこの家を任せるつもりはありません!」
 
 ロード様は大きな舌打ちをするとその場を去っていきました。
 
 私は旦那様が残したこの家を守ろうと必死でした。
 しかしたかが執事である私に、何かを決める決定権はありません。
 それに加え、当主問題に付きっ切りで、肝心なことを失念しておりました。
 フィオナ様のことです。

 ロード様は強引に当主となると、即座にフィオナ様に縁談を持ってきました。
 相手は同じ伯爵家のエドガー様という男性。
 噂に聞く限りではあまり評判のよくない人でした。
 
 しかしロード様はそれを知っていて、わざと縁談を組んだようでした。
 評判の悪いエドガー様のお父様が金貨の詰まった袋を手に、我が家をこっそり訪れたのを目撃したからです。
 後程ロード様に問い詰めると、彼はあっさりと白状しました。

「彼は愚息の貰い手が出来たと喜んでいたぞ。私たちにも家を立て直す金がいる。これは仕方のないことなんだ」

 私は怒りに打ち震えましたが、何もできずに心を殺しました。

 それから長い時が経ち、エドガー様がフィオナ様に離婚を告げました。
 ロード様はそれに憤怒して、エドガー様の家に乗り込むと私に言い放ちました。
 離婚を取り止めさせて、エドガー様のお父様から毎月送られてくる持参金を守るのだと。
 もう我慢の限界でした。

「ロード様。お止めください」

 とても冷たい声でしたが、構わないと思いました。
 ロード様は廊下を歩く足を止め、私を振り返ります。

「今、なんと言った?」

「何度でも言います。お止めくださいと言ったのです。このまま二人には離婚をして頂きます。フィオナ様のためにも」

「おい。なにくだらないことを言っている?」

 ロード様は顔を真っ赤にして私に近づきました。 
 そしておもむろに私を殴ろうと、手を上げました。
 私は咄嗟にその手を抑え込み、ロード様のみぞおちに拳をめり込ませました。

「うっ……」

 ロード様がその場に跪きました。
 私は彼を鋭い視線で見下ろすと、言い放ちます。

「これ以上フィオナ様を苦しめることは私が許しません! たとえロード様が相手だとしても、この家は私が守ります!」

「くっ、くそ……執事風情が……」

 ロード様はそこまで言うと気絶してしまいました。
 私はふうっと息をはきました。
 途端に緊張の糸が切れて、何ともいえない達成感のようなものを覚えました。

 きっとこれから大変なことがたくさん起こるでしょう。
 人生とはそういうものなのですから。
 決意した時にこそ、試練がやってくるのです。

 フィオナ様の幸せを一心に願いますが、いつまで守れるでしょうか。
 いっそのこと、心優しい公爵家の男性とでも結婚してくだされば、ロード様以上の権力でこの家を守ってくれるというのに。
 
「少し、夢見がちですね」

 老い先短い人生に想いを馳せながら、私は苦笑しました。
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