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 父の書斎の扉をいちいちノックして入る許可を取るのは、私だけだろう。
 妹と母はノックをすることもなく入るから。
 
「お父様。話があります」

 私が言うと、扉の向こうから父の声が聞こえてくる。

「入れ」

 私は扉を開けると、失礼しますと言って書斎に足を踏み入れる。
 中には母と妹もいたが、二人に構うことなく、私は父に言う。

「お父様。私の婚約者が決まりました。ロロンに紹介して頂いた、隣国のライネルという方です」

「……はぁ?」

 父が意味不明と言いたげに顔を歪め、嬉々とした表情の妹クララが詰め寄ってきた。
 どこか影のある綺麗な瞳で私を見上げる。

「え? お姉ちゃん、婚約するのぉ? バートさんはもういいのぉ?」

 それはあなたが奪ったでしょ、とは返すことなく、私は頷く。

「ええ。私にピッタリな人が見つかったの」

「お姉ちゃんにピッタリな人? ふふっ、そんな人いるんだね。あっ! 分かった! そのライネルっていう人、きっと隣国の平民なんだね。だからお姉ちゃんでも婚約できたんだ!」

 妹の身勝手な憶測に、母も口を隠して笑う。

「そうねぇ……エレーナは変わった性格をしているから、平民の男性がピッタリよね。貴族の男性じゃとてもついていけないもの……面倒くさくて。暇な平民の男性なら安心ね」

 父も歯を見せて笑うと、私に言う。

「よかったなエレーナ。自分に合う婚約者が見つかって。まさに僥倖だ。今日はパーティーを開くか?」

 それが祝福の言葉ではないことは、私にも明白だった。
 ここにいる三人は、私に平民の婚約者が出来たことを酒の肴にするらしい。 
 しかし生憎ライネルは平民なんかじゃないけど。
 私は特に反発することもなく、淡々と父に問いかける。

「では、お父様。婚約は認めていただけるということでよろしいですね?」

 父が私に目を向けることもなく、ぶっきらぼうに答える。

「ああ、ああそれでいい……クララとバートの縁談も進んでおるし、お前は勝手にやってくれればいいよ」

「なるほど。了解しました」

 私は短く会話を終わらせると、書斎を後にする。
 しかしなぜかクララが一緒についてきて、私と共に書斎を出た。
 彼女は不気味な笑みと共に、私を見上げていた。

「クララ、何か用かしら?」

「うん、お姉ちゃんに一つだけ忠告」

 すると途端にクララの顔から笑みが消える。

「バートが私に奪われて悲しいのは分かるけど、平民の男性と婚約するなんて、マジでダサいよ。今すぐ婚約は取り止めた方がいいんじゃない?」

 いつもニコニコしている妹の、暗黒面を久しぶりに見た。 
 妹は両親のいない所で、時折こうした表情を私に見せることがあった。
 きっとこちらが彼女の本性なのだろう。

「……じゃあ、私からも一つだけ忠告しておこうかしら」

 しかし私はこんなことで乱されるほどの弱者ではない。
 眼力を強め、クララにぐいっと顔を近づける。

「せいぜいバートを大切にすることね。それがあなたが取れる最善の策よ」

 妹は眉間にしわをよせ、可愛いとは遠く離れた表情を作る。

「ふんっ……お姉ちゃんのそういう所が嫌いなんだよねぇ……そうやって全部分かってますみたいな態度が……本当にうざかったんだよね」

「あらそう。でも、私は真面目な人間には寛大よ。真面目な人間にはね」

 私はそう言うと、クララから顔を離す。
 そして彼女に背を向けると、歩き出した。
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