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冒険者令嬢はリリースを希望します

予定変更で前半は研究者の先生との語らいになりました

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 動きやすく汚れてもいい服装でと言われたのにシャルロさんたちによって体を磨かれました、アルセリアです。なぜ、胸元に香油までつけられたのかしら。いい匂いだけどいらないわよね!?
 そんなこんなもありつつ、お弁当も作り上げ、私は王城に来たわけなの。
 ただ、私は殿下に気にかけられているとはいえ、ただの貴族令嬢でしかない。そのため、殿下が住まれている離宮には踏み込むことができない。前回、陛下や殿下と食事をしたのは王城の中にある賓客用のグレートホールを利用した。とはいえ、あそこも豪華なのは間違いなく変わらないけど。
 ちなみに簡単にだけど王城は国の心臓部。式典や賓客を饗すなどの社交の場であることは当然ながら、お兄様のような武官や文官の会議や執務、陛下や殿下の政務、研究者による研究などの様々な役割を持っている。基本的に一階層は一般的な貴族も出入りの出来る社交の場や書庫などがある。その上に賓客用のスペース、研究者らの研究室、武官文官の執務室および会議室と上り、最上階層に王族の政務室。そして、備蓄庫である地下二階を含めると七層構造になっている。城全体に抜け道は存在するけど、殆どの人は知らないんじゃないかしら。お兄様は知ってるから執務室を頂いた際に抜け道を確認したらしい。けれど、王城で仕事をしていない(していても)多くの貴族たちはそうとは知らないのだそう。なので、王族は王城に住んでいて離宮は休日などに利用するものだと思っているらしい。
 離宮こそが王族たちの本当の生活スペースであり、王族を守る最後の要塞。魔法での侵入ができない強固な結界が張られている。さらにちょっとだけ王城から離れている。そのため、陛下や殿下の政務室には離宮と直通の専用の転移陣がある。魔法での侵入ができないとはいえ、この転移陣はその結界と同様の方法で構成されているらしく、問題がないのだとか。それによって、行き来も楽であり、いざという時に逃げ込むことも容易になっている。転移陣ということは他者も使えるのではと疑問に思うのだけど、王族の血に紐付けされているらしい。勿論、王族から抜けたものはすぐにその紐付けは外され、使用できなくなる。王城の方にはその転移陣のみで七層構造であるけれど、階移動は階段のみだ。まぁ、その階段も複雑で王族が逃げる時間稼ぎができるものになっている。
 ルーサーさんにちらっと話した際になんでそんなこと知ってるわけ、と非常に驚かれたけど。正直、我がスティングラー家では基礎知識なのよね。幼いころには既にウィルたちに教えられる。他にもいろいろと王家に関すること、秘密の保持に関してだとかあるけど、何故子爵である我が家にそんな権限があったのだろうかと不思議になる。ウィルは笑みを浮かべるだけで答えてはくれなかったわ。
 で、私は王城の門番控室でのんびりお茶を頂いている。遠出するからといってたから、その方がいいだろうと思っての事なのだけど。

「殿下、遅いですな」
「ですね」

 休憩中の門番さんとお話しながら、待つけど、約束の時間を過ぎても来ない。え、もしかして、私騙された!? 確かに殿下に対して失礼な物言いや否定ばかりしてきたけど、それは酷すぎない? 折角、お弁当も作ったのに。
 そんなことを思っているとバタバタと走る音と騒ぐ声が近づいてくる。

「アル! すまない、遅くなってしまった」

 飛び込んできたのは噂の殿下。慌てて降りてきたのか、額にうっすら汗をかかれている。

「レオ、まだ仕事が終わってないぞ」
「戻ってからする!」
「ダメだ。遠出よりも優先事項が高い。昨日、終わらせておくって言ってただろ」
「いや、その、言ったに言ったけどね。あとでも十分、間に合うだろう?」
「ダメだ。あれは陛下の証印もいるから、お前がさっさと処理してくれないと陛下に持っていけない」

 お兄様も殿下の到着後すぐに合流したけど、お兄様は汗もかかず、涼しい顔で殿下に仕事をしろと詰め寄る。お兄様、抜け道を使ったわね。じゃなきゃ、殿下の執務室を確認した後、殿下にすぐ合流出来るわけがない。殿下も時間稼ぎを何かしらやってると思うし、何よりお兄様のズボンに蜘蛛の巣がついてるもの。
 どうしようかしらと思ってたら、お兄様と目が合った。
 どうにかしろ。そんな目。なんで私がと睨み返せば、お前が言えばなんとかなる気がすると返ってくる。いや、そんな馬鹿な。

「殿下」
「なにかな」

 あ、こっちにも期待されてる。いや、そんな期待を持たれても、私は殿下とお兄様どちらを選ぶかなんてわかりきってるじゃないですか!

「待つのは平気ですので、政務をしてください」
「いや、しかし、政務をしている間、暇だろう?」
「書庫など、時間を使うところはありますので、ご心配いりませんよ」

 ガクッと項垂れた。ご期待に沿えなくてごめんなさい。だって、お兄様に怒られる方が嫌だもの。
 でも、そうなると書庫で時間つぶしかしら。ウィルが目を輝かせてるけど、無視よ。彼に本を選ばせたら最後、殿下が来ても本に夢中になってしまいそうだもの。……そう考えると、書庫で時間をつぶすのはやめた方がいい気がするわね。
 あと時間がつぶせそうなのは鍛練場だけど、こちらもダメね。だって、出掛ける前から汗だくというのは、ねぇ。それに折角、シャルロさんたちがセットしてくれたのもあるし、やめておいた方がいいわ。
 となると、あら、行くところがないわ。殿下にああいったもののどうしようかしら。

「そうだ、アルも私の政務室に来たらいいよ!」
「ダメに決まってんだろ、バカか」
「ベル、よく考えてごらんよ。アルが私の傍に居てくれたら、終わり次第すぐに出掛けられるじゃないか」
「アルは子爵の令嬢でしかない。貴族とは名ばかりの一般人のようなもんだ。そんなヤツを機密の多い政務室に通せるわけないだろ」

 何かあってからでは遅いんだぞ。と殿下にいうお兄様。殿下は君の妹君だよという顔をしているけれど、お兄様は引く様子がない。まぁ、当然のことだし、私もお兄様もお父様やメルからそういう風に教えられてるから、しょうがないわ。
 そんなお兄様と殿下の言い争いがあったものの通りかかった研究者の方の提案でこの件は落ち着くこととなった。

「すみませんね、足元気を付けてください」

 私は殿下の政務が終わるまで三階の研究室にお邪魔することになった。とはいえ、廊下には様々な文献やら古びた道具などが端に寄せられてはいるものの乱雑に置かれている。貴重なものだってあるのに、そんな、いいのかしら。そんな心配をしていたら、提案者であるエルンさん曰く全て複製品なのだとか。ちなみに真作は地下二階に保存してあるそう。

「おはよーございます。今日は先生が殿下に執拗に要求していた方に来ていただきましたよー」

 部屋に入りながらそう言ったエルンさんに私はぎょっとなる。なにそれ、知らない。聞いてない。そんなことを思っていると早めに連絡しないか! と叫ぶ声とバタバタと慌てる音が聞こえた。それから、時間を少し置いてエルンさんにどうぞと促され、恐る恐る顔を覗かせれば、目の下に隈がくっきりあるものの身だしなみをきちんと整えたモノクルのおじ様がいた。

「お初にお目にかかるね。異邦人の研究をしているカルドット・ウルキアだ」
「え、あ、初めまして、アルセリア・スティングラーです。あの、その、ウルキアとは伯爵家の」
「そのとおり。とはいえ、家は兄が継いでね。私は存分に研究をしているわけだ。ちなみに名前で呼んでもらえると助かる」

 研究、万歳と言って笑うカルドット様だけど、助手にあたるエルンさんは苦笑い。まぁ、私もスティングラーの血筋を見ているようで苦笑いだもの。

「いやー、それにしても、昨日思い立って掃除してよかったよ」

 下手したら足場のない部屋に招待するところでしたと朗らかに笑うけれど、私はそうならなくてホッとしたわ。貴重な資料とかが埋もれてたりしたら気を失いそうだもの。それにしてもと研究室を見回して思うのは、異邦人の本が並んでいるのは分かる。わかるのだけど、どうして、料理本が多いのかしら。

「何か気になるものでもあったかな?」
「いえ、その、何故、料理本ばかりなのかと思いまして」
「……背表紙だけでわかるのかい?」
「え、というか、その、タイトル書いてありますよね」

 ちらっと見るだけでも『おすすめ時短料理』だとか『病みつきおやつの作り方』、『今日の晩御飯はこれ』、『和食の定番』などなど。研究とはと考えてしまう。

「つまり、読めるという事だね! あぁ、なんということだろう、素晴らしい!!」

 パァッと表情を明るくしたかと思うと私の手を取る。このまま、踊りだしそうな勢いね。それより、顔が近いわ!

「先生、顔が近いですし、殿下に見つかって追い出されたって知りませんよ」
「おっと、これはこれは失礼した。いや、つい、嬉しくてね」

 エルンさんの言葉にパッと手を離すとこほんと咳払いをして表情を変える。カルドット様曰く、主に彼がしているのは文字の解読だそう。とはいえ、料理本に偏っているのも事実で写真などから手順を確認し、それを文字と照らし合わせながら何を意味するのか考えるためらしい。決して、美味しそうだからではないと力説されてたけど、どちらかというとそちらが本音な気がするわ。

「形はなんとなくわかるんだけどね。正直なところ、統一感がないよね」

 これとこれは同じように見えるけど、こっちとこれは種類が違うよねと尋ねられ、その文字を辿れば、まぁ、その通りね。彼が最初に指したのは“ひらがな”。次のは“カタカナ”。広げられた本は絵本だったこともあって“漢字”はなかったわ。その3種類だけでなく”ろーま字”や他にも文字の種類があるらしいのよね。ムカから教えてもらった時、頭が痛くなるかと思ったもの。よく、使いこなせるものね、そんなことを言った覚えがある。ムカには全然使えてないと返されたけど、ムカはよく知ってる方だし、使えてると思うわ。ちなみに私たちの世界の文字は“ろーま字”と似たような形をしている。もしかしたら、異邦人の文字を真似たのかもしれないわね。

「料理の本でもよくあるこちらとかは組み合わせなのかなとも思うんだが、スティングラー嬢はどう思うかね?」
「あぁ、こちらは確かに後ろの文字とセットですわ。私よりも詳しい人によれば、“送り仮名”というものらしいです」

 開いた別の本に書いてある文字について、こういう意味があるのだと説明すれば、目を輝かせてうんうんと頷くカルドット様。そして、その後ろではエルンさんが必死にメモを取ってる。おかしいわ、以前にも、こんな光景あった気がする。……えぇ、気のせいね。

「うむ、やはり君がとっても詳しいのはよくわかった。そこでなのだがね」
「は、はい」
「これの作り方わかるかね?」
「へ?」

 真剣な顔で取り出されたのは何度も読み込んだろうボロボロになった料理本。えぇ、料理本よ。そして、開いたページに書かれていたのは『ふわとろオムレツ』の作り方。困惑して、エルンさんを見るもエルンさんもにっこりと笑っている。

「先生の長年の夢なのだそうです」
「……もう少しまともな夢はなかったのでしょうか」

 必死こいて研究する理由がそんなのでいいのだろうか、そう思って零してしまった。それにはエルンさんも少しは思うところがあったのね、苦笑いを浮かべていた。

「何度やっても美味しくないんだ! この絵の通りにもならないし」
「いや、絵の通りにならなくてもいいんですよ」

 やってみた方が早いんだけどと呟けば、キッチンはあちらにとエルンさん。なんで、研究室にキッチンがあるんだろう。いや、簡単な食事とか作るのにはいいかもしれないと覗いたんだけど、そこにあったのは屋敷にあるような本格的なもの。

「いやいやいや、え、研究室ですよね!?」
「まぁ、それがあってるかどうか、実践してみた方が早いという事で先生が頼み込んじゃったんです。費用は勿論、こちら持ちですし、結果として翻訳に役立つ可能性があるという事で上もないも言えなかったようです」
「いやー、うん、まぁ、確かめてみるっていうのはいい方法ですね。ただ、もう少し簡易的なものでもよかったのではないでしょうか」

 エルンさんも私と当時は同じことを思ったらしいのだけど、発注したのはカルドット様だったという事もあって、諦めたそう。えぇ、まぁ、諦めるわね。にしてもよ、このコンロ、かなり高価なものね。だって火口が細かい円状になってるもの。安いのだと最低の一つで火力の調整が難しいけど、これなら細かい火力の調整とかやり易いわね。

「では、とりあえず、作ってみましょうか」
「よろしく頼むよ!」
「メモを取る準備は万全です」

 ワクワクドキドキと音が聞こえるような二人に私は溜息。私、王城で何やってるのかしら。
 口ではレシピ通りのことを告げながら、頭では自分流に。
 卵に塩コショウを加え、よくかき混ぜる。かき混ぜ方も空気が入るように混ぜるとよりふんわりとするのよね。あとミルクを入れるのもいいらしい。これはレシピに書いてないからあとで伝えておこう。
 フライパンは油をしいたらよく熱して、先にバターを溶かして、卵を投入。ジュワーといい音がしたら正解。
 そして、ここからが勝負。フライパンを揺らしながら菜箸で卵を混ぜる。程よく混ぜたら奥に寄せて、端を丸く整え、フライパンの柄をトントンと叩いて卵を丸めていく。あとは一、二回ほどひっくり返して火を通してあげれば完成。私は焼き色がついてるのが好きだけど、今回のは卵の色を出したものだったから、それに合わせた。とろっとさせるにはやっぱり時間との勝負よね。下手したら、炒り卵や卵焼きになってしまうもの。
 お皿の上にキレイに丸められたオムレツ。カルドット様は素晴らしいと声を上げる。まぁ、私の場合、家でよく練習したもの。何回も練習すれば出来るようになるわ。最初なんて、炒り卵になってたし、形が崩れてしまうこともあった。まぁ、誤魔化す方法も覚えたけど。

「こちらの本には載ってないのですけど、トマトソースをかけても美味しいですよ」

 もう少し余裕があったら、作ってもよかったんだけど。流石に今日は殿下との約束もあるし、無理。そんなことを考えて、カルドット様たちを見たら、ナニソレという感じの顔をしていた。

「あと、その、作っておいてなんですけど、多分このくらいならお屋敷の料理人さんとか普通に作れると思います」
「……屋敷で見たことないんだが」
「それはそのお屋敷の料理人さんに尋ねてみたいとなんとも。でも、基本的に料理人の方たちはまず卵料理の基本であるオムレツから練習するそうですし、試験の課題でオムレツを作るように言われることもあるそうです」

 そう言ってたのは私が泊まってるお屋敷の料理人さんたち。料理店だと修行の際もまずはオムレツから作らされるとかっても聞いたわね。

「異邦人の記録に残ってる洋食というのは基本的に私たちの世界の料理に一番近いみたいなので、食べたことのない珍しい料理とか作ってみたいのだとしたら、和食がいいかもしれませんね。正直、こちらも東方の国には似たものがあるようなのですが」

 恐らく異邦人もこの土地が住み良いと思った人、東方の国が、南方の国がときっと色々といたのね。そして、その国で受け止められる料理も違うでしょうから、伝わった料理が多くとも残る料理は異なったんだと思う。

「あと、料理に関しては料理人さんを協力者に引き込んでおいた方がより、解読にはいいかもしれませんね」

 そんなことを言いながら、私はちょいちょいともう一つオムレツを作った。いや、一人分だけとか寂しいじゃない。私はお弁当を作ってあるから、ここでは食べないし。野菜庫を除いたら、レタスやキャベツ、トマトがあったので添え物として、添えておいた。

「……ちなみに尋ねるがね」
「はい。あ、パンもある。こちら、一緒に出しておきますね」
「あぁ、ありがとう。で、和食とやらは作れるのかね?」
「えぇ、まぁ、簡単なものでしたら」
「ほぅ」

 存外、食材とかも新鮮なものが揃ってるし、これはやろうと思えば、色々作れるわね。和食を作るのだとしたら、東方から調味料を取り寄せる必要はありそうだけど。味噌とか酢とか醤油とか。そう考えて、ふと私ってばとんでもないことに返事してしまったのでは??
 ちらりとカルドット様を見て、後悔した。きらりと怪しく光るモノクルに怪しげな笑み。私は何と答えてしまったのか。
 ……和食を作れるって言ったわ。それね、きっとそれに反応したのね。



 その後は皆さんお判りでしょう。カルドット様とエルンさんによる勧誘の嵐。

「欲しい調味料は何だね。急ぎ、東方から取り寄せよう!」
「先生、スティングラー嬢には本も効きます。そちらも合わせて」
「あぁ、それは勿論だとも。調味料と共に東方に残っている書物も買い取ろうじゃないか」

 どうだねとキラッキラの笑顔で尋ねてくるカルドット様。エルンさんも追撃の手は止めてはならないとばかりに世界地図を取りに行った。えぇ、どこの国から取り寄せるか確認するためでしょうね。領地にいずれは戻るので無理ですと言ってもいる間だけでもいいと食い下がられ、なんなら私がそちらに移住するとまで言い放つし、料理は料理のプロにといってもそれは勿論別で雇うともと流される。それにプロとは別に私にも給与を出そうとか言い始めましたよ。

「料理本だけでなく、ここには他の異邦人の本もある。君が興味あるのであれば、我が屋敷の地下書庫も見せてあげることができるぞ?」

 本が、本が人質にとられてる。凄くどんな本が所蔵されているのか見て見たい。見たいけど、ここで頷いてはだめよ、アルセリア。

「アル! 迎えに来たよ」

 そう言って、カルドット様の研究室に殿下が足を踏み入れたのが分かった。救世主が来たと喜んだのもつかの間、私が調理室にいることに気づき、覗き込んだ殿下はテーブルに並べられた料理と私を見比べて硬直。あとから来たお兄様は瞬時に理解したのか死んだ目になった。そう、救世主などどこにもいなかったのです。
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