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とっても近いひと
29. それぞれの戦い
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アズミノ酒造さんは、山のふもとに蔵を構えていた。
「本日はよろしくお願いいたします」
対応してくださったのは、会長の息子さんだった。いただいた名刺に記されている肩書は社長。まさか経営のトップみずからが相手をしてくださるとは。俺は緊張しながら菓子折りを渡した。
「これはこれは、ご丁寧に」
「このたびは貴重な機会をいただき、ありがとうございます」
「あざみヶ丘商店街は都内では有名なんですか? ほら、何といったかな。アメ横商店街とか、東京にはいろいろあるでしょう」
「……いえ。うちは地味な商店街です。お客様のほとんどが地元の住民です」
「なるほど」
嘘をついても仕方がない。俺は実情を伝えた。
社長が探るような視線を送ってくる。
「なんでまた『天渓』に着目されたんですか?」
「初めて出会ったのは、創作フレンチの店でした。日本酒らしさを主張するかのような、インパクトのある味と香りに驚いて。その後、ネット通販で購入して自宅でも飲むようになりました」
「そうでしたか」
「あの、『天渓』を海外に広めるプランはおありですか?」
それまで、気のない様子で俺の話を聞いていた社長の目が光った。
「当店は新潟にある柳都酒造さんと長年、取引がありまして。柳都酒造さんはフランスの展示会に参加したご経験があるんですよ」
「そのノウハウをうちに教えてくれるんですか?」
「柳都酒造さんの会長は、日本酒文化を守りたいという願いをお持ちです。私がおつなぎします」
「……大きなお土産を持ってきてくれましたね」
社長はようやく笑顔を見せた。
「では、うちの自慢の田んぼにご案内しますよ」
「ありがとうございます」
俺は社長が運転する車に乗り込んだ。
◆
そろそろ収穫期を迎える稲穂が、こうべを垂れている。
俺は『天渓』の材料となるお米が作られている田んぼを眺めて、息を飲んだ。
「綺麗ですね……」
信州の雄大な山が田んぼを見下ろしている。人工物で埋め尽くされた東京ではまず見られない景色だ。この土地ならではの美しい風景を俺は目に焼きつけた。
「あなたは写真を撮ろうとしないんですね」
社長の質問に対して、俺は笑顔で答えた。
「写真を撮ると、分かったような気になってしまいますから」
「ふむ」
「それに、また別の季節にも訪れたいです。『天渓』が四季をめぐって生み出されるプロセスを知りたいと思います」
「……人にも酒にも運がある。盛運の時は多くの人が寄ってきますが、『天渓』もいつか飽きられる日が来るでしょう」
「柳都酒造さんの『ゆめうたげ』にも不遇の時期がありました。でも、うちは取り引きをやめませんでした」
俺は社長に頭を下げた。
「私は生涯をかけて、『天渓』を売りたいと思っています。当店とのお取り引き、ぜひご検討ください」
「即答はできませんが、前向きに考えさせてもらいますよ」
「ありがとうございます!」
黄金色の稲穂が風に揺れている。
未来はきっと明るい。俺は透き通った青空を見上げた。
◆
信州から東京に戻った俺は、アパートに直行した。着替えもせずにテレビをつける。歌番組はクライマックスを迎えていた。
「さて、次の出演アーティストは、貝塚響也さんです!」
司会の男性アナウンサーが声を張り上げる。ステージに現れた貝塚響也は、白いシャツにジーンズという、彼らしいイメージを崩さないファッションだった。
何を歌うんだろう?
デビュー曲の『エアレンデルで祝杯を』かな。数年前の曲だけれども、いまだに根強い人気を誇っている。
いや、もしかして……『楽園の独我論』か? 替え玉疑惑を払拭するために? でもあの曲はかなり複雑な構成だし、喉への負担も大きいと思われる。
貝塚響也がマイクの前に立つ。
群衆が静まり返った。みんな、息を潜めて貝塚響也の言葉を待っているようだ。
「聴いてください。『楽園の独我論』」
激しいドラムの音が鳴り響く。
貝塚響也は逃げなかった。生放送で真っ向勝負に挑むことを選んだ。彼の勇気に俺は胸が熱くなった。
響也さん。
争いが嫌いなあなたが、こんなに闘志をむき出しにするだなんて、思ってもいませんでした。
信じていますよ、響也さん。あなたが替え玉なんて卑怯な真似をするわけがない。あなたはきっと、完璧に『楽園の独我論』を歌い上げることでしょう。
俺は拳を握りしめながら、画面を見守った。
「本日はよろしくお願いいたします」
対応してくださったのは、会長の息子さんだった。いただいた名刺に記されている肩書は社長。まさか経営のトップみずからが相手をしてくださるとは。俺は緊張しながら菓子折りを渡した。
「これはこれは、ご丁寧に」
「このたびは貴重な機会をいただき、ありがとうございます」
「あざみヶ丘商店街は都内では有名なんですか? ほら、何といったかな。アメ横商店街とか、東京にはいろいろあるでしょう」
「……いえ。うちは地味な商店街です。お客様のほとんどが地元の住民です」
「なるほど」
嘘をついても仕方がない。俺は実情を伝えた。
社長が探るような視線を送ってくる。
「なんでまた『天渓』に着目されたんですか?」
「初めて出会ったのは、創作フレンチの店でした。日本酒らしさを主張するかのような、インパクトのある味と香りに驚いて。その後、ネット通販で購入して自宅でも飲むようになりました」
「そうでしたか」
「あの、『天渓』を海外に広めるプランはおありですか?」
それまで、気のない様子で俺の話を聞いていた社長の目が光った。
「当店は新潟にある柳都酒造さんと長年、取引がありまして。柳都酒造さんはフランスの展示会に参加したご経験があるんですよ」
「そのノウハウをうちに教えてくれるんですか?」
「柳都酒造さんの会長は、日本酒文化を守りたいという願いをお持ちです。私がおつなぎします」
「……大きなお土産を持ってきてくれましたね」
社長はようやく笑顔を見せた。
「では、うちの自慢の田んぼにご案内しますよ」
「ありがとうございます」
俺は社長が運転する車に乗り込んだ。
◆
そろそろ収穫期を迎える稲穂が、こうべを垂れている。
俺は『天渓』の材料となるお米が作られている田んぼを眺めて、息を飲んだ。
「綺麗ですね……」
信州の雄大な山が田んぼを見下ろしている。人工物で埋め尽くされた東京ではまず見られない景色だ。この土地ならではの美しい風景を俺は目に焼きつけた。
「あなたは写真を撮ろうとしないんですね」
社長の質問に対して、俺は笑顔で答えた。
「写真を撮ると、分かったような気になってしまいますから」
「ふむ」
「それに、また別の季節にも訪れたいです。『天渓』が四季をめぐって生み出されるプロセスを知りたいと思います」
「……人にも酒にも運がある。盛運の時は多くの人が寄ってきますが、『天渓』もいつか飽きられる日が来るでしょう」
「柳都酒造さんの『ゆめうたげ』にも不遇の時期がありました。でも、うちは取り引きをやめませんでした」
俺は社長に頭を下げた。
「私は生涯をかけて、『天渓』を売りたいと思っています。当店とのお取り引き、ぜひご検討ください」
「即答はできませんが、前向きに考えさせてもらいますよ」
「ありがとうございます!」
黄金色の稲穂が風に揺れている。
未来はきっと明るい。俺は透き通った青空を見上げた。
◆
信州から東京に戻った俺は、アパートに直行した。着替えもせずにテレビをつける。歌番組はクライマックスを迎えていた。
「さて、次の出演アーティストは、貝塚響也さんです!」
司会の男性アナウンサーが声を張り上げる。ステージに現れた貝塚響也は、白いシャツにジーンズという、彼らしいイメージを崩さないファッションだった。
何を歌うんだろう?
デビュー曲の『エアレンデルで祝杯を』かな。数年前の曲だけれども、いまだに根強い人気を誇っている。
いや、もしかして……『楽園の独我論』か? 替え玉疑惑を払拭するために? でもあの曲はかなり複雑な構成だし、喉への負担も大きいと思われる。
貝塚響也がマイクの前に立つ。
群衆が静まり返った。みんな、息を潜めて貝塚響也の言葉を待っているようだ。
「聴いてください。『楽園の独我論』」
激しいドラムの音が鳴り響く。
貝塚響也は逃げなかった。生放送で真っ向勝負に挑むことを選んだ。彼の勇気に俺は胸が熱くなった。
響也さん。
争いが嫌いなあなたが、こんなに闘志をむき出しにするだなんて、思ってもいませんでした。
信じていますよ、響也さん。あなたが替え玉なんて卑怯な真似をするわけがない。あなたはきっと、完璧に『楽園の独我論』を歌い上げることでしょう。
俺は拳を握りしめながら、画面を見守った。
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