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第12話 俺は悪妻ですから
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……いかん。
宴を楽しんで、笑顔でごはんに舌鼓を打ってどうする。それでは悪妻ではなく、良妻ではないか。
俺は初心に戻って、悪妻らしい発言を口にすることにした。
「果物が食べたいです」
「そうか。この盆から好きなものを選べ」
「いいえ。もぎたての果物が欲しいです。今すぐに」
どうだ、ヴァイゼン。
ごはんで俺を籠絡できると思ったら大間違いだぜ。場に居合わせたみんなが、「もぎたての果物かー」とつぶやいているじゃないか。
ふふっ。
われながら、なかなかの悪妻ぶりだぜ。
俺が悦に入っていると、ヴァイゼンが口笛を吹いた。
すると、庭木の方から何者かの気配がして、ささささーっと枝を走り始めた。そして再びヴァイゼンが口笛を吹くと、白くて長い尻尾を持った小猿が、ヴァイゼンの元に現れたではないか。
小猿は手に、紡錘形をした黄色い果実を持っている。
「チッタ。ご苦労様」
「え? そのお猿さん、ヴァイゼン様が飼ってらっしゃるのですか」
「飼っているというか、家族同然の存在だ。チッタ、よくやった」
小猿はヴァイゼンから受け取った木の実を齧った。
俺は紡錘形をした果実を手渡された。
「皮は手で剥ける。試してみてくれ」
「……ですが」
「人前でかぶりつくのは気が引けるか? ならば切り分けてやろう」
ヴァイゼンは短剣を操り、鮮やかな手さばきで果実を小さく切った。
果実から甘酸っぱい香りが漂ってくる。すごく美味しそうだ。
「ほら、あーん」
「それは嫌です! 自分で食べます」
「ふふっ。照れ屋だなあ」
この男の脳は一体、どうなってるんだ? 俺のワガママをことごとく「可愛い」と変換する機能でも備わっているのか。
緑青の瞳は、デレデレしてるし。酒の勢いでキスしてきたりしないよな?
俺はヴァイゼンの唇から逃れるため、果実を口に運んだ。はむりと齧ったところで、またしても俺の時間が止まった。
「……レムート? 酸っぱかったか」
「いえ。なんと妙なる味でしょう。天界の音楽が聞こえてきそうです……」
甘さと酸味が絶妙のバランスで溶け合っている。もうひとつ食べたかったので、俺は果実に手を伸ばそうとした。
すると、ヴァイゼンに止められた。
「だーめ。今度はあーんさせてくれ」
「ひゅう! 新婚さん!」
「お熱いですなあ。このザンダーも若き時は恋女房といちゃいちゃしたものです」
「あら、ザンダーはまだ現役じゃない」
「ヒルティ、アイリーン。新婚さんの邪魔をしちゃいけないよ。こっちにおいで」
ノノネ様の夫君が子どもたちを引き取ってしまったので、俺を守ってくれる人はいなくなってしまった。
ううっ。
俺、あーんするしかないのか。
ヴァイゼンの目を窺えば、とても真摯な光が宿っていた。
「レムート。少しずつきみのことを教えてくれ。そして、少しずつ俺のことを知っていってほしい」
「俺は……将来は寺院に入って、修道士に……」
語尾を濁すことしかできなかった。
アルファに見つめられると、オメガとしての本能が反応して萎縮してしまう。俺は目をつむった。こうすれば周囲の様子を見ずに済む。
ヴァイゼンが俺の口元に果実を近づける。
俺は勢い余って、ヴァイゼンの指に齧りついてしまった。
「おっと。元気だな」
「あっ。すみませんっ」
「みんなの前で、あーんをさせた俺が悪い。謝らなくていい」
「……ヴァイゼン様。そんなにいっつも優しくしないでください。たまには俺を叱ってください。そうじゃないと俺、稀代の悪妻になりますよ?」
「こんなに可憐な悪妻などこの世にいるものか。なあ、みんな」
「そのとおりです!」
半裸になったクルストが、酒杯を高く掲げる。
「俺の見立てでは、おふたりの間にはそりゃあもう可愛らしいお嬢さんが生まれますぜ」
「楽しみですなあ。このザンダー、長生きせねば」
「レムート様の赤ちゃんは、僕の兄弟になるの?」
「ヒルティのお馬鹿。ヴァイゼンおじ様のお子さんは、私たちのいとこになるのよ」
「いとこ! 僕、いとこ欲しい」
「こらこら、みんな。出産に関する話題は、重圧になるからね。お酒の席とはいえ、これぐらいに」
ノノネ様の夫君の優しさが沁みる。
場が静かになったので、俺は悪妻らしさを取り戻した。
「ヴァイゼン様と俺は白い結婚なのですよ。子どもなど生まれるものですか」
「今のところはな」
「……この先、俺を落とせる自信がおありなのですか?」
「ああ。あるぜ」
俺はヴァイゼンをじっと見つめた。
この男は、いつでも泰然自若としているな。俺ばかり焦ったり泣いたり、忙しくて疲れる。
なんだか悔しい。
俺はヴァイゼンの酒杯を奪い取った。そして、中身を全部飲み干した。
「おい! 希釈していない蒸留酒だぞ。喉が焼けるだろう! 誰か、水を」
「レムートさん。やけ酒かしら……」
「すみません、ノノネ様。俺たち青海衆がはしゃぎすぎたから……」
予想以上の早さで酔いが回った。
視界がぐわんと歪む。
俺はヴァイゼンの膝にしなだれかかると、震える手で胸ぐらを掴んだ。
「おい、ヴァイゼン」
「ん? どうした」
「巨鯨がどのぐらい強いのかは知らないが、俺だってアーデル領の貴族社会で生き抜いてきたんだ。舐めた真似をしたら許さねぇぞ」
「うん、その喋り方の方がいい。酔いが醒めても、敬語はよしてくれ。様づけも不要だ」
「俺にはなぁ、弟がいるんだよ。そいつを守んなきゃいけないんだよ。俺が南域行きを断ったら、弟が嫁ぐことになる。あいつはまだ15歳なんだ。俺が守んなきゃ……」
「レムート、分かったよ。今日はもう休もう」
「やだぁ! まだ飲むー!」
「ダメだ。姉上、あとは任せた」
「はいはい」
「さあ、レムート。力を抜け」
ヴァイゼンは俺を横抱きにすると、廊下を歩き出した。
宴を楽しんで、笑顔でごはんに舌鼓を打ってどうする。それでは悪妻ではなく、良妻ではないか。
俺は初心に戻って、悪妻らしい発言を口にすることにした。
「果物が食べたいです」
「そうか。この盆から好きなものを選べ」
「いいえ。もぎたての果物が欲しいです。今すぐに」
どうだ、ヴァイゼン。
ごはんで俺を籠絡できると思ったら大間違いだぜ。場に居合わせたみんなが、「もぎたての果物かー」とつぶやいているじゃないか。
ふふっ。
われながら、なかなかの悪妻ぶりだぜ。
俺が悦に入っていると、ヴァイゼンが口笛を吹いた。
すると、庭木の方から何者かの気配がして、ささささーっと枝を走り始めた。そして再びヴァイゼンが口笛を吹くと、白くて長い尻尾を持った小猿が、ヴァイゼンの元に現れたではないか。
小猿は手に、紡錘形をした黄色い果実を持っている。
「チッタ。ご苦労様」
「え? そのお猿さん、ヴァイゼン様が飼ってらっしゃるのですか」
「飼っているというか、家族同然の存在だ。チッタ、よくやった」
小猿はヴァイゼンから受け取った木の実を齧った。
俺は紡錘形をした果実を手渡された。
「皮は手で剥ける。試してみてくれ」
「……ですが」
「人前でかぶりつくのは気が引けるか? ならば切り分けてやろう」
ヴァイゼンは短剣を操り、鮮やかな手さばきで果実を小さく切った。
果実から甘酸っぱい香りが漂ってくる。すごく美味しそうだ。
「ほら、あーん」
「それは嫌です! 自分で食べます」
「ふふっ。照れ屋だなあ」
この男の脳は一体、どうなってるんだ? 俺のワガママをことごとく「可愛い」と変換する機能でも備わっているのか。
緑青の瞳は、デレデレしてるし。酒の勢いでキスしてきたりしないよな?
俺はヴァイゼンの唇から逃れるため、果実を口に運んだ。はむりと齧ったところで、またしても俺の時間が止まった。
「……レムート? 酸っぱかったか」
「いえ。なんと妙なる味でしょう。天界の音楽が聞こえてきそうです……」
甘さと酸味が絶妙のバランスで溶け合っている。もうひとつ食べたかったので、俺は果実に手を伸ばそうとした。
すると、ヴァイゼンに止められた。
「だーめ。今度はあーんさせてくれ」
「ひゅう! 新婚さん!」
「お熱いですなあ。このザンダーも若き時は恋女房といちゃいちゃしたものです」
「あら、ザンダーはまだ現役じゃない」
「ヒルティ、アイリーン。新婚さんの邪魔をしちゃいけないよ。こっちにおいで」
ノノネ様の夫君が子どもたちを引き取ってしまったので、俺を守ってくれる人はいなくなってしまった。
ううっ。
俺、あーんするしかないのか。
ヴァイゼンの目を窺えば、とても真摯な光が宿っていた。
「レムート。少しずつきみのことを教えてくれ。そして、少しずつ俺のことを知っていってほしい」
「俺は……将来は寺院に入って、修道士に……」
語尾を濁すことしかできなかった。
アルファに見つめられると、オメガとしての本能が反応して萎縮してしまう。俺は目をつむった。こうすれば周囲の様子を見ずに済む。
ヴァイゼンが俺の口元に果実を近づける。
俺は勢い余って、ヴァイゼンの指に齧りついてしまった。
「おっと。元気だな」
「あっ。すみませんっ」
「みんなの前で、あーんをさせた俺が悪い。謝らなくていい」
「……ヴァイゼン様。そんなにいっつも優しくしないでください。たまには俺を叱ってください。そうじゃないと俺、稀代の悪妻になりますよ?」
「こんなに可憐な悪妻などこの世にいるものか。なあ、みんな」
「そのとおりです!」
半裸になったクルストが、酒杯を高く掲げる。
「俺の見立てでは、おふたりの間にはそりゃあもう可愛らしいお嬢さんが生まれますぜ」
「楽しみですなあ。このザンダー、長生きせねば」
「レムート様の赤ちゃんは、僕の兄弟になるの?」
「ヒルティのお馬鹿。ヴァイゼンおじ様のお子さんは、私たちのいとこになるのよ」
「いとこ! 僕、いとこ欲しい」
「こらこら、みんな。出産に関する話題は、重圧になるからね。お酒の席とはいえ、これぐらいに」
ノノネ様の夫君の優しさが沁みる。
場が静かになったので、俺は悪妻らしさを取り戻した。
「ヴァイゼン様と俺は白い結婚なのですよ。子どもなど生まれるものですか」
「今のところはな」
「……この先、俺を落とせる自信がおありなのですか?」
「ああ。あるぜ」
俺はヴァイゼンをじっと見つめた。
この男は、いつでも泰然自若としているな。俺ばかり焦ったり泣いたり、忙しくて疲れる。
なんだか悔しい。
俺はヴァイゼンの酒杯を奪い取った。そして、中身を全部飲み干した。
「おい! 希釈していない蒸留酒だぞ。喉が焼けるだろう! 誰か、水を」
「レムートさん。やけ酒かしら……」
「すみません、ノノネ様。俺たち青海衆がはしゃぎすぎたから……」
予想以上の早さで酔いが回った。
視界がぐわんと歪む。
俺はヴァイゼンの膝にしなだれかかると、震える手で胸ぐらを掴んだ。
「おい、ヴァイゼン」
「ん? どうした」
「巨鯨がどのぐらい強いのかは知らないが、俺だってアーデル領の貴族社会で生き抜いてきたんだ。舐めた真似をしたら許さねぇぞ」
「うん、その喋り方の方がいい。酔いが醒めても、敬語はよしてくれ。様づけも不要だ」
「俺にはなぁ、弟がいるんだよ。そいつを守んなきゃいけないんだよ。俺が南域行きを断ったら、弟が嫁ぐことになる。あいつはまだ15歳なんだ。俺が守んなきゃ……」
「レムート、分かったよ。今日はもう休もう」
「やだぁ! まだ飲むー!」
「ダメだ。姉上、あとは任せた」
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