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再会編

空虚に跨ぐ騎士5

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ユリウス殿下の専属になってから、1日が激変した。

小隊が変わると、宿舎も変わり、1人部屋になった。
様々な説明を受けたが、王族の専属護衛は機密情報などにも触れる機会が多くなるからと言う事が主な理由のようだ。

基本的に夜間の護衛で、早朝の訓練は免除され、他の夜間警備の騎士達と共に午前中から本格的な訓練や業務に就く。

最近では、ユリウスに呼ばれて外出先について行く事も増えた。

「殿下も前よりは外に出るようになったな。護衛のおかげなら嬉しいんだが」

新たな上官となった小隊長が、訓練終わりにギルバートへ笑い掛けた。前を知らないが、ギルバートも「思ったよりは出掛けるんだな」とは思っていた。

外出理由の殆どが、外食だと言うことも、意外だった。

ホテルやレストラン、カフェ、それも格式はあまり気にせず、場末のような場所でない限りは、どこへでも平然と入って行く。
秋も深まり、本人も寒い寒いと言いながらテラス席などがあれば、わざわざ貸切にして外で食べる。

持って来た本を読んだり、近場に本屋があれば付き添いの従者に買ってこさせたり、ぼーっと景色を眺めたりして、まるで時間を潰すように長時間居座ることも多い。

数回だけ大神殿に礼拝に行ったり、魔塔に手紙を送ると言って郵便屋へ寄る事はあったが、それ以外の行き先はなかった。

「今日も楽しめた、君のおかげだね。ありがとう。それじゃあ、また夜もよろしく」

別れ際に礼を言ってくれるユリウスに、ギルバートはいつも深く礼を示す。王族に限らず、貴族が騎士や従僕などにこまめに感謝を示すのは、少し珍しいからだ。

特に自分は、感謝こそすれど、される事はない。

ユリウスの専属になってからと言うもの、アンリからの接触が途絶えたのだ。

(このご恩は、必ずお返しします)

誰の目も気にする事なく、自由に動き回れる事がどれほど有難いことか。
常に感謝を胸に抱き、訓練に励み、業務にも勤しんだ。
おかげで数週間足らずで感覚を取り戻し、新たな小隊長にもついていけるようになってきた。

しかし、慣れ始めた日常は、また唐突に終わりを迎える事になる。




「専属の件だけど、1週間後に解任する事にしたから、心得ておいてくれ」




ユリウスから、突然解任宣言されたのだ。

「………俺は何か不手際を」

あまりにも早過ぎる。

途端にアンリの顔が浮かんだ。ユリウスが今更あの女の元に送り付ける訳はないと分かってはいても、どうしても不安と焦燥に息苦しくなった。

ユリウスは相変わらず優しげな笑顔のまま、片手を振る。

「君の考えているような事は起こらないよ。寧ろ、君にとって良いことが起こる。この1週間が過ぎたら、君は君だけの時間に集中出来るようになるから、楽しみにしてて」

くすりと笑って温かなワインを飲む寝巻きのユリウスを、ギルバートは困惑して見詰めることしか出来なかった。

(……小出しにしないでくれると助かるんだが)

言えやしないので、心の中で溜息を吐いた。ただ、この数週間でユリウスの為人ひととなりが見えて来た。敢えて見せてくれたようにも思える程に。

(この契約解除にマイナスな要素はないのだろう。殿下を信じよう)

ギルバートは「仰せのままに」と深く頭を下げた。



.
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.



そして、それは5日後に来た。




「シュバリエ、出掛けるよ」



外出の護衛と聞いてはいたが、その日のユリウスは様子が違った。上から下まできっちりとした正装で、いつもは緩く流すだけの髪も整えていたからだ。

「…今日はどちらに?」

用意されていた馬車へ乗り込むユリウスへと尋ねた。
振り返るユリウスが、いつもの王子スマイルではなく、悪戯っこのような顔で笑う。




「裁判所だ」




あまりにも意外な言葉に、ギルバートは思わず「は?」とあるまじき返答をしてしまった。しまった、と思ったが、ユリウスは余計に愉快そうに目を細めただけで、何も言わずに馬車に乗り込んだ。



.
.
.




人生で初めて、裁判所の中を見た。
まるで小さな闘技場コロシアムだ。
ギルバートはユリウスが座る椅子の隣に腰を掛けさせられ、黙って前を見ていた。

普通ならば傍聴席に座るのだろうが、ユリウスとギルバートが座るのは、裁判官席の斜め後ろ、上段に設けられた席だ。それも『認識阻害』か何かの魔術を掛けられている。

裁判官が3人座っているアーチ状の裁判官席を背後から見て、傍聴席を正面に据え、全体を俯瞰で見渡せる特等席。

傍聴席前にある、左右に分かれたテーブルには貴族の男達と、神官が対面するように待機していた。そして至る所に裁判所の騎士が立ち、しっかりと被られた兜の奥から目を光らせている。

(……一体、何の裁判が始まるんだ)

傍聴席は埋まっていない、数少ない傍聴人は全て貴族だ。それも上級貴族や、宰相クラスの臣下もちらほらと座っている。
沈黙が天井から重みを持って降り注いでくるようだ。肩が重い気さえする。



そして力強くドアが開く音がした。



一斉に開けられたドアに注がれる視線。現れたのは側近を連れた、ユーグラドル王太子殿下だ。

更に後ろから王宮騎士団、それも上官達で、彼らはアンリ・ラークシャシを引き摺るように連れて歩いてきた。

「ちょっとなに!?離してよ!わたしを誰だと思ってんの!?騎士如きが気安く触らないで!!ねえ!どうにかしてよ!ユーグラドル様!!」

しっかりと手首に手枷が付けられている。何が何だか分からないギルバートは夢でも見るように、喚き散らすアンリを見詰めた。

王太子が裁判官達の前で振り返り、中央に跪かされたりアンリを見下ろす。



「今より王家を謀った、ラークシャシ家の裁判を始める。ここでは真実のみ存在すると誓い、答えろ。ーーーまずは入れ替わりについて、其方の口から説明せよ」


(………入れ替わり?)

その言葉の意味を、ギルバートは理解出来ない。ユリウスや他の傍聴人は何か知っているのか、騒めきもなく静かなままだ。

「……なっ…なんで…」

アンリは一瞬で顔を青ざめた。囁きの内容が分かったのは読唇術によるもので、ギルバートの耳に届いた訳ではない。恐らく、一番近くの騎士くらいにしか聞こえてなかっただろう。

どう考えても「何でその事を」と言う意味にしか取れなかったが、アンリはすぐに我に返ったように表情を変えた。泣きそうな少女の顔で、王太子へ訴える。

「ユーグラドル様、何を仰ってるのか分かりません。わたしはアンリです!ラークシャシ家当主の娘のアンリです!」

「確かにラークシャシ家『代理』当主の娘ではあるな」

「だ…代理って何ですか!わたしはラークシャシ家の娘で、貴方の婚約者なんです!!ねえ、一体なんでこんな目に遭わせるの!?」

「そう、アンリ・ラークシャシは私の婚約者だ。だからこそこの場ではっきりさせねばならない…自分がアンリだと言う主張に、お前は責任を持てるか」

王太子の言葉に、アンリは目を見開く。この問い掛けにどう言う意味があるのかなど、聞かなくても分かる。
返答は慎重にしなければならない。誰でもそう思うだろう。

だが、アンリは我が意を得たとばかりに胸を張った。

「もちろんです!」

「そうか、では……この女性が誰か、答えて貰おうか」

王太子が片手を翳した。別のドアから騎士に付き添われ、見窄らしい姿をした女が入って来る。アンリは零れ落ちんばかりに目を剥いた。
それは傍聴人達も同じだ。

その女の髪色は薄桃色で、瞳は淡い水色だった。

女2人が並べば、パッと見では双子に見えてしまいそうなほど、背格好まで似ている。後から現れた方は、随分と痩せ細っているが。

「……な、なんでここに……あ、あんたは……だって…」

「………ユーグラドル王太子殿下、またお集まりの皆様、この度は我が家門の愚行をまずはお詫び致します」

わななくアンリを他所に、新たに現れた女は深く頭を下げた。

「よい、では名乗りを」

「違う!!ちがうちがう!!なんで、なんでそいつがいるの!そいつは…違うの!ユーグラドル様!!そんな女の言うことを聞かないで!!そいつは嘘吐きなの!」

「静かにしろ。発言の許可は出していない」

王太子の言葉の途中で、食い気味にアンリが叫び声を上げた。手枷をガチャガチャと鳴らしながら、立ち上がろうとするアンリを見て、王太子は目だけで黙らせるよう騎士に命じた。

女はただ静かにアンリを見詰めていた。押さえ込まれたアンリは、その視線に気付いた途端に肩をビクリと跳ね上げた。

女はスッと裁判官達へと顔を向け直す。

「初めてお目に掛かります。アンリ・ラークシャシと申します」

裁判官達が顔を見合わせ、傍聴人達も静かに囁き合う。

「後ろの女の事を貴女は答えられるか」

「はい、彼女は……」

王太子の問い掛けに、アンリと名乗った女は振り返る。その目に憐れみと、深い怒りを静かに湛えて。

「アンジュと申します。父と、平民の愛人の間に産まれた腹違いの妹です」

「やめてよ!!わたしが正統なラークシャシの娘よ!!わたしが本物なの!!お父様が愛してるのはわたしだもの!わたしはお父様に認められてるの!!あんたなんかと違うのよ!偽物!!」

「父の愛と血統に相関関係なんてないのよ。父はそもそもラークシャシの血筋ではないもの」

「は、はあ?あんた、何言ってんのよ…!おと、お父様は当主なのよ!」

「そう、当主ね。『代理』当主。あのねアンジュ、あの人、婿入りなの。ラークシャシの血なんて一滴もないのよ。だからあの人に、ラークシャシを継ぐ権利はないの。だから母が亡くなった今でも、あの人は『代理』でしかないの。……貴女がなんて聞いているのか知らないけど、当主は私の母だったのよ」

ゆっくりと、まるで幼児に教えるように喋る女は、優しそうに見えて根の部分には深い軽蔑を漂わせている。
アンリーーと思っていたアンジュと言う女も察せたのか、一気に顔を真っ赤にして歯を剥き出した。可愛らしい顔が歪み、空気が一変する。

「何言ってんのよ!お父様がラークシャシ家の代表なの!1番偉いの!!死んだ女が何なのよ!!バカなこと言わないで!!」

「貴女こそ」

激情型のアンジュに対し、本物のアンリは冷ややかだ。よく見ると顔も全然似ていない。

ギルバートの中に疑問が湧き出る。

本当に入れ替わっていたのか?
王族の婚約者が入れ替わるなど可能なのか?
ラークシャシ家では何が起こってるんだ?





(……な、何も分からん…)





ギルバートは混乱し始め、隣のユリウスへと顔を向けた。深く背凭れに身を沈め、肘掛けを使って頬杖をついて、眠たげに目の前で起こっている諍いを、観劇でもするように眺めている。興味があるのかないのか、その横顔からは全然分からない。

ふと、視線に気付いて琥珀の瞳がギルバートを見た。

混乱してますとありありと書かれているギルバートの表情。くす、とユリウスは笑った。

「何が何やらって顔だね」

「……はい」

「結論から言うと、ラークシャシ家に婿入りした男が、正統な血筋である嫁の死をキッカケに、家門を乗っ取ろうとして、そのついでに、本物の娘と愛人の娘を入れ替えようとしたんだ」

「…………は?」

不躾で間抜けな一音が出てしまった。すぐに「申し訳ありません」と謝罪したが、ユリウスは変わらぬ笑みで指先で謝罪を払うような仕草をした。

「楽に話してくれて良いよ。友人や同士のようにね」

「……どうし…?…お言葉は有難いですが、俺には畏れ多い事です」

(友人は分かるが、同士とは何だ?)

意味は分からないながら、一国の王子相手にギルバートが気安く出来る訳もなく頭を振った。ユリウスは愉快そうに目を細めたまま、更に肘掛けへ身を凭れ、たおやかに足を組み変えた。

どれだけ気怠げでも、ユリウスの所作にはひとつひとつに品が滲む。

「そう?…今の内から慣れておいても良いと思うんだけどね、君が望めば或いは……って想像も容易い訳だし」

「はい?」

まるで独白のように喋るユリウス。言葉の意味が何ひとつ分からず聞き返した時、ユリウスの目線は既にギルバートではなく、中央で言い争う2人の女性に向けられていた。

「ほら、彼女が説明してくれているよ」

白い指が中央へと向けられ、誘導されるように顔を戻した。

「弟の出産時にお母様が亡くなったと、嘘の診断書を作らせて弟を後継者に据えようとしたのよね。そして、貴女は私に成り代わって、王太子殿下へ婚姻を願い出た。どうせ結婚するなら、かっこよくて権力のある男性が良いから。どうせなら、誰もが羨む相手が良いから。ただそれだけの為に」

「あんたの言ってる事に証拠なんてないでしょ!!」

「証拠ならあるわよ。だから、裁判所ここにいるの。裁判官様方、こちらの証拠を提出致しますわ」

アンリが指を鳴らすと、再びドアが開き、書類の束を乗せたワゴンと共に、手枷を付けられた何人もの男女が騎士達に連れて来られた。

アンジュは意味が分かってないのか、眉を顰めて彼らを見るだけだ。

「見覚えがあるでしょう?お父様と、貴女のお義母さまが買収した人達よ。当時私のお母様を診て下さっていたお医者様が、まさか死亡診断書の偽造に手を貸すなんて…そんな人間に信頼を寄せていたなんて、こんな悔しいことがあるかしら」

1番前に跪いた白髪の男が、うなだれたまま小刻みに震え出した。上からでは、アンリの顔は見えないが、湧き上がる空気には怒った者特有の覇気が出ている。

「お母様が死んだ後、私はお父様と貴女のお義母さまに部屋に閉じ込められたわ。仲良くしていたメイドは知らない内に解雇されていて、残った使用人達はまんまとお父様の口車に乗せられて……いえ、お金に目が眩んで、仁義も人道も捨てて、私の事を見て見ぬふりした」

今度は医者の後ろに並ぶ、大勢の男女がガクガクと震えていた。その中に、王宮にいたあのアンジュのメイドも居る事にギルバートは気付いた。

「それだけならしょうがないわ。忠誠を誓わせられなかった私にも非があるもの。稼ぐ為に働いているのだから、お金をくれると言うなら、手を出したくなる事もあるでしょう。それが例え、他者の未来や尊厳を、踏み躙る事でも。私が知る限りでは、それを外道と呼ぶのだけど」

しっかりとした声だ。痩せた身体から発せられるとは思えない程に。

「も、申し訳ありませんでした!」「本当に気の迷いだったんです!」「お許しを!」「御慈悲を!」

アンリより遥かに歳のいった大人達であるのに、声を震わせ口々に謝罪を述べては、頭を床に擦り付け、終いにはしくしくと泣き出す人まで現れた。

これは立派な共謀への自白であり、「アンリお嬢様!」と立っている彼女に対して哀願しているのだから、本当に彼女こそが本物のアンリ・ラークシャシなのだろう。

しかしアンジュは唇をギリギリと噛み締め、アンリを睨み上げるだけで認めようとしない。

「ばかばかばかふざけないでよ…なんでわたしがこんな目に…わたしはアンリよ、全部わたしの物だもん…わたしが幸せになる番だもん…変なこと言わないでよ、わたしは」

「ラークシャシ家に貴女のものは何ひとつないわ。返して貰うわよ、私の誇り。私の人生」

「うるさい喋るなバカ!!お父様に選ばれなかった女のくせに!!何が誇りよ!!ひどい女!!わたしにこんな事してタダで済むと思うなよ!!」

「得意のお嬢様ごっこはどうしたの?随分と口が汚いけれど」

「黙れって言ってんのよこのクソ女!!偉そうにするな!!わたしだってお父様の子だもん!わたしは選ばれた娘だもん!!お父様に会わせてよ!!お父様助けてよ!!こんな女にバカにされるなんてイヤ!!」

激怒していたかと思えば、今度はわんわんと泣き出した。アンジュは恥も外聞もなく、子供のように泣きじゃくっている。

成り行きを見守っていた王太子も、裁判官達も、収拾の着きどころが見えない事態に呆れているようだった。
困った裁判官達の視線を受け、王太子はアンリの元へと歩み寄った。

「……自分に任せて欲しいと言ったから、これまで口を出さずにいたがこれでは話にならない。アンリ嬢、ここからは」

「もう少し。…もう少しだけ、お許し下さい。ただ罪状を告げ、処分を言い渡すだけでは、この者達は理解も反省もしません。私には、今しかないのです。私の復讐を果たせるのは…もう……今この瞬間しか」

2人の会話はアンジュの声に邪魔され、元より大きくもないので聞き取れない。ただ、ギルバートが集中していた事で、読唇術と、研ぎ澄まされた聴覚で拾い上げた言葉を脳が勝手に補完しただけの事だ。

揺らめくような怒気に、覚悟にも似た強い意思を見せる眼光。

「………分かった」

王太子が下がると、アンリは頭を下げた。
そして顔を上げると同時に、再びドアの脇に立つ騎士に目配せをする。アンジュへと語りかけながら。

「ねえアンジュ、そんなにお父様に会いたいなら会わせてあげるわ」

「え…?」

再びドアが開き、今度は明らかな貴族の男女ーーー会話の流れから、ラークシャシ夫妻が連れて来られた。
しっかりと後ろに回された手に、手枷をつけて。

「お、お父様!!お母様!!助けて!!なんでこんな事になってるのよ!!上手くいくって言ったじゃない!わたしお姫様になるんでしょ!!早く助けなさいよ!!」

2人の様子が見えてないのか、アンジュは泣き喚いた。その隣へと跪かされたラークシャシ家代理当主と、その妻は、そんなアンジュが見えてないように項垂れたままだ。

腹違いのアンリとアンジュの容姿が似ている理由が分かった。父親が薄桃の髪に水色の目なのだ。

「なんで何も言わないの!なんでこの女がここにいるの!!わたしだけって言ったのに!!ちゃんと処分するって言ったじゃない!!」

「やめろ!!そんなこと僕は言っていないだろ!お前の我儘を叶えてやったせいで、家門の継続が危ぶまれているんだ!!少しは反省しろ!」

気の弱そうに見えたのは、その柔らかな髪色のせいだったか。アンジュへ怒鳴りつける姿は一変し、今にも殴り掛かりそうな勢いだ。

「ひっ!…わ、わたしのせい…?わたしのせいだって言うの!?」

「僕は王族を騙す気なんてなかったんだ!ラークシャシ家を守りたかっただけだ!!なのにお前達が勝手に…!!」

「わ、私のせいとでも言う気!?」

アンジュの母だろう女も顔を跳ね上げ、隣でアンジュに怒鳴りつける代理当主に身を乗り出す。

「僕は前妻が望むラークシャシ家のより良い未来の為に、何としてでもラークシャシ家を継続させたかった!息子が、アダが産まれて浮かれてしまった!前妻が望む、ラークシャシの繁栄がこれで叶、う…ッッッ!?」

頭を振り、まるで悲劇に襲われた主人公のように切なげに喚く当主代理の顎を強く掴み、持ち上げたのはアンリだ。

「あのね、その話は終わっているの。ちゃんと証言も取れているし、殿下もご存知なのよ。貴方が役者を目指していたのは知っているけれど、これは演目ではないの。その大袈裟な演技を辞めて」

娘の手により唇が突き出るほどに強く固定され、情けなく固まった当主代理。2人は同じ目の色にも関わらず、その眼光の鋭さはまるで違う。

「…な、…にを、ご存知だと…いう、んだ…っ」

ピヨピヨとひよこが鳴くように、突き出された唇が動く。アンリはにっこりと笑った。

「婿であるお父様にも、弟のアダにも、ラークシャシ家を継ぐ権利も資格もないと言ってるの。アダはアンジュの弟だもの。貴方と、貴女の、2人目の子供。ーーでしょ?」

もう片手が、当主代理と後妻を指差す。

「妄想に付き合わされるのはもう懲り懲り。お芝居するのは勝手だけど、現実と混ぜてはダメよお父様。危険過ぎるわ」

痩せこけていながらも、美しく微笑み、当主代理の顎を揺らすアンリの姿に、ギルバートは背中が震えてしまう。

もっと直情的に怒りを露わにしてくれた方がマシだーーーと、貴族の子女がマナーとして学ぶ事とは真逆のことまで考えた。

「凄いなあ」

隣からのんびりとした声が聞こえて、ギルバートは恐怖心から目を逸らすように、バッと隣のユリウスを見た。
琥珀の目は感心しているように見える。

「兄さんは直接ラークシャシ家に出向いて、そこで本物のアンリ嬢が助けを求めた事で、この件が明らかになったんだよ。その場にあの2人も居たはずなのにね。往生際が悪いのも、一周回ると感心してしまうね」

本当に感心していたらしい。それも妙な所を。しかしギルバートの関心は、すぐに別な所へ移った。

「………王太子殿下がラークシャシ家に?…アンリ…いえ、アンジュ嬢は長期の外出はしていないと聞いていますが…おひとりで向かわれたんですか?」

婚約者不在の婚約者の実家へ1人で行く。少しばかり違和感があった。

「納税証明書に不備があったんだ。それも毎回ね。本当に微々たる誤差だったけど、税務官も毎回訂正願いを出しては、訂正した書類を送って貰ってたんだって。おかしいだろ?
だけど本当に微々たるものだったから、税務官は上に報告はしなかったらしくてね。今回、その話を聞いた殿下が不審に思って、西部の視察ついでに訪問したんだって」

「毎回?……それは、うっかりと言うレベルでは……」

「そう、そう思うよね?実際、それは監禁され、業務を押し付けられていたアンリ嬢が、わざとやっていた事だったんだよ。外部への連絡手段を奪われた中、唯一誰にもバレずに外に出せるのが、"数字"だけだったから。
書類の記載が不審な場合、税務官が訪問する事があるから、アンリ嬢はわざと間違いをし続けた。誰かが屋敷にさえ来れば、助けて貰えるって信じてね。
ただ残念ながら、税務官は、そんなうっかりを天然でする貴族がいる事を知っているから、深く考えなかったみたいだ。…ま、職務怠慢に違いはない。減給処分は可哀想だけど妥当だね」

思ってもなさそうにユリウスは税務官に思いを馳せている。

「……アンリ嬢が助けを求めたと言うのは?只事ではない気がしますが」

「うん、実際只事ではなかったようだね。『助けて』って叫びまくったみたいで。殿下と騎士が声に気付いて、彼女の元へ向かった時、ラークシャシ家の騎士に引き摺られていたそうだ」

「騎士が…?仕える主人の娘を引きずるなど…」

「でも、それは仕える主人からの命令だったんだから、騎士の忠誠心は本物だよ。……君達は、時には善悪を捨てなければいけないから大変だね」

ユリウスの目線がギルバートへと向けられた。労いではなく、同情。ギルバートは何故か胸がざわつき、思わず拳を握り、負けじと見詰め返す。

「主人が間違った道へ進もうとしているのなら、止めるのも、忠誠心では」

「そんな事言って、偽のアンリ嬢に強く意見出来なかったじゃないか」

あっさりと打ち返された言葉が、胸にぐさりと突き刺さる。

「…ぐ…っ…!それは…」

「まあ、彼女は主人と言う訳でもなかったから仕方ないのかな。君に必要なのは止める勇気より、離れる勇気だったかもね」

「………」

「団長やみんなにガッカリされたくなくて、理想とする自分を裏切りたくなくて、今までやってきた事を無駄にしたくなくて、君は彼女から逃げられなくなった。でも君なら、一度離れても、きっと元の道に戻れる」

「……元の道?」

「騎士になりたいと君が望む限りは、君が望む騎士になれるって事だよ。時間は掛かるかもしれないけど、君なら、なりたい自分になれるって。君の信念は、一度や二度折れた所で枯れたりしないーーー…って、君の事を話してくれた人が言ってたよ」

「………それ、は」

「すごく君を…君の生き方や考え方を信じてるようだった。ま、それでも、君の時間を無駄にさせるのは勿体無いし、手助けをしたいと言うから、僕も君を助ける手伝いを申し出たんだ」

「…………誰、ですか。それは」

そんな事はない。
試合でわざとミスした時、思ってる事を口に出せなかった時、家族に八つ当たりをした時、俺はもう、俺を信じられなかった。

俺は弱くて無様で、ここで折れたらもう二度と立ち上がれないんじゃないかと、俺はもう二度と騎士になれないんじゃないかと、そう思った。

自分ですら信じられなかった自分の事を、誰がそこまで信じてくれたと言うのだ。

一体、誰が。

「君を知ってる人で、君が知る人」

どうやら、ユリウスははっきりと答える気はないようだ。ギルバートは考えた。様々な人物が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。

だがどう考えても、ユリウスと共通の知り合いなど居ない。

そもそも助けてくれたのもユリウスだけだ。

だんだん分からなくなってきた。





「………君は特別なんだ、あの人にとって」




ぐるぐると考え込むギルバートの耳に、寂しげな声が届いた。顔を向け直すが、ユリウスは既にギルバートを見ていない。

「終わったみたいだね。ほら、判決が言い渡されるよ」

裁判官の声が、その場に跪くひとりひとりの名を読み上げては、厳かに判決を言い渡していく。

どんなくだらない理由でも、王族を騙し、剰え王宮に入り込むなどとは、あってはならない事だ。
こんな前例を作ってしまった事は、王家の恥とも言える。温情を掛ける気はないと、王太子はハッキリと口にした。

言葉通り、処罰はそのどれもが重く厳しいものだった。

慌てふためく者や、泣き崩れる者、絶望に表情を無くす者など、今この瞬間に、罪人となった彼ら。お互いに責任を押し付け合い、後悔に泣きながら罵詈雑言をぶつけ合う。
それはまるで地獄の門から漏れ出る亡者の声のように、裁判所内の空気に澱みを作る。

裁判官の木槌ガベルの音が澱みを払った。

ぞろぞろと退場していく人々の最後尾に、最早逆さにしても貴族令嬢には見えないアンジュが、駄々を捏ねるように頭を振り乱しながら連れられていく。

その姿が扉に吸い込まれるように消えた時、ギルバートの肩から一気に力が抜けた。アンジュと離れてからもずっと気を張っていたのかと、今更自覚した。



投獄される彼女とは、もう会う事はないだろう。




(終わったんだ…)




漠然と、具体的に何がとは言えないが、兎に角漠然と、一区切りついたと思ったのだ。

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