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再会編

満ちる黄金の夢 6

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馬鹿な事を考えていたジンだが、腰の上でガウンを脱ごうとするユーグラドルに気付き「ひとつ」と声を出した。
その声にユーグラドルがピタリと動きを止めた。

「良いですか」

「………なんだ」

興を削がれた事が不愉快なのか、ユーグラドルは眉を顰めた。だが脱ぎ掛けのガウンを肩へと戻し、聞く態勢を整える。



「殿下にとって母親とはどう言う存在ですか」



ジンの問いかけにユーグラドルの菫色の瞳が、可憐さを取り戻すように大きく開いた。意外だったようだ。

「……母?王妃の事か」

「そうです、現王妃。貴方の母です」

「何の話だ」

今から同衾しようと言う相手へ、母親の話をする奴がいるか。ユーグラドルは少しばかりばつが悪い気持ちになった。わざとか、と思う程に。そういう気持ちにさせて萎えさせようとしてるんじゃないかと、ジンを疑った。

しかしジンにそんな気持ちはさらさらない。ずっと聞きたかった疑問を、今なら聞けるなと気付いたから口にしただけだ。

「もし貴方の母親が貴方の地位や利権を揺るぎないものにする為に、他者を害する時、貴方はどうしますか?母親に共感し、協力しますか?」

「……王妃と言う立場では、時には冷酷な判断も必要だ」

更にきな臭い質問だ。だが身に覚えが全くないわけではない。ユーグラドルの眉間の皺はますます深まっていく。

「黙認されると言う事ですかね、では、母親のその冷酷な判断がバレた時、貴方は母親を守るんですか?それとも、自分は知らなかったと切り捨てますか?」

「……お前、さっきから何を言ってる」

淡々と、場にそぐわない平然とした赤褐色の瞳が、ユーグラドルには異質なものに見え始めた。自由を奪われ、押し倒されたにも関わらず、動揺や抵抗もせず、怒りを買えば何をされるか分からないこの状況で、敢えて無礼な質問をぶつけてくる事に何の意味があるのか。

理解出来ない。

だが、胸騒ぎのような、もやもやとした嫌な気配がユーグラドルの胸を満たし始める。

「知りたいんですよ、貴方がどこまで知ってるのか」

「…知ってる…?」

「俺には理想とする親子がいるんですが、その母親も息子の為なら何でも出来る人です。でも、同じくらい他者の為にも動ける母親で、そんな母を誇りに思い、そんな母だから休んで欲しいと頑張る息子です。あの2人はきっと、自分たちの利権の為だけに他者を害するような真似は、お互いに許さない」

「………本当に、王妃が俺の為に誰かを害しているとでも言う気か」

「ご存知ないと」

「お前が、何を知っていると言うんだ」

母は確かに、厳格で少々苛烈な所がある。貴族とは、権力者とは、かくあるべきと言う姿を顕現していた。国王の嫡男として生まれ落ちたのだから、貴方が次代の王になるべきで、いずれ下に就くユリウスに情を抱いてはならないとも言われ続けた。
そんな母の王太子教育に、父がやり過ぎだと口を挟んだことは一度や二度ではない。時には父自身が無理矢理ユーグラドルを連れ出して、ユリウスと共に旅行代わりに視察に同行させてくれた事もある。
幼い頃の話だが。

『努力家だなユーグラドル。お前には期待している』

父が直接、俺に言ってくれた言葉だ。

だが母はとことん父を疑い、弟を疎ましく思っているように思えた。だから俺も、父を疑い、弟を疎ましく思った。

「俺の口からは言えません―――が、もっとご家族に目を向けてみたらいかがですか。貴族とはこんなもの、王族とはこうであるべき、などと色眼鏡は捨てて」

「お前に何故そんな事を言われなければならない!!」

喉の奥が震え、反発するように叫んだ言葉も震えた。

「ユリウスは聞いてくれますよ」

「……っ!」

「ユリウスは俺の話を聞いてくれます、戯言にしか聞こえない話でも、聞いて、考えてくれます。俺が失礼な事を言っても、あいつは一度も怒らなかった」

「………」

「もう少し怒っても良いと思うんですよ。でも、あいつには現実に向き合う力があって、その力が、きっと強過ぎたんです」

「………」

「そして思い知った、頑張っても無意味だと。頑張れば頑張るほど、誰かの迷惑にしかならないと。無気力になるしかなかった、息を潜めて生きていても、ユリウスに安息の日は来なかったんだから」

「………どういう」

「あいつは疲れたんですよ、俺にも少し分かる。でも俺なんかより、ずっと疲れたはずだ。ここの空気は、馴染めない奴にはとことん馴染めない」

「………」

「ずっと狙われんのは、きっと思う以上にストレスだ」

「…………ねら、う」

胸に渦巻くもやもやの中に隠されている、断片的な過去の記憶が思い起こされる。



ユリウスは小さい頃からよく怪我をしていた。いずれも運良く軽傷で済んでいたが、運が悪ければ死んでもおかしくない状況ばかりで。その度に母が自分を慰めた。『大丈夫』だと、『母に任せなさい』と。
おかしいと感じていた、何故ユリウスでなく自分を慰めるのかと思った。でも口に出来なかった。

ユリウスはボーッとしている奴だから、そう自分に言い聞かせて。

その内、ユリウスは部屋からあまり出て来なくなり、勉強も作法もサボるようになっていった。まるで『自分は無能なんだ』と主張するように。



「何も知らないなら、貴方は敵じゃないです。…敵ですらない、母親の暴走を止められない、守られてるだけのお子様ですから」



「ーーーッ!! 口を慎めッ!!」

頭を殴りつけられた気持ちになる。血が上り、全身が熱くなる。怒りに近い、図星をさされたような羞恥心。
シーツに両手をついて、ジンを上から覗きこむ。自分の方が優位だと見せつけるために。

「こんな状況で俺を煽ってどうする。ろくに動けもしない癖に」

「………」

慎めと言ったからか、ジンは黙ったまま手を持ち上げ、ユーグラドルの胸元にぶら下がるネックレスを指で引き千切った。

「な…っ!?」

細いチェーンが肌を微かに傷付けて弾けた。魔力源から離されたネックレスはただの石となり、光を消して、ジンの首の横へと落ちる。腕を支えにすることもなく、ジンは上体を起こす。迫る顔に、ユーグラドルが思わず身を引いた。その肩を掴み、横へと退けるとジンは立ち上がる。

「…なんで、動ける…」

かつて王族に伝えられていた呪言を擬えた、特殊な術式だった。相手の動きを制御し、コントロールする魔術。床に敷いた魔術紋の上でしか展開出来ないが、効果は高く、試しにカラスや魔術師、強いと言われる罪人達に使ってみたが、動けた者は1人もいなかった。

実際、ジンも動けはしなかったのだ。術の最中は。だがジンには『魔力遮断』があったので、単純に外部からの魔力を遮断しただけだ。肉体に作用しようが、魔力路に問題はなかったから。

問題はないが、厄介には違いない。だから千切って無効化した。少しばかり、腹癒せの意図もある。

「それじゃあ俺はこれで」

ユリウスの暗殺にユーグラドルは関与していない。薄っすらと気付いているかもしれないが、目を背け続けて来たのだろう。
真意が何であれ、ユーグラドル自身にユリウスを害す気がないのなら、ジンがどうこうするつもりは毛頭ない。帰ろうと遠ざかるジンへユーグラドルが手を伸ばした。

「ま、待て!!」

掴まれたマント、ジンは肩越しに振り返る。

「また無礼がどうのって言いますか」

「……っ」

「ユリウスは、ずっとあんたは良い王になると言ってる。あんたを信じたいんだよ、あいつは。…あんたが、兄が好きなんだ。言葉の端から、ひしひしと伝わって来る」

「……」

「兄弟ってのは、素直になれないもんなんだな」

「…………」

「ユリウスが大事にしてるもんを、俺が壊す気はない。あんたも、そうしてくれると助かるんだが」

「……………」

ユーグラドルは静かになった。マントを引っ張り、彼の手から抜く。

「……失礼します、王太子殿下」

もう頭は下げない。振り返りもせずに、ジンは寝室を出て行く。


「……待て、待ってくれ、俺は」


扉を抜ける寸前に呟きが耳に届いたが、ジンの意識は廊下へと続く扉にしか向けられていない。

「…わっ!!」

扉を開き、廊下へと出た瞬間、出会い頭にぶつかった人影を片手で抱き止めた。腕の中にいる蜂蜜色の髪がもぞもぞと動き、ぱっとその顔を見せた。琥珀の瞳が見上げて来る。

「ジン…!」

「ユリウス、よくここが分かったな」

一直線に向かって来る気配に気付いていたから、ジンに驚きはない。

「……ガラから、ジンが兄のカラスと一緒に居たと聞いて」

「そうか、迎えに来てくれたんだな。ありがと。んじゃ、お前の部屋へ帰ろうか」

くるっとユリウスを回し、肩を掴んで押し出すようにジンは歩き出す。

「え…っ、ちょ…ジン、何が……」

あったんだ、と尋ねようとして、ユリウスの目線が部屋の奥へと向けられる。そこに、ユーグラドルが立っていた。

その顔にユリウスは何も言えなくなった。

「………」

目が合った。ユーグラドルは諦めたように何も言わずに顔を逸らし、部屋の奥へと戻って行った。



.
.
.



「―――…そう、そんな事が」

部屋へ戻る道中、誰も居ないので、ジンも堂々と廊下を歩いた。ユーグラドルは広範囲で人払いをしていた。もしかしたらジンが何かしら抵抗を見せると思っていたのかもしれない。

「お前を孤立させるのが目的だったんだろうか、もしくは俺を引き入れる気だったのか。まあ、何にせよ、隠してると分かってて暴露を脅しにしなかったのは助かったけど」

「………そう…あの人は…あまり卑怯な手は好きではないのかもしれないね」


ユリウスはふと思い出す。

いつの頃だったか、かなり古い記憶だ。
兄が読んでいる本が羨ましくて、ねだりつけた事があった。兄は『この本は父上が俺にくれたんだ』と言って貸してもくれなかった。
父は『お前にはまだ難しいから、こっちにしなさい』と児童書を渡して来て、僕は拗ねた。

部屋で不貞腐れて、児童書を捲る僕に、兄はわざわざ本の内容を写した紙を持って来てくれた。
『これを読み終えたら、また次の所を持ってくる』と。

兄は一度読み終えた場所を、わざわざ書き写してくれたのだ。

なのに僕は薄っぺらい紙が嫌で泣いたんだけど。

困り果てた兄は、泣いてる僕に、その紙の内容を読んで聞かせてくれた。
それは帝王学に通じる物語がいくつも書き纏められた話だった。

あの本の写しは、全て綴じて製本し、引き出しの奥に隠している。



「―――兄はね、」

「うん?」

「小さい頃、海賊に憧れてたんだよ」


貿易の物語に、悪役として登場した海賊の逞しさと奔放さ、そして大胆さに、兄は『良いなあ』と何度も呟いていた。


「へえ、意外だな」

「そう?……僕の兄だからね、趣味が似てるのかも」




最後に見た兄の顔は、遠目からジンを見ることしか出来なかった頃の僕と同じ顔をしていた。




(惚れてたんだ、きっと、自分でも気付かないまま)


王太子としてのプライドと常識の中で生きて来た人だ。
枠組みから外れることの出来ない生き方の中、諦めきれずに足掻いた結果だったのかもしれない。


(僕を口実にするのはどうかと思うけど……気持ちは分かるなぁ、痛いくらい分かるよ)


「ユリウス?」

黙り込んだ僕の顔を覗き込むジン。

「何でもないよ」

僕は微笑んで返した。


(僕も、本物じゃないんだよ兄さん)



―――カア!カアッ!!

自室に近付くと、突然廊下に鳴き声が響いた。

「……からす?」

「ユリウス殿下!部屋の中に何故か鳥のカラスが…」

随分と近場で聞こえるなと思っていたら、部屋から人間のカラスであるセヴが飛び出して来た。
ユリウスは開け放たれた扉から中を覗く。天井を飛び回り、捕えようと追い掛けるカラス達の手をすり抜けている黒い鴉だ。

「本物の鴉?…おっきいな」

「今捕らえますので」

「あ、待った、そいつは俺のだ。悪い」

ユリウスの後ろからジンも中を覗き、飛び回る鴉を確認すると謝った。

「「え??」」

セヴとユリウスが困惑する中、部屋の中へと入り、腕を上げた。

「おいで」

鴉はすぐに反応し、ジンの腕へと滑空し止まる。鴉を捕まえようとしていたカラス達は「またお前か」と呆れたような目線を向けた。ユリウスがジンへと近付く。

「ジンも鴉を雇ったのかい?」

ユリウスが揶揄うように言う。
腕に止まった鴉は落ち着いたように片翼を広げ、嘴でグルーミングしている。近場で見ると、より大きく感じるが、王国には珍しくない野生の鴉に見えた。

「さっきまで鴉じゃなかったんだよ」

「え?」

「ユリウス、これをお前に贈りたい」

「………僕に?…鴉を?」

鴉ごと腕を突き出すジン。ユリウスの目が不思議そうにジンを見上げた。鴉は羽を閉じて大人しくしている。

「何、俺たちじゃ不甲斐ないとか言う嫌味か」

ユリウスの後ろに集まったカラス達が、ネロの言葉に同調するように仮面から覗く目を怪訝に細める。

「はは、面白い事言うな」

「面白くねーよ」

笑うジンに答えたのはカロだ。

「君たちも随分仲良くなったよね…」

カラス達とジンの仲は気安いものになっている。情報共有としてジンがカラス達にアレコレと聞くようになったからと言うのもあるが、ユリウスの死に激怒したジンを、カラス達も信用した事がキッカケのようだ。
カロに至っては八つ当たりで殺され掛けた事に怒りをぶつけた結果、今では誰よりもジンに堂々と文句を言う。

ジンが混ざるとカラス達もまるで普通の青年達のように雰囲気が賑やかになる。ユリウスはそれが妙に好きだった。

「まあ、信頼してるからな。ユリウスが選んだだけある」

「…ふふ、そうだろ。良い仕事するんだよ」

それでも職務となると今まで通り、いや、今まで以上の意気込みを感じる。ユリウスへの刺客が激減したのは、彼らの功績もあるだろう。

「こいつも良い仕事するから、仲間に入れてやって」

「仕事?」

ジンの指が鴉の顎を撫でた。気持ち良いのか、嘴を上げて目を閉じる鴉の顔を見上げる。

「心配すんなよ、カラスの仕事は取らねぇから。こいつは言わば、伝書鳩だ」

「……鳩には見えないけれど」

「今はな、見てて」

ジンはぴゅうと口笛を吹いた。
鴉だった生き物は、パッと姿を変えた。瞬きなどしていないのに、本当に一瞬で変わったのだ。

真っ白な鳩の姿に。

「………えっ?」

「こいつは鳥じゃない、『カレイドガルダ』と言う、あらゆる鳥の姿に擬態する魔物だ。魔力まで鳥と同様に擬態しているから『感知』でも魔物とは見抜けないし、僅かな時間なら『隠密』も使える。野生の鳥との違いはこの目だけだ」

そう言ってジンはカレイドガルダの目を指差す。パチリと瞬きをし、ユリウスをジッと見詰める目は、火を閉じ込めたような 橙赤色とうせきしょくだ。不思議な色で、鳥に限らず、動物の目に同じものはいないだろう。

「綺麗な目だね。暖炉の窓を覗いているようだ」

「どんな鳥の姿になっても、この目だけは変わらない。元々個体数も少なく、臆病な性格だから、ギルド登録者でも見たことある奴は少ない。魔術師や騎士では普通の鳥と見分けがつかないだろう。それ以前に目色が分かるほど近付くことも難しいと思う」

カラス達は追い掛け回していたが、ジンがこの部屋に待機するように命じたから逃げなかっただけで、本来ならすぐに逃げ出していただろう。
大空に飛び立ち、姿を変えられたら追い掛けることすら出来ない。

そうやって生き延びて来たであろう魔物だ。

ジンが鳩を乗せた腕を突き出す。ユリウスの顔を、鳩はジッと見詰める。

「今は俺に従属してるけど、ユリウス、お前に渡したい。これが、俺からの贈り物だ」

「……僕に?」

「こいつなら王宮の結界も抜けられるし、見た目が鳥ならこの辺を飛んでいても違和感もないだろ。ハチドリなんかの小型の鳥にもなれるぞ」

今度は嘴の前で指を鳴らす。再びパッと姿を変えた。愛らしい、小さなハチドリの姿に。

「今より手紙の頻度を上げられる。古典的だが、悪くない」


王宮内では転送装置や通信魔具は厳しく管理されている。情報漏洩や盗難防止の為だ。何よりどちらも対になる物が存在し、その場合は使用する場所や人などの詳細も必要となる。
申請せずに使おうものなら『結界』に感知されるし、魔力痕跡も残る為、ユリウスは使用しないと決めていた。

ジンを守る為だ。
迷惑を掛けないと言う約束を守る為。
ジンへ繋がるものは極力避けていた。
それがわざわざ魔塔を介し、遠回りなやりとりをしている理由。


「……でも、そんなに小さくなったら手紙なんて運べないんじゃ」

「魔物だから問題ない。どんなに小さくなろうが、手紙くらい運べるよ。な?」

カレイドガルダへ首を傾ぐジン。ユリウスの前でホバリングしていたカレイドガルダはジンを振り返り、その小さな首を傾いだ。分かってなさそうな仕草にユリウスが小さく笑う。

「…愛らしいね、こんな魔物もいるのか。でも僕よりロキ先生や、他の子に渡した方が良いんじゃないかな。貴重な魔物なんだろ? そんな従魔を僕に渡すって………勘違いさせたくないなら、やめておいた方が良い」

気付くとカラス達は全員姿を消している。
ユリウスは手を伸ばさず、羽ばたきも鳴らさずに飛び続けるカレイドガルダを見詰めた。微笑んでいるが、その目には何か深い諦めが映り込んでいるように見える。

「…勘違いってのは」

「……何でもないよ。折角連れて来てくれたのに、可愛げのない事を言っ」

「俺がお前を特別に思ってるんじゃないかって?」

こそこそと早口で話すような口調。ユリウスが言い難い本音を言う時の癖。ぶった斬るジンの言葉に、ユリウスは伏せがちの瞼を大きく開いた。

息を止めてジンを見詰めた後、そっと微笑み呟いた。

「そんな勘違いじゃ」

「俺も勘違いしてるのかもな」

「…君が何を?」

「お前も俺を、まだ特別に思ってくれてると」

ハチドリの姿のまま、カレイドガルダはジンとユリウスの顔の間をジグザグと飛び回る。しかし2人はカレイドガルダが見えていないように見詰め合った。

ユリウスの笑みが微かに歪む。白磁の頬に赤みが差し、眉尻が下がった。

「………それは勘違いじゃ、ないね」

「お前も勘違いじゃないよ」

観念したように囁き落ちた言葉に、間髪入れずにジンが答える。

「お前は特別だ」

更に畳み掛ける。
ユリウスはもう、無条件には自分の言葉を受け入れてはくれないとジンも分かっている。

傷から心を守る為、幼少期から培ったユリウスの自己防衛。それは深い諦念。

そうでなくとも自分はひどい男だった。
それでも傍に置いていたのは、目的達成の為だけではなかった筈だ。

「遅くなってごめんな、ユリウス。言葉だけじゃ信じて貰えないと思って、こいつを探してたんだ」

お前への贈り物に最適な物は何か、思い付くのにも時間が掛かった。
手に入れたいと思えば、ある程度の物は手に入るお前へ、半端な贈り物などしても意味はないから。

俺だけがあげられるモノでなければ。

「俺とお前を繋ぐものを形にしたかった。お前ともっとやり取りしたいんだ、こいつならそれが実現出来る。…俺の本気が伝わると嬉しい」

「………」

「……無理に俺の気持ちを受け取る必要はない、ただ、こいつは受け取ってくれないか。便利に間違いはないだろ?帰ってくる日も教えやすくなるし」

魔塔を介すると、どうしても日程にラグが起こる。魔塔で止まってしまったり、ユリウスが受け取り損ねたりと、帰れないと伝える手紙が約束の数日後に届いてしまう事もよくあった。
お互いに送り主の名前がなく、当人以外では開かない細工をしているから、怪しまれたりして止まるのは仕方ないのだが。

ユリウスはぼんやりとした顔になった。いつもより幼く見える表情は、先程ユーグラドルから聞いた『庭園に座り込んで蝶や鳥を見ていた幼少期』のユリウスを想起させる。

可愛いが、何を思っての表情なのかはさっぱり分からない。



「……帰って、くるのか」



やっと口を開いたと思ったら、思いもよらない言葉でジンは一瞬理解出来なかった。

「うん?……うん、…嫌なら、すまん…」

そうか、もし、もうユリウスに気持ちがないのなら、自分の気持ちは邪魔で、寧ろ帰って来られる方が面倒なのかもしれない。そこまで考えてなかったと気付き、自惚れていたのだと自覚した。

所々、自意識過剰が顔を出す。

素直に謝るとユリウスはハッとしたように瞬き、首と手を一緒に振った。その動作も少し幼く見える。

「違うよ、違う………帰る、と言う言葉が……」

その手が徐々に降りていく。再びぼんやりとした顔立ちになり、瞬きもせずにジンを見詰める琥珀色の目が揺れた。

「帰って、来てくれるのか。僕は、君の、帰る場所のひとつになれるのか」

「…お前はもう、とっくの昔に俺の帰る場所のひとつだ」

「僕はもうずっと、ただの友人でしかいられないと思ってた、…それでも、良いと思っていたんだ…傍にいれるなら、もう何だって良いって…」

ユリウスの手が伸びて、ジンの頬へと触れた。手首を優しく掴み、頬を強く擦り寄せる。

「……許されるなら、ただの友人以上の立場で傍に置いて欲しい。お前との関係を、やり直したい」

「………君は、ずるいなあ。僕がどれだけ君を諦めようと努力していたか、知らないだろう。友人として振る舞ったら、やっと君が歩み寄ってくれた。これが正解なんだと、これまで色んなものを見て見ぬふりして来たのに」

「…申し訳ありません。お許し頂けるまで、俺も努力します。お前が俺に、してくれたように」

ユリウスの手を取り、誓いの意を込めて手の甲へと強く口付ける。

「……そんな努力しなくて良い」

力が入ってなかった手に、きゅっと力が入る。顔を上げるとユリウスは笑っていた。

「無駄な時間になってしまう。どうせ、僕は許すんだ。君に何をされたって。ごめんね、メソメソして」

「………ユリウス」

手を握り締めて姿勢を正す。

「ユリウス、やっぱり俺を許さなくて良い」

今思えば、彼にはきつい事ばかり言っていた。あまりにも無神経だった。
不安なのだユリウスは。また傷付くんじゃないかと。
自己嫌悪が背中を刺してくる。許して欲しいなどと、願ってはならなかった、乞うべきじゃなかった。

「……どうして」

「ただ、傍にいる事は許可してくれ。これから証明していくから、お前がどれだけ特別で大事な存在になったのか。目的が達成された後も、お前が俺を必要としてくれるなら、どれだけ掛かってもちゃんと証明していくから」

「………」

ユリウスの目が握り合う手を見る。

「……本気なんだね」

「ああ、本気だよ」

「……はは、なんだか夢のようだ。こんな日が来れば良いと思ってたけど…そっか、そうなんだね。嬉しいなぁ」

微笑んだユリウスにジンもホッとしたのも束の間、笑顔のままユリウスの目から大粒の涙が零れ落ちた。

「!?」

ジンはぎょっとした。

「あれ?なんか出てきた」

自分のことなのにユリウス自身も突然の事に驚いたような顔をして、涙を空いている手で拭う。
しかし涙は止まらない。

「おかしいな、止まらな、い…あはは、ごめんね。びっ、くりす…するよね、ぼく、僕もびっくりで……っ」

「ユリウス」

彼の手を引き、ジンは胸へとユリウスを抱き締める。2人の周囲を飛び回っていたハチドリだったカレイドガルダも、ジンの気持ちに感化されたのかユリウスの肩に止まり、その身を首へと寄せた。

「…ごめ…すぐ、止め………っ」

「いい、いいんだ。泣いて。ごめんな、ごめん、ユリウス」

「あやま…っ、謝らなくて…うう…っ…う…っ!」

言葉にならないユリウスの声はどんどん涙に溺れていき、嗚咽へと変わっていった。ジンの腕を掴んで、頭を首元に押しつけて泣いた。

噛み殺せない泣き声が部屋を満たす。

ジンはユリウスの細い身体を強く抱き締め、頭部を擦り合わせる。息苦しそうに耐えようとする声が胸を締め付ける。


泣き方を知らないのだと、分かるから。


なんて声を掛ければ良いのか。どんな想いで泣いてるのか。分からないジンは気の利いた言葉のひとつも言えない。

ただ只管、存在を主張するように、ユリウスを抱き締め続けた。






そんなジンの戸惑いを、ユリウスは止まらない涙に咽びながらも気付いていた。

大きな掌で背中を撫でて、頭を擦り合わせて。窮屈で温かいジンの腕の中。


ーーー愛しいなぁ


彼を信じてない訳じゃない
でも漠然とした不安と、過去に言われた言葉が押し寄せて来て、手放しに喜べなかった

せっかく彼が歩み寄って来てくれたのに、こんな僕はやっぱり嫌だと思われるんじゃないかって、また不安になる




好きだから、素直になれない、不安が拭えない




だけど彼の匂いや体温に包まれると、胸がいっぱいになって不安も過去も消えていくようだった。
初めての感覚だ、この胸に、何が詰まってるんだろうか。優しくて、柔らかくて、温かくて、なんだかとてもキラキラしてて。



ーーーまるで夢の中だ



目を開けると彼の黒い襟足が見える。世界は滲んでいて、息は苦しいのに、何もかもが満ちていく。
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わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。 まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!? 悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。

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