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学園編 3年目

男爵家男孫の卒業式3

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「ーーて言うことが講堂であったの、ロキ先生見てましたよね」

ジンは講堂から出てすぐにロキに捕まった。
そのままロキの教員室へと引き摺られ、何故か居るユリウスの向かいのソファに座らされた。



そしてそのユリウスから、今し方、とんでもない要求をされて、呆れたようにこのセリフを吐く事になったのだ。



「見ていたし、聞いていた。お前の出生に関しては同情しよう」

同情など全然する気なさそうに、ロキは紅茶に蜂蜜を注いでいる。本当にリパから話を聞いたのか疑わしくなるくらいだが、彼らしいと言えば彼らしい。

「羨ましい、僕も聞きたかったです」

その隣でこれまたのんびりと紅茶を飲む王子が口を挟む。

「…聞いたら、今のお話なかった事にしてくれます?」

「どうして?あまり悪い話じゃないと思うんだが」

あっけらかんと返されて、ジンは出された紅茶を飲みもせず、前屈みに項垂れた。ガウンとフードは脱いで隣に置いている。きっちりと着込んだ制服が窮屈に感じて、ネクタイを緩め、釦を開けた。少しだけ息がしやすくなり、思考もクリアになった気がする。

ここに第二王子が居る理由。それはかつて、彼が『悲願』と称してジンに耳打ちした『貴族名簿からの除籍』を手伝った見返りの要求だ。

自分の痕跡を消したかったジンにとって、確かに除籍は候補のひとつに入っていた。しかし一個人の主張だけでは一蹴されてしまうし、『楽団』を使っても殆ど不可能に近いと言われた。だから『偽装死』を狙っていたくらいだ。

王族の助けがあれば、わざわざ偽装する事はない。平民であるなら尚のこと戸籍はあった方が便利だ。だからユリウスに助力を求める手紙を送った。

そして今日、その見返りを貰いに来たと。それは良い。

ただ、その内容があまりに突拍子もなさ過ぎて、ジンは耳を疑った。



「王子殿下の『愛人になる』のは良い話でもありませんよね」



ユリウスは「そうかな?」と気怠げにロキに同意を求めて目線を送った。ロキは紅茶に意識を集中しているようだ。どちらにも興味なさそうにしている。案内役で居るだけなのだろうか。ジンもロキは無視する事にして、ユリウスに呆れた視線を送った。

「あの皇太子と変わらないと言ったのは、こう言う意味か…」

「君を手に入れる事は、僕の方が先に考えていたのにね。まさか先手を取られるとは思わなかったな」

相変わらず眠たげな声は、以前よりも砕けている気がする。釣られるように第二王子に対して慇懃無礼な態度を取っていた。平民の身でありながら。

(と言うか、平民になって初めて会う貴族が王族って…)

流石に想定していない。

「除籍が叶ったのは殿下の助力あってこそです。心から感謝します。ただ……アルヴィアン公爵家への報せが、今日送られると言う事くらいは教えて欲しかったですね」

「あれ?言わなかったかな。除籍は完了当日に報せを送るものだって。アルヴィアン公爵家は首都にあるから、すぐ報せが届いてしまうのは仕方ないと思うのだけど…」

「…聞いたかもしれませんね。すみません」

正直、アルヴィアン家の位置や書簡の到着日時までは考えてなかった。この方向でユリウスを責めて、見返りの事を有耶無耶ないし、内容を変えて貰おうと思ったが、ジンは早々に諦めた。

「愛人になったからと大々的に公表するつもりはないし、主導権は君に渡すよ。僕が出来る範囲で便宜も図る」

「……例えフリでも婚姻や契約をする事はありません」

「理由を聞いても良いかい?」

「俺は1人へ愛情を傾けられる誠実な男ではありませんから、例外を作る事で希望を持たせたくない」

ユリウスは眠たげな目をゆっくりと瞬かせて、ロキへと横目に視線を移した。助けを求めているのだろうか。

「随分と頑なだな。何故そんな言い切れる」

視線に気付いているかは分からないが、ロキは飲み掛けのカップをソーサーに戻して口を開いた。この一言でロキがユリウス側に立っているのだと気付いて、少なからずガッカリした。顔には出さない。

「……まさか、ロキ先生。その内本気で愛せる人が出て来る、なんて陳腐な言葉を言ったりしませんよね」

「そうではない。1人を絶対に選ばないのはお前の覚悟だろうからそうなんだろうと思っているが、愛人は別になっておいても損はないだろ」

「王族の愛人なんて面倒に巻き込まれる事しか想像できませんが。損でしょ」

「いや、そんな事はさせない」

ユリウスがきっぱりと言い切った。

「なぜ言い切れるんですか」

「僕がさせないからだ。君に迷惑はかけない、絶対に。王族のトラブルだけじゃなく、君が嫌がることはしないと言う意味だよ。約束する」

「ここで約束されても……なぜ俺なんですか。ユリウス殿下は王位継承権に興味がないアピールとして、跡継ぎを作れない同性愛者であり、愛人にうつつを抜かしていると言う噂を流したい…んですよね?」

「手始めにね」

何の手始めなのか。今更ハンス達の気持ちが分かった。先の見えない会話とはこうも不愉快で、こんなにも不安感を煽るものなのだと。

よく3年間、俺の傍に居てくれたよな。

改めて彼らに感謝が湧き出る。そして会いたくなる。パーティーが始まる前に、挨拶くらいしておきたいのに。

この話し合いは拗れそうだ。ジンはあからさまに溜息を吐いてみた。不敬だろうが、不満をアピールしてみよう。

「だったら俺ではなく、護衛騎士とかから選べば良いでしょう」

「護衛騎士なんて愛人にしたら王宮内で揉み消されてしまうよ。最悪の場合、その騎士は亡き者にされる。いくら見知らぬ他人とは言え、ジン公子の心も傷むだろ?」

「……正直、別に…」

「うーん、やっぱり正攻法では話にならないね」

「だから言っただろ。地位も名誉も金も此奴には無意味だし、感情へ訴えるならハンス辺りを使わないと微塵も動かないぞ」

「愛人契約が無難だと思ったんだけどね…やっぱりロキ先生の案でいこうか」

2人は何やら話し合っていた様子だ。ロキは「ほら見ろ」と言わんばかりに頷いている。

「では、『愛属』関係になろう」

「はい?愛属…ってあの性奴隷のやつ…?」

聞き覚えがない。

「それは『隷属』の使用法のひとつだ。まあ、愛属も人間同士の契約魔術の一種だが、隷属と違い禁術指定はされていない。ただ魔物との『従属』に近い効果の為、非人道的ではと忌避されて来たようだな」

「…どっちにしても主従関係になるんじゃ?俺を無理やり従えるつもり?」

仕組みは知らないが予想はつく。リパから『隷属』の話は度々聞いていたし、『従属』ならば馴染みしかない。名前が違うだけならば、内容は変わらない筈だ。

「いいや、違う。君には愛属主になって欲しい、僕の主人に」

ユリウスがはっきりとジンの疑念を叩き斬る。自分が主人?何を言ってるんだと、ますます訳が分からなくなる。

「僕は君をコントロールしたい訳じゃない。だから主人は君だ。勿論、愛属である事は伏せておくし、公表するつもりもない。とにかく僕には愛人と呼べる人が必要なんだ、…今はまだ、はっきりと理由は言えないけれど」

「…だったら尚のこと俺じゃなくても」

王宮内で何かあったのだろう。ユリウスは少しだけ項垂れた。怠惰な様子とは違う、偽りのない疲労感にジンは少しだけ心が揺れた。生まれで苦労している。血が繋がっているからこその苦痛を、嫌と言うほど思い知っているからだ。

ユリウスは疲労感を押し込み、真っ直ぐとジンを見詰めた。

「君ほど条件にあった人はいない。貴族を理解しているが貴族じゃない、どこの派閥にも所属してない。平民の冒険者になった君が、王宮をどうこう出来る事もない。だけど強くて、隠れる術も持ち合わせてる。1番安全で最も都合のいい男なんだ。これすらダメと言われたら、僕は王族の権利を行使してしまうかもしれないね」

なんか恐ろしい事をしおらしく言っている。ジンは一瞬言葉に詰まるが、すぐに頭を振る。

「……例え建前だとしても、やっぱり俺は、誰か1人に肩書きを与えることはしたくない。殿下でなくとも同じように答えます」

「1人じゃなければ良いんだろ」

ロキが唐突に口を挟んだ。

「え?」

「お前が怯えているのは1人を特別扱いする事なんだろ。だったら、複数いれば解決だ」

「は?」

「俺とも愛属関係になれば問題はない。そうだろ」

「………はい?」

「お前、俺の事好きだろ」

ロキは鼻で笑う。その絶対的な自信に見合う、妖艶で高圧的な笑みにジンは心臓が高鳴った。

「…それは、」

顔が好みで身体も好みで、性格だって魅力的だ。否定の言葉は出て来なかった。

「怯えるな、俺もお前が好きだ。だからこそ、お前の嫌がることはしたくないし、お前を守りたいと思ってる」

「……」

あまりにもサラリと言われてジンは固まった。

「お前の過去を聞いて、何に怯えているのか分かった。そして何がお前の為になるのかも」

「…先生」





「俺は、お前の帰る場所になりたい」





指先から心臓までがゾワリとした。抑え込もうとしても、言葉にならない気持ちで胸がいっぱいになる。

帰る場所
俺の
俺だけの

思わず狼狽えて、目が泳いだ。断るべきと遠く自分の声が聞こえるのに、言葉は出て来ない。

「お前は愛されたがりだな、幼い頃の愛情不足がその一因なのだろう」

一瞬ロキが何を言ったのか分からなかった。
理解した瞬間、一気に顔が熱くなった。

「お前、そんな顔も出来るんだな」

優しく笑う紫の目には、顔を赤くしたジンが居る。ジンは顔を撫でて背凭れへと身体を預けた。「はあ」と深く溜息を漏らす。

「先生が好きなのは、俺じゃなくて俺の魔力だろ」

「それがどうした、お前の魔力はお前にしかない。だからお前が好きだ」

「……俺は、俺を本気で好きな奴とは」

「分かった分かった。本気じゃない。とっとと愛属しろ」

煩わしそうに手で払われた。ジンは急激に冷静になる。ロキは足元から黒いトランクをテーブルへと引き上げた。寝かせて蓋を開け、中をゴソゴソと漁っている。

「愛属関係になると従魔と同じく付随特性、また属性や魔力の共有などが可能になると聞く。人数の制限や共有出来る能力値は愛属主の魔力が関係するとか。しかし愛属主と愛属者の魔力が共有されるのであれば、その制限なども、どう変化するのか楽しみだな」

トランクの中から分厚い本を取り出し、ドサッとテーブルに乗せる。古い魔術本のようだ。トランクを下ろし、本を捲りながら饒舌に話すロキにジンは疑いの目を向けた。

「先生…もしかして、愛属してみたいだけじゃ」

「どうだろうな、お前がそう思いたい方で」

「どっかで聞いた事あるセリフだな…」

ジンがぼやくとロキは笑った。「お前だよ」と言われてるようだ。とあるページを開くと、本をひっくり返して指を差す。ジンは目線を本へと下ろした。

「ジン、此処を見ろ。愛属は隷属のように相手を支配出来る訳ではない。意識や自我をコントロールする事は不可能だ。愛属は名の通りに愛が基盤だそうだ。馬鹿馬鹿しい書き方だが、まあ、隷属との質の違いは明らかだ。力を分け与える事が出来るのは愛属のみだからな。その代わり、愛属者は愛属主に身を捧げる事になる。簡単に言えば、愛属者は愛属主としか魔力循環も、セックスも出来ん身体になるようだ」

「は?何その愛属主だけ得する関係」

「愛属者は、愛属主を介して愛属者同士でも付随特性などを引き継げる。まあ、その基準値は主人よりは低くなるようだが…理論上は全員が全属性を持ち合わせる事もあり得るそうだ。だから損でもないだろ。どうだ、面白いだろ」

「………先生1人で全属性網羅してんじゃん。俺要らなくね?」

「光は持っていない」

「そんなの俺も持って………え、ユリウス殿下。光属性持ちなんですか?」

ロキの熱量に驚いて固まっていたユリウスが、突然話題を振られて二度驚いた。ジンを見て、頭を振る。

「いや、僕は水と土だよ」

「天使が居るだろ」

「先生どうかしちゃったのか」

ここでシヴァの名前 (ではないが) が出るとは。ロキの頭の中で一体何がどういう展開をしてるのか、全く分からない。

告白をした後とは思えないロキの様子に、ジンは何だか張っていた気が抜けていく。

「俺1人が言い出してもお前はしてくれないだろ。だからユリウスの話に乗った。我々はお前を束縛するつもりはない、他所で他の男を抱いても構わん、まあ、帰って来ると言う約束はして貰うが。それ以外ならば、好きにしろ」

「……なんかもう、よく分かんねぇ。愛属って、恋人や愛人とは違うのか」

「さあな。いちいちカテゴライズしなければならない理由はない。では、手順を説明するぞ」

「ええ~……」

「腑抜けるな、お前がやるべき事だぞ。ここを読め」

ロキはジンの隣へと座り、肩を寄せるように本の文章を指で滑らせた。しゃらりと耳元で鳴るグラスコードの音。触れ合う腕から溶け込む体温。強く拒めず、結局、手順が書かれた箇所を読み切ってしまう。

それもその筈だ。あまりにも簡単な方法で、文章が短いのだから。

「…これ、マジ?噛んで魔力流し込むだけって。下手すりゃやってた可能性あるけど」

「ただ噛んで流すだけではならん。受け手側がお前の魔力と自分の魔力を繋げ、お前の唾液と受け手の血が混ざって愛属紋が出たら終了だ」

つまり、受け手側の協力が最も重要なのだろう事は理解出来た。でなければ、本当にどこかでうっかり愛属関係になっていたとしてもおかしくない話だ。だが

「何がどう違えば愛属になるんだ?それに、モンって紋?」

「よく分からんがやれば分かるだろ」

「先生も分かってねぇのかよ」

珍しく説明が丁寧だと思ったら、単に自分でも分かってなかったから整理していたのだろう。でかい独り言のようなものだ。

「魔術は理屈だけでは説明出来ん。ほら、」

唐突にケープを脱ぎ去り、下に着ていたシャツを開いて肩まで下げた。おまけに躊躇いもなく膝を跨いでくる。はだけた姿を膝に抱けば、当たり前のように下半身が疼く。我ながら単純だ。

「此処を噛め」

差し出され、指を向けられたのは、左胸の上。

「…せん」

「ジン。ここまで人を散々好きにして来たんだ。偶には譲ってくれても良いだろ」

「好きにって、先生全然相手してくれなかったじゃん」

「これからはお前の好きにして構わない。俺からもおねだりさせて貰おうか。俺の可愛いご主人様」

「…………っ」

「悪くないだろ?」

膝に尻をつけ、ぺたりと首筋を撫でて来るロキ。眼鏡の奥から覗いてくる紫水晶アメジストの目が、慈愛に満ちた優しさと、同時に抗いようのない妖艶さを見せてくる。フェロモンも魔力も容赦なく染み込ませてくるロキに、ジンは視界が狭くなっていく感覚を覚えた。

「……っ…」

「噛め、ジン。ほら」

そそのかされるように左胸へ口を近付けた。肉が薄く噛み難いが吸い上げて、歯を引っ掛ける。

「そのまま…そうだ、魔力を注ぐんだ。ちゃんと理解してるな。もう少し強くしろ、もっと、深く…」

熱が急激に上がる。言われるがままに噛む力も、注ぐ魔力も増やしてしまう。うなじから後頭部を撫で上げられ、気付けばジンの両手はロキの腰を強く抱き締めていた。

「……っ…く、はあ…ジン…」

皮膚が裂けた瞬間、ロキが甘く鳴いた。口の中に鉄の味が広がる。ロキの背中を撫で上げ、歯を肌から外して舌で舐め上げた。

「出来たか」

確認の声にハッとして顔を離した。ロキの左胸には、まるで血で描いたような魔術紋が浮かんでいた。見た事のない紋だ。よくある円形だけではなく、三角が幾重にも重なっているような複雑な幾何学模様。
歯型から滲んだ血が、まだふよふよと細い煙のように伸びて紋へと流れ込んでいる。思わず撫でると、ロキは痛みに眉を顰めた。

「ジン、撫でるな。痛む」

「あ、ごめん…」

「ふむ…本によると魔力値が高い程、魔力紋は複雑になると書いてあった。中々良い模様だ」

するりと膝から下り、自分の胸を見て満足そうに微笑んでいる。その顔を見上げ、ジンはつい嬉しくなってしまう。ロキの笑顔の為ならこのくらい良いか、と。

「それが愛属紋ですか」

ユリウスの声にジンは今の状況を思い出し、項垂れた。何をまんまと流されたのかと。

「ああ、愛属紋は同じ形のモノは存在しないらしい。これはジンの紋と言う事になる。面白いな。自分の愛属紋を見てみたいが、愛属された側は愛属する事は出来ないらしいから二度とお目には掛かれん」

「先生…」

「何をぼんやりしてる。ユリウス、お前の番だ」

ジンの声は悉く無視される。

「なあ待って、マジで言ってる?俺、了承してないだろ」

「ほお?じゃあ、お前は俺のものになる訳だ。それも悪くない。恋人が出来たと言い触らして来るか」

「……ぐ…」

「1人より2人、2人より3人、何人でも捕まえて来い。此奴はそのついでだ。ユリウス、脱げ」

ジンの言葉など微塵も意に介さない。指で示されてユリウスはサッと立ち上がり、お忍びで来ていた為に着ていた地味なローブを脱ぎ、クラバットも取り去る。抵抗もなくシャツを脱ぎながら、カツカツと澱みなく歩いて来た。

「…王子様、本気か」

「……ごめんね、僕にも後がない。…君が必要なんだ」

片膝をソファに乗せ、近付いてくるユリウスに困惑する。ロキがまるでユリウスの守護神のように背後から見下ろして来るので、ジンは逃げ道がない気がしてしまう。

力で抵抗すれば難なく逃げられるだろうに。

「『肩を噛み、愛属しろ』」

ユリウスの懇願にも似た声が耳に響き、勝手に口が開く。差し出された左肩を顔を傾けて噛んだ。先程と同じく、白い肌へ歯を立て、魔力を注ぎ込む。不安定そうな身体を見て、腰を掴んだ。見た目よりも細く感じる。

「…うっ…!!…ぁ…っ…」

噛み締めて歯が食い込むとユリウスの吐息が跳ねた。腹底を殴ってくるような掠れた声がジンを煽る。口を剥がし傷痕を見ると、ロキの胸にある魔力紋と同じ紋が出来ていた。

何故かぼんやりとする頭で、ジンはその紋を眺める。

「……ジン、『ごめん』」

謝りながら額にキスをされて我に返り、立ち上がるユリウスを見上げた。何やら胸の辺りが騒がしい。

「…これが愛属か…すごい」

ユリウスの呟き。ジンとユリウスは、ほぼ同時に自分の胸に手を当てた。

心音が多い。温かいもので肺が満たされていく。

その様子を見て、ロキは頷いている。

「上手く繋がったようだな。心臓の音が重なっているように感じると書いてあったが、どうだ。ユリウスも感じるか」

「はい、まるで心臓がふたつあるみたいだ」

ジンはふたつどころではないが、何となくどちらの心音がどちらのものかは把握出来る。そして、うるさくはない。うるさいどころか。

「…先生、これ」

「お前にも伝わっているか?俺とユリウスの心臓の気配が。愛属関係を結ぶと互いの生死や、ある程度の位置なども分かるようになるらしい。ドラゴ達と繋がってるお前には馴染みがある感覚だろう」

「……これが、愛属?」

「そうだ」

まるで2人に寄り添われてるような気分になる。

「生命力が弱くなると心音も弱くなるらしい。お前が何処でくたばっても、これで分かる」

今日1番の、優しい声だった。
ユリウスもハッとした顔でロキを見て、小さく微笑む。

「…先生が愛属に拘っていたのは、これが理由だったんですね」

「そうだ。こんな何処で野垂れ死ぬかも分からん男には丁度良いだろう」

「……先生には敵わないね、ジン」

顔を覗き込まれてユリウスに肩を叩かれた。全く同意でしかない。頷く代わりにジンは首を掻く。ユリウスの肩に赤く刻まれた愛属紋を見て、意を決したように口を開いた。

「…それじゃあ、俺は演じれば良いんですか、ユリウス殿下の秘密の愛人を」

両親の代わりを脱却したと思ったら、次は愛人の代わりとは。実在しないだけマシだが、最早宿命のような気さえして来る。少しばかり不満を乗せたのだが、ユリウスは変わらずに微笑むだけだ。気怠げな首の動きが、こんな時でも色っぽい。

「ありがとう、でも演じなくて良いんだ。ただ、時々僕の部屋に来て欲しい。道は僕が開くよ。その時に、存在を目撃させたい。実際に僕には愛人が居るんだと思わせたいだけなんだ。だから、演じる事はない。君のままで良いんだよ」

「……それなら、やっぱ、俺じゃなくても…」

「その分からず屋は演技?君じゃなきゃ駄目なんだ、僕の愛人は、君じゃなきゃ…あまり言うようなら、除籍の撤回をネタに、脅してしまうかもね」

「……分かりました、やれるだけやってみます」

乗り掛かった船とでも言うのか。ロキもユリウスも好意はあれど、愛属には別の目的があり、束縛や制限を付ける気はなさそうなので良いとしよう。これ以上の抵抗は時間と気力の無駄になりそうだ。

結局誘惑ロキにも権力ユリウスにも勝てない。

言い訳かもしれない。なんせ、この重なる心音と『帰る場所』は手離し難い程に魅力的だから。

ジンの言葉に納得し、眠たげな王子と冷たい麗人は向かいのソファに戻り、脱いだ服を着込み出す。

「ジン、お前この後はどうするつもりだったんだ」

「え…ああ…とりあえず、宿を取る予定だよ」

「まだ取っていないんだな。だったらウチに来い。今後の事を話したいが、俺はパーティーに参加せねばならん。先に帰って待っててくれ」

「………先生の家って、ここじゃん」

ロキは教員寮に住んでるので学園に居座る事になる。平民となったジンは学園に居て良い理由はない。

「新居だ。魔塔の中にある。そら、『鍵』だ」

放り投げられた物を片手で掴んだ。少し古い、宝石箱なんかに使われるシンプルな鍵。ただ、数え切れない程の魔術が組み込まれている複雑な鍵だ。

「………は?魔塔?何で先生が魔塔に?」

「転職した」

「…………え?先生、先生辞めんの?学園長との約束は?」

「覚えていたか。約束は果たせた。だから教師は今日で終わりだ」

学期末試験が終わった日、ジンがクラブ活動の日程を聞いたあの日に、ロキは学園長に退職を願い出ていた。その引き継ぎや手続きで忙しくなると分かっていたから、クラブ活動を停止した。

どうせ卒業後に会えるのなら、活動を口実にする必要はなかったから。

卒業式用のケープを羽織り直す。自分の卒業でもあるのだと、少しだけ感慨深くなる。

そんなロキにジンはぽかんとしていた。

「…約束って、何だったんだ」

「気になるか?では後で教えてやるから、お留守番してろ。良い子でな。ユリウスもあまり長居は出来ないだろう。後の話は改めて時間を作らせる。2人とも学園長室まで送ろう」

トランクへ本を入れ、指ひとつでテーブルの上を片付けたロキ。時計を見て少しばかり慌ただしく、急かすようにジンを立たせた。

「学園長室?俺も?」

ユリウスは分かる。また転移装置ポータルでも繋げているのだろう。しかし、ジンが学園長室に行く理由が分からない。何より寮部屋にドラゴ達を留守番させたままだ。迎えに行かねば。

「ドラゴとフィルも学園長室で待たせている。お前の荷物と共にな。学園長室に俺の家へのポータルも繋げている。そこでその『鍵』を使え」

「……用意周到で」

時計を見ると確かに既にパーティーの準備時間に食い込んでいた。もうハンス達に挨拶をするのも無理だろう。心残りではあるが、今の精神状態では会わない方が良いかもしれない。

色々と頭も精神も追い付いていない。
今この姿を見せたくない。

またいずれ会えるのなら、その時はもう少しまともな姿を見せたい。

そう、思っていたのに。

廊下に思わぬ人がいた。パーティーの準備もせず、制服姿のまま突っ立っている。

「…ハンス」

「ジン」

ハンスは動かないまま、窓から注ぎ込む夕日を浴びて、震える瞳でジンを見た。



「…アイゾクって、なんすか?」



その瞬間、ジンの心臓が嫌な鳴り方をした。
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