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学園編 3年目

夏季休暇 北部3-4

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「その数日後に入学希望書を提出され、無事、学園へ出発されたと言う訳です」

焼けた部屋のど真ん中に丸テーブルを置き、ロキとリパは向かい合ってお茶を飲んでいた。話の途中でリパがメイドに持って来させたのだ。

ロキも周囲の状況など気にせず、「そうだ、喉が渇いていたんだ」と最初に水を所望し、今は優雅に紅茶を楽しんでいる。ラムの香りがする砂糖代わりの水飴も気に入ったようだ。

「おや、全然聞いて下さいませんね」

「ジン自慢に飽きて来た頃だ」

「それはそれは申し訳ございません。なんせ本人が語りたがらない過去を、最も間近で見守り、1番懐かれて過ごしてしまったもので。ワタクシしか知らないのは勿体ないですし、ロキ先生には是非とも共有したく、ついつい語り過ぎてしまいましたね」

小さく笑って執事も紅茶に口を付けた。最高級の茶葉でお気に入りの物だ。ジン以外には勧めた事すらない紅茶。苛立ちを隠さない魔術教員は、ふんと鼻を鳴らすと目線を逸らし、最高級の紅茶を一気飲みした。

「冗談はここまでにして」

「冗談でも本気でも腹の立つ…」

ロキはわざと聞こえるように呟いた。しかしリパは、「んふ」と堪えきれない笑いを漏らすだけだ。毛ほども気にしてない。

「1番は過去の栄光。いけませんね、歳を取ると昔の思い出に縋ってしまって」

「今でも十分に懐いているだろ」

「ええ、否定は致しません。ですが既に超えられています、あなた方に」

「……」

「寂しく感じたりするものなのだろうかと思っており、少し楽しみにしていたので御座いますが…そんな事はなく、不思議と嬉しく思えました」

嫉妬のふりを見せる余裕が出来るほど。立ち上がり、空になったロキのカップに紅茶のお代わりを作って注いだ。

「お会い出来て良かった、長々とお話を聞いて下って感謝しております」

「何故俺だけに。他の連中にも聞かせてやれば良い、…刺激は少々強いかもしれんが」

ジンの過去を気にしていたのは自分ではない。聞いてる最中は同情も怒りもあったが、結局の所は過去でしかない。理解は深まった気がする。だがジンを見る目は変わらない。だから何も変わらない。ドラゴとフィルの従属理由や時期が、何となく見えた事は良かったが。

それだけだ。

「ジン坊ちゃんに勝てるのは貴方様だけですから」

思わぬ言葉にロキはカップの中で揺蕩う赤茶色の水面から、隣に立つリパを見上げた。

「彼らでは坊ちゃんの過去を知って、今まで通りとはいかないでしょうし。貴方様は強い。ジン坊ちゃんが振り回されてしまう程に」

「……そうか」

振り回されているのは此方だが、とは言い難い雰囲気だった。以前、ユリウスにもジンは自分ロキの言う事ならば聞くと言っていたが、周りからはそう見えるのかと、少々胸が擽られる。悪い気はしないものだ。

ロキは何気ない顔を作り、紅茶を飲む。その姿をリパは目を細めて眺めた。

「ロキ先生、貴方様にお願いが御座います」

「ん…?何だ」

改めた口振りにロキは怪訝にする。今し方、火花を散らした相手だ。簡単に気を許すつもりはない。

「ワタクシの役目を継いではくれませんか」

「………暗殺業に興味はないぞ」

「貴方様は色々と目立つので期待しておりません」

ロキはイラッとした。半分以上冗談のつもりだったからだ。因みにリパは冗談と分かってて真面目に答えた。
不満げなロキの顔に微笑ましくなる。リパにとったら、ロキもまだまだ若者の範囲だ。

「ジン坊ちゃんを見守ると言う役目で御座います。勿論、ただ見るだけではありませんよ。お分かりとは思いますが」

「…随分と過保護だな。何故俺に言う?心配ならば自分で見ておけば良いだろう」

緩やかに振られた頭。ロマンスグレーが少しだけ切なく見える。

「…正確に言うならば、ワタクシの役目は彼を育てる事までだったのでしょう。もう彼にワタクシの指導も言い付けも必要ありません。これから先は、対等に彼と歩める人々にお任せする方が良いでしょう」

「……」

「たった2年半で、随分と変わられました。今のあの子は、ちゃんと生きてる感じがしますね。人間のようです」

「あいつはずっと人間だろう」

何を馬鹿な。ロキは鼻で笑う。ジンの全てを知ってるかのように振る舞う老執事に、妙な対抗心が胸をずっと燻っている。そうでなくても、ロキにとってジンはずっと人間だった。嘘吐きで、甘えたで、調子の良い。少し不器用なカッコ付けだ。

(実力は確かに化け物級だが)

それは言わないでおこう。

「そんな貴方様だからこそ、役目をお願いしたいんです」

全てを見透かしているようにリパは言う。ロキは気付いていないが、リパはもう、ずっと本心で話していた。浮かぶ笑みも哀愁も、本物だ。

「ちゃんと見ていてあげて下さい。そして引き止めて下さい。貴方様達の傍に」

「…引き止める?」

「彼は躊躇いなく死の淵に立つ子です。放っておけば本当に何処までも行くでしょう。ドラゴさんとフィルさんでは、彼を人の世に留める事は出来ません。ですから、貴方様が引き止めて欲しいのです。帰って来ないようなら、呼び戻してあげて欲しいんです」

遠くを、いや、未来を見据えたようなピーコックブルーの瞳は澄んでいる。真っ直ぐと見詰めてくる視線に、ロキは息さえ止めた。冗談でも、比喩でもないのだろうと、真摯に受け止める為に。

「自分勝手を履き違えてるんですよ、彼は」

ハ、と嘲笑うように言うのに、その目には途方もない愛惜の念が見えた。愛おしさが零れ落ちるようだった。

「……何をそんなに心配しているんだか」

ギュッとロキは拳を握り込む。

「言われずとも、俺は」

リパの言動に中てられたのか。

「彼奴から目を離す気はない」

認めざるを得ない。目の前の気に食わない執事と自分は同じだと。分かってはいたが、口にするつもりはなかったのに。

ゆっくりと、そして深い吐息が聞こえた。

リパは肩の荷が下りたように、椅子に座り込み、紅茶を口に運ぶ。

「…では先生、彼の進路についてご相談が」

「…進路だと?」

終盤だと思って曝け出したと言うのに、まだ顔を突き合わせて話す事があるらしい。ロキはうんざりと頬杖をついた。

「暗殺者にする事は諦めたのか」

「言ったではありませんか。彼に暗殺者は役不足だと」

目の前で愉快そうに笑う執事は、随分と穏やかな空気を纏っている。

.
.
.


夕飯前になって、漸く遊びに出てた5人が屋敷へと戻って来た。

「おや、皆様存分に楽しまれたようですね。お風呂の準備は出来ておりますから、先にお身体を温めてからお食事にしましょう」

雪まみれになった4人に、玄関で出迎えたリパは優しげに声を掛けた。使用人達が雪の付いた上着を脱がせてくれる。

「はー…楽しかったっす。ジンの雪兎にめっちゃ笑った」

ツンと上がった鼻先を艶々と赤らめたハンスが満足そうに呟く。リパの後ろに付いていたロキが、ハンスが持つ大きな正方形の氷に目を向ける。室温で溶けそうな所を、ハンスが常時魔術を掛け直すことで形を保っているが、手袋を湿らせるほどに水を滴らせていた。

「…ハンス、何だそれは」

「あ、先生。これ、ジンが作った雪兎っす。可愛過ぎて凍らせちゃった」

にこにことロキの元に向かい、氷を差し出す。何か中央にあるのは遠目からでも見えていたが、覗き込んで漸く白い俵形の雪玉だと分かる。細長い葉っぱの耳に、木の実で出来た不揃いな赤い目。そして妙に長い4本の脚。

「……俺の知ってる兎とは違うな」

「北部にしか居ない北方兎っすから。雪の上を走り回る為に脚が長いんす。脚はジンがわざわざ水で作って雪の中で凍らせて…」

ハンスは噴き出した。一緒にドラゴ雪像を作っていたのに、途中から1人しゃがみ込んで何かしてると思ったら、自分の手よりも小さな兎を黙々と作ってる大きな背中を思い出したからだ。おまけに出来上がったは良いが、自立しないので悔しそうにしていた。

「雪に刺せば立つな」と、置いていこうとしたのでハンスが慌てて拾い上げた。

「みんなにも見せたいっす!」

「いいけど…見せられても反応に困るんじゃねぇかな」

言ってる本人が困ってるみたいでハンスはおかしかった。氷の中で雪兎はまるで軽やかに走っているように、その短い命の寿命を延ばしていた。

「外に置いてたら溶けないっすかね」

「……はあ、そんなもの取っておいてどうするんだ」

雪兎を眺めながら名残惜しげに言うハンスに呆れながら、ロキは指を鳴らす。パキンッと音を立てて氷は透明度を上げて凍り直し、水の一滴も滲ませなくなった。

「ぅえっ!?先生、これ…」

「これで持って帰れるだろ」

まるで樹脂で加工された芸術品のようになり、素手で触っても冷たくすらない。

「ありがと先生!すげー、売り物みたいになったっす。…どうなってんすかね?これ」

相変わらず説明のないロキは無言だ。ハンスも分かっているのでロキに説明を求めてはいない。雪兎をあらゆる角度から眺め回しながらの自問自答だ。
「早く風呂に行きなさい」と氷に夢中のハンスの背を押すと、その後ろにいたイルラと目が合った。

「楽しめたか」

南部出身の彼に寒さは辛かっただろう。褐色肌のせいで顔色の変化は分かりにくいが。
イルラはオレンジの瞳を細め、頷いた。

「楽しかったです、晴れた日の雪景色がこんなにキレイだとは…コレで、村のみんなに伝わると嬉しい」

上着を脱ぎ、革袋から出て来たカカココに巻き付かれたイルラの手には、四角く千切られた葉書サイズの紙があった。見て良いものか分からなかったが、目に入る。なんせ、ロキの目からはただの真っ白な紙だからだ。

「ソレで、何を伝えたいんだ」

「え?……あ、いえ、…ふ、これは違います」

イルラは小さく笑い、真っ白い紙を見せて来た。

「これはジンが描いた雪です」

言われて、その紙をよく見ると確かに白いのは絵の具だった。きっちり全面を白で塗り潰している。

「最初に見た時は何か分からなかったけど…白い絵の具を何度も塗り重ねているから、デコボコの部分に濃淡が出来て、本当の雪のように見えませんか」

その絵は、本当に白一色でただ丁寧に丁寧に塗り重ねられているだけだ。だが、よくよく見ると絵の具の厚みで出来たグラデーションには意外と味があって、積雪の上から剥がして来たような、そんな一枚にイルラは感じる。
もしかしたら、自分の趣味に付き合ってくれた証拠でもあるので、だいぶ欲目が入っているのかもしれない。大きな身体を丸めて、不慣れな筆使いで懸命に描いている姿を思い出すと、自然と頬が緩んでしまうから。

そんなイルラの説明を受けつつも、ロキの目にはただの白い紙にしか見えない。ジンの発想がある意味で突き抜けていたのか、イルラの感受性が爆発したのか、分からない。そもそも芸術に興味がないロキは「そうか、確かに」と適当に返事をし、適当な返事だと見抜いたイルラにじっと見詰められる事になった。

「…そっちは?」

話題を変えようと、ジン作の雪の絵の下に重なっていた紙を顎で示す。虚無顔の猫のようだったイルラの目がようやくロキから逸れた。

「コレはオレの絵です。故郷のみんなに見せたくて」

滲むような空に、遠く見える氷山の連なり、なだらかな斜面に走る緑地。影絵のような木々が細々と並び、陽の当たる場所では煌めく銀雪が散り、山間や日陰の深雪は淡い灰色で細かく塗られている。

パラパラと見せられた絵は、まさに雪景色を切り取ってきたような風景が描かれていた。

「嗚呼、伝わると良いと言ったのはその雪の景色か」

「ハイ、ククルカは一年中暑いので雪が降ることさえない。触れたことはおろか、見たこともない者が多いです。雪景色を、雪化粧や銀世界とも言うのだとジンから学びました。雪はそれ自体もキレイだが、表す言葉もキレイだ。…母やみんなに、世の中にはオレ達の知らない美しい世界がたくさんあるのだと伝えたい」

「上手いな、これなら伝わるだろう」

いつになく饒舌なイルラは、見た目以上に満喫したようだった。自分の絵を見た後に、それでも1番上にはジンの絵を持って来て眺めながら、愉快そうに頬を緩めている。余程気に入ったようだ。「紙は濡れると修繕がし難い。風呂に行く前に置いて来なさい」とロキが告げると、コクと素直に頷いてイルラは部屋へと戻る道へと向かった。使用人に頼まずに自分で行くところが彼らしい。

「…それで、ギルバート・シュバリエ。お前のその手に持ってる物は何だ?」

名指しされ、ギルバートはロキへと顔を向けた。その手には、白と黒の斑ら模様が美しい白樺の枝を握っていた。長めの枝は太さもそれなりにあり、ほぼ木材と言っても良い。

「ああ…これはフィルが持って来た棒です。この木は見た事ない物だったので土産に持って帰ろうかと」

ギルバートは雪山をフィルと共に駆け回り、白樺の純林地帯へ入った。高く伸びた木々の美しさに圧倒されていた所、見失っていたフィルが戻って来た時に咥えて来た枝だった。長さは今の2倍あったのだが。

そんな長い棒を易々と横に咥え、嬉しそうに駆け寄って来ていたのだが、長過ぎる枝のせいで木と木にぶつかり立ち往生していた。三度ほどぶつかった後、困ったような顔をするフィルに、思わず笑ってしまった事をギルバートは思い出す。

その棒を2つに割り、1本は持ったまま、片割れを投げた。フィルが追い掛けて行く姿は犬のようで、魔物フェンリルだと言う事を忘れてしまいそうだ。何度目かの投擲の後、フィルが持って来たのは枝ではなく、枝を持ったジンだった。

同じ長さの棒を持ち、向かい合う。目線が合った瞬間、どちらともなく鍔迫り合いへと持ち込んだ。「枝の皮が剥けないようにしろよ」と言うジンのアドバイスの元、剣技術を枝に施し、雪を散らし、風を切り、枝を剣に見立てて打ち合った。
北部衣装は鎧とは違う重さを持ち、長い裾は遠心力で引っ張られるが、ギルバートはそれも新鮮で楽しく、無自覚に口角が上がる。

その銀青の目の中に映るジンも、その眦を下げて微笑んでいた。

結局フィルが乱入しジンの枝を奪うと「取ってみろ!」と言わんばかりに駆け回ったので、勝敗は有耶無耶になり、フィルに翻弄されるジンの姿にギルバートは甚く満足したのだが、いつまで経っても枝は手放せなかった。

「木の枝が土産とは…お前も変わってるな」

握った枝を見つめるギルバートに呆れつつ、ロキは白い指先を枝にトンと当てた。目に見えないが保存魔術を枝に掛け、指を離す。何の変哲もない様子にギルバートは首を傾ぐ。

「変、でしょうか」

「変わってるはいる。だが変わっていることは悪い事ではない。大事にしろ」

強く頷く真面目なギルバート。言われずとも大事にしそうだ。ロキも頷き返し、目だけで背後を示すと、意図を理解して使用人の案内で風呂へと向かって行った。

残る1人は手ぶらだ。使用人に着せて貰ったガウンを整えるテオドール。長い襟足を後ろから払って出す仕草に、魔力暴走を起こした時の少年感は殆どない。

「お前は何も持ってないんだな」

「あ、うん。持って帰れそうなもんなかったし…ずっと雪で滑って遊んでただけなんで」

「雪で滑る?」

「はい、板で雪山を滑り降りるんです。ちゃんとそれ用に改造された板もあって。めっちゃ楽しかった…」

雪山についてすぐに綺麗にカットされ、四辺を丸く削られた長い板が並べられているのを見つけた。眺めているとジンが「あそこの坂の上からそれに乗って滑るんだ」と言ったので坂道を目指して板を片手に登った。どう乗るのかはやれば分かると思ったからだ。

はっきり言って、死ぬかと思った。

最初は座って降りたが、操縦出来るものがないので、ただ直滑降し、最終的に転がり落ちた。角度や比重を変えてやったが、ソリのように座って滑るものじゃないと考え、立って乗った。こっちの方がスピードがでて、一瞬ヒヤッとしたがコントロールが出来ることに気付いた。だが些細なことで板は進路を変え、突然宙に浮いたり、木にぶつかったり、急ブレーキしたりと、雪に転がされまくった。

厚手の北部衣装のおかげでひどい怪我に繋がる事はなかったが、それでもどこかしら擦りむいたりしているだろう。しかしテオドールはわくわくと板を迎えに行っては坂の上へと駆け上り、再び滑降を開始する。

雪を削るような音、風を切り、木々を蛇行で抜けていく。まるで自分が風の一部にでもなった気分だ。

コントロールが上手く出来始め、加速する方法も分かった。どんどん景色が過ぎて行き、みんなが居たであろう標高を超えてしまった頃、大きな岩を隠していた雪の上を思いっ切り乗り上げ、高く空中に放り出されてしまった。

あの夏の日、ドラゴの風圧で崖から宙に浮いた感覚を思い出し、身体が強張った。あの時よりも低いが、今度は雪の積もった下り坂を安全に着地出来るか不安だった。『肉体強化』で骨折などは回避出来るが、転がり落ちる恐怖はある。

それでも目を閉じず、着地点をしっかりと見極めようとした。頭から大木目掛けて飛んでいる。こんな所で気絶したくはないのだが、と軽く絶望した時、視界に影が過ぎる。ドッと下から持ち上げられるような衝撃の後、雪道へ力強く着地した。ジンが。

「すげぇ飛んだな」と笑う顔が近い。空中で抱き止められたのだと気付いて、テオドールは山を駆け上る時よりも身体が熱くなった。気付いていないフリをして、ジンはテオドールの手を引き、「一緒に滑ろうぜ」と2人で坂の上まで戻った。それから利きやすいブレーキ方法や、安全に降りる道筋とアクロバティックに降りる道筋それぞれを教えて貰い、並んで滑った。

「コツ掴んだら安全な道で滑るだけじゃ物足りねぇし、板掴んでわざと飛んだり、一回転したりすんのがホントすげぇ楽しくて…エドワードさんが北部に住んだ理由ちょっと分かる」

テオドールがしみじみと呟いているが、ロキはピンと来ない。散歩は好きだが運動は興味がない。どれだけ頭を捻ってもソリのように滑り落ちる姿しか想像出来ないし、回転は雪の上をくるくると横滑りしたとしか思えなかった。

「楽しそうで何より。色んな遊び方があるんだな」

「俺もそれは思った。それぞれで楽しんでたし。先生も来れば良い思い出になったんじゃねぇかな。って、体調悪かったからしょうがねぇけど…」

「俺は俺で思い出は出来たから気にするな。板は持って帰れなかったんだな」

「あれ、北部の人らの遊び道具だから持って帰ったらダメって。つか先生なんか欲しかったんですか?」

「いや、他の連中は思い出の品にと色々持っていたからな。お前が誰よりも欲すると思っていただけだ」

テオドールは顔を赤くした。そんなに自分は分かりやすいのかと。「あー…」と濁った声を漏らして頭を掻き、少しの葛藤の後に素直に頷く。

「…俺は持ち帰るモン、もう持ってるんで」

もうこのメンバーの前で取り繕っても意味はない。分かりやすい自分を受け止めた方が楽だ。

「そうか」

良かったな、とでも言いたげな声色。一見冷たく見えるロキは、時々目が覚めるような優しい笑みを浮かべる。距離の近い身内にしか見せないのだろう表情にテオドールは余計に照れ臭くなる。「引き止めて悪かった、お前も行きなさい」と背中を押され、使用人と風呂へ向かう。

そして残ったのは、遊び足りないとまだ前庭ではしゃぐドラゴとフィルを迎えに行ったジンだけだ。他使用人もリパも居ない。全てを知ったロキにはもう演じる気さえないようだ。

外に出ると駆け回る2頭を見守るジンが、すぐそこに立っていた。ロキに気付いたジンの隣に立ち、目線は正面に向けた。

「楽しかったようだな」

「うん、楽しかったよ。みんな好きに遊んでたけど、最後には雪合戦が始まってさ、しかも乱戦。勝ち負けもなく、ひたすら雪を当てまくってたよ」

そう言って笑うジンの顔は、いつもよりも子供染みて見えた。現実と虚構、真実と嘘の狭間に隠されていた幼い頃の無邪気なジンが、顔を覗かせているのだろうか。

これは本音で、嘘偽りのないお前だと思って良いのだろうか。

「先生はもう体調戻った?」

「ああ、大丈夫だ。引率をサボってしまったな」

「先生って、先生やる時は真面目だよな」

「好きでもない事は指示通りにやるのが1番楽だからな」

「俺らの引率は好きじゃない?」

「ああ、は好きじゃない」

ジンが笑った。ロキの口元も緩んだ。

「お前も風呂に行くんだろう。早く行け。ドラゴとフィルは俺が見ておく」

「……そう?じゃあお願いしようかな」

ドラゴがフィルに飛び掛かり、雪の上で転がり回る2頭が外灯に照らされる。

(こいつは、あの2頭にとっても自分はでしかないと思ってたんだろう。親の。愛情を持てば持つほど、その事実は虚しくなる。自己防衛でもあったんだろう、『野生に帰す』と、意固地になっていたのは)

黒い宝石のように雪を浴びて光るドラゴに、眩い銀世界のような輝きを放つフィル。緊張も警戒もなく、ただ無邪気に遊んでいる異種族。どちらも本来ならば凶暴で、無慈悲な災害と同列に語られる魔物だ。

(お前らの絆は、お前が思うよりずっと前…産まれたその瞬間から結ばれていたんだろう。大きなトラブルは、その細い細い絆を深めるキッカケでしかない。命を差し出せる程、ドラゴとフィルを愛してるお前が、そのキッカケをしっかりと掴んで来たから今のお前らがいる)

自信に満ち溢れているように見える男は、愛だけは自信がないようだ。

(お前以上に、誰に資格があると言うんだ。此奴らの家族である資格が)

フィルの親は死に、ドラゴの親は不明だ。突然手に入れた最強と呼ばれる2頭を、持て余さずに育て切れる人間はどのくらい居るだろうか。暴れん坊で食いしん坊で遊び盛りで甘えん坊の2頭。躾を間違えれば食い殺される可能性もあるし、気に食わなければ逃げ出してた筈だ。

(お前らを見ていると胸の奥が埋まるような、そんな感覚がある)

ドスッと石柱にぶつかり、2頭は雪に埋まった。思わず笑った時、肩に外套を掛けられる。

「…まだ居たのか。何している」

「うん、今日もし先生が来てたら、何をしたかなと考えてた」

「早く行け」

「少しは考えてくれても良いじゃん。先生との思い出増やせなかった分、想像で補うから」

「…馬鹿言ってないで行け」

手でシッシッと払うと、ジンは愉快そうに目を細めて漸く扉へと向かった。

足音が離れていく。

ジンの外套が風で捲り上がりそうになり、襟を手繰り寄せ、閉まる扉には目を向けず、視線の先のドラゴ達を見続ける。今日は月も星もよく見える日だ。

月明かりの下、2頭は楽しそうに追い掛けっこを始めた。
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