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学園編 3年目

月を噛む3

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床に転がされた小僧はパッと見では男に見えない。いや、どちらにも見えると言うのが正解だろう。

「…珍しいですね、この年頃の子に食指を動かされるのは」

手枷をジンの手首に着け、鎖を床に固定した杭に繋げながら執事が言う。いつもなら無駄なお喋りに興じるつもりはないが、今夜は少し浮かれていた。ヴィクトルは鼻を鳴らし、パイプの灰を捨てる。

「これ以上育つとあの男に似てくると言ったのはお前だろ。そうなったら蹂躙する前に殺してしまう。儂を裏切ったウォーリアの馬鹿共には見せしめが必要だ、ただ殺すだけでは生温い」

「左様で御座いますか」

「今ならまだ女に見えない事もない。犯せるだけ犯して『隷属』させ、デカくなったら仕事をさせよう。あの男に似たら似たで、拷問のし甲斐もあるだろうしな」

「それはそれは良い考えです。…先に『隷属』なさいますか?隣室に準備は整っております」

「まずは自我のあるまま壊す。その方が面白いだろ。『隷属』も自分から望むように仕向けてやろう」

相手は14のガキだ。抵抗されても如何とでもなる。

「畏まりました」

「お前はの様子でも見て来い」

「ご命令通りに。失礼致します」

執事にパイプと灰皿を持たせ、手で追い払う。横目で部屋から出る姿を見送った。麗しかった執事も歳を取ってきた。歳の割には色気が残ってるが、徐々に肉体的な接触は少なくなって来た。例え手を出さなくなっても手離すつもりはないが。使い道はまだまだある。

その時空が光り、カーテンの隙間に閃光を迸らせた。吹雪に混ざる雷鳴が窓をビリビリと揺らす。二重窓だと言うのに今夜はうるさい。普段は魔術で強化し、暖気や音が逃げないように結界もしているが、今夜、この部屋だけは全て解除していた。

魔術封じの結界を施す為に。

ドラゴンとフェンリルが懐く小僧は、密かに入手した魔力鑑定結果で驚異の数字を叩き出していた。アルヴィアンの若造がわざわざ高等魔術師を家庭教師へと派遣したのも、暴走を恐れての事だろう。その高等魔術師の評価もかなり良い。魔力量の豊富さだけでなく、魔術への素質も大いにあり、将来は魔塔へスカウトしたいと、情報収集の為に近付けた『楽団』相手に意気揚々と息巻いていたそうだ。

だから念の為に魔術を封じておいた。万が一の為に。

ヴィクトルも魔術が扱えない訳ではない。ジンと同じ水属性。だが魔力値は大きく離されている。それがまた、ヴィクトルの苛立ちの元になっているのだが、今回は単に慎重が故の行動だ。

最低限の調度品しかない簡素な寝室は、シャンデリアの光さえ安っぽい物に見せていた。何十年振りと暖炉に火が灯っている。暖房魔具に比べて心許ない自然の火だが、部屋の中は十分に温かい。それだけ大きい暖炉なのだ。手前に安全用の柵があり、火に近づく事は出来ないが。

ゆらゆらと揺れる炎の前で横たわる無防備なジンの姿に、ヴィクトルはその口元を歪ませ嗤った。

「起きろ小僧」


――――パアンッッ!!


空気を切る音の後、破裂音に似た音が響いた。腹に感じた痛み。「あ゛ッッ!」と勝手に出た声でジンは目を覚ます。視界には片手を振り上げたヴィクトルが映った。握られているのは『鞭』。避けようと身を捻るが、再び強く胸元を打たれて声が上がる。痛みに身を捩るジンをヴィクトルは足で踏み潰した。その時にジンはようやく上を脱がされていると気付く。

「痛いか、痛いだろ。お前の為に特注してやったのだ。見ろ、真っ直ぐでよくしなる。この先端の長さ、美しく細やかなステッチ…その身で受けられる事を光栄に思えよ」

三度目、振り下ろされた鞭をジンは手で受け止めた。じゃらりと鎖が鳴る。手枷で動き難くはあったが、鞭の先端を掴むことに成功した。

「はっ……はあ、なんで…」

「なんで?なんで自分がこんな目に、か?」

「いっ…!!」

引き抜かれた瞬間、手の中に氷が通った様な冷たさを感じたが、それはすぐに熱を持った痛みへと変わった。手を開くと、全指、掌に一直線の傷が入っていた。ジンは感じた事のない痛みに訳も分からず、身を震わせる事しか出来ない。

「刃物が仕込まれている。儂は血の色が好きでな…ただ叩くだけでは楽しくないだろう?それよりも貴様、思ったより良い反応をするではないか。金が無駄にならずに済みそうだ」

もっと抵抗したり暴れたりするかと警戒していたが、ただただ呆然としている様子に拍子抜けすらしてしまう。口ではそう言うが、少しつまらない程だ。
ジンは掌から視線を上げ、ヴィクトルを見上げた。

「……俺が、何かしましたか」

「……は、はは、ははははは!!」

突然の暴力に怯えたりパニックになる事もなく、冷静に尋ねてくるジンにヴィクトルは込み上げた嗤いを抑え切れなかった。ジンはただヴィクトルを見上げ、様子を見ている。他人の反応を窺い、どう行動すれば良いのかを探る目。

「ははは…はー…報告を受けていたが、まさかここまでとは。お前、自分というものがないのか」

「…俺は、俺の、つもりですけど」

「前言撤回だ。つまらない時間にならないよう精進しろ。さあ、立て」

返答に鼻で笑うヴィクトル。鞭の先を揺らし、ジンを立たせようとする。

「…ドラゴとフィルは、どこに…教えてくれたら、立ちます」

少し考えた後、ジンは交換条件を口にした。その瞬間、間髪入れずに脇腹へと振るわれた鞭。息が詰まるような痛みに声は勝手に出る。潰れた虫を見るように、ヴィクトルは冷ややかな嫌悪感を持ってジンを見下ろし、そのまま鞭を振り続ける。

「貴様が!この儂に交渉出来るとでも!?小僧!立場を弁えろッ!!」

繰り返された激しい音が止んだ時、脇や腹、庇った腕は赤いみみず腫れが何本も走り、ズタズタに切り裂かれていた。ぶるぶると震え苦痛に呻く少年の身体を、ヴィクトルは容赦なく足蹴にした。何度も何度も、意味をなさない暴言と共に。

「はッー…はー…もう一度だけ言うぞ、立て」

「うっ…ぐ、う…ッ…」

よろけながらもジンは立つ。鎖は立つとピンと張る程度の長さはある。だが腕は上げられない。

ジンの目が繋げられた枷を見ている最中、ヴィクトルは宣言なしに背中へ鞭を振るった。



――――パアンッッ!!



「がッッ!!」

「10発耐えたら質問に答えてやろう」

ヴィクトルの言葉にジンは歯を食い縛り、10発を耐え切った。背中が燃えるように熱く、痛みで足の力が抜けそうになる。

踏ん張るジンの姿にヴィクトルの胸に悦楽が満ちて来る。線が細いままに育てば大人になっても好ましい男だろうが、執事の見立てでは体格の良いあの冒険者に似ると言う。あの男の見立ては案外当たる。何よりあの憎らしい女共に似てなければならない。だからこそ今しかなかったのだ。

「……はっ、はっ…ドラゴ達は…うっ!」

ジンが言葉を発すと、言い終わる前に顎を掴み、顔を上げさせる。全体的に長めに整えられた髪。祖母の為に伸ばす髪。少しずつ、さりげなく、短くしていっている様子を見る限り、何かしらの抵抗はあるのだろう。本人に自覚はなくとも。
見詰め合う時間。ジンは目を逸らさない。

「『何でこんな目に』その質問に答えてやろう。お前の祖母が他人の親切を無碍にしたからだ、お前の母が儂を裏切り逃げたからだ。くだらない恋愛ごっこなどに溺れた馬鹿女共の血を受け継ぐ、お前を躾けてやる為だ。その身体に流れる血へ、教えを刻み込め」

「……それ、答えになって、る?」

すっとぼけたような返事にヴィクトルの表情が固まった。そして手が離れると同時に太腿に鞭が走る。布越しと言うのに痛みの緩和はそれ程なく、切れた布の隙間から血が滲んだ。

「あぐッ…!」

「お前に許された発言は、謝罪と命乞いだけだ。本当ならば四肢を切り落とし、水の中に落とすくらいの拷問を仕掛けたい所だが…今日は我慢しよう。時間は沢山ある。たっぷりの回復薬をお前の為に用意してやる。楽しいぞ、治った端からまた切り落とすのは」

「………ッ、…俺を、怒っても、意味ないと、思うけど…」


――――パアンッッ!!


「あ゛あ゛ッ!!」

肌に走る赤い線。

「物分かりの悪いガキがッ!お前さえ出来なければ、あの女は逃げるなどと言う馬鹿な考えは起こらなかったのだ!!お前さえ居なければ戻って来ただろう!!儂の物だったのだから!!あの女はッ!!こんな馬鹿なガキ!お前さえ!!いなければ!!!」

腰、腕、肩、腹。場所を問わず、ただ滅茶苦茶に打ち込まれ、ついにジンは膝を折った。四つん這いになり、痛みを逃がすように額を組んだ手に擦り付ける。「うう…」と掠れた呻きを零す。しなる背中のラインや突き出されたような臀部の形に、ヴィクトルは卑猥な欲が刺激された。欲を晴らす為、裏腿を強かに鞭で打つ。

「い゛ッ!!」

跳ね上がった黒髪。すかさずその後頭部を掴み、無理やりに引っ張り上げる。痛みに泣いているだろうかと期待した顔は、脂汗こそひどいが涙など薄っすらともなかった。苦痛に歪んでいるだけ。いまだに冷静さを保っているような、赤褐色の目付きにヴィクトルは腹の奥で怒りが燃え上がる。

「ド…ドラゴ達は、無事…なのか、だけ、教えて…く、れ…くだ、さい…」

「…頭が足らないのか。それともイカれてるのか。お前の血筋を考えれば、イカれていてもおかしくはないが。馬鹿のひとつ覚えみたいにドラゴドラゴと…お前が口にすべきは、謝罪だ。泣いて詫びろ、死ぬまで平伏せ、許しを乞え」

頭を思い切り揺すった。殴りたい衝動がある。壁に顔面を叩きつけたい衝動も。だが、その顔だけは傷付けられない。

初めてヴェロニカを見た日を思い出す。あどけない頬の丸みをほんのりと染め上げ、長い睫毛で隠された紅茶のような瞳。結い上げられた黒髪から覗く細いうなじからは、娼婦にも勝る色気を感じた。気の強そうな目付きに、凛とした姿勢。品のある態度からは親の愛情と教養が滲み、その全てを手中に入れたいと思ったあの日。

その全てを壊してやりたいと抑え切れない衝動に駆られたあの日。

手の中で髪が抜ける感覚がした。手首を掴む手。まだ幼く白い手の、縋るような動きに揺らすのを止めた。

「…は、…う…俺は、両親の話は、何も知らない。だから…何を、どう謝ればいいのかも、分からない」

「……は、哀れだな。お前は何も知らされないまま、傀儡としての存在しか与えられていないのか。いや違うな、傀儡なのだから教える必要がないのか」

ジンの言葉が真実だと言う事は、常に監視させていたので知っている。手を離す。ジンはよろけながらも自分で立った。項垂れ気味に荒い呼吸で細い肩を上下させながらも、続きを待ち耳を傾けていると分かる。

「お前はただの道具だ。場を盛り上げ、リアリティを持たせる為の小道具。お前の父親にとっては恋人ごっこの、お前の母親にとっては夫婦ごっこの、あの公爵にとっては友情ごっこの、祖父母にとってはかつての家族ごっこの。紛い物を本物と欺く為の小道具」

鞭を持ち上げ、シャンデリアの光に透かした。鞣した皮が光をねっとりと反射する。ふと視線を向けた先に、赤褐色の瞳がある。美しい形を誇り、長く黒い睫毛に縁取られた気の強そうな目付き。かつて自分を見詰めた、愛しくも憎らしい女達と同じ視線。

興味がなさそうな素っ気ない眼差し。

「…ペット以下なのだ、お前は。哀れで何と…滑稽な。良いだろう、儂が教えてやる。ドラゴン達の行方もな。聞きたければ最後まで耐えろ。一度でも膝をつけば、話は終わりだ」

振り上げた鞭が空気を裂き、皮膚も裂く。女達と同じ顔をした顔が歪み、哀れな声を上げた。

外では豪雪が落雷を伴い、怒り狂ったように一層暴れ回っている。





美しかった娘を胸を引き裂かれる思いで諦めたあの日。
いつか全てに復讐をしてやると決めたあの日。

ただ殺すだけでは駄目だ、ただ壊すだけでも駄目だ。

あいつらにとって大事な物、最も幸福な瞬間を、目の前で無惨に散らしてやらねば。

娘が産まれたと聞いた時、やはり世界は儂の味方なのだと思った。





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