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学園編 3年目
夏季休暇 北部2-8
しおりを挟むギルドに戻ったのは夕刻も過ぎた頃だ。
建物の隣から賑やかな声が聞こえ、曇った夕焼けとは違う温かな火の橙が空気を色付けている。
「貴族様なら外で食うなんて滅多にねぇだろ?折角だ、狩猟中の食事に似せてみたぜ」
酒瓶を片手にガリストが笑う。その後ろでは様々な焚き火がいくつも設置してあり、食材を焼ける焚火台も複数用意されていた。肉や野菜が豪快に焼かれていて、顔見知りのハンターや冒険者が、皿代わりの大きな葉やクズ紙を片手に既に食事を楽しんでいた。
「とは言え、あいつらみてぇに地べたや樽に座れとは言えねぇから。こっちに席を用意してる。オイ、ルル!飲み物持って来てやれ!」
どこからか引っ張り出して来た天幕の下に並べられたテーブルと椅子。ガリストなりに丁重におもてなしをしようとしている事が見て取れた。貴族らしい貴族はテオドールだけだが、行儀の良いギルバートや寒さに弱いイルラはありがたそうに椅子へと座る。ハンスはうずうずしていたので、近くの焚火台で調理していたエドワードの元へと案内した。ロキはジンの代わりにハンスの傍に居てくれている。出発前の事があるので心配していた心を見抜かれたようだ。
「ジン、お疲れさん」
「お疲れさま。遅れてごめんな、面白い催しをありがと」
「別に良いけどよ。こんな時間まで何してたんだ」
尋ねながらも返答を期待していない。ガリストもジンの性格をよく分かっている。「良い連中だな」とあまり間をおかずに話題を変えた。その目線には友人達がいる。
よく笑い、比較的紳士な態度。始終機嫌が良い物珍しいガリストの姿をジンはまじまじと眺めた。
(報告をするなら今かな)
そう思って報告したら、案の定厳つい顔に更に厳つさが増した。だがすぐに「今日はもう店仕舞いだ」と手で払われる。そう言われても明日はもうギルドにジンは来ない。ガリストも分かっている筈なので、恐らくガリスト側で色々と調べてくれるつもりなのだろう。手間を取らせてごめんなと思いつつ、飲み物を運んでくるルルとテミスの姿を見つけて手伝いに向かうと、彼女達も機嫌が良さそうだった。
「ジン君がまーるくなってて嬉しいわ」とルル。
「ええ、本当に」と返すテミス。
「丸く?……太った自覚はねぇんだけど」
「どこで天然発揮してるのジンちゃま。それともわざと…?」
彼女達の持つ盆を受け取り、テーブルへ向かう途中でピーチも混ざった。両手に山盛りの串焼きを持っている。「ピーチはよく食うな」と言ったら「アンタ達によ!!」と怒られてしまった。一部始終を見ていたテオドールが楽しそうに笑う。つられて微笑み、テーブルにカップを置いていく。柔らかな湯気を立てるココアやコーヒー、紅茶が並んだ。
ハンスとロキ、ロキに付いていたフィルもそれぞれ肉を持って来て、晩餐がスタートした。
途中で他の男達と飲んでいたカミラも合流し、エドワードも焼きながら話に来る。ジンの左肩にくっついていたドラゴはテーブルの上を飛び回り、誰よりも肉にがっつく。おかげで人間の食べる分がどんどん減る。
「ドラゴ、レヴィアタンの肉があるよ」
「焼くか!あ!中は!焼くな!」
こんな事もあろうかとレヴィアタンの身を少しだけ持って帰ってきた。頬いっぱいに肉を詰め込んでドラゴが言う。
「焼くのか?分かった、焼きに行こうか。フィルもおいで」
ジンが席を立つ。喜び勇んでフィルは駆け寄り、「あ!骨付き肉はどこだ!アップルパイもだ!」と約束を思い出したドラゴが喚きながらジンの後ろをついて来る。足を止めたのは集団からだいぶ離れた位置だ。感じていた視線も離れ、まだ雪が薄らと残る地面の上に指を鳴らして『空間収納』から特大の肉塊を取り出した。
再び指を鳴らし、炎で肉を囲んだ。外側を高温で焼き、同時に水魔術を展開して湯を作っておく。外側に焼き色がついたら、肉自体に結界を掛け、物理的な接触を断つ。その後、火と湯を入れ替え、更にその周りを結界で包み込む。
「…彼奴は何をしてるんだろうか」
ホットワインを片手にテーブルに頬杖をついたロキが呟いた。焚火に照らされた頬がほんのりと赤い。
席の近いイルラとテオドールがその声にジンの方へ視線を投げた。人の動きの往来で見辛いが、頭にドラゴを乗せたジンの後ろ姿が遠くに見え、その前に何やら大きな物体がある事に気付く。
「イルラ・ククルカ、『分析』してみろ」
面白がる口調でロキはジンを指で示す。思わぬ指示だがイルラは頷いた。胸元から顔を出して肉を食べていたカカココも、イルラに合わせるようにジン達の方へ真剣な顔を向ける。
瞳に魔力を集中し、展開するのは付随感知能力
『魔力分析透視』
虹色にも似たグラデーションに視界は塗り替えられ、人は勿論、動物や虫、空気や大地から仄かに漂う魔力まで見て取れる。1年前とは比べ物にならない、コントロールは当たり前だが、魔力量まで上がっていた。
目の前のロキは最も強い白が全身で渦巻いており、目の前のテオドールは次に強い黄色からオレンジに染まっている。遠くジンへと意識を向けた。間に彷徨く光は黒から紫と様々だが、それほど魔力が強くない事を示している。その奥で眩く光る、ジンの頭に引っ付いているドラゴの白。足元のフィルも同じく眩い白。ジン本人の胴体を見て、イルラは眉を顰めた。
「……オレンジ?いや、中心部に光が集中している…。使用している魔術は4種で、外から結界、火属性…水、更に結界…?……中身も、また……色が重なっていて…」
元々魔力を隠すことに長けているからか。
魔力分析透視さえ欺いて来る。中央に押し込められた光がジンの実力だろう。彼の前にある魔物肉を包む謎の層の意味は分からないし、その魔物肉からも強い魔力が感じ取れるので魔力を読み難い。
そう言えば、とイルラは思った。
消えてしまう魔物の遺体
だが目の前の魔物肉は、生前の魔力を誇るように強い魔力をその肉塊に宿したまま存在している
素材もそうだ、特性や魔力を引き継いだまま現存している
寿命とそうではない場合の違いだろうか
イルラが不思議に思った時、ふっとジンが振り返った。
「……っ!」
目が合うか合わないか、その瞬間、バチンッと視界が真っ白になり、気付けば魔力分析透視が強制解除されていた。
「………イルラ?」
呆然とするイルラの顔をテオドールが覗き込む。瞬きも忘れて、固まってしまったイルラを不安に思った。
ロキは唇に弧を描き、ソーセージを刺したフォークをその口元に持って行く。
「気付かれたか。嫌味な男だな」
そう言う割には愉快そうにジンを眺めていた。イルラはゆっくりと瞬きを繰り返し、首を傾げるカカココを見下ろす。
「どうしたんだよ」
テオドールはついて行けずに戸惑っている。イルラはカカココを撫でながら、緩慢な動作で漸く顔を向けた。
「…分からない。ジンを…『分析』していた。突然目の前が真っ白に…」
「『魔力返し』されただけだ。気にするな」
密かに動揺しているイルラへロキが何でもないように告げた。2人は同時にロキを見る。
「離れた所から魔力って、返されんの?」
「…魔力を返されると言うコトがどう言う状況か分かりません。それに魔力分析透視が解除されました。他人の魔術を遠隔で解除出来るモノですか?」
「如何なる魔術であろうとも同系統の魔術を用いて、寸分違わぬ魔力をぶつけ合えば双方消滅する。理論上は」
「……ジンがより強い感知魔術で対抗したのではないんですか?」
「相手の魔力を上回り魔術をやり返す、良くある手段だな。さて、お前は今、感知されていると感じるか?」
「……いえ」
イルラは首を振り、ジンを見た。何やらドラゴに頭を叩かれている。催促でもされているのだろう。ロキは楽しげにソーセージを切り分け、長い方を短い方へぶつけた。
「上回った魔力で押し負けた場合は魔術を喰らう事になる。この場合、別系統の魔術でも構わない。単なる力のぶつけ合いだ。補講でしただろ?」
短い方は落ち、テーブルを転がる。
「攻撃魔術ですね」
テオドールが転がるソーセージを見つめて頷いた。剣気術でも同じ事が起こる。つまりそれは、普通の事だ。
「……ジンは普通じゃ難しいことを簡単にやって見せんだな…」
感心したような、呆然とするような、ぼんやりとした口調でテオドールは呟く。理屈は分かっても出来る気がしない。
ロキはひょいと短いソーセージを摘んで食べた。
「だから嫌味な奴だと言ったんだ。彼奴は普通じゃない。この地に何か秘密でもあるのかと期待していたが、特にそう言う事もなさそうだ」
「俺の秘密暴くのホント好きだよね」
ジンの声にロキ以外がドキッと肩を跳ね上げた。ロキの後ろに立ったジンが片眉をしならせて笑っている。その顔を冷えてしまったワインを飲み干しながらロキは見上げた。
「ドラゴとフィルはどうした」
ジンは顎で後方を示す。
ドラゴは大きな肉塊に抱き付くように貪り食い、フィルも千切れんばかりに尾を振って噛み千切っている。
少しだけ見てから、イルラはジンを見詰めた。ジーーッと睨め付ける勢いで。
「……さっきの気に食わなかったなら謝るよ」
「…少し。でも謝罪はいらない。余計に悔しい」
「………」
ちょっと揶揄うつもりでやっただけと白状しようものなら、今よりも心証が悪くなりそうでジンは黙った。
「…先生も言っていたが、魔術はどうやって鍛えている?」
「……暇な時にイメージを固める練習して、あとは実戦かな」
「魔術は魔物と戦ったからと上手くなるものではない、地道な反復練習が物を言う。お前の場合、今現在どうのこうのしているのではない。基礎が違う。基盤が違う。骨にまで染み込むような何某かで培った筈だ」
イルラとの会話にロキが介入して来る。いつもより感情的な様子にジンは顔を覗き込んだ。赤い頬はどうやら焚火の反射ではない。
「酔ってるな?」
「家庭教師が居たそうだが、この土地にどれ程の魔術教師が居たと言うんだ。辺境伯家からの紹介か?誰に習った。言いなさい」
「怒られてんの俺…?」
まるで悪戯がバレた子供に言うような台詞だ。テオドールがロキの言動に目を見開き驚いている。そっと目を逸らし、串焼きの両端を持って齧り出した。酔っ払いから距離を置いたようだ。
その態度が愛らしくもおかしく見え、同意を求めてイルラへ顔を向けたら、ムッとした顔でまだ睨め付けられていた。イルラもイルラでいつもより感情的に見えるが、場の空気に酔っているだけだろうか。
その横でハンスは楽しそうにコミュ力全開でガリストやルル達と話している。厳つくガラの悪いガリストがいいオヤジの顔をしているので、ハンスの話術の実力が垣間見える。
もう1人は探る前に近付く気配がしたので目線を滑らせた。目が合うより早く、目の前に剣先が突き付けられる。他でもないギルバートだ。
慣れている学園組は驚きもしないが、周りは少し騒めいた。あまり物事に動じないガリストですら喫驚している。
まさか学友が剣を向けるとは思わないだろう。
頬を紅潮させ、睨み付けて来る銀の瞳は青い光が表面を撫で、研ぎ澄まされた刃のようだ。いつもよりも眉間の皺は深く、垂れ目は甘やかだが、吊った眉が怒りをありありと表している。
「なに?戦いたくなったか?」
慣れているのはジンも同じだ。平然と首を傾ぐとギルバートは悔しげに歯を噛み締めた。その表情にゾクゾクする色気を感じて、ジンは思わず片口端を吊り上げてしまう。だが、噛んだような低い声の内容にすぐに笑みは消えた。
「…守るように指示したそうだな。俺達が弱いから、守れと」
「………守れとは、言ったが」
後半の理由に覚えがない。ドラゴへ視線を向けようとした時、ギルバートはまるで気を引きたがるように声を荒げた。
「守るだと!?誰が頼んだそんな事!自分の身くらい自分で守れる!お前の枷になると分かってるならば、あのような場に付いて行くものか!!」
「いや、枷とか思っ、て……」
ジンは言葉が詰まった。怒る表情のまま、銀の垂れ目に涙が滲んだからだ。「泣いてんのか?」とは、流石に人前で聞くのは憚れる。
涙に戸惑うなんて初めてかもしれない。
ゆっくりと下された剣先。小さくグスと鼻を啜る音が聞こえてきた。その癖、顔だけはまだ怒ってる。心臓が苦しい程にときめいた。今すぐ滅茶苦茶に揶揄って、泣いて悔しがる姿をもっと見たい。あわよくばそのまま抱きたい。それとも滅茶苦茶優しく甘やかしてやろうか。照れて怒るお前に意地悪するのも良い。ふたつの欲がぶつかり合い、ジンはフリーズする。
そんなジンの自分との戦いなど与り知らないイルラは、グッとカップを呷り飲み。意を決したように大きめの声を出す。
「それに関しては、オレもギルバートに同意だ」
フリーズが解けイルラを見る。ギュッと寄せられた眉。美少年は今、非常に難しい顔をしている。
「…それ、って」
「お前には何度も助けられ、守られてきた。感謝しているが、守られなければならない弱者と認識されているのは心外だ。オレだって戦える。……こんなカッコでは、信憑性はないかもしれんが…」
もこもこに着込んだ姿を見下ろし、急に気落ちするからジンはまた戸惑う羽目になる。気にしていたのか、今の格好。可愛くて良いと思うのだが。何よりその厚着で隠すくらいが丁度良い。イルラの身体は悩ましいほどに魅力的だから。…とは、流石にここでは口に出来ない。
「いやだから」
そもそも違う。ジンは自分の思考を片手で振り払い、彼らの勘違いを解こうと口を開いた。
しかし今度は、凛とした声に遮られた。
「そうだよな…確かに俺ら、お前ほど強くはねぇけどさ、だからって俺らの事お姫様みたいに扱わないで欲しい。俺らってそんなに弱い?お前と一緒に戦うって選択肢は与えられねぇ程?それって…やっぱすげぇ悲しい」
テオドールはゆっくりと懇願するように言葉を紡ぐ。いつも我を通さず、他者にまで気を掛ける性格が言葉の端々に滲み出る。涼やかな目元を寂しげに潤ませられると、それだけで何でも言う事を聞いてやりたくなるし、いつも強く何かを望んでいる癖に殊勝に表に出すまいとするひたむきな態度に、その心臓の奥の方を引き摺り出してやりたくなる。
そんな事をすれば自分の決意が崩れ落ちると分かっているので、ジンは歯を食い縛って耐えた。
気を紛らわせようと視線をテオドールから剥がした先で、きょとんとしたハンスと目が合った。
「あ、俺のことは遠慮なく守って欲しいっす」
何の恥じらいもなく、片手を上げたハンスは笑って言った。ジンは力が抜けていく。それは他の3人も同じで、イルラとテオドールは笑ったし、ギルバートは不可思議なものを見る顔をした。「えー何すかー?みんなも守ってくれて良いんすよ」と更に3人にもお願いしていた。
ハンスは強いと常々思う。自分にはないその強さと明るさは眩しくて、ジンは目を細めて微笑む。ふと目が合った時、悪戯っ子のようにシシッと笑ったのを見て、わざと空気を変えてくれたのだとも理解した。守ってくれと言う彼が今、自らの動揺に揺れていた自分を守ってくれている。
やっと落ち着いた心臓。改めてちゃんと説明しようとした時、ふっと鼻で笑う声がやけに響いた。
「自己犠牲に美学があるのなら守られるのも吝かではない。だがそこに礼も感謝も求めるなよ。お前の美学に付き合ってやってるんだ、逆に感謝して欲しいくらいだな」
艶やかな麗人は息を飲むほどに美しい笑みを携えている。見ると空になっていたカップの中に、再び湯気を立てるワインがなみなみと注がれていた。
「……先生を、みんなを守るなんて驕り上がってすみませんでした」
この教師は色んな意味で強者過ぎる。まるで頭が上がらない。
「なんだ?守りたそうだから守らせてやろうと言ってるのに。可愛くないな。本当にお前は可愛くない」
ロキの言葉にギルドの面子は少しばかりハラハラしているが、ジンが声を出して笑ったのでハラハラは戸惑いへと変わった。紫の美しい目には嬉々とした感情が透けて見える。ロキジョークと言う事だ。
「いや、今回はさ、俺にとっても突然の事だったから。氷海でのAランクの討伐なんて聞いてなかったし、いつもはソロで狩場を回るから、人がいる状況での狩りは慣れてなくて…課外授業の時みてぇに、お前らに何かあったらと怖かったんだよ」
テーブルの上の手付かずのカップを手にした。紅茶に見えたのだが、口元に持って来るとウォッカの匂いがした。周囲には酒、焼ける食材などの強い匂いが充満しており、元々嗅覚の精度は下げていたので気付かなかった。飲めない事はないがすぐ酔うので口を付けずに下ろす。
「お姫様扱いなんかしてねぇし、お前らが強いのは知ってるよ」
「気休めを…俺が貴様より強い訳ないだろう!貴様の目は何を見てる!?」
「お前は一体どうしちゃったんだよ…あ、…もしかして」
ギルバートは涙目のまま、悔しげに詰め寄って来た。ふと鼻先を寄せ、固まったギルバートの顔の前で鼻を鳴らす。
「…やっぱり、酒飲んでるな」
香るアルコールの匂いに眉を寄せ、潤んだ銀の垂れ目を見た。真顔でフリーズしていたギルバートの赤らんでいた顔が、酔いとは別に真っ赤になった。ドンッと胸を掌で突かれ、突いたギルバートの方がよろけて後退した。咄嗟にギルバートの手首を掴んだ。
「危ねぇって、酔ってんだから足元気を付けろよ」
「の、飲んでない!酔ってなどいない!」
「酔ってんだよそれは。相変わらず嘘が下手だな」
無理のある嘘に笑う。姿勢を正したギルバートを見て、手を離す。隣からヌッと突然カカココが顔を出した。
「オマエはいつもそうだ。そうやってはぐらかす」
カカココをなぞって目線は隣へ。イルラが猫のような目でキリッとジンを睨み上げる。
「……え?いや、今のは何もはぐらかしてないだろ」
「オマエこそ素直になるべきだ」
キリリと言ってるが目が少し熱っぽく据わっている。
「………」
イルラのカップを持つ手の手首を掴んで、カップに鼻を近付けた。温かな林檎ジュースにアルコールの匂いが混ざる。北部では寒がる子供に飲ませるポピュラーなホットドリンクだ。つまり
「お前もか」
酔っている。
「オレよりオマエは強い。比べものにならない。悔しい。たまにはオレがオマエを助けてもいいはずだ」
「色々助けて貰ってんだけど…普通の果実水飲もうな」
「取るな、飲みかけだ」
カップを取ろうとしたら手を引っ込められた。守るように胸の前に隠されて、ジンは困りつつテオドールとハンスにも目を向ける。テオドールは紅茶、ハンスはミルクを飲んでいるように見えたが、北部の飲み物として当たり前に出された物であれば基本的にアルコールが入っているのだろう。
自分は飲まないので忘れていた。
「ちょっと待て、みんな飲んでんのか。未成年だぞ」
「寒いんだから未成年でも飲むだろ」
「え?ダメだったの?」
「北部と言えばウォッカでしょ!名物は体験させてこそよ!」
「そんな強くないから大丈夫大丈夫~あはは~」
ギルドの大人達もしっかり出来上がっていた。いつもはブレーキ役になるエドワードとテミスもふわふわにこにこしているので、今晩はもう当てにならない。
「あ!話を逸らしたっす!この秘密主義め!」
「俺は酔ってないぜ」
ジンの困惑を見抜いたハンスとテオドールが同時に話し出し、再びギルバートとイルラ、ロキまで加わり、各々言いたいように言う。酔っ払いに囲まれてしまい、困り果てている所にドラゴとフィルが戻って来る。
2頭に気付いた瞬間、全員の意識がジンを放棄した。
「帰って来たかフィル、肉は美味かったか」
「雪被っちゃってるじゃねぇっすか」
「……さっきよりデカくなってないか?」
ロキとハンス、ギルバートはフィルへ集まる。尻尾をふりふり、その場で軽くジャンプするフィルは満足そうだ。当たり前にデカくなどなっていない。
イルラとテオドールがジンに飛んで来たドラゴを見上げ、頬を緩ませた。カカココもドラゴに向かって首を伸ばす。
「おかえり、ドラゴ」
「腹一杯になったか?」
「なってない、まだ食べる!テオドール!肉だ!」
「その手に握ってるのはどうした?」
ジンがドラゴの両手に握っている魔物肉を指差す。ドラゴは今気付いたと言う顔をして、カカココへ差し出した。
「カカココのぶんだ!ローストビーフだ、うまい」
所有欲の強いドラゴの自発的なお裾分けはかなり珍しい。嬉しそうにそれぞれ肉を咥えて、カカココはイルラの元へしゅるりと戻る。
「「ローストビーフ?」」
2人はハモった。
「いや、魔物肉をそれっぽく焼いただけだ。ドラゴは肉の種類は気にしねぇから、そうやって焼いた肉は全部ローストビーフって言うんだ」
「ジンがいちばんうまい」
「俺の焼き方が上手いって事な。その言い方だと俺を食ってるぞ」
肉の種類を教えた事もあったが、ドラゴには重要ではないらしく覚える気がなかったので諦めた。肉汁と油で汚れているドラゴの手と口、腹をハンカチで拭う。少し大きな肉塊だったがカカココは上手に丸呑みした。
「ドラゴ、ありがとう。カカココが嬉しそうだ」
「オレ様があげた、オレ様はえらい」
イルラへ頭を突き出し褒めて貰おうとしている。
「肉ってこれでいい?」
「許す!」
いつの間にか離れていたテオドールが、肉を皿に乗せて戻って来た。ドラゴは撫でられながらも偉そうに答えている。皿をジンが受け取り、ドラゴは肉を鷲掴んで食べ出した。さっき魔物肉の大きな塊を食べたばかりと言うのに、勢いは衰えを知らない。
「よく食うな。ドラゴって何でも食うけど好物ってあんの?」
「ある」
テオドールの問い掛けにドラゴは肉を見詰めながら答える。
「オレも気になる、教えてくれ」
頬に肉を詰め込んだドラゴがイルラの声に顔を上げる。もぎゅもぎゅと咀嚼をした後、声高らかに好物を発表した。
「ローストビーフだ!!」
ジンは思わず笑った。
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