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学園編 3年目
夏季休暇 北部《追想6》
しおりを挟む雪籠りが始まるまで、ジンとドラゴはフェンリル親子と毎日遊んだ。ジン達が居る間に親は狩りに出掛け、帰って来たら親に毛繕いされる子供に混ざって毛繕いされた。
日はどんどん短くなって、一緒に居れる時間も短くなる。
そして訪れた雪籠りの前日。猛吹雪の中を何とか洞窟まで歩き、2頭にお別れを言いに来た。
ジンにとっては本当に最後のつもりだったのだが、「ゆきがやんだらたたかうぞ!」とドラゴは親フェンリルに宣誓していて、諦めていなかった事に笑ってしまった。
そんな来年が来ても良いなと思いつつ、ウォーリア領は雪の牢へと閉ざされた。外では豪雪が吹き荒び、雪は一階の窓を埋め尽くしてしまった。ジンは火属性魔術の持ち主なので、各部屋の暖炉やペチカに火を点ける事には困らない。祖父母を始め、執事とメイド、この時期だけ住み込みで働いてくれるシェフも喜んでくれる。
暇なので水結晶を只管作ったり(飲み水に出来る)、祖父に剣術を教わったり、本を読み直したり、祖母の編み物を手伝ったり、のんびりと過ごす。
1日の半分以上が暗いので、だんだん体内時計が狂ってしまう。その日も昼前まで寝ていたせいで、深夜を回っても寝付けなかった。この期間は夜更かしをしても怒られない。部屋のランプを付け、同じく寝付けないドラゴとベッドの上で絵を描きながら遊んでいた。
するとドラゴが急に窓の方を見た。その黒目が瞬きもなく、ジッとカーテンを見詰めるので首を傾げる。
「ドラゴ?どうかした?」
「……アイツらだ!」
叫んで飛び上がり唐突に窓に向かった。慌てて追い掛けるが、間に合わずにドラゴはカーテンと窓を乱暴に開け放った。
ーーーーゴオッ‼︎
吹き込んでくる痛いほど冷たい風と雪。思わず目を瞑ったが、ふっとそれが止んだ。
「……?」
目を開けると、子供を咥えたフェンリルのマズルが窓を塞ぐように突っ込まれていた。「キューンキューン」と鳴く子フェンリルに瞬きが早まる。ドラゴは嬉しそうに「あそぶか!?」と飛び回っていた。
「な、なに?どうしたの?」
駆け寄って子フェンリルを抱くように受け取る。縦になるとジンより大きい子フェンリル。親はそっと離すと、子フェンリルの背中を一舐めして鼻先で突いた。そしてそのまま、窓からマズルを抜いてしまう。
「えっ……?ちょ、待て!!」
慌てて子フェンリルを床に下ろし、吹雪が吹き込む窓辺に張り付いた。ぶつかる雪が肌に激痛を齎し、目が凍りそうに寒いが、ジンは暗闇の中へと去っていくフェンリルの後ろ姿に叫ぶ。
「どこ行くんだ!何で子供を置いて行くんだよ!フェンリル!!!」
轟轟と豪雪が声を掻き消す。例え聞こえたとしても、フェンリルと意思疎通など出来ないので無意味と分かっていた。それでもあまりにも信じられない事実にジンは混乱していた。あれほど慈しんでいた母親が、どうして子供を置いて行くのか。
寒さに血流が止まって痛みを感じなくなっても、窓枠を掴んで身を乗り出し、暗闇に呼び続けた。
だが、どれだけ呼んでもフェンリルが戻って来る事はなかった。
.
.
.
子フェンリルは静かだった。吠えもしないし、悪戯もしない。寧ろ雪籠り経験者のドラゴの方が「たいくつだ!」と部屋中で転げ回って大変なくらいだ。
落ち込んだり、母の後を追ったりもしない。子フェンリルは当然のようにジンの言う事をよく聞いた。ジンには不思議でしょうがなかったが、相談出来る相手も居ない。
暫くは部屋の中に隠していたが、それでは運動不足になってしまいそうで、ジンは祖父に話す事にした。部屋に来た祖父はフェンリルの姿を見て、天を仰ぎ、次に地面を見下ろし、頭を抱え、顔を隠した。
「……この子は、どうしたんだい」
顔を覆う手の下から籠った声で尋ねて来た。
「……散歩中に助けたフェンリルが…こないだ、夜連れて来たんだ。親は行っちゃって…雪籠りが終わったら探しに行くから!絶対に!すごく良い子だし、俺の言うこともしっかり聞いてくれる。だから、その、少しだけ家の中を散歩させても……」
「…フェッ……種族は、兎も角。こんな大きな狼が居たら、おばあちゃんが卒倒するよ」
とんでもない単語に祖父は顔を跳ね上げた。しかし、驚嘆はすぐに困惑へと変わる。今にでも卒倒しそうなのは祖父の方だし、種族については嘘だと思ってる(思いたい?)ようだ。
「ばあちゃんには見つからないようにするから」
「……そう言う問題じゃ…レベッカは、こんな事…」
「……ごめんなさい」
レベッカでなくともこんな事しないと思うよ、とは言える空気じゃなかった。フェンリルは「くぅん…」と鳴いて、ジンの右脇に自分の頭を差し込んだ。その頭をヨシヨシと撫でる。様子を眺めていた祖父は溜息を吐き、執事のバロックを呼んだ。
「お呼びでしょ、うか…?」
バロックもフェンリルの姿に目が点になっている。ピッタリとジンにくっついているので、一瞬人形か何かだと思ったようだ。
「…暫くうちで面倒を見る事になった。屋敷内を散歩させる時にヴェロニカと鉢合わせないよう、スケジュールを組んでやってくれ」
「…は、すぐに確認致します。……坊ちゃん、その…ご希望の時間などござ、ひっ、ますでしょうか?」
そろそろと近付いて来たバロックに、フェンリルがぬっと顔を突き出した。もう若くはないバロックが怯える様子に申し訳なく思う。「任せるよ」と答え、フェンリルの頭を撫でて下がらせた。
「レベッカー」
廊下からの声に祖父と執事が同時に肩を跳ね上げた。ジンはすぐにコート掛けに引っ掛けていた赤い外套を着込む。女性向けの華やかな模様の入ったもこもこの外套は、少年らしさが出て来た身体のラインを隠してくれる。適当に後ろで結んでいた髪を下ろせば、まだ少女に見えない事もないだろう。
「レベッカ、今日は……あら…」
部屋に顔を覗かせた祖母が、ジンの脚に寄り添うフェンリルを見て瞬いた。「あ、お前…この子はだな…」と祖父が何とか言い訳をしようとしている。庇ってくれるつもりなのだろうと伝わる。
「あらァ、可愛いわね。大きなわんちゃんだこと」
「「「えっ?」」」
両手を重ねてにこやかに微笑む姿に、男3人が素っ頓狂な声を上げた。「オレさまのほうがかわいい!!」と何も気にしないドラゴが祖母の前で翼を広げて褒め言葉をねだっている。「わんちゃんと孫じゃ可愛さが別なのよ、それぞれとっても可愛いわ」とドラゴの頭を撫でてあげている。
「お、驚かないのか?」
祖父がそっと尋ねると、ドラゴを抱っこして祖母は微笑んだ。
「え?あなたが差し上げたんじゃないんですか?…拾って来たの?」
祖父が声を詰まらせたので、ジンは一先ず頷いた。
「貴女は昔から犬が好きなのよね、ずっと欲しがってたもの。ほら、大きな犬のソリに乗りたいって…覚えてるかしら?」
祖母がジンに問い掛ける。赤茶の瞳は近くを見ているようで、どこか遠くを眺めているようだった。ジンは微笑む。
「うん、覚えてる」
なめらかに嘘を紡ぐ。
「だったらこれからしっかりお世話してあげるのよ。最期まで責任を持ちなさい、この子には貴女しかいないの。たくさん遊んで、いっぱい愛してあげるのよ」
「…うん、分かった」
「良い子ねレベッカ。それにしても髪が乱れてるわ。整えてあげるから、こっちにいらっしゃい」
ドラゴを抱いたまま、祖母は踵を返した。安定している時の祖母は、歳を召しても美しい人なのだと実感する。ポカンとする祖父と執事の前を通り、苦笑しつつ祖母について行った。フェンリルも一緒に。
何はともあれ、祖母が受け入れたのであればフェンリルと屋敷内を散歩しても問題ないだろう。
リビングで椅子に座る祖母の足元に座り、祖母に髪をといてもらう。優しくて手慣れた動作。暖炉の前でフェンリルはジンの脚に添って横になり、ドラゴは膝に乗って丸くなった。祖母はレベッカに話し掛けている。相槌を打ちながら、ジンの手はフェンリルの毛を撫でていた。
お前の母ちゃんは、どうしてお前を置いて行ったんだろうな。お前の事をしっかり見ていたのにな。雪が落ち着いたら迎えに来るのかな
そんな事ばかり考えて。
.
.
.
雪籠りが解除された。例年よりも雪が深くなかなか解除されなかったので、ジンはすぐにでも飛び出して行きたかった。だがまだ雪は大人でも簡単に飲み込める程の高さで残っている。
除雪などある程度整えなければ遠出は出来ない。
フェンリルは屋敷内ではとても良い子で、執事やメイド、シェフにも人当たり良く接していた。元々動物嫌いな人は居ないのでみんな可愛がってくれた。ただの狼に似た犬だと思ってるように思う。ドラゴと同様にジンから遠く離れるような事はなく、目に見える範囲でしか遊ばない。
庭が除雪され、家の前が除雪され、道が除雪され。漸く外出許可が降りたのは、数週間後の事だ。文字通りに飛び出して、除雪されていない洞窟へと向かった。まだ深い雪が洞窟の入り口を少し塞いでいたが、中には問題なく入れた。
「おーい!フェンリルー!」
ジンが呼んでも何の音もない。
「ジン、ここにアイツはいない」
フェンリルの上に乗るようになったドラゴが素っ気なく言った。フェンリルもフェンリルで、スンスンと地面を嗅いでいるが、それ以上あまり反応はない。
ドラゴが言うのならここには居ないのだろう。
諦めて他を探そう。
それから近くの森や山を探したが見つからず、狩場に1頭で帰ってしまったのかとも思った。日々はどんどん過ぎて、春が過ぎ、雪解けの夏が来た。
ガリストに相談に行くかずっと悩んでいた。だが行かなかった。フェンリルについて教えなかったのに、自分が困ったからと頼るのは良くないと思ったからだ。
「…もっかい、あそこに行ってみようか」
密猟者の侵入があって以降、封鎖されていた辺境伯家の山。
負傷して逃げ込んだ場所。わざわざあそこに戻る理由はなさそうだけど、身を隠す場所として選んだ理由があったのかもしれない。
そう思い何度も訪れていたのだが、山は除雪すらされておらず、雪のせいでこっそり入る事も出来なかったのだ。
夏の雪解けで足場は悪かったが歩けない事もなかった。柔らかな残雪は所々で小さな雪崩を起こし、時に凍った地面に足を取られる。ドラゴは飛んでいるし、フェンリルは雪だろうが氷だろうが、軽やかに走れた。苦労するのはジンだけだ。自力で登ろうとしていたジンの脚に潜り込み、フェンリルは駆け出す。
「う、わっ!」
まだ1歳にも満たないフェンリルの疾走は、風を切り雪を裂き、ジンに枝がぶち当ろうと気にしない、スリリングなものだった。顔中に傷が出来てヒリヒリしたが、痛みなどすぐに吹っ飛んだ。
木々を抜けた先の開けた雪原。フェンリルと出会った場所に、雪を被った大きな白骨があった。それは伏せたフェンリルのように、雪を被って静かに沈黙している。
「……え?」
子フェンリルが「キューン」と鳴いた。ジンは嘘みたいな光景に茫然自失になる。滑るように背中から降りるが、足が動かない。頭の上からドラゴが「かあちゃんだ!」と覚えたての単語で呼んで、「でもほねだな!」と無情に現実を突き付けて来た。
「なん、で?だって、そんなに時間経ってないだろ…骨って…雪の中にいたのなら、ますます変だよ」
雪の中に獣肉を保管する方法がある。凍らせる事で長持ちするからだ。なのにどうして。こんな短期間で骨になるなんて。
雪に半分以上埋まってる。ずっとここに居たんだ。
ジンは駆け出し、顔周りの雪を掘った。問い掛けるように無我夢中に掘った。
なんでどうして。
冷静じゃなかった。雪を退ければ元に戻るんじゃないかとさえ思って、骨に沿って雪を掘った。
霜がついた手袋を「邪魔!」と脱ぎ捨てて素手でも掘った。無意識に炎の帯を展開し、周囲の雪を溶かしながら、骨を救い出そうと必死だった。
雪の中から、歪にくっついた長い骨が見えた。左前脚だと直感して、本当にあのフェンリルの骨だと実感して、途端に炎は小さくなり消えた。
辺りは静かになり、少しだけ暗くなる。
ジンは動けない。子フェンリルを振り向けない。
「くぅーん」
トストスと足音が近付いて来て、漸くジンは後ろ向きに骨から離れた。
「ごめんな」
子フェンリルはジンの横に立ち、ジンを見上げ、頭をぶつけてくる。ようやく、顔を見れた。
「…母ちゃん、助けてやれなくて」
元々ドラゴの我儘だった。それも戦いたいなんて本末転倒な願い。それがいつしか自分の目標になってた。フェンリル親子との時間が楽しかった。2頭で元気に狩場へと帰る日を楽しみにしていた。それなのに。
「!!」
子フェンリルはパッと顔を逸らした。目線の先には骨になった頭がある。両耳がそちらへ向いて、まるで何かに呼ばれるように駆け出した。
「……あ」
嘘みたいな光景は夢のような情景になった。
子フェンリルが鼻先を寄せると、フェンリルの顔が浮かんだ。骨じゃない。あの澄んだ美しい月の目が、子フェンリルを慈しむように見詰めてる。
身体を擦り寄せる子フェンリルに宥められるように目を瞑り、朧な月の光のように空気に溶けていった。と同時に、下から巻き上がるような風が吹いた。
「…っ…骨が…!」
まるで花弁雪が空に吸い込まれるように、風に骨が崩れていく。雪に寝そべる跡だけ残し、白骨はあっという間に風に攫われてしまった。
夢でも見てるのかとジンは目の前で起こった事が受け止められずに居た。
ーーーカラカラ
聞き慣れない音に振り返る。先程の風で綿帽子を落とした木々の枝が、チカチカと淡い太陽光を弾いていた。無数にも、無限にも感じる光はゆらゆらと揺れて、その度にカラカラと音を鳴らした。
「これはコイツのかあちゃんだ!」
ドラゴが指をさして言い切った。
「え?」
「おなじだ!!」
子フェンリルはまるで「そうだ!」と言わんばかりにぶら下がる光の下で跳ね回った。ジンは近付き、ようやく手に取る。
林檎の形をした透明な氷。
いつかの書籍で見た、『ゴーストアップル』
中身がなくなっても尚、その形を留める自然界の芸術品。だが脆そうな見た目に反して、手の中の幽霊林檎は溶けもしない。冷たいが氷の冷たさではない。
物欲しそうにキュンキュン鳴くフェンリルに差し出すと、遠慮なく食べた。食べる物なのかと驚いた。嬉しそうに尾を振り、次をねだるフェンリルの様子に、これは母が子に遺した物なのだと理解した。
食べられる物と分かったのに、ドラゴが珍しくねだらない。
フェンリルが食べる姿をジンの左肩からジッと見ていた。
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