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学園編 3年目

狼の歯噛み5-3

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両脇を騎士に挟まれ、揺れる馬車の中でジンはじっと前だけを見据えていた。

(…あいつら、ちゃんと怪我治したかな)

頭の中に過ぎるのは医務室で見た光景。今はギルバートが傍に居るし、ロキも4人を見てくれるだろう。もう心配しなくても良いんだと言い聞かせても胸を蝕む翳りが消えない。

その胸に同居しているもうひとつの感覚へ意識を集中する。

ドラゴとフィルの気配だ。

2頭は学園長かロキが預かってくれているのだろう。先程の廊下にも姿がなかった。だが何となく元気にしていると分かる。

(今頃乾燥肉でも貰ってんのかもな)

『ぶっとばせ!』
『ぶっとばすんだ!』
『わんっ!!』

耳に届いた声に、ドラゴの吊り上がった目、フィルの鼻の頭に刻まれた皺を思い出し、少し気が軽くなる。

馬車は随分とゆっくりと進んでいた。先に出発したヴァレリオとユリウスの馬車は、気配すらもうない。
どれだけの時間が掛かろうと、ジンは一言も発さず、ただ前だけ見る。その様子を騎士以外にも見られていると気付きながら。

「もうすぐ到着します。降車の準備を」

隣の騎士に声を掛けられ頷いた。間に挟まれているが彼らの態度は罪人へのそれではない。ユリウスの言った通り拘束もなく、対応は至って丁寧だ。

(王宮騎士が相手にするのは、基本的に身分のある貴族だからか?)

これが通常なのかどうかなど判別付かない。

降り立った場所は仰がなければ上が見えないほどの建物の前だった。眩しくもないのに眩く見える豪奢で荘厳な佇まい。この地に住む人々を表しているようだ。

騎士に従って中へと入る。中は外よりも重厚感が増した気がする。広過ぎるエントランスに高過ぎる天井。カーテンから花瓶まで、何もかもが格調高い。権威と品が同時に存在していた。

そんな広い城内だが使用人の姿はなかった。気配だけはする。

(罪人が人質を取ったりしないように引っ込めてるのか。よく分かんねぇけど)

周囲を見渡すのも失礼なので、ジンは長い廊下をただ真っ直ぐと歩きながら他愛無いことを考えていた。
そして辿り着いたのは、これまた重厚で大きな扉の前だ。騎士が一定間隔を開けて離れ、ノックした。

「ジン・ウォーリア卿をお連れしました」

高らかな宣言のような声が響き、扉を開けられた。
石造りの部屋だ。煌びやかさを最大に削り落とし、重々しい空気だけが残る部屋。絨毯は真っ直ぐと正面奥の台座へと続いている。

謁見の間だ。それも歓迎されない方の。

台座の上に椅子が並んでいた。玉座がふたつ、それ以外が複数。だが誰も座ってはいない。

台座の下、階段下に立つユリウスに、王宮騎士団の服に身を包んだ男達が数人、両端に並んでいた。
そしてユリウスの前にはヴァレリオが、その後ろにネズミ達が跪いていた。

「役者が揃ったね」

ユリウスが薄らと微笑みを浮かべて呟いた。
止まっていたジンの背中を、騎士が「歩け」と言いながらそっと押して来たので、言われるまま歩き出す。ヴァレリオは前髪を分け、緑目を晒して不機嫌そうにしていた。

恐らくヴァレリオは先にユリウスに色々と聞かれていたのだろう。王子と皇子の対話とは思えない、立ちっぱなしの会談。

ヴァレリオと目が合うかと思ったが、騎士がひとり間に入って遮った。部屋の中程で立ち止まる騎士達に合わせてジンも止まる。これ以上は近付いてはいけないようだ。

「では始める前にひとつ、裁きの場に偽りが存在してはいけない。了承頂けるかな、ヴァレリオ皇子」

ユリウスの声を聞いたのは数回ほどしかないが、相変わらず眠たげな優しい低音だ。付け入る隙しかないような覇気のない声。だが内容には少し煽りを感じる。

了承を確認する段階で名前を呼んでいるし。

「…始める?『王宮裁判』はどうなったのかな?まさか第二王子ともあろう人が脅し?そんな軽い気持ちで使って良い単語なの」

ヴァレリオも負けずと皮肉ったが、ユリウスは微笑を崩さず首を傾いだ。

「貴殿がお望みならば」

片手を持ち上げたユリウスへ、近くに居た騎士が巻き上げ式の ロトゥルス巻物を差し出した。それを自分だけが見えるように開きながら、ユリウスは書面から目も離さずに言葉を続けた。

「それなら帝国から裁判に参加する貴族を呼ばないといけないな」

ヴァレリオは唇を噛み締めた。つまり『帝国に報告しても良いなら本当に開くぞ』とユリウスは言っており、その意図を汲み取ったヴァレリオは口を閉ざす以外になかった。そんな心境を見抜いているのかいないのか、手に持ったロトゥルスをヴァレリオへと掲げた。ジンの場所からは騎士が邪魔でよく見えなかったが、辛うじて『裁判所』と『国王』の記載があるのは分かった。

「王宮裁判は準備に時間が掛かる。その間、貴殿も例外なく勾留されてしまうよ。遥々魔術学を学びにいらしたんだ。時間は無駄にしたくないだろう?不服かもしれないが、今回の件はどうか内々に処理させて頂きたい、と、国王陛下のお言葉だ」

書面にはつらつらと国王の意思が書いてある。必要であれば王宮裁判を開く気概はある事、だが大事にすればそれだけ帝国も王国も多大な労力を使う事など、小難しい長文が並んでいるが要は『穏便に済ませよう』と言うだけの話だ。
そして裁判所のサインはユリウスがこの件で裁判権を持っており、国王もそれを認めていると言う証だった。

「………彼を帝国…いや、ボクに引き渡せばそれで良いって言ってるでしょ」

黙ってジンを譲れとヴァレリオは諦め悪く呟いた。フェロモンも『誘惑エロス』も存分に発揮されているが、目の前のユリウスにも周囲の騎士達にも変化は見えない。

ユリウスはくるくるとロトゥルスを巻きながら、優しく首を縦に揺らした。

「彼を許せないのは重々承知だよ。でも、今回の件は帝国の密偵組織が、無差別に学生へ攻撃を仕掛けた事がそもそもの発端だと……貴殿は知らなかったのかな」

「証拠なんか…」

「でもね、我々は事実を明らかにしたいんじゃない。被害に遭ってしまった生徒達には申し訳ないけどね。これからも貴国との変わらぬ関係を維持したいんだ」

『明らかになると不利になるのはお前らだ』

含まれた言葉を察し、ヴァレリオの後ろに居るネズミ達が冷や汗をかく。証拠や痕跡は出来る限り残していない。その自負はある。だが、帝国と王国の魔力の差を思えば、もしかしたら帝国の思いも寄らない方法で見つけ出されるかもしれない。

その不安は歯を鳴らしたヴァレリオも感じていた。

何も言わないヴァレリオにユリウスは携えた笑みを変えず近付く。

「だけど貴殿はそれだけでは気が収まらないよね。彼は大きいし強いから怖かっただろう。でも良く考えてみて欲しい。君自身への暴力行為は未遂に終わっているし、彼の方が殴られてる。既に間違いを認め、謝罪もしていた。今も深く反省しているようだし、どうだろう、ここは少し温情を掛けてあげるのは。お互い面倒がなく良いと思わない?」

最後に急にフランクさを出して、ユリウスはヴァレリオの背に合わせて身を屈めるように顔を覗き込んだ。

ばちりと目が合い、ヴァレリオは微笑み返す。

(なんだ、先輩の処遇はボクが決めて良いんだ)

そう思って。

「…うん、いいよ。寧ろ護衛達が勝手な事をしてしまった事は謝りたい。彼らもボクの事を思っての事とは言え…止められなかった、主人失格だ」

あっさりと切り捨てられ、ネズミ達の冷や汗はドッと増えた。王国にしろ帝国にしろネズミ達の首を斬るのは容易い。無言のまま、静かに腹を括るしかない。

(密偵など所詮は誰かの駒でしかない)と。

ユリウスは頷いて姿勢を正す。

「そうだね、こちらも生徒達へ負わせた怪我の責任は問わないよ。代わりに彼への処罰は僕が決めさせて貰うね」

「え」

随分とあっさりとした物言いだった。ヴァレリオはすぐには理解出来ずに固まった。(今、なんて…)と思っている内に、ユリウスは丸めた羊皮紙を騎士から受け取り、両手で開いた。

「もうこんな事は起こさないよう、この者は二度と貴殿には近寄らせない。接近禁止令を僕の権限で出させて貰う」

「……そ、そんな事しなくても」

「ヴァレリオ皇子、無理はしなくて大丈夫だ。暫くの間、彼には監視をつけるし、君には王国側からの護衛も増やそう。例え学生同士の争い事だとしても、君は王族預かりの大事なゲストだからね」

羊皮紙には既にジンへの罪状と処罰について記載されていた。ヴァレリオの焦りにユリウスは同情的な顔を見せ、至って穏やかに告げる。

「君に何かあったら大変だ」

「………」

頬を引き攣らせるヴァレリオ。ユリウスの心配など演技だと分かっている。だがそれを指摘してどうすると言うのだ。他国の王子に噛み付く事が得策でないことくらい分かっている。

不測の事態に弱いヴァレリオは言い返せずに俯いた。その隙にユリウスはジンへと顔を向け直す。

「ジン・ウォーリア、何か申し立てはあるかい?」

「…ありません。処分内容、謹んでお受け致します」

ジンはしっかりと頷いた。伏せていた顔を跳ね上げて、ヴァレリオは首を振る。

「ま、待って、待って下さい…!ジン先輩!」

「ヴァレリオ皇子、彼は反省してるのだしこれ以上の罰は許してやって欲しい」

「そんな事は言ってない!ボクは!」

「ウォーリア卿、下がって良い。金輪際、このような事がないように。二度目はないよ」

「はい」

ユリウスへ頭を下げ、騎士に連れられて出て行くジンをヴァレリオは見送る事しか出来なかった。

(やられた…!やられたやられた!!)

自国民のをこうもあっさり認めるなんて思わなかった。

ヴァレリオは王族から守られた形になり、不手際を言い付ける事も出来ない。挙句に接近禁止令など出されてはヴァレリオがジンに近付く事すら不可能だ。

(被害者側のボクから近付いたらおかしくなる…それで何かあった場合、この件も掘り返されてしまう…)

この国で自分が出来る事はとても少ない。味方する貴族も少なく、帝国まで報告を知らせても父達が動くほどの事態ではないと一蹴されるだろう。

(寧ろ上手く出来なかった事で揚げ足を取られる…)

兄達はみな敵だ。皇太子になる為には上の兄2人より優れていなければならない。魔力の強さや周囲の人気の高さから2人はヴァレリオへ良い感情を持っていないから、これ幸いとこの件を突いてくるだろう。

皇室の魔術師として兄に仕えるだけの人生など絶対に嫌だ。

(ああ…くそ、くそ!素直に先輩がボクに落ちてくれていればこんな事にはならなかったのに!お前のことは認めていたのに!あんなにも好意を持って接してあげたのに!)

拳を握り締め、心の中で悪態をつくしか出来ない。俯いて震えるヴァレリオをユリウスの琥珀の目が冷たく見下ろしているが、ヴァレリオは気付く余裕もない。


(ーー彼を容易く手離す訳ないだろ)


ジンとヴァレリオよりもいち早く、ユリウスは学園長と共に城に戻って来ていた。

『ドラゴンの従属主を帝国に引き渡す事は出来ない』

先の騒動を聞いた国王は、ハッキリとそう言った。王国設立以来、この国にドラゴンを従属出来た者が居たと言う話は全く聞かない。

初めて現れた、ドラゴンを従わせる者。更にフェンリルまで同時に従属出来ている彼は、王国にとっても非常に重要な人物だ。

しかしヴァレリオは表面上はドラゴンに興味を示してはいなかったから、国王は一瞬だけジンだけを引き渡せば事なきを得るのではと検討した。

『人に懐いているドラゴンであれば、新たな従属主を与えると言うのは』と。

目の前で聞いていた学園長は高らかに笑って、『彼らはジンについて行くだろう』とあっさりと言い切った。ユリウスも同意見でしかない。
国王は笑われた事と実の息子の冷めた目線に、『言ってみただけなのに…』と口を尖らせた。

(策を幾重に練るのは良いが、どうして考えてる事を考えなしに口に出すかな…)

我が父ながらユリウスは生温い気持ちになる。

下級とは言え貴族名簿に名を連ねる正真正銘の貴族で、高ランクの冒険者。どちらもなろうと思ってなれるものではない。それだけで彼は稀有で貴重な存在だと国王も認識している筈なのに。

"彼"を帝国…いや、どの国だろうが渡してはいけない。

ありがたい事にヴァレリオは家族である皇族に、今回の件を報告する気はないようだったので隙が見えた。

手柄を独り占めしたかったのか、本当に彼自身を自分のものにしたかったのかは定かじゃない(恐らく後者だろう)が、助けを呼ばなかった事は王国側としては僥倖でしかない。

皇族が出張って来たら、こうも簡単に始末は付けられなかっただろう。


(こればかりは君に感謝しないとね)


ふっとユリウスは微笑んだ。

「ヴァレリオ皇子。円満に終わって良かったよ。ありがとう、これからの学園生活を有意義に使って頂きたい。馬車を用意してある、見送りを」

心の底から礼を告げ、優しい王子様らしく、柔和な物腰でヴァレリオをエスコートする。ヴァレリオは悔しさなのか恥ずかしさなのか、顔を真っ赤にしたまま「1人で良い」と言い捨ててネズミ達と共に部屋から足音荒く出て行った。
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