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学園編 2年目

男爵家男孫の学園生活21-1

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パァンッ!

小気味の良い音が響く騎士塔の回廊。近くにいた生徒達は音の方向へと顔を向けた。そこには木刀を握ったギルバートが顔を赤らめ、ジンに向かって構えている。

「貴様ッ!何度言えば…!」

「尻叩くくらい良いだろ。ほら、鍛錬行くぞ」

「良い訳ないだろ!」

大きく張りがあるギルバートの尻を気に入ったジンは出会い頭に叩くようになった。以前はギルバートが執拗に木刀で追い回していたのに、今ではジンがギルバートの尻を追い回す。立場が逆転した2人の様子に周囲は戸惑いを隠せない。
それでも変わらず振り回される木刀を背中で受けながら、ジンは気にした様子もなく歩き出した。不服そうにしながらも木刀を納刀して、ギルバートは隣へと並んだ。

「……おい、やめさせろ」

「何を」

「これだ」

ギルバートは身を捻り、後ろを指差した。何もない空間だがジンには分かる。尻の後ろにドラゴがいる。

「お前の真似して叩いて来るぞ、やめさせろ」

「良い尻は叩きたくなるんだよ」

「尻なんぞ叩かせるな、やめさせろ!」

パシパシと小さくも分厚い、人ではない手が尻をドラムのように叩いて来る。ギルバートはドラゴとフィルに対して自分から接する気はなく、基本的に放置しているので何かあっても直接言わない。どうも小動物や子供などの庇護対象への接し方が分からないらしい。ドラゴもフィルもどちらでもないのだが。

「ドラゴ、やめてくれって」

ジンが声を掛けるとスウッと黒い影が浮かび上がるようにドラゴが姿を現す。

「ジンは叩くのにか」

「俺は尻叩くのが好きだからだよ。ドラゴは好きな訳じゃないだろ」

「何がおもしろい?」

「ほらな」

「お前もそんな理由ならやめろ」

不毛な会話にギルバートが突っ込むが、ジンは笑うだけだ。やめる気がないと分かり、ギルバートはムッと口を閉ざす。ドラゴはジンの左肩へバサリと飛び移り、再び姿を消した。不思議に思っていると、柱の影になっていた扉から数人出て来た。

その内の1人がジンとギルバートの姿を目にした途端、不機嫌そうに睨み付け、連れの友人達との会話をぶった斬って大きな声を出した。

「次の男はソイツかよ。ホント顔しか見てねぇんだな」

あからさまな侮辱はジンに向かって放たれている。睥睨する相手の目線を受けながら、ジンの顔色は1ミリも変わらない。スッとギルバートへと顔を向ける。

「そういや今日さ」

完全に無視したジンの態度に、カッと顔を赤らめた男が更に大声を上げた。

「選り好みすんなよヤリチンがよォ!」

叫ぶだけ叫んで男は走り去って行く。呆気に取られていた彼の友人達が口々に「あいつが告った奴って」「え、まさかタイプつってたの…」などと呟きながら、ジンへと視線をチラチラ送り彼の後を追って行った。

「そう言うとこだよ…」

ボソリと呟いたジンの声に、ギルバートは目線だけ送った。叫んだ男の見目は悪くなかったが、ジンのお眼鏡には適わなかったようだ。バタバタと遠退く足音が消えた頃、どちらともなく歩き出す。

「…知り合いか?」

「いや知らない」

ギルバートの問い掛けに即答するジン。「そんな訳ないだろ」と思うが、何を考えるのか分からない男はそれ以上口にする気はないようで、その横顔にギルバートは眉の皺を深めた。

「ヤリチンなのか」

「そう、選り好みするヤリチンだ」

「……ふむ」

しれっとしたジンの横顔から視線を外し、真っ正面を見る。元々軽い人間なのだろうとは思っていた。でなければ「願いを聞く」と言われ、「抱かせろ」などと返せる筈がない。予想は当たっていたのだと、ギルバートは納得しつつ、ジンの交友関係を振り返る。

2人の間で無言の時間は珍しくないので、ジンはギルバートが何か考えている事は気付いていたが特に詮索しなかった。
目的の実習塔へ続く扉へ手を掛けた時、唐突にギルバートがポツリと呟いた。

「…シューゼント」

無言でギルバートを振り返る。
いつも通りの仏頂面だ。

「……」

目が合ってもそれ以上何も言わない。放っておこうと扉を開けた。

「ククルカ」

再び顔を見る。口を閉ざしたギルバートの銀の目が、光の反射で青色に揺らめく。

「……」

また無言になったギルバートを無視して中に入り、廊下を歩く。他の実習室から生徒達の声が廊下を賑やかしている。

「テオドール」

「テオは違う」

階段を上り、今度は振り返らずに答えた。2段下を歩いていたギルバートが顔を上げる。

「選り好みか」

意外な気がした。テオドールは騎士科でも異性同性関係なくモテている。男臭くないサラリとした空気に、凛とした気の強そうな顔立ちと細身の身体が人気だった。先程の男とは段違いの見目の良さ。顔の良い男が好みだろうジンにとって、テオドールは魅力ある男に見えている筈だ。

「テオは婚約者が居るからな。婚約者が居る奴には手を出さねぇ」

予想外の返答が来て、ギルバートは黒い後頭部をマジマジと眺めた。言われて思い出す。確かにテオドールには年上の婚約者が居ると、何処かで聞いたことがある。あまり他人の交友に興味のないギルバートは頭の片隅に追いやっていた。

「…俺にはそんな確認しなかっただろう」

「確認しなくても、居ないと知ってたからだよ。婚約者が居る男は食堂で堂々とナンパされたりしねぇだろ」

最早あれは見合いだったが。
いくつか踊り場を過ぎ、廊下へと曲がる。静かな階層だ。実習塔の中でも上階で、狭く小ぢんまりとした部屋が多いので使用者は少ない。

「…そう言う節度はあるんだな」

「あるよ。……まあ、テオの場合は婚約者居なくても、手は出さなかったかもしんねぇけど」

ひとつの扉の前に立ち、ジンはドアノブを掴んだ。声量低く呟かれた言葉にギルバートは眉を顰める。

「何故?やはり選り好み…」

「めっちゃタイプだよ。中身も可愛いしな。可愛過ぎるから問題なんだよ」

扉を開いた先には、土床が広がる。壁や壁際に雑多に置かれた剣術用具。ギルバートとの鍛錬で既に4度ほど使用した部屋だ。姿を現したドラゴがフィルと共に用具が固まっている所へ飛んで行く。

ジンは入ってすぐの棚の前で上着を脱ぎ始めた。少し離れた位置で同じくギルバートが上着を脱ぐ。

「可愛いことの何が問題だ?」

好みでもない男を抱ける男が、好みだと言う男を抱けない理由がわからない。

「……俺は1人を選べねぇからだよ。特別を1人作るなんて、俺には到底出来ない」

「テオドールは特別になりたいと言ってるのか」

「いや、言ってねぇ。俺側の問題。テオは距離をちゃんと測れる子だ。踏み込んで来ないから俺も傍にいれる」

バサリと上着を棚の端に置き、シャツの袖を捲りつつジンは「…でも、あんなに好かれるとな」と呟いた。内容の意図は分からなかったが、無自覚の罪悪感が声に現れていた事をギルバートだけが感じ取る。

「何故1人を選べない?」

核心をつく質問に動きを止めて顔を向けた。ギルバートの目は真っ直ぐとジンを捉えている。薄い青色の光が銀の虹彩を撫でるように走った。不思議な目の色に魅入り、ジンの唇がゆっくりと開く。

「……浮気性だからだ。俺は例え誰か1人を選んでも、そいつの手を握ったまま他の奴にも手を出すよ」

「誰かと付き合った事があるのか」

「ないよ。ないけど分かる」

ここまで食い下がられた事も、真面目に答えた事も、あまりない。

「…意外だな、起こりもしてない事に怯えているのか」

ギルバートは顔を逸らし、ネクタイを外しシャツを脱ぐ。下にはピッタリとした半袖のインナーを着ている。着替えるのも、着替えを持ち歩くのも無駄に思い、ギルバートもジンも制服の下衣と薄いインナーだけで鍛錬していた。

「怯えているように見えるか?」

尋ねるジンの声は心底不思議そうに聞こえた。ギルバートは目だけを向け「ああ」と頷く。

「……そう、俺は怯えてんのか」

呟きながら目を逸らしたジンは、唐突にぼんやりとした横顔になった気がした。感情がスコンと落ち、そこに居るのに居ない、隠密とは違う奇妙な気配の薄さにギルバートは思わず弾かれたようにジンを見た。

ジンは視界の端でギルバートの動きが見えていた。ふっと小さく笑い、顔を向ける。
目が合った途端その存在感が戻って来た。思わず伸ばしかけていた手を、ギルバートは引っ込める。

「何を話してんだろうな俺は。それで?お前は何が言いてぇの」

「…知らん、お前が勝手に喋り出した」

「え…ええ…お前…」

唐突に会話を押し付けられ、ジンは呆気に取られる。聞きたい事を聞き終えたのか、それとも何が聞きたかったのか自分でも忘れたのか。朴念仁としたギルバートの空気に困惑しつつも、何だかおかしくなって笑ってしまう。

もしかしたらギルバートなりに、この会話を終わらせようとしてくれたのかもしれない。
単に面倒になり、放り出した可能性もあるが。

シャツを脱ぎ去りインナーだけになると、用具の中から木刀を一本抜き取り、既に中央に待機していたギルバートの正面へと立つ。

「今日一打でも出来ねぇと、負け分が2桁になるぜ」

「…分かっている」

ギルバートはあれ以降何かにつけて勝負に引き込まれては、負け分を順調に増やしていた。負け戦ばかりではやる気も出ないだろうと、ジンは救済措置だとある提案をして来た。

「俺に1回打ち込む度、負け分を2引いてやる」

それは救済なのか?と思わなくもなかったが、それを口にすれば自ら「一打も出来ない」と宣言するようなものだ。頷いて、今に至る。

負け分の払いは全て身体でするしかない。正真正銘、性的行為の意味で。ジンがそれしか認めてくれないからだ。受け入れてなどいない。しかし逃亡するには責任感が邪魔をし、開き直るにはプライドが許さない。

ギルバートはまんまとジンの策に嵌められ、追加されていく負債に頭と膝を抱える日々だ。

「…今日はお前から来てくれ」

木刀を抜き、切先をジンへと向けて告げる。

「お前が言うとエロいな、そのセリフ。今日は無理だから明日な」

「誰が言っても普通だろ!そうじゃなく!この間話していただろ!あの技を見せて欲しいだけだ!」

怒鳴られながらもジンはニヤついたままだ。木刀をベルトへと差し込み、鞘はないが左手が鯉口を握るように木刀の刀身を包み、柄に手を掛けた。

動きと姿勢でジンが望みを理解していたと分かり、ギルバートはサッと両手で木刀を握り直し、構えた。

「剣の形が違うから正確ではねぇが、西部地方で伝えられてる技だ。しっかり見ておけよ」

「……ああ」

ギルバートの目が光沢ある銀青色へと変化した。美しく砥ぎ澄まされた鋼を思わせるスティールブルー。目に魔力を集める感知系の使い手だと、最初の鍛錬の際にジンは知った。それは僥倖でしかない。目で覚え、身体に叩き込むタイプならば、口での説明はノイズにしかならないだろう。

少し腰を落とし、ジンはギルバートを見詰めた。相手の集中力が高まった瞬間、手を鯉口代わりに木刀を滑らせ、右足を踏み込み、抜刀の瞬間に横一閃に抜き付けた。ギルバートは反応出来ず、木刀を叩き飛ばされる。ジンの木刀はくるりと切先を返し、再び鯉口に見立てた左手へと納まった。

「………」

「見えたか?」

「……いや…」

「もう少し遅くするか」

「いや、今の速度でもう一度やってくれ」

悔しげに目を擦りながらギルバートは床に転がった木刀を取りに行こうとする。サッと黒い影が木刀を拾い、「ンッ!」とギルバートの顔面にドラゴが木刀を差し出した。

「…あ、ああ、すまない」

「優しいだろ!」

「え?」

「オレ様は優しい!」

「そう、だな…ああ、優しい…ありがとう」

「良いドラゴンだ!」

「え、そうだな、良いドラゴンだ」

「オマエはぶっちょだ!」

「ぶ…?」

言うだけ言って(言わせて)ドラゴは天井スレスレまで宙返りして、フィルの元へと戻って行く。
困惑したようにギルバートが数歩だけ進んだ歩みを引き返して来ては、困惑したままの顔をジンへと見せた。

「ぶっちょ、とは」

「不器用か、無愛想、のどっちか」

「………」

「大丈夫、悪口じゃない。お前みたいにでかくて静かな奴好きなんだよ。お前が構ってこないから、逆に構いたくなってるんだろ」

「…そうだとしても、その言葉は悪口だろ」

ジンは笑った。ギルバートはムッとしつつもドラゴを怒る気はしない。事実だからだ。なので、目の前の笑う主人に八つ当たりをする事にした。ジンへと近付きながら、ベルトに納刀し、間合いに入った瞬間に先程見せて貰った動きを模倣し、木刀を引き抜く。

ガツンッと鈍い音を立てて、木刀同士がぶつかり合った。あっさりと受け止められるが想定内だ。

「居合いでの騙し討ちか。良い感じに騎士道に反してんな」

「いいや、俺はまだ道の途中だ」

だから反してなどいない。反する道が出来てないのだから。屁理屈だろうが構わない。

「へえ」

ギルバートの声に迷いはなく、剣筋も以前よりも滑らかで大胆になった。剣術に誠実で愚直な男は吸収が早い。思う所は多々あるだろうに、ジンの指導にも素直だ。

(…俺に教えてくれた人達も、こんな気持ちだったのだろうか)

打てば響く感覚が楽しい。こいつは伸びると期待感にわくわくする。俺の技を必死に覚えようとする姿に情が湧く。

強くなれと心から思う。
いつか、本気で剣を交えられたらきっともっと楽しいだろう。

ジンは気付いていないが、ギルバートの目にははっきりと映り込んでいた。赤褐色の目を煌めかせ、楽しげに微笑むその顔が。余裕や優越ではなく、慈しむ親のようにも、純粋な少年のようにも見える笑顔に、ギルバートの心が騒つく。

時々こうして、ジンに惑わされる。
これも修行の一環かとギルバートは腹に据え、集中力を切らさないように心を無にした。

居合い抜きは騎士の型にはない。ジンは拘りなく様々な剣技を見せてくれる。未知の剣技を覚える事は楽しく、同時に役に立つと気付いた。同じ動きが出来なくとも、自分の剣技に要素を落とし込めば新たな技が出来上がるからだ。

勝てない事は悔しいが、ジンは失敗を負けとはカウントしない。今も何度も居合い抜きを失敗したが、一度も負けにカウントしなかった。

知れば知るほど変な奴だが、良い所も同じくらい見つかる男だ。

雑念を払ったつもりがギルバートの口にも時々笑みが浮かんだ。その笑みが見えると、ジンは報われた気になる。この時間も、この労力も。

その時、扉が開く音がしてギルバートの気が取られた。目線がつい、横に滑る。

ゴンッ!!

「はい、お前の負け」

「くっ…!!」

頭頂部に感じる木刀の重みに悔しげな声が漏れた。

「余所見しても良いけど、敵から目を離すなよ」

「…また、難しい事を」

木刀を肩に抱くジンが愉快そうに口端を吊り上げ、扉を開けた瞬間のポーズで止まっているテオドールへ顔を向けた。

彼の足元にはロープを咥えたフィルが、尻尾を振ってお出迎えしている。
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