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学園編 2年目

男爵家男孫の学園生活20

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実習塔の一室。魔術訓練室の中で派手な衝撃音が鳴り響いたが、扉1枚隔てた廊下を歩いていた生徒達は気付きもしない。

しかし室内は壁を一巡する結界が激しく揺れ、虹色の光干渉が起こった。崩れる事はなかったが、揺れが収まるのに数秒掛かり、その間部屋の隅に居た2人は硬直して別の2人を見詰めた。

ハンスとイルラが、ジンとロキを見ていた。

「また倒れた!ジンはロキにいつも弱い!」

ハンスの横でチョコを食べながらドラゴが怒る。盛大に壁に叩き付けられた後、床に転がっているジンは反応しない。
ロキはイルラを振り返り、黒い革手袋をした手で倒れているジンを示す。

「と、まあこのように、砂塵系の方が攻撃が重いので大物を仕留めるには適している。扱い自体は風属性の方が容易いが、イルラ・ククルカは砂漠地帯での戦いがメインになるだろう?風では自然の砂が舞い上がり思わぬ障害になる事も考えられる。それさえ計算して扱えるのならば問題はないだろうが」

ロキの説明にイルラもハンスも小さく頷くが、ロキの遥か後方に倒れているジンの姿に気を取られる。たかたかと軽やかな歩調でフィルがジンの元に向かい、鼻で突いていた。ジンは少し動いたように見える。

「カカココの属性ではあるが、土属性の精度を上げておけ。本来の属性である風と木は今の所十分なレベルに達している。属性は均衡を常に一定に保つのが理想だ。極めれば自然の砂と風さえも味方に付けれるだろう」

「はい…」

イルラは唖然としたまま、小さく頷いた。

「あ、あの、せんせー?」

ハンスがそろりと手を上げた。

「何だ、ハンス・シューゼント」

「い、今のデモンストレーションは必要だったっすか…?」

おそろおそる尋ねる。普段教壇で見る姿よりもイキイキとして見える担任は、その鋭い美しさにも磨きが掛かっていた。質問にロキは細い顎先に指を触れさせ、微かに傾いだ。目線だけが背後のジンへと流れる。小さな仕草だが歳上の色香が漂い、イルラもハンスも息を飲んだ。

「問題はない。そもそも彼奴が俺に頼んで来たのだから。お前らに魔術の特別授業をしてくれと」

「「…すみませんでした」」

必要だったとは言わない担任教師に2人は思わず謝罪した。鼻で笑ったロキの目はゾワリと背中を舐める光を見せる。

ジンは冒険者としての知識や知恵、心構えや体験談などを包み隠さず教えた。
だが魔術に関しては、口頭でも実践でも2人とも理解し難いらしく苦戦していた。

そこでジンが「先生に頼んでみるか」と軽いノリで提案したので、2人も話に乗って3人と3頭(ドラゴ、フィル、カカココ)でロキの教員室へと向かった。

それが1時間前の話だ。渋るでも悩むでもなく、ロキは3人と3頭の姿を一瞥すると仕事の手を止めて立ち上がり、滑らかな手袋を嵌めながらこの魔術訓練室へと全員を『飛ばした』

ジンとロキにとって馴染みの場でもある魔術訓練室は、学内で最も強い強度を誇る。更にロキがあらゆる結界を重ね付けしているので、魔力に直接干渉するジンの『咆哮』ですら最早壊れる事はないだろう。

元々だだっ広いだけの部屋で、合同授業でもなければ使用されない。だがそもそも魔術学での合同は試験以外ではほぼ行われない。今ではロキの私物だ。

部屋の主人であるロキは2人の謝罪にも鼻で笑った。

「何の謝罪だ。私は別に怒ってはいない。言っただろう、教える見返りに『ジンの身体』を好きにさせろと。魔術を取得する1番手っ取り早い方法は、他者の魔術を模倣する事だ」

ジンの身体を好きにさせろーー

そう言われた時、イルラとハンスは別の方向で考えてしまい、思わず顔を赤らめてしまった。教師と生徒であるのだから有り得ないと思ったが、なんせ相手がジンなので勘繰ってしまったのだ。

まさか魔術の被験体になる事だったとは。
指一本で起こった砂嵐に吹っ飛ばされたジンに、2人は静かに動揺していた。

しかし当の本人はけろっと起き上がり、胡座をかいてフィルの顔を撫で始めた。ロキは腕を組む。

「お前らも知っての通り、魔術に必要なのはイメージだ。そしてイメージするには深い理解が重要になる。自分自身、魔力、属性、特性、展開する魔術の性質、効果などな。しかしこれは口で説明するにはコツが要る。彼奴のような天才肌は、その理解を言語化せずに行なっているから、アレに魔術を習うのは時間の無駄だ」

「ホントそう思う」

フィルを伴い、砂混じりの乱れた髪を軽く揺すりながらジンが答えた。

「ボサボサだ!いつもよりだ!ボサボサ!」

チョコを食べ終わったドラゴが近付いて来ていたジンの元へと飛んで行く。「お前、手」とチョコまみれの手で髪を触ろうとするドラゴから逃げ、結局別の方向へと向かった。ドラゴは「鬼ごっこか!」と嬉々としてジンを追い回している。

背後の攻防を無視してロキは続ける。

「彼奴がお前らを連れて来た理由は想像付く。属性が違う場合、本当の意味で教えてやる事は不可能だからな。…私以外は」

紫の目を細めたロキにドキリとする。いつもの冷徹さのない自信と優越に満ちた笑みなど見た事なかったからだ。この笑みを引き出したのは、紛れもなくドラゴに捕まって顔をチョコで汚した男なのだろうと2人は思った。ちらりと視線を向けると、ドラゴと一緒にはしゃぎジンの背中に猛烈なアタックを繰り出しているフィルが居て、少し笑いそうになる。

「とは言え、一部の生徒を贔屓していると言われかねん。なので私はあくまでもクラブ活動をしており、お前達はそれに補講の一環として参加していると言う事にしておこう」

ロキは変わらず背後には目もくれない。「贔屓して何が悪いと思わんでもないが」と教師らしくはないが、ロキらしい事も呟く。教師にも色々と制約があるようだ。

「…オレ達もそのクラブに入るコトは出来ませんか?実際にクラブ活動として下されば、個別指導でなくとも学べるものは多いでしょうし、頑張ります」

「あ!そうっすよね!入りたいっす!その方が自然だし、何してるか気になるし」

イルラの言葉にハンスも乗る。しかしロキは素っ気なかった。

「駄目だ。定員オーバーなんでな」

「ちえぇ~…」

ハンスが変な声で嘆く傍らでイルラはチラリとジンを見た。ドラゴはジンが何から逃げてるのか察したらしく、チョコの付いた手を更に顔面に押し付けようとしていた。ドラゴの両手を握り耐えているジンの周りをフィルはぐるぐる回っている。イルラの首に居るカカココは、何故か羨ましそうにジン達を眺めていた。

「………定員、いるんですか」

イルラの呟きにロキは黙り、ハンスは顔を向けた。

「ジンのクラブの定員は13名っす。確かに埋まってる筈っすよ、名簿見た事あるっすもん」

「………そうか」

ハンスの言葉にイルラは無表情で顎を引いた。相槌に見えるギリギリの仕草。ロキは無言のままだ。

「もー…こいつは」

「ジンはチョコがこわい!うまいのにだ!こわいか!」

「怖いんじゃねぇのよ…」

何とか攻防を制したジンが、ハンカチで包んだドラゴの片手と手を繋いで戻って来た。頬に付いているチョコの汚れは、クッキリとドラゴの手形になっている。

「先生、生チョコ上げた?俺より良いモン食ってるよ」

ドラゴの食べ方もあるだろうが、いつも以上にベトベトの手にジンが尋ねる。ロキは首を傾げ、無表情のまま肩を竦めた。

「文句は学園長に言え」

「学園長からか…」

「学園長はいいヤツだ、またくれる」

勝手に決定事項にするドラゴにジンは呆れつつも微笑んだ。その手を水属性魔術で湿らせたハンカチで拭っていく。大人しく拭かれながら、パタパタと翼を動かすドラゴはご機嫌なようだ。ロキの目もドラゴを見ている。

「伝えておく」

ロキの声に優しい感情が籠っている。

「甘やかされてるなお前」

「オレ様はかっこいいドラゴンだからだ。かっこいいドラゴン!憧れのドラゴン!!」

「お、新しい賛辞を覚えたか、自分で言うのはちょっと違うけど」

「学園長の憧れのドラゴン」

ドラゴの意味分かってないだろう呟きにハンスが吹き出した。ジンも小さく笑いつつ、拭い終わったハンカチに洗浄魔術を掛けてポケットへ戻す。自分の髪や服に残る砂塵の名残は気にせず、ロキの近くへと寄った。

「クラブ入れてあげねぇの?」

「定員オーバーだ」

「……ふうん。わざわざ他の時間割いて、2人に教えてあげるって事?」

「イルラ・ククルカは教えるのにそう時間は掛からんだろ。ハンス・シューゼントが知りたいのは感知系なのだから、お前が相手してやれば良い」

「それはまあ、そうなんだけど。俺の感知魔術ってドラゴの引き継いでるから、どうも感覚が違い過ぎて教えるにはやっぱり不向きかなって」

「誰が教えてやれと言った。2人でその感覚を言語化しろ、出来るまで考え抜け」

「…なるほど」

「どうしても難しい時は俺に声を掛けろ。手伝いはしてやる。その代わり、イルラ・ククルカに見せる手本の被験体はお前がやれ。結界や防御術の使い方も役に立つだろ」

イルラとハンスは黙って2人の会話を聞いていた。心の中で(先生、ジンの前では俺って言うんだ…)と思いながら。

結局、クラブ活動時間とは別に4人で不定期の補講をする事に決定した。イルラはロキにハンスはジンに、同じ室内の別々の場所で指導を受ける。それぞれ相性が良く、楽しむようにあっという間に時間が過ぎた。

「少し休憩にしよう」

ロキの指ひとつで椅子とテーブルが出て来た。誰よりも先にドラゴがテーブルの上に着地し、クッキーの入ったバスケットを抱いた。ジンがバスケットを取り上げて、ドラゴを掴んで膝に乗せながら着席。ロキが続いて座り、漸く2人も席に着いた。フィルはジンとロキの隙間にお座りしている。

「あ、俺が淹れるっすよ!」

ロキが淹れようとした紅茶を、ハンスが座ってすぐ立ち上がって代わった。「では頼む」と言ってロキは脚を組んだ。
紅茶を4つ淹れ終わったハンスが、「そう言えば」と言う顔をしてジンへ紅茶を渡しながら尋ねた。

「ジン、カーターは?」

「カーター?誰?」

突然の問い掛けに首を傾げた。

「A組のカーター・ジョンソンっす。知らないっすか?」

紅茶は順調にそれぞれの前へと回される。ロキが微かに眉尻を上げ、静かに紅茶を口にした。

「知らない」

首を振るジンを眺めながら、ハンスは自分の席に腰を下ろした。



「同じクラブのメンバーなのに?」



静まり返る室内。ジンが横目にロキへ目線を送った。架空メンバーの事などジンは興味もなかったので名前など覚えていない。実在してたのかと思った程だ。

「……えーと…」

「そうだ、カーター・ジョンソンはクラブメンバーだ。名前だけな」

ロキは諦めたのか、素っ気なくも真実を口にする。その口元は仄かに笑っていた。

「いつ名簿を見た?」

問われたハンスにもロキの感心が伝ったらしく、パッと笑顔を見せた。普段冷淡な教師の気を引けた事が嬉しいようだ。

「ジンがクラブに入ってすぐっす。新設のクラブって何年振りって話だったし、顧問はロキ先生だし、ジンが入ったのがすげぇ気になって」

「名簿ってそんな簡単に見れるんだ?」

ドラゴが口にクッキーをパンパンに頬張って、更に次のクッキーを取ろうとしてるのを止めているジンが尋ねる。

「クラブ名簿は図書塔にあるっすから」

「誰が読むんだと思っていたが、実際に居るものだな」

「結構みんな見るっすよ。歴代のクラブメンバーも見れるから、両親とか知り合い探すのも楽しいみたいっす」

「「へえ」」

ロキとジンの声が被った。ジンの意識が逸れた瞬間、ドラゴは最後のクッキーを奪って口に頬張った。そして咽せて粉を吹き出した。ジンは口を閉ざして目を瞑り、笑いを堪える。
イルラが横から自分の冷めた紅茶を差し出す。カップを両手で掴みながら、ドラゴは飲ませて貰っていた。

「ころされる!!」

飲み終わったドラゴの一声にジンは声を出して笑った。つられて3人も笑ってしまった。

「はー…欲張りするからだぞ」

咄嗟に結界を張ったので吹き出されたクッキーがテーブルを汚す事はなかったが、ジンの足元は汚れていた。指を鳴らして洗浄魔術で綺麗する。ドラゴごと。ドラゴはムッとしたが悪い事をしたと思ってるのか、いつもは洗浄魔術に対して言う文句を言わない。

「…ハンス・シューゼント、お前の好奇心と記憶力は褒めてやろう。だが、メンバー全員が幽霊だとしても新規の入部を受けるつもりはない。諦めろ」

静かに微笑んでいたロキがハンスの思惑を言い当て、更に砕いた。ハンスは「ダメっすかー」と残念そうに嘆き、密やかに期待していたイルラも顔には出さないがガッカリしているようだ。

「そもそもクラブは俺の魔術研究がメインの活動だ。そして此奴は負債返済の為の手伝いだ。指導する為じゃない」

「「負債…?」」

ロキの言葉に2人の目がジンを見た。紅茶を飲んでいたジンが、目だけで困ったように笑う。

「借金でもしてるのかオマエ」

イルラに尋ねられ、ジンは吹き出し掛ける。従魔と同じ事をする訳にはいかず堪えた。

「…借りた訳じゃねぇよ」

教師に借金する貴族など流石に居ないだろう。イルラも真面目に聞いた訳ではなく、それもそうだよなと頷いた。

「ますます気になるじゃねぇっすか~、入ってみたかったな~」

椅子の背凭れに行儀悪く凭れて不貞腐れるハンスを、誰も咎めない。ロキさえも。恐らく行儀に対してはそれほど興味もない。

「お前達はジンと2人きりになるチャンスを自ずから減らす事もないだろう。特に同室ではないハンス、お前は」

さらっと告げたロキの言葉に2人は一瞬固まり、それからほんのりと顔を赤く染めた。まさか担任に突っ込まれるとは思ってなかったのだろう。イルラは黙ってカカココの口へ葡萄を詰め込み出し、ハンスは大きな目を更に大きくしたまま「え…何すか?なに?」と誤魔化しにもならない言葉を繰り返していた。

「……確かに。2人きりの時間は欲しいかも」

頷いたジンに返事をする者はいない。

.
.
.

寮の夕食が始まる前に補講は終わった。全員で魔術訓練室を出ると、廊下の窓から見える外は完全に日が沈み切っていた。

「寒くなって来たな、風邪など引かぬように」

ロキの別れの挨拶っぽくない挨拶で締められ、3人と3頭は寮へと向かって歩き出す。

教員室へと辿り着いたロキは教員用のローブを脱ぎ、コート掛けへと投げソファへと座り込む。少しだけ感じる疲労に眼鏡を外して目頭を揉むと、背凭れへ後頭部を預けて目を瞑った。

「せんせ」

気配に気付いていたロキは驚きもしない。
薄く目を開くとジンが1人で立っていた。背凭れの後ろから顔を覗き込でいる。

「まだ何か用か」

「用はないよ。さっきの話さ、先生こそ俺と2人きりになりたいんじゃない?違う?」

ジンの問い掛けにロキが鼻で笑った。

「勿論だ。お前をボロ雑巾のようにするのに、他者の目が合っては邪魔だからな」

返答にジンの目が丸くなり、すぐに細められる。

「先生ってホント素直じゃねぇな。こう聞けば、言い訳に見せかけた本心を言ってくれると思ったんだけど」

「これ以上ない程の本心だが?」

「…ふうん?まあ、そうだよな。先生の高等攻撃魔術の連発は、見学者が怪我するかもしんねぇもんね」

クラブ活動中、ロキの魔術は遠慮ない。今日の砂嵐など可愛いものだった。それでも吹っ飛ばされたのだが。いつもあれの倍の威力で広範囲の場合もある。ドラゴやフィルは平然と避けるし防御も出来るが、ハンス達では難しいだろう。

「…色々と気に掛けるのが面倒なだけだ」

「面倒がる人は補講なんかしてくれねぇよ」

「……はー…何が言いたいんだお前」

ジンの意図が読めず、ロキは大きく溜息を吐くと硬く目を閉じた。

「先生が俺のダチ大切にしてくれんのが嬉しかった。それを伝えに来た」

「………私の担当生徒でもある。魔術に興味があるならば面倒くらい見る。それだけだ」

「そう?そうか。じゃあそう言う事にしといてあげるよ、先生」

目を閉じているロキを見下ろし、額へと口付けた。バッと目を開いた瞬間には、ジンは既に扉の前だ。

「口は我慢したよ、じゃあね先生。ありがと」

「………」

ロキの睨み付けも効果なく、ジンはニヤけた笑みを隠さず晒し片手を上げて出て行く。玄関前で待っていてくれた2人と3頭と合流し、イルラとハンスの間に挟まれ帰寮した。
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