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学園編 2年目

特別課外授業2

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生徒たちの悲鳴はジンの防音壁の中でしか響かないが、そんな事は知らないピーチを含めハンター達は生徒の口を塞げられるだけ塞ごうとした。

ユリウスは意外にも口を硬く閉ざし、一声も漏らさなかった。一度後ろのジンをチラ見し、すぐにランディの背を見詰め直す。
取り乱さず冷静に、ランディの指示に従う意思を感じた。護衛の方が青ざめて見えるくらいだ。

(…命の危機に対して慣れてるんだろうか)

強い覚悟を感じる。

地鳴りはすぐに止んだ。
ジンは気配を探る。やけに目立つ強い個体がいる。明らかにDランクの狩場に居て良いものではない。

つまり、闖入、異常事態。

「ランディ、超大型の魔物が1体近付いてる。四足歩行。魔力がかなり強い。こっちに気付いてるか分からない、撤収しよう」

「…撤収はする。ボウズ、オメエは王子さん連れて、先に行ってくれ」

「……まずは様子を見る」

「タイミングはオメエに任せる。とにかく、俺らは気にせず先に行け」

「…」

ランディの腕の合図で、ジリジリと外に続く穴の方へと全員が下がる。怯えてはいたが、騎士科の生徒が貴族科の生徒を誘導する形で、生徒たちも比較的落ち着いている。一処へ集まった時、突然奥から蝙蝠の群れが飛び出して来た。

再び上がる悲鳴。

「落ち着いて!叫ばないで!」

ピーチが宥めるように生徒たちへ声を掛ける。

蝙蝠達の胸には宝石のように色とりどりの魔晶石が煌めいていた。

 冥瞑蝙蝠カマソッツ
洞窟を好む蝙蝠型の魔物。群れで暮らしている。
気性は荒いが、基本的に昼間は寝ており、夜でも洞窟内へ入らなければ出会う事も稀だ。
しかし出会えば死を覚悟しろとも言われている。
理由はその胸に嵌る魔晶石だ。
赤が火、青が水、黄色が雷、茶色が土、透明が風、と五属性全てを持ち合わせており、息の合った魔術攻撃を仕掛けてくる。魔力を群れで共有しているのか、魔力切れを起こす事も殆どない。弱点を見出し、執拗に狙う狡猾さも持ち合わせた魔物だ。

しかし今、賢い筈のその群れはパニック状態だ。
まだ成体になる前だろう小型や中型のカマソッツが慌てて昼の外へと飛び出そうとしている。
胸の魔晶石を光らせて、闇雲に魔術を大なり小なり展開しつつ、頭の上を凄まじい速度で抜けていく。

何体か固まっているランディ達へと突っ込んで来るので、ジンは片手を前へと突き出す。

「『重力圧プレス』」

前方一帯を飛んでいたカマソッツたちは一瞬で地面へと張り付いた。追随していたカマソッツ達は、重力魔術の気配を反響定位エコーロケーションで感知し、大きく避けていく。
すぐに解除すると、地面で固まっていたカマソッツ達も仲間へと付いて飛び出して行った。

(重力魔術、便利だな)

広範囲な上に大した怪我をさせずに済むのが良い。
突き出していた手を引き戻す。前に居たユリウスが肩越しにジンを見ていた。
ぐ、ぱ、と手を開いたり閉じたりしているジンは気付かないフリをする。

何百体とも思える数が通り抜けた後、それぞれ近くの岩場へと生徒たちを移動させ、身を潜める。
生憎とバラけたが、全員視界には入る位置だ。

再び、地面が揺れた。
防音壁を展開しているこの場では聞こえないが、恐らく何処かで激しい咆哮が行われた。

「来る」

ジンの言葉と共に、再び静寂。
目の前の奥に続く大きな穴から、大型のカマソッツが顔を出した。群れのボスだろう。

不自然にだらりと仰向けにだ。

全員が息を飲む。
カマソッツが上下に揺れ、姿を現したのは超大型の獅子型の魔物。その口に魔晶石が割れたカマソッツを咥えていた。

あまりの光景に声も出ない生徒たち。

「渓谷の獅子…じゃ、ねぇな…。ボウズ、分かるか?」

ジンは首を振った。似たものは存在するが、見た事のない獅子型の魔物だ。

真っ赤な顔に豊かな白い鬣、身体は黒く魔力紋が柄のように浮かんでいた。飛び出す上下の牙はカマソッツの身体を貫き、垂れる血と涎が鬣の胸部分を汚している。

「は、前言撤回だ。あのハゲはツイてんぞ、このタイミングで未確認を引くなんてよ」

「ちょっと、ここで未知の魔物が来るなんてトラブルにも程があるわよぉ」

ランディとピーチだけがうんざりとした調子の声を出した。ランディは中央以外の四方を定期的に回る生粋の冒険者だ。誰よりも魔物と相対してきた彼が知らないのであれば、未確認か新種かのどちらかだろう。

ひとつ確かなのは、非常に危険な状態と言う事だ。

なんせ獅子は洞窟の天井に頭がつきそうな程に巨大だ。カマソッツですらジンやランディの二回りは大きいのに、それを口に咥えている。
ズンッと一歩踏み締めるだけで地面が揺れた。

「……これは、走った方が良さそうだな」

ジンが呟くと、ランディ達も頷いた。
冒険者とハンターの足であれば、撹乱しつつ逃げる事は可能だろう。

拠点まで戻れば結界術に長けたテミスがいる。
ガランに応援を呼ばせる事も出来る。

しかし問題は、生徒たちだ。
ガクガクと震える様子を見るに、まともに走る事など無理だろう。

「ねえ、ランちゃん、透影ちゃま。アイツ……何か探してない?」

獅子型は口にカマソッツを咥えたまま、鼻を鳴らし、その大きな目をぎょろぎょろと動かしていた。

ピーチの言葉を耳にしつつ、ジンは横目で見ていた生徒の内、1人に視線が止まった。
手元に何か持っている。

震える指の隙間から見える朧な光と、意識して漸く嗅ぎ取れた微かな匂い。

ジンは立ち上がると同時に生徒の前に跳んだ。
突然正面に現れたジンに呆気に取られている生徒の腕を掴み、手の中の物を奪う。

近くのハンターがソレを見て、青ざめた。

「ま、魔物寄せの魔具じゃねぇか!」

全員の視線がジンの手元でぶら下がる、紐付きの菱形の魔具へ向かう。
朧に光るのは、乾いた血のような色をした魔晶石。
魔力を注ぐ事で一定時間、魔物を引き寄せる効果を保つ。

人間では気付けない、魔物が好むフェロモンを放つと言われている。

(思っていた以上に鼻が効いてなかったな…嗅覚はフィルからの付随特性だからか?魔物避けと魔物寄せで相殺されてたのか?)

手に持つと独特な魔物寄せの匂いがしっかりと嗅ぎ取れた。

様々な意味合いで溜息を吐き、ガタガタと震える生徒へ視線だけを向ける。
見下ろした生徒は、ジンのクラスメイトだ。

おかしい、ガランが身バレ防止の為にジンのクラスメイトは王子と同じチームにはしてなかった筈なのに。

勝手に入れ替わっていたのだろう。
顔をしっかり見るまで思い出せなかった自分にも非はあるし、それを言ってもどうしようもない。

何より今の問題はそこじゃない。

「…かなり強めの魔物寄せだ。アイツはこれを探してる」

その顔の前に、魔具を垂らす。

魔物寄せにもレベルがある。
よりにもよって、高濃度広範囲の上級ランクの魔物を呼び付ける物のようだ。

とは言え、ここまでランク差がある魔物が来る事は殆どない。しかし、この魔物寄せが獅子型魔物の闖入の一因である事は間違いないだろう。

「……お、お前、何でこんなもん持ってんだよ!」

ハンターが怒りのあまり叫んだ。
生徒は震え、首をしきりに振る。

「も、モンスターが、で、出ないと、おも、面白くないって…ふ、ファクシオン君が、も、持っていけって…!」

「誰だよファクシオンってのはよ!」

怒鳴るハンターに生徒は頭を隠して縮こまる。
そのまま生徒を殴りそうなハンターの尻をジンは足で軽く蹴った。

「そんなのは後だ。今は食事中だから襲ってこないだけで、食い終わったら本格的にこれを探しに来るぞ」

ジンは再び素早くランディの前へと移動した。
獅子に動きはない。

「ランディ、俺が囮になるよ。その間に」

「ジン、王子を連れて逃げてくれ」

ジンの言葉をランディは強い口調で遮った。

「ラン 「オメエなら確実にガランの元に届けられるだろ」

口を挟ませてくれない。
睨み付けるような眼光を向けてきて、ランディは腕を掴んだ。

「王子に何かあったら、ガランだけじゃねぇ、狩猟ギルド全体の問題になっちまう。ガランが1番気にしてんのはそこだ。だから俺らにコイツを託したんだ。俺やピーチは攻撃には特化してるが、スピードはねぇ。ここは俺らが何とかするから、オメエは王子を運べ」

「……ランディ、攻撃も俺の方が強いと思うよ」

「可愛くねぇガキだな!わあってるよそんな事!!それでもオメエが逃げる間くらいの時間は稼げんだよ!!」

「ちょちょちょ、ランちゃんてば!!シーッ!!シーッよ!!」

ピーチが慌てる。

「うるせえ!どうせもう見つかるんだから、どいつもこいつも覚悟しとぐえっ!!」

ヒートアップしたランディをピーチが後ろからヘッドロックし、口を塞いだ。

「うるさいけれど、ランちゃんの言う通りよ。ジンちゃま、王子様連れて逃げてちょうだい!」

「……うん、先に逃げるよ」

頷く狼口を見て、ピーチもランディもホッとした。

「よし、じゃあ、その魔物寄せを渡せ。俺らが囮になるから…」

「先に逃げながら囮になる。皆はここで生徒たち守ってて。激しい震動があると思うから」

ヘッドロックから解放されたランディが手を伸ばしたが、ジンは無視してユリウスの腕を掴み立ち上がらせようとする。護衛騎士が腰の剣に手を掛けた。ユリウスが頭を振り、それを制す。

「…彼らの指示に従おう。よろしくお願いします………ジン?」

「「………あっっ!!」」

「今気付いたのか」

ユリウスが名前を呼んだ事でランディとピーチは自分たちの失言に気付く。ジンはそんな2人に笑う。「仕方ないな」と怒る気もない。
近くには3学年と騎士科の生徒しか居らず、流石に名前だけでは学園で噂のジン・ウォーリアと同一だとは思ってないようだ。

立ち上がったユリウスも困惑した顔をして、ジンを見詰めていた。(ただの同名だろうか?)と顔に書いてある。
そんなユリウスをひょいと肩に担いだ。

「おばか!!持ち方考えなさいよ!!」

ピーチに言われてジンは考え込む。
呑気な空気が流れているが、むっちゃむっちゃとカマソッツを噛んでる獅子はついに顔をこちらに向けた。

「じゃあ、こう?」

再びひょいと抱え直す。お姫様抱っこに。
ユリウスは流石に固まったが文句は言えない。

「オッケーよ!それじゃあ…」

「身を隠して震動に耐えてくれ。あいつが俺を追い掛けたら逆走して別の出口から外へ。…全員が生きて戻らなきゃ、ガランが責められるのは同じだからな」

その言葉を最後に、誰の返事も聞かずにジンは走り出す。ユリウスを抱える手の中に、魔物寄せの魔具を握ったまま。

「王子様、申し訳ないがしっかり抱き付いてくれるか」

馬の全力疾走よりも早く過ぎていく光景に呆気に取られていたユリウスは、慌ててジンの首へと腕を巻き付けた。
そして見えたのは足音はないが、洞窟内を破壊しながら追いかけて来る巨大な獅子だ。

ユリウスは困惑した。
音が聞こえないから、耳を悪くしたのかと本気で思った。
しかし風を切る音や、走る布擦れの音は聞こえている。
ジンの声も問題なく聞き取れていた。

獅子の足音も吠えてるだろう声も、落ちてくる瓦礫の音も割れる地面の音も、何も聞こえない。
まるで通信映像を無音で見ているようだ。

後ろの獅子と、不可思議な聴覚に気を取られ、ユリウスは恐怖心が薄れる。

ジンはどんどん加速し、あっという間に洞窟を抜けた。
しかしそこに広がる光景と入り乱れる気配に一瞬足が止まる。

「何事だよ」

ジンの呟きにユリウスはその横顔を見た。
フードと狼口で顔は良く見えない。ただ、何となく目線の先は分かったので顔だけを向ける。

死肉を漁る禿鷹型の魔物が崖上の空を黒く覆っているのが見え、渓流の方面から更に強く、不気味で禍々しい気配が漂って来ていた。

思わずゾッとしたユリウスはジンの首にしがみ付くように目を逸らした。
その瞬間、後ろの獅子が跳び上がり、その手を振り下ろさんとしている姿を見た。

「止ま…ッ!!」

ユリウスの叫びはジンのスタートダッシュで遮られる。
その途端、突然ユリウスの耳に様々な音が流れ込んできた。

ーーダアアンッッ

獅子の着地で地面が揺れヒビが入ったが、手は空を切った。
疾走しながら防音壁を解除したジンは耳を澄ませ、周囲を探る。

ーードドドド…ッ!!

聳える崖側に続く森の中から獣の群れが次々と現れては逃げ惑っている。
鹿に牛に馬、兎や猿、リスに鳥。
中には大型獣と化した獣もいる。

彼らは危険から遠ざかろうと全力疾走している。そのせいで互いにぶつかり合っても気にしていない。

地面を抉り、花を散らし、石を砕いて、砂埃を巻き上げながら、ガラン達がいる拠点目掛けて一目散だ。

.
.
.

ガランは馬車の上に取り付けた、簡易の見晴らし台の上で愕然としていた。

一体何が起こったと言うのだ。
崖上に突然禿鷹型魔物ジャターユが現れたと思ったら、何処かで咆哮が聞こえた。直後に洞窟から無数の蝙蝠型魔物カマソッツが飛び出して来た。

(それだけじゃねぇ…この気配)

渓流側から異様な空気を感じるが、視認出来るものはない。しかしガランは経験則で分かる。

(魔獣がいる)

対処を考えなければならない。
何でどうしてなど考えてる場合ではない。

「お、おい…!あれ、こっちに向かって来てないか!」

下にいたハンターの1人が指を差す。
正面の崖下から押し寄せて来る砂煙。

大挙して押し寄せる数え切れないほどの獣達。
あまりの震動にここまで揺れるようだ。

逃げようにもここは平原、生徒と教員だけでもと思うがどこに逃せば良い。
馬車を見下ろす。流石にギルド専属の御者達は肝が据わっていて、怯えたり落ち着きをなくしている馬達を上手く制御している。

「結界にぶつかって勝手に死ぬだろ」

「今の内に何体か殺っとくか?」

別のハンター達の会話にガランは鬼の形相を向けた。

「バカ言ってんじゃねぇ!!テメェらガキ共守ってろ!!ロキ先生よ!今すぐ結界を解いてくれ!!早く!」

ガランの声に全員の顔が怪訝なものになった。

「解除は構わないが、どうするつもりだ」

ロキが尋ねた。

「どうもこうもねぇ!アイツらを通過させるんだよ!!」

怪訝だった顔が一気に不信感募る顔へと変わった。

「アレを通過させるだって!?俺たちに逃げ場もねぇのにか!?」

「何考えてんだアンタ!!」

ハンター達が一斉に文句を言う。

「おい!ふざけるな!俺を守れ!逃がせ!!俺はオンザウェル公爵家の者だぞ!!早く馬車を出せ!!」

「あっ…!君!馬車には乗るな!いざとなった時、馬車は…!って、ダメだって!話聞いてくれよ!」

便乗したようにファクシオンが大声を出した。腰巾着を突き飛ばして、冒険者の制止も聞かずに1番近い馬車に乗り込んだ。そのせいで次々と貴族科の生徒が大慌てで馬車に乗り込む。注意を促した冒険者と、元ハンターだった初老の御者は顔を見合わせて呆れた顔をした。

獣達の足は想像以上に早い。今更馬車を動かしても、あの数と速度では、横にも後ろにも逃げ場はない。

遅かれ早かれ、あの群れに巻き込まれる。

その時、御者は馬を離して逃げるので、馬車は捨て置く事になるし、生徒たちが個別で居てくれる方が、冒険者たちは助けやすい。

神学科はテミスが居るからか、シヴァが動かないからか、青ざめ混乱しながらも身を寄せ合って大人しくその場で待機している。

こんな異常事態に慣れている人間など、上級の登録者でも一握りだ。パニックになるのも分かるガランだったが、生徒や教員はともかく、ハンター達が頭ごなしに喚く事に苛立った。
ガランは崖上を指差した。

「ジャターユの群れが見えてねぇのか!血の一滴でも流してみろ!今度は空からアレが襲って来るぞ!!一匹も殺すな!!アレは死の匂いを嗅ぎつける!」

「…一掃するならば力を貸すが。死骸を残さねば良いんだろう」

ロキの声にガランは見晴らし台の欄干を握り、潰した。

「デケェ魔力も使うな!!魔獣がいる!!いいから先生もガキ守っててくれよ!」

その言葉にロキの顔が歪む。しかし先程から確かに渓流側から嫌な気配を感じていた。目線を向けるが見えはしない。
見えるのは、先程よりも近付いてる砂煙とパニック状態の獣達の姿だ。

「ロキ先生、結界を。解かないのであれば、私が破壊します」

テミスは神学科の生徒を守るように前に立ったまま、ロキへと声を掛けた。

「…結構だ」

言い終わるよりも早く、ロキは張っていた結界を全て解いた。
ドゴンッ!!と土を沈めながらガランは見晴らし台から飛び降り、全員の前へと立つ。

「テミス!お前は最小限の結界をガキ共に!ハンター共はガキと先生を守れ!とにかく避けろ!避けさせろ!!避け切れないなら打撃で気を失わせろ!!」

「む、無茶振りだろ!!」

「何考えてんだ!!」

ハンター達だけではない、教員や生徒達も一斉にガランを非難した。

「しょうがねぇだろ…何をするにしても条件が悪過ぎる…ジャターユが来ても魔獣が来ても、この場が死屍累々になるだけだ…」

無茶に思えるが、魔物の群れや魔獣に比べれば、例え大型獣が混じっていても、獣の群れを避ける方が現実的だ。

「…従魔連れを誰か残しておくべきだった」

強い魔物が居れば、獣側が避けてくれる可能性があった。
ジンとエドワードの顔が浮かぶ。

しかし後悔してる場合ではない。
ガランは馬車のながえを掴むと、バキバキと土台から外し肩に担いだ。

「デカい奴は俺が何とかする!」

「ガラン、それより受け取って」

勇ましく宣言した直後、耳に届いたのは妙に冷静な声だった。
目の前にふわりと投げられた黄金の髪を持つ学生に、目玉をカッ開き、折角取った轅を放り投げて学生を受け止めた。

ユリウスで塞がっていた視界が開けると、黒いマントを棚引かせ、獣の群れへと振り返る男の姿が見えた。

パチン

小気味の良い音と共に、ガラン達の周囲は静寂に包まれる。

狼口を顔から引き剥がしジンは息を吸い


吼えた。


防音壁が強い咆哮に歪み、刹那的な光干渉を起こし虹色に波打つ。

最前列を走っていた獣達が次々と気を失い、後続していた獣達は、まるでジンを大きな獣だとでも思ってるのかのように、ジンを中心に左右に分かれ、拠点の端と端を駆け抜けて行った。

砂煙が魔物避けの煙を巻き込んで消えていく。

「ジン!」
「ジン君!」

砂埃の中に立つ後姿へと、ガランとテミスが叫んだ。

その瞬間、全員の耳に再び音が戻る。
離れていく獣たちの足音や、遠く崖上から微かに聞こえる喧騒。

そして

獅子の唸りが。

「なんっっじゃありゃ!!!」

「悪い、連れて来た」

とんでもない大きさの魔物に気付いたガランの叫び声。ジンはあっけらかんと答え、黒いマントを剥ぎ取り、風に委ねるように狼口と共に捨てた。

「なんつーモンを…いや!それよりジン!魔獣が!」

「分かってるよ」

ジンは指笛を鳴らす。
小気味の良い高い音が響く。
数秒もなく、白と黒の影が拠点にいた人々の間を風のように駆け抜ける。

「お前ら、少し相手してやれ」

返事はなく、ドラゴとフィルはジンの髪や服を揺らして追い越し、フィルは獅子に向かって駆け、ドラゴは崖を目指して飛行する。

ジンは左手首へと意識を向ける。学園長に借りていた魔力へ、自身の魔力を流し込み。
彼らの『制御』を解除した。

2頭の影は遠ざかるのに、どんどん大きくなっていく。

ーーーガオオオオオオオ!!
ーーーガルルルルルルル!!

フィルと獅子が顔を突き合わせ、牙を剥き出しに組み合った。

「なんかデケェな」

獅子よりは小さいが、思ってるよりも大きくなっているフィルの姿に誰よりもジンが驚いた。
ドラゴへと顔を向けると、崖の側面に影を映すようにその身丈を伸ばしていく。
崖の上ではギャアギャアとジャターユが鳴いて飛び交うが、ドラゴの気配に逃げる素振りはなかった。
まるで強い味方がいるかのような態度だ。

「あ、俺も崖上に用があるんだった」

思い出して駆け出そうとしたジンの背後に近寄る人物がいる。

「…ジン…?」

ロキだ。
肩越しに目線だけを送る。
紫の目に困惑と疑いが揺れていた。
目の前にいるのに、まだ信じられないと言った感じか。
ジンは少し、困ったように笑った。

「…ごめんね先生。後で話そ」

「ジン!!」

走り出したジンにロキは思わず縋るように名を呼んだ。
シヴァはテミスの後ろで呆然とする事しか出来なかった。
ジンは振り向かず、風に溶け込むように疾走する。

「………はや」

まだ現状の処理が追い付いていないハンター達が、駆け出してすぐに姿を消したジンの速度に思わずボソリと呟いた。
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