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学園編 2年目

男爵家男孫と商会長次男1-5

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「な、に…?いや、何言ってんの?そんなん分からない…てか、こんな時に」

「こんな時だからだよ。俺よりお前の方が人に好かれるだろ。世の中の流れにも敏感だし、好奇心も強い。親父そっくりだ。お袋と同じで楽観的でフットワークも軽い。お前は両親の良いとこどりだ。…お前が死んだら悲しむだろ」

「……な、なにバカな事言ってんすか!どっちが死んでも悲しむに決まってるじゃねぇっすか!」

「そうだろうな。でもお前が居なくなるよりマシだ」

「そんな訳ねぇって分かってんだろ!」

重たげな音を立てながら、兄貴は舷窓を開けた。
潮風が吹き込んで来る。風の音と、波の音が煩わしい。

「………ほんとお前ってムカつく。俺の後ろくっつき回ってただけの癖に、俺より要領良くて頭も良くて。誰にでも好かれてさ」

「兄貴!俺行かないっすからね!」

「努力じゃどうにも出来ねぇ部分が違い過ぎて、お前の事嫌いになったよ」

「嫌いでも良いから一緒に逃げようよ!俺やだからな!」

「……嘘だよ、嫌いじゃねぇよ。ムカつくだけ」

「もうどっちでも良いから!とにかく一緒に逃げる方法を…」

「ジンって、かっこいいよな。なんか影薄いけど。優しそうだし」

振り向いた兄貴が突然ジンの話をしたから、息が詰まった。「えっ…え…」って変な声しか出ない。

「好きなんだろ?恋人?」

「ち、違うっすよ!ジンは、恋愛は出来ねぇって…」

「何それ。何の言い訳だよ」

「言い訳とかじゃなくて…!」

「まあ何でもいいよ。ホントに貴族捕まえてくるとは思わなかった。相手が男なのも驚いたけど、応援してるから」

「は?」

「お前の事応援してる」

兄貴は舷窓の前から退いて、近付いてきた。
腕を掴まれて俺は身を硬くする。引っ張る手首は赤くなって皮が捲れていた。

「兄貴、手首が」

「早く逃げろよ。お前が逃げてくれたら、俺も楽になるんだから」

「変な事言うなよ!何だよ楽になるって!」

妙にさっぱりしたような顔しやがって。
いつもの憎まれ口ばっか叩く、嫌味な兄貴で居てくれよ。

舷窓に近付けようとする兄貴と、足を踏ん張って耐える俺と。絶対に時間を無駄にしてるけど、絶対に嫌だった。

「…くそハンス、早く行けって!」

兄貴が叫ぶと同時に、ドンッと近くで大きな音がした。
怒鳴るような人の声に2人して息を殺して静止した。

一度静かになったと思ったら、何人もの足音が続き、心臓がまたバクバクする。ドアに近付くのが怖い。

「ハンス、早く」

「…シッ!!」

暫くして、周囲が静かになった。
安心したのも束の間、足音がひとつ近付いてくる。俺は焦る兄貴の手を振り払って、ドアへと正面を向けた。

ガタリとドアが鳴る。ノブが回って、ガチャリとドアが開く。咄嗟に両手を前に出す。

攻撃魔術はそんなに得意じゃない。
でもこのままやられっぱなしは絶対に嫌だ。
兄貴に守られるだけなんて絶対に嫌だ。

「俺だって…」

先に産まれただけで偉そうにしたり
何かとすぐ口出してきたり
俺が上手くいくと鼻で笑ったり
話しかけてもたまに無視するけど

夜中まで真剣に経営の勉強してたり
従業員の名前を全部覚えようとしたり
俺の誕生日に律儀にプレゼント用意してくれたり

優しい所も知ってる。

貴族学校に行かなかったのだって、ホントは俺の為だったんじゃねぇの
気兼ねなく行けるようにって

何が俺がいれば親父も母さんも悲しまないだ
悲しむに決まってる
俺より長く手伝ってて、俺よりよく分かってる兄貴がいるから、母さんも親父も安心してるんだよ

俺だって

「兄貴のこと居なくなって欲しいなんて思った事ねぇよ!!」

兄貴が居なくなったら、悲しいよ


叫ぶと同時に手の周りに無数の氷塊が現れた。大小様々な氷を間を置かずに一斉に発射し、開き切る前のドア目掛けて投げ飛ばした。
けたたましい音を立ててドアや壁をぶち壊し、辺りに氷の破片や木片が飛び散る。

初めて人に向けて魔術を撃った。
それは想像よりもずっと怖い事だった。
相手が悪者でも誰かを傷付ける覚悟なんて簡単に出来なかった。

それでも兄貴を守りたかった。
家族の未来を守りたかった。
後先なんて考えてない。

ガラガラと音を立てて壊れた物が落ちていく。
視界を曇らせていた、埃なのか冷気なのか分からない靄が薄れていくけど、人影はしっかりと残っていた。絶望しながらも、背後にいる兄貴を庇う体勢のまま悔しさに目を固く瞑った。

「……あぶね」

呑気な聞き覚えのある声に、弾かれるように目を開けた。

「……ジン?」

「よお、探したぜ」

ジンだ。平然と立っている。足元にはフィルがいて、落ちた氷塊を嗅いでいた。

「え…なん…」

「こんなでけぇ氷作れたんだな。すげぇじゃん、ここの穴とかやばいよ」

壁にジンの頭以上ある穴が開いていた。

「いやいやいや!何でここにジンが居るんすか!?」

驚きすぎて普通にでかい声が出た。
兄貴も多分めちゃくちゃ驚いてる。

「何でって。ここから声が聞こえたから…」

「俺が聞きたいのはそれじゃないっす!!ああ!ちがう!ジン!呑気にしてる場合じゃねぇっす!早く逃げねぇと…!」

「大丈夫だよ」

慌てる俺と違ってジンは落ち着いている。

「衛兵がもう突入してるから。俺はそれに便乗してここまで来ただけ」

「「えっ?」」

「早く外出ようぜ。親父さん達が心配してる」

ジンは壊れた壁やドアの瓦礫を足で除けて、手を差し出した。俺はつい、その手を握った。
引き寄せられて廊下に出て、兄貴にも手を差し出すジンをぼんやりと見る。

「…ハンス、どうした?」

兄貴も引っ張り出されるように廊下へと出て、少し気まずそうに手を離しながら、俺へ問いかけて来た。
何のことか分からず首を傾ぐと、ジンが覗き込んでくる。

「…魔力の使い過ぎによる疲労だな。やっぱりさっきの魔術は無理してたか。ほら、行こう」

肩を抱くジンの手が暖かくて、急激に安心してしまった。凭れるように歩くけどジンは難なく階段も登る。
後ろを見ると兄貴の後ろにフィルが居た。どうやら殿しんがりを務めている。

階段を上がるとジンの言う通り、衛兵の証である緑のマントを着けた甲冑達で溢れかえっていて、犯人の一味なのか、船員たちを連行して行っていた。
慌しい中を抜け、外に出ると、そこは何てことない、いつもの埠頭だった。ただ、いつも以上に松明たいまつや篝火が掲げられていてやけに明るい。
少し距離はあるが、シューゼントの商船も普通にある。

「ヤン!!ハンス!!」

船から岸へと架けられた渡り板を降りると、親父と母さんが衛兵たちの間を割って駆け寄ってきた。
飛びつくように兄貴共々両親に抱き締められて恥ずかしかったが、安心感に泣きそうになる。母さんは号泣していて、兄貴が懸命に慰めてる。その声も少し震えていた。

「良かった…本当に良かった…お前達に何かあったらと気が気じゃなかった…」

こんなにも憔悴した親父は初めて見た。
拉致されてからそんなに経ってないだろうに。

「ひどい事されなかった?痛い所はない?2人とも怪我してるわ!ああ…怖かったでしょう?もう大丈夫だから、大丈夫だからね…!」

泣きながら母は俺と兄貴の身体や顔を懸命に触ってきた。兄貴は手首に擦り傷と凍傷(俺のせい)を、俺は側頭部に打撲の痕があり口の端を切っていた。後は縄の痕か。
それでも命に関わる傷はなかった。
とっとと気を失って、下手に抵抗しなかったことが幸いしたんだろうと近くの衛兵に言われた。

話を聞きたいと言う衛兵に、両親は「明日じゃダメなのか」と俺達の心労を気にして言ってくれたけど、俺も兄貴も了承した。
こう言う事は早めが良いと思ったからだ。
俺達は衛兵の屯所へと移動した。

担当してくれた衛兵は隊長クラスの人で、冷静で慣れていた。

その事情聴取の時に、拉致られている間に親父が逮捕されかけていたと聞いて驚いた。
しかも拉致は偶発的なもので、首謀者はまさか俺達が拉致られているとは知らなかったらしい。
最終的には仲間割れに発展し、首謀者が実行犯を殺害し逮捕に至ったとか。

その首謀者が侯爵家当主であった上、侯爵の商会で違法薬物が見つかり、協力者であり実行犯だった裏ギルドとの繋がりまでボロボロ出て来たそうだ。

あの船は裏ギルドが商船に偽装していただけで、無許可の海賊船だったとか。あのまま出航されていたら危なかったと聞いてゾッとした。

侯爵本人は足掻いているらしいが、商会の従業員や屋敷の従者達が色々と白状しているので時間の問題だと言う。余罪の整理が終わってから裁判になると説明された。
流石に大きな事件なので証言をすることになりそうだ。

「ご苦労、これで事情聴取は終わりだ。裁判が終わるまではここで話した事は公言しないように頼む。それと、希望者には神官との面会を取り次ぐんだが、どうする?」

「神官…っすか?」

「ああ、怖い目に遭って心身共に傷付いただろ。不安を話すでも良いし、祝福を受けても良い。…怪我もしているし、治療出来る方を呼ぶよ」

口端を指差された。金属の破片の切り傷と、凍った物を咥えていたせいで出来た凍傷がある。
別に全然平気だったし、回復薬ポーションなら在庫があった筈なので大丈夫なんだけど、好奇心に負けてお願いしてしまった。

上位神官の『祝福』も『治癒』も受けた事ない!

うきうきしていたが受けれるのは明後日だそうだ。

その他の手続きも終えて帰ろうとした時、衛兵が「ひとつだけ」と声を掛けて来た。

「ん?」

「個人的な質問なんだが…あの時、君達を連れて出た男が居たよな。君の友人だと聞いたが…彼はどうやって君達を見つけたんだ?」

「………えっ???ジンの事っすか?」

「ジンと言う名前だったのか。今はどこにいるんだ?聴取をしたかったんだが、誰もそれっぽい人を見つけられなくてね」

「どこって、うちに居るっすけど…あいつ…聴取受けなかったんすか…?」

言わば人質を救出したのだから色々聞かれそうなのだけど。

「うん、まあ…船から降りたすぐに別の衛兵が少し話は聞いていたようで、報告はちゃんと上がっているから充分と言えば充分なんだが……」

「…ジンはなんて?」

「我々の突入と同時に、居ても立っても居られずに従魔である銀狼の鼻を頼りに、君の匂いを辿り救出に向かった…と言ってるらしい。ただ…」

そうか、ジンが俺を見つけたのはフィルの嗅覚だったのか。今更俺もそこで納得していた。でも衛兵の顔は渋い。

「…普通、止められると思うんだ。そんな危険行為。しかも君達が居たのは、船長室よりも更に廊下の奥の部屋だった…」

船長室は首謀者が殺人の現行犯逮捕された場所だと聞いてる。

「……なんかいけない事でもしたっすか?」

ジンに変な疑いが掛かっていたら嫌だった。
俺の気持ちを察したのか、衛兵は頭を振った。

「…いけない事ではない。事件との関連性も君達以外にないし、言ってる事は筋が通っているように思う。現場は混乱していたから見落としていたのか。彼はその、……存在感がないと報告を受けている、いい意味でな」

そうは言うが衛兵は納得してなさそうだ。
いい意味での存在感のなさはちょっと面白い。多分めちゃくちゃ気を使ってくれている。

「妙な違和感を覚えるんだが、自分達の落ち度を認めたくないだけかもしれない。すまん」

正直に頭を下げられてしまい、それ以上何も言えなかった。食い下がると余計にジンへの懐疑心が増えそうな気もして、俺は「大丈夫です」とだけ答えた。
親父と、先に聴取が終わった兄貴が廊下で待ってた。

3人で屯所を出て少し歩くと、ジンが待っていた。
俺はすぐ気付いたけど、親父と兄貴は一瞬驚いていた。

「……そんなに存在感ないんすかね」

「らしいね。それよりごめんな。拉致られる時に気付いてやれなくて。呑気に寝てる場合じゃなかったって言うのに」

親父と兄貴より少し後ろでジンと並んで帰る。
ジンの言葉に俺は頭を振る。

「いや、拉致られるなんて誰も分かる訳ねぇし」

「…まあ、そうだけど。あのな、実は」

そっと耳を寄せてくる彼に首を傾ぐ。

「拉致られる時、ドラゴが見てたんだよ。ずっと」

「………え?」

「……ほんとごめん」

ジンの言葉の意味が分からず、俺はぽかんとしてしまった。見てた?ずっと?え?

「オレ様は悪くない!!ジンが人前で喋るなと言った!だからちゃんと黙ってた!オレ様は悪くない!」

声だけが響いて(そう言えばドラゴが居たな)と今更思い出した。あの時、俺にくっついて来てたのか?どこからどこまで一緒に居たんだ?
色んな考えや感情が頭ん中をぐるぐるするんだけど、結局口から出たのは、

「や、大丈夫…ドラゴは悪くないよ…」

本心からそう思う。そりゃちょっと、ドラゴの事知ってたら状況はもっと変わってただろうけど、頼るのも責めるのも変だろ。キイキイ言うドラゴの声はバツが悪い時に出す声だったから、ジンに色々言われた後なんだろうし、俺が言う事は何もない。

「ほら!ハンスが悪くないと言う!オレ様は悪くない!ジンが悪い!怒るな!」

「……ハンスが許すなら、俺も許すよ」

「あやまれ!!」

「謝りません。そんな事言うならまだ怒る」

「うぐう…!ハンス!」

べしゃりと顔面に見えない何かが張り付いた。視界は良好なのに、弾力のあるしっとりした感触だ。

「オレ様は悪くない!ジンに言え!オレ様は悪くない…」

ドラゴのしょげる声がした。これ、ドラゴの腹かな。
初めて触れた。イルラには膝に乗ったりして懐いてる感じだったけど、俺には全然来てくれなかったから、すごく高揚した。

「う、うん、ドラゴは悪くないよ。大丈夫、ジンもそんなに怒ってねぇよ。な、ジン」

背中をそっと宥めるように叩いた。
翼がある、その間の背を。腹より硬い皮膚だ。

すごい、ドラゴンを触ってる。

感動する俺とは違い、ジンは「どうかな」と低いテンションだ。ドラゴは悔しいのか悲しいのか、泣きべそでもかくように俺にくっついたままだ。可愛くて、宥める内に自然と笑えて来た。

ジンが居てくれて良かったと思った。

俺はそっとジンの手を握った。
何も言わずに握り返してくれる大きな手に、兄貴の声が聞こえた気がした。

『好きなんだろ?』と。


そうかもしれない。
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