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学園編 2年目

男爵家男孫と商会長次男1-2

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女神像のような美しい女性だ。

透けるような白肌に、毛先を青く染めた金の髪。
銀色の刺繍が入った純白のマントと腰布に、同色のミトラ。聖女を彷彿とさせる装備に、繊細な装飾がされた銀色の胸当と銀色の長杖。

この国で唯一の光属性持ちの冒険者。
浄化カタルシス』をジンへ教えたその人だ。

「おや、テミスさん」

近づいてくる女性に戸惑うように眉を顰めるジンの横で、アルバンが声を掛けた。知人のようだ。
テミスは青い目をにっこりと細めて、小首を傾げる小さなお辞儀をした。

「こんにちは、アルバンさん」

「今回は同行ありがとうございます。まさかSランク冒険者のテミスさんが依頼を受けてくれるとは思いませんでした」

本当になんでこんな依頼をテミスが受けたのか、ジンは黙ったまま疑問を顔に浮かべた。
テミスは素知らぬ顔をしていて、見詰めているジンには目もくれない。

「いえ、礼を言われるようなことはありません。私の出番はそれほどありませんでしたし」

「居てくださるだけで心強いんですよ。それに今から慣れない船旅になります。準備は大丈夫ですか?何か必要な物があれば早急に用意しますが」

「ふふ、お気遣いありがとうございます。十分過ぎるほどの用意をして頂いております。これ以上望む物はありませんわ」

「……船旅?」

つい、ジンは会話に入ってしまった。
アルバンとテミスの目線がジンへと移る。

「あ、この子は息子のご友人でジン・ウォーリア卿と……そういえば、テミスさんの拠点ホームも北部でしたよね」

拠点ホームとは、初めて冒険者資格を取得したギルドの場所を言う。他にも主な滞在地や活動場所にも使われるので、定義があるわけではなく造語に近い。
ジンの拠点ホームも、もちろん北部だ。

「あら、よくご存じで」

「テミスさんは有名人なので。北部でお過ごしになられた事があるなら、ジン君の事をご存じだったりは」

「ええ、存じておりますわ。ウォーリア男爵様のお孫様ですもの。学園へ通うために中央にいらっしゃる事も聞いていましたけど、こんな所でお会いできるとは思いませんでしたわ。こんにちは、お久しぶりですね」

「………お久しぶりです」

わざとらしく差し出された細く小さな手に、アルバンには分からない程度の苦笑いを浮かべながら握手をした。

「…ジン君は冒険者の方にも敬語なんだな。ハンスが気に入るはずだ。…ハンスが君に気に入られたのか、どちらにしても有難い事だ。誠実な子で、ご家族はさぞ誇らしいだろうね」

アルバンの感心するような声にテミスは含み笑いでジンへ目線を送った。ジンは居心地の悪さに唇をむずつかせる。
その時、「会長!」と遠くからアルバンを呼ぶ声がした。軽く手を上げて答えたアルバンが、2人を振り返った。

「少々席を外しても?」

「大丈夫ですよ」
「どうぞ」

ほぼ同時に答える2人にアルバンは笑いながら離れていく。
テミスと残った空間に、ジンは認識阻害の魔術を指を鳴らして掛けた。

「あら、また腕を上げました?」

テミスも掛けるつもりだったが、先を越された事と繊細且つ強固に掛けられた認識阻害魔術に驚き、目を丸くして見上げてくる。

「まあね。それよりマジで船旅に行くの?」

肩を竦めた後、2人して前方へと顔を向け直した。
周囲からはただ並んで立っているだけにしか見えないように。

「アルバンさんが感心してらっしゃったのに、もう敬語は終わりですか?」

「…お望みなら敬語で話しますよ」

「うふふ、冗談ですよ。ジン君、また大きくなりましたね。どこまで伸びるつもりなんですか」

笑う動作も小さい。

「やっぱり?最近また関節が痛いんだよね。てか、それは良いから、船乗るの?」

「ええ、乗りますよ。南大国までアクアクリスを無事に運ぶのが依頼ですから」

「…ギルド唯一の癒し系冒険者が国を出るって、止められなかった?」

「多少は。ですが、……ここ最近、身辺が騒がしくなってきましたので、休息がてら逃げようと思いまして」

ふう、と、細い溜息を吐いたテミスの横顔には、憂いよりも面倒そうな空気が濃く浮かんでいた。

テミスは元シスターだ。
神殿は体裁を保つ為にテミスを追放したと公言した癖に、いまだに追いかけ回しているらしい。

「船に乗る方が逃げ場なくならないか」

「彼らには商船に忍び込むような度胸はありませんよ。
私としても、一時の間ギルドから離れられれば良いんです。私に直接手を出せないので、躍起になってギルドへ色々と圧力を掛けようとしているようです。私がいない方がギルドとしても強気で対応できると言う事で、一時的に国を離れることにしたんです。
各ギルド長達からの提案でもあります」

光属性持ちのギルド登録者は彼女しか居ない。
防御や結界だけならロキを超えるかもしれない。その上、希少な『治癒ヒール』の能力も高く、独自の攻撃魔術も持ち合わせている。狩猟ギルドにとっても、彼女は手放しがたく大事な存在だ。

「神殿が登録者達を囲い込んで、船に紛れ込ませるとかはあり得ないの」

「ありませんね。神殿の狩猟ギルド嫌いは生半可なものではありませんから。冒険者やハンターに貸しのひとつも作りたくはないはずです。潔癖ですから」

淡々と話すテミスには、神殿を憎らしく思っているような空気を感じた。同時に寂しく思ってるような、複雑な横顔。
ジンは、テミスが神殿を抜けた理由も、冒険者になった経緯も知らない。

「…神殿って何でそんなにギルド嫌いなんだ?」

「あら、ご存知ありませんか?ガリストギルド長から聞き及んでいるかと思ってましたわ。簡単な話ですよ、博愛と自然主義に反するんですって。狩猟ギルドは」

「それは……まあ、そうだろうな」

極端な話、殺生が生業なのだから。

「命を愛でよ、自然を受け入れよ。とても良い言葉ですものね。…魔物に村を焼かれた子供の前で言う事ではありませんけど」

「……」

「ジン君ならどうします?親を亡くし、帰る家も奪われた子供に、魔物だって命なんだよ尊いものなんだよって、言いますか?」

「命が尊いことは否定しないけど、その子供は慰めるだろうし、村を焼くような魔物とは戦うよ。危険だし」

「…貴方はそうですよね」

愚直な答えにどこか羨ましそうな吐息をテミスは漏らした。横目だけでテミスを見た時、シヴァの横顔が重なった。
似てる訳ではないのに。

「…俺は命が尊いことと、殺してはいけないことが、結びつかない」

風で頬をくすぐる髪を掻き上げながら、普段ならば口にする気のない思考を声にした。

「……」

「尊いから殺してはいけないってことは、尊くなければ殺して良いって事にならない?そっちの方がよっぽど命を天秤に掛けている気がするし、どこから目線の話なのか分からない」

「命は平等だと?」

「平等というか…対等じゃない?
生物それぞれの生き方や思想が違って、時々ぶつかるってだけで。俺が魔物を狩るのは、魔物の命を軽んじてるからじゃないし」

「……ジン君は神殿より平等主義者ですよ」

「え…?違うって言ったつもり…」

「ジン君って…脳筋ですよね」

「え?」

思わず顔を向けそうになったが、視線だけで留めた。
テミスは真剣な顔付きで正面の船を見たまま続ける。

「考え方がゴリラと言いますか」

「……え、どういう悪口…?」

「ゴリラは悪口になりませんよ、ゴリラに失礼ですよ」

「……」

テミスに諭され、どういう反応を返せば良いのか分からずジンは黙ってしまった。

「あら、アルバンさんが戻って来ますね」

その声に認識阻害の魔術を消し去る。
アルバンは気付いてない。

「お待たせしました。テミスさん、今日の宿の事はお聞きしましたか?」

「海鳴屋と聞いてますが」

「そうです、お部屋のことで皆さんに確認して欲しい事がありまして」

アルバンとテミスが話し込む横で、船を見ていたら、ハンスとヤンがこちらへ歩いて来ていた。
目が合うと大きく手を振るハンスに、笑みを浮かべて片手を軽く上げた。
それを合図に走って来る。胸で受け止めたくなるが、大衆の面前では流石に遠慮しよう。
多分ハンスも抱き付いてはくれないだろう。
そもそもやった事ないし。

「…アレがお友達ですか?可愛らしい方ですね」

隣から含み笑いのテミスの声がした。

「そうです、めちゃくちゃ可愛いんですよ」

「やめろよ!!」

自慢げに答える声が、手前まで辿り着いていたハンスにまで聞こえたらしくて、ボッと顔を赤くし、ドスッと胸に拳を叩き込まれた。
すごく恥ずかしいのか、ちょっと怒りさえ見える。

「いやだって、可愛らしいって褒められたから。友達自慢したいじゃん」

「もっと別の所を自慢して欲しいっす!可愛いは嬉しくないっす!」

「え、嬉しくねぇの。マジか…」

ぷんすか怒るハンスに微笑ましそうにしつつ、テミスがジンをちらりと見て「年上が趣味かと思っていたのですが」と余計な一人言を呟いた。ジンは無視した。

「………お前の反応余計に怪しいんだけど」

「何がっすか!!」

兄の言葉にハンスが叫ぶ。言葉通りにヤンの顔は訝しそうに歪んでいた。
その背中をアルバンが強めに叩き、怒るハンスへ掌を向けた。

「喧嘩は後にしろ。ヤンはまだ仕事終わってないだろ。次行くぞ。ハンスは時間あるから、ジン君に街の案内でもしてあげたらどうだ」

「分かったっす…」

「じゃあジン君、また家でな。嫁さんが張り切って夕飯作るそうなんで、楽しみにしててくれ」

「はい、楽しみにしてます」

今日はハンスの家へ泊まる事になっていた。
まだ母親の方とは顔を合わせていないので、顔を見れる事も、夕飯も、どちらも心から楽しみにしている。

「では私もこの辺で。皆様の1日が良き日になりますように」

テミスの挨拶を皮切りに、ヤンは怪訝そうにしつつアルバンに連れられて、テミスは別方向へと去って行く。
取り残されるようにハンスと2人。ジンはまだ赤ら顔のハンスを覗き込む。

「可愛いって言われんの嫌?」

「……か、家族の前は、イヤっす…ジンの事は、なんか、上手く誤魔化せないし…」

「……かわい」

案の定、照れ隠しだった。

(お兄さんの言う通り、過剰反応すると逆に察されると思うけど…)

ふわふわの榛色の毛先を指先で絡めるように撫でた。
そっと顔を向けて来たハンスが少し甘えたような顔をしていたから、本気で抱き締めたくなる。

「夜まで我慢しよ」

「えっ?」

「何でもない。それより、魔物の引き渡しどうだった?」

そろそろドラゴ達を迎えに行こうと歩き始めると、ハンスは何も言わずに付いて来てくれる。

「なんて事なかったっす!昔は遠くから見てるだけで圧に負けてたのに、今日は全然平気だったっす」

「良かったじゃん」

「正直、冒険者とかハンターも少し怖かったんすよね。ちょっと荒々しいし、従業員とか、親父や兄貴も偶に怒鳴られたりしてたの見てたから」

「あー…分かる」

荒くれ者かどうかは個人によるが、否定は出来ない。
ギルド登録者たちは筋骨隆々で強面が多い。舐められたくないからと普段から威圧的だったり、横柄な態度を取ったりするし、元々教養がない者も多い。

「でも今日話した冒険者の人、ちょっとジンと雰囲気が被る所あったから怖くなかったんすよね」

「…え?」

「2人とも魔物の従属主だからかな。おかげで話しやすかったし、余裕出来たからか、他の冒険者の人らもちゃんと見れたんすよ。当たり前っすけど、でかい人、でかくない人、女の人、偉そうな人、優しそうな人、色んな人が居て。俺、一括りに怖いって思い込んでたんだなーって思ったっす」

冒険者と被るとか言われて、色んな意味で焦っていたが、ハンスの話で胸を撫で下ろす。

(流石に雰囲気似てるってだけで、冒険者やってるかもとは思わねぇよな…)

学園に秘密にする以上、ハンスにも知られたくはなかった。秘密の共有は彼を違反行為へ巻き込む事になるからだ。

「怖い事克服出来て良かったじゃん。初めての立ち会いは、成功?」

「大成功っす!ジン、来てくれてありがとう」

「俺何もしてないけど」

本当に何もしていない。

「居てくれるだけで心強かったっす!フィルとドラゴも!」

先程同じような言葉をテミスへ言っていたアルバンを思い出し、(親子だな)と微笑ましくなる。
ひまわりのような笑顔を咲かせたハンスに、眩しいものを見るように微笑む。

埠頭から少し入り込んだ倉庫群の隙間、人通りは少なからずあるが人気はあまりない。人目を盗んでハンスの腰を片手で抱き寄せてキスをした。

「…っ」

「これ、お礼って事で。ごちそうさま」

目をまん丸にしたハンスへ片目を瞑って見せた後、身体を離す。ハンスは顔を赤くし、ぽかんと口を開いたまま止まってしまった。

「…ハンス、止まったままだと手繋いで行くよ」

「ぅぃやッ!!うご、動くっす!」

どこに知り合いがいるか分からないから、ハンスは完全拒否して歩き出した。
その様子が可愛くて、不謹慎にも笑ってしまう。

「…ところで、どこ向かってるんすか?」

少し進んでからハンスが振り返った。
知らずに付いて来ていたのかと思うと、余計におかしくなって「あはは」と声が出た。
心から信頼してくれてるような、そんな気になってしまう。

「ドラゴとフィルを迎えに行ってんだよ。こっちの端から気配するから」

倉庫群の奥を指差す。建物の隙間から海が見える。

「あ、そうなんすね。…なあジン、街の方に美味しい屋台の並びがあるんすよ。夕飯前だけど、ちょっと寄って行かないっすか?食い物は正直、北部の方が美味いもん多いんすけど」

「行く行く。ハンスのオススメ教えて。ドラゴとフィルも喜ぶよ」
 
倉庫群の角を曲がった。
そこは馬車の停留所なのか、広いスペースの端に馬達が休んでおり、海と仕切るような低めの堤防があった。
その下から2頭の気配がする。

「…あそこ、下に行けたりすんのか」

「ああ、小さな浜があるんすよ。降りるならあっちっす」

ハンスの案内で堤防の間にあった階段へと向かう。

「本当は」

降りる直前でハンスがぽつりと漏らす。

「付き合ってくれたお礼に奢ろうと思ってたんすよ」

不貞腐れたような言い方が、遅れて来た照れ隠しだと分かって胸がきゅんとした。

「俺は奢りより、さっきのヤツが嬉しいんだけど」

「…じゃあジンには奢らねっす。ドラゴとフィルにだけ奢る」

「……そんな嫌だった?」

先にハンスが階段を降り切った。
砂浜がキュッと鳴る。

ドラゴの姿は見えないが、フィルが思いっきり波打ち際でびしょ濡れになりながら飛んだり跳ねたりしているから、ドラゴがその頭の先に居ることは気配を察さなくても分かった。
今は見ないふりをする。

振り返らないハンスの後頭部を眺めていたら、急に振り返って胸倉を掴まれた。
引き寄せられる事はなく、寧ろハンスが胸倉を掴む手を支えにぶつかるように口付けに来た。
すぐに離れたが、顔は近い位置にある。

真っ赤な顔に、ギュッと寄せられた眉。見詰めてくるヘーゼルアイが微かに揺れた。

「……ジンは、こっちの方が、良いんすよね」

恥を忍んでお礼をしてくれたらしい。
ジンはすかさずハンスの腰へと手を回し、抱き寄せる。

「……はー…可愛い。こっちが良い。断然良い。もっと欲しがっても良い?」

「…い、良いけど、人が来たらやばいっすから!あ、後で!」

「えー…お預けか…。分かった、じゃあ後で」

物分かりの良いふりをして、もう一度キスしてからハンスを離した。赤らんだ顔のまま、俯いたハンスだったがジンの腕を掴むと、突然、フィル達が遊んでる波打ち際へと走り出す。合わせて駆け出すと、ハンスがまだ少し頬を赤く染めたまま笑顔で振り返った。

「俺達も遊ぶっすよ!!」

ジンに断る選択肢などなく、フィルとドラゴが遊ぶ海へと突っ込んでいく。

だがハンスは忘れている。

ジンとドラゴは体温維持の特性持ちで、フィルは寒さ耐性が激強と言う事。
そして、夏の兆しが見えているとは言え、海の水はまだ冷たいと言う事を。
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