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学園編 2年目
男爵家男孫の学園生活11
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春本番が来て、長い休みが終わった。
クラスは上の階へと移動になった。教室だけだ。
クラスメイトも、担任教師も変わりない。
その代わり、授業内容には大きな変化があった。
基礎の4科目(言語、地理、社会学、算術)を除き、全て選択科目となったのだ。
領地経営や乗馬などの貴族らしい選択科目から、商売や農林などかなり実用的な教科まで、多岐に渡っていて選ぶ前に把握する事に時間が掛かった。
家督の継承権がない次子などが家を出る場合に備えての事だろう。爵位を複数持つ家や、領地の一部を貰えたり、王宮勤めや役所務めになれれば良いが、ほぼ平民となる子も存在する。
ここからクラスはただの集合の場となり、基本的に選択した科目が行われる教室や実習場へと向かう事になる。
『選ばない』と言う選択も出来た。空いた時間を自由に使える。
ジンは悩んだが、流石に全く選ばないのは良くないだろうし、学ぶ事の大事さは理解したので、素直に興味のある授業を選択しておいた。それでも誰よりも少なかったらしいが。
剣術も再度選択科目になっていたので、こちらはやめて乗馬にしてみた。普通の馬に乗った事がなかったからだ。
授業内容が変わっても、ハンスとは殆ど被っていたのでニコイチは健在している。
イルラやテオドールとも同じになる事もあり、去年とあまり変わり映えのない、穏やかな日々を過ごしていた。
しかし日常とは崩れる時は一気に崩れるものなのだ。
「ジン・ウォーリア。第二王子殿下がお前に会ってみたいそうだが、如何する?」
「会いません」
「分かった。ではその様に伝えておく」
「お願いします」
陽当たりの良いテラスで屯っていた昼休憩中に、唐突に現れたロキが唐突に用件だけ伝えて去って行った。
教室から1番近いだけあって、他のクラスメイト達も何名か屯っていたので賑わっていたのだが、2人のやり取り後には少し沈黙が漂った。
「その様に伝えられたらまずくないっすか?」
ロキが去って行った方向を眺めていたハンスが、榛色の大きな目を更に大きくしてジンを振り返った。
その両手には獣用のブラッシング道具が握られている。わざわざ商会から良い物を取り寄せたそうだ。
フィルは気に入ってるらしく、今も大人しく伏せて毛を梳かれていた。
「なんで?」
「相手は第二王子殿下っすよ??王族っすよ??国で1番偉い一族っすよ??」
「いやまあ…そうだけど、ロキ先生がどうする?って言うなら選択権は俺にあるかなって。拒否権ねぇならそう言うだろうし」
「…王族からの呼び出しそのものが普通拒否権ないんじゃねぇっすか…?」
「……会ってみたいだけなら、用なさそうじゃん。王宮からわざわざ向こうが来る訳ねぇし、暇じゃないだろうからその内忘れるだろ」
大方ドラゴンの噂でも耳に入ったんだろうと呑気に構えていた。木製のベンチで隣に座るドラゴを見下ろす。食堂の馴染みのコックから貰ったチェリーを嬉しげに食べている。
「王宮って…第二王子殿下はここの3学年だぞ」
近くでカカココの日向ぼっこをさせる為にしゃがんでいたイルラも、呆れたようにベンチに座っているジンを見上げてくる。
「……あ…なんか、そう言えば居たな…」
関係ないだろうと頭の片隅へ追いやった記憶から、少しだけ思い出せた。
去年コックの毒物混入事件時に聞いたんだったな。
それ以外でもちょこちょこ耳にした気もするが、はっきりはしない。
「ジン…ロキ先生にわざわざお伺い立てたのは第二王子殿下なりの筋だったんじゃないっすか?本当ならマジで無理矢理呼び出す事も出来るんすから…」
「何なら教室に直接押し掛けても誰も文句言えねぇよな」
別のベンチで横になり寝ていたと思ったテオドールが、黒い目を開きながら話に入って来た。
「…でもまあ…、王族は神様の落とし子なんだし、許してくれるだろ。こんくらい」
王族と接触する事が自分にとって良いとは思えない。
今後の事も踏まえた上で断ったのだが…
しかし周囲がジンの心情や将来設計など知る由もない。
その舐めた発言に4人の目が信じられない者を見る目をしている。
いや、もっと正確に言うと
引いている。
ドン引きだ。
「えっ」
「……俺なんかやっちゃいました?」
.
.
.
みんなが懸念していた第二王子からの突撃や処罰などはなかった。次また呼ばれた時はもう少し上手く答えようと思っていたのだが、一度断った無礼(だったと反省はした)な奴など向こうがもう誘いはしないか。
何事もなく良かったと思っていたのも束の間、ジンは今、訳も分からず『神学科』へ向かっていた。
手には先日ロキから渡された、『兄弟指名書』と言う手紙が入っている封書だ。
ロキ曰く「学園長殿に確認したが、神学科が貴族科からフラーテルを指名するのは、学園設立以来、片手で数えるほどもない」が「規則違反でもない」らしい。
2人して暫く「なぜ俺/お前が?」状態に陥った。
神学科の生徒、しかも3学年に指名されるなんて、まるで心当たりがない。
ドラゴとフィルには騒ぎになると面倒なので留守番して貰った。
1人で歩く長い回廊。気が重い。
ガスッ!
「おっ」
後方から頭を木刀で打たれた。
「丁度良かった。お前、神学科のセシール先生って誰か分かる?」
慣れてしまって特に反応もせずに、後ろを振り返る。
ギルバートは憎々しげに苦虫を噛み殺した顔をしていた。
こいつも表情が豊かになったもんだ。
この間は、去年のパーティーの時に帯刀許可があったのに勘違いで剣を毟り取った事を謝罪した。驚いた後になぜか急に怒り出して、困ったもんだった。
感情の起伏に少し不安がある奴だが、能面に追っ掛け回されるよりはマシな気がしている。
木刀を腰へ納刀しながら、ギルバートはジンが持っている封書を一瞥した。
その後、すぐに目を逸らし、頭で回廊の奥をしゃくるように示すと歩き出したのでついて行く。
助かった。他の科へ行く時は手続きが面倒なのだが、騎士科と神学科の間は免除されている生徒が多い。
この様子ならばギルバートは免除されている生徒なのだろう。そうでなければ手続きをしてくれる筈だ。
案内役がいれば、ジンは手続きなしで入れる。
「「……」」
しかし2人で歩いているのに互いに何も話さず、回廊の外の景色だけが変わって行く。
石造のベンチや神像が所々に置かれており、ネモフィラが青い絨毯のように敷き詰められた芝に、鈴蘭、水仙などの花壇が並んでいた。
薔薇ばかりの貴族科の中庭とは全然違う。あれはあれで見事なものだが。
「…神学科の教員に何の用だ」
前を歩くギルバートが振り向きもせずに問い掛けて来た。
「教員に用がある訳じゃねぇよ。シヴァって人に会いに来たんだ」
「………シヴァ先輩だ、敬称をつけろ。それで何の用だ」
「はいはい、シヴァ先輩な。用はこれ」
歩みは止めずに、顔だけ振り向いたギルバートの銀の目が青く光る。綺麗な目だが眼光は厳しい。折角の甘やかな垂れ目が台無しだ。
肩を竦め、手紙をギルバートの横へと差し出した。
訝しげに手紙を受け取り表や裏を確認した後、再び振り返り、中身の確認をして良いのか、無言で問い掛けて来る。そのつもりだったので頷いた。封書には宛名しか書いてないからだ。
ギルバートは中から紙を取り出し、開いて、足が止まった。距離感を保ったまま同じく足を止め、黙っている背を無言で眺める。
「…………受けるのか」
ある程度眺めた後、手紙を元に戻しながらギルバートは歩き始めた。フラーテル制度のことは流石に知っているんだな。
間隔は変えずにジンも再び歩き出す。
「断るよ。誰か知らねぇし」
「…神学科のシヴァ先輩は、天使と呼ばれる清廉潔白な方だ」
「畏れ多い事だな」
「何故お前なんだ?」
回廊の終わり、突き当たりの扉の前でギルバートは振り返る。手紙を返して貰う。
「それを聞きに行くんだよ」
「相手は美人だ。顔を見たら断る気など失せるんじゃないか。
――お前は、顔が良い男が好きなようだから」
なにやら皮肉られている。
同性愛者とバレたのだろうか、こう言う事をイジる奴には見えなかったが…いや、俺がこいつの何を知ってるんだと言うんだ。
「顔が良い奴を好きじゃない奴っていんの?」
「………少なくとも、俺は顔で人を判断しない」
「俺もしてるつもりは……いや、顔が良いのが好きなのは確かだから、してるかもな。何を判断するかによるけど」
扉を開けて中へと入っていくギルバートに再びついて行く。
廊下も貴族科とは全く違い、神殿の中のようだった。
陽の光が差し込み明るいが、どこか無機質で厳かで、静かな圧迫感を感じる。
本物の神殿に行ったことはないが、きっとこの感想は間違っていない。
通りすぎる生徒達はみな修道服に似た白い制服だ。
女子生徒はシスターのように頭にベールを被っている。
そして一様に整った顔立ちをしていた。
異質な2人組を不審そうに見るが、騎士科のギルバートが先導している姿を見て何かを納得してるのか、特に止められたりはせずに奥へと向かう。
ジンは滅多に入れない他の科の内装を面白がって見ていた。
「ウォーリア。あそこにいらっしゃる金髪の方が、セシール先生だ」
立ち止まらず、歩調を緩めてギルバートが顔で正面をしゃくる。
身長の変わらないギルバートの横から覗き込み、前方を確認した。
3人の神官らしい男が立っている。
「3人とも金髪じゃねぇか」
「……む」
言われて気付いたらしく、気まずそうにする横顔は少し可愛げがあった。
「まあ、名前呼べば反応するだろ。ここで良いよ。ありがとな」
「……ああ」
歩調が遅くなったギルバートを追い越し、3人の方へ向かう際、ふと肩越しに振り返った。
「俺は面食いだが、顔が良いだけじゃ近付かねぇよ」
「……」
「じゃあな」
それからは振り返らずに3人の元へ向かった。
ギルバートも何も言わず、ジンに背を向けて元来た道を戻って行く。
無事に接触出来たセシールの案内で、神学塔の温室へ来た。
暖かで澄んだ空気に、明るく煌めくその場所は、魔術の気配満載の温室だった。
水路が道を作り、その傍に咲き誇る花々。光を弾く青々とした葉を誇る草木に、蝶が舞い踊り、鳥の声に軽やかな蹄の音までした。
鹿か、それに似た獣だろう。
上から降り注ぐのは太陽光に似た光属性魔術だ。
さながら妖精の国か。見たこともないが。
「うちのシヴァ君が」
「まさかあのシヴァ君が」
「シヴァ君は」
「シヴァ君」「シヴァ君」「シヴァ君」
セシールは終始シヴァを褒め称えては、何度も「なぜ貴族科の生徒を…」と怪訝な目で見上げて来た。
最初は答えていたが面倒になり聞き流している。
彼曰く、とにかくシヴァは「神が遣わせた最高の天使」らしい。
あまりの持ち上げ方に薄気味悪さを感じ始めた時、温室のひらけた場所へ出た。
水路の中心なのか、床に四角い広い水盤があり、中央には寄り添うように立つ2体の神像がある。水面に無数に浮く蓮に似た花はどうも魔道具の一種のようだ。
水を腐らせないようにする為だろう、そんな気がした。
「シヴァ君、連れて来ましたよ」
水盤ばかり見ていたが、名を呼ぶセシールにつられて顔を向けた。水盤の近くで丸テーブルでお茶をしている人物がいた。セシールに名を呼ばれ、立ち上がった。
「セシール先生」
陽だまりで陽光を弾く白金のさらさらの丸いショート、白磁の肌に長い睫毛で縁取られた空色の目に桜色の小さな唇。
細い首に撫で肩で、白い修道服に似た制服ごしにも華奢な身体のラインが分かる。身長は平均より少し高めか。テオと同じくらいに見える。
「ありがとうございます」
セシールに微笑むシヴァは、なるほど、天使と言われるだけある。女と言われれば女に見えるが、男と言われれば男に見えるから、余計に浮世離れした空気を感じる。
ロキとは真逆の麗人だ。
ジンは黙ってシヴァを見詰めていた。
「その様に見詰めては彼に失礼だぞ。挨拶くらいしたら如何だ。呆けてしまうのは分かるがね」
「セシール先生、構いませんよ。呼び出したのは私です。慣れない神学科までご足労頂いたのだから、今は彼の心が平穏を取り戻すのを待ちましょう。…ジン・ウォーリア卿。どうぞ、此方へ」
まるで取り乱しているかの様な言われ様だ。
窘めるようにセシールを制したシヴァは微笑みを携えたまま、セシールの後ろにいたジンへ、丸テーブルの向かいの席を勧めた。
セシールからもシヴァからも、貴族とはまた違う傲慢さが漂う。セシールは貴族嫌いなのだろうと思うが、シヴァは地のような気がする。
ジンは挨拶も返事もせず、浅く頷いて手紙を卓上に置きながら椅子に座る。
セシールは最後まで不服そうな目線をジンに送り、シヴァと一言二言会話をして去っていく。
改めて向かい合うシヴァの顔をマジマジと見る。
「……その様に見詰められては穴が開きそうだ」
目の前でお茶を淹れながら、見られ慣れている様子でシヴァは微笑み首を傾げて見せた。
後光差すような美貌に柔らかな空気、心地の良い声色に耳をくすぐられれば、先程のやや失礼な言い回しなど忘れて、神々しさから目を逸らし、寧ろ無粋はこちらだと許しを乞いたくなる…のだろうな、他の奴らは。確かにそれだけの魅力は感じる。
ジンはそれっぽい態度でそっと目を逸らした後、気付かれぬように視線を戻した。
この天使、先程から目が笑っていない。
これが地なのか?と思うが、セシールへ向ける笑顔は本物のように見えたので、恐らく自分に対してだけなのだろう。
お茶を正面に置かれて「どうも」と礼を述べる。
シヴァは席に座り直し、顎の下で手を組むと目の笑っていない笑みを更に深めた。
「初めまして、ジン・ウォーリア。私がシヴァ。神学科3学年で、一応、首席生徒をやらせて頂いているシヴァだ。
まずはマカマディア様とエレヴィラス様へ、この出会いの場を与えて下さった事に感謝しよう」
「………」
教員が居なくなった途端に呼び捨てだ、何も返さずジンはとりあえず頷いた。
表情を変えないまま、シヴァは自分の前に置いていたカップの縁を細い指先でなぞる。
「では、何から話そうか」
空色の目が上目にジンを見詰めてくる。
天使が
何かを企んでる。
クラスは上の階へと移動になった。教室だけだ。
クラスメイトも、担任教師も変わりない。
その代わり、授業内容には大きな変化があった。
基礎の4科目(言語、地理、社会学、算術)を除き、全て選択科目となったのだ。
領地経営や乗馬などの貴族らしい選択科目から、商売や農林などかなり実用的な教科まで、多岐に渡っていて選ぶ前に把握する事に時間が掛かった。
家督の継承権がない次子などが家を出る場合に備えての事だろう。爵位を複数持つ家や、領地の一部を貰えたり、王宮勤めや役所務めになれれば良いが、ほぼ平民となる子も存在する。
ここからクラスはただの集合の場となり、基本的に選択した科目が行われる教室や実習場へと向かう事になる。
『選ばない』と言う選択も出来た。空いた時間を自由に使える。
ジンは悩んだが、流石に全く選ばないのは良くないだろうし、学ぶ事の大事さは理解したので、素直に興味のある授業を選択しておいた。それでも誰よりも少なかったらしいが。
剣術も再度選択科目になっていたので、こちらはやめて乗馬にしてみた。普通の馬に乗った事がなかったからだ。
授業内容が変わっても、ハンスとは殆ど被っていたのでニコイチは健在している。
イルラやテオドールとも同じになる事もあり、去年とあまり変わり映えのない、穏やかな日々を過ごしていた。
しかし日常とは崩れる時は一気に崩れるものなのだ。
「ジン・ウォーリア。第二王子殿下がお前に会ってみたいそうだが、如何する?」
「会いません」
「分かった。ではその様に伝えておく」
「お願いします」
陽当たりの良いテラスで屯っていた昼休憩中に、唐突に現れたロキが唐突に用件だけ伝えて去って行った。
教室から1番近いだけあって、他のクラスメイト達も何名か屯っていたので賑わっていたのだが、2人のやり取り後には少し沈黙が漂った。
「その様に伝えられたらまずくないっすか?」
ロキが去って行った方向を眺めていたハンスが、榛色の大きな目を更に大きくしてジンを振り返った。
その両手には獣用のブラッシング道具が握られている。わざわざ商会から良い物を取り寄せたそうだ。
フィルは気に入ってるらしく、今も大人しく伏せて毛を梳かれていた。
「なんで?」
「相手は第二王子殿下っすよ??王族っすよ??国で1番偉い一族っすよ??」
「いやまあ…そうだけど、ロキ先生がどうする?って言うなら選択権は俺にあるかなって。拒否権ねぇならそう言うだろうし」
「…王族からの呼び出しそのものが普通拒否権ないんじゃねぇっすか…?」
「……会ってみたいだけなら、用なさそうじゃん。王宮からわざわざ向こうが来る訳ねぇし、暇じゃないだろうからその内忘れるだろ」
大方ドラゴンの噂でも耳に入ったんだろうと呑気に構えていた。木製のベンチで隣に座るドラゴを見下ろす。食堂の馴染みのコックから貰ったチェリーを嬉しげに食べている。
「王宮って…第二王子殿下はここの3学年だぞ」
近くでカカココの日向ぼっこをさせる為にしゃがんでいたイルラも、呆れたようにベンチに座っているジンを見上げてくる。
「……あ…なんか、そう言えば居たな…」
関係ないだろうと頭の片隅へ追いやった記憶から、少しだけ思い出せた。
去年コックの毒物混入事件時に聞いたんだったな。
それ以外でもちょこちょこ耳にした気もするが、はっきりはしない。
「ジン…ロキ先生にわざわざお伺い立てたのは第二王子殿下なりの筋だったんじゃないっすか?本当ならマジで無理矢理呼び出す事も出来るんすから…」
「何なら教室に直接押し掛けても誰も文句言えねぇよな」
別のベンチで横になり寝ていたと思ったテオドールが、黒い目を開きながら話に入って来た。
「…でもまあ…、王族は神様の落とし子なんだし、許してくれるだろ。こんくらい」
王族と接触する事が自分にとって良いとは思えない。
今後の事も踏まえた上で断ったのだが…
しかし周囲がジンの心情や将来設計など知る由もない。
その舐めた発言に4人の目が信じられない者を見る目をしている。
いや、もっと正確に言うと
引いている。
ドン引きだ。
「えっ」
「……俺なんかやっちゃいました?」
.
.
.
みんなが懸念していた第二王子からの突撃や処罰などはなかった。次また呼ばれた時はもう少し上手く答えようと思っていたのだが、一度断った無礼(だったと反省はした)な奴など向こうがもう誘いはしないか。
何事もなく良かったと思っていたのも束の間、ジンは今、訳も分からず『神学科』へ向かっていた。
手には先日ロキから渡された、『兄弟指名書』と言う手紙が入っている封書だ。
ロキ曰く「学園長殿に確認したが、神学科が貴族科からフラーテルを指名するのは、学園設立以来、片手で数えるほどもない」が「規則違反でもない」らしい。
2人して暫く「なぜ俺/お前が?」状態に陥った。
神学科の生徒、しかも3学年に指名されるなんて、まるで心当たりがない。
ドラゴとフィルには騒ぎになると面倒なので留守番して貰った。
1人で歩く長い回廊。気が重い。
ガスッ!
「おっ」
後方から頭を木刀で打たれた。
「丁度良かった。お前、神学科のセシール先生って誰か分かる?」
慣れてしまって特に反応もせずに、後ろを振り返る。
ギルバートは憎々しげに苦虫を噛み殺した顔をしていた。
こいつも表情が豊かになったもんだ。
この間は、去年のパーティーの時に帯刀許可があったのに勘違いで剣を毟り取った事を謝罪した。驚いた後になぜか急に怒り出して、困ったもんだった。
感情の起伏に少し不安がある奴だが、能面に追っ掛け回されるよりはマシな気がしている。
木刀を腰へ納刀しながら、ギルバートはジンが持っている封書を一瞥した。
その後、すぐに目を逸らし、頭で回廊の奥をしゃくるように示すと歩き出したのでついて行く。
助かった。他の科へ行く時は手続きが面倒なのだが、騎士科と神学科の間は免除されている生徒が多い。
この様子ならばギルバートは免除されている生徒なのだろう。そうでなければ手続きをしてくれる筈だ。
案内役がいれば、ジンは手続きなしで入れる。
「「……」」
しかし2人で歩いているのに互いに何も話さず、回廊の外の景色だけが変わって行く。
石造のベンチや神像が所々に置かれており、ネモフィラが青い絨毯のように敷き詰められた芝に、鈴蘭、水仙などの花壇が並んでいた。
薔薇ばかりの貴族科の中庭とは全然違う。あれはあれで見事なものだが。
「…神学科の教員に何の用だ」
前を歩くギルバートが振り向きもせずに問い掛けて来た。
「教員に用がある訳じゃねぇよ。シヴァって人に会いに来たんだ」
「………シヴァ先輩だ、敬称をつけろ。それで何の用だ」
「はいはい、シヴァ先輩な。用はこれ」
歩みは止めずに、顔だけ振り向いたギルバートの銀の目が青く光る。綺麗な目だが眼光は厳しい。折角の甘やかな垂れ目が台無しだ。
肩を竦め、手紙をギルバートの横へと差し出した。
訝しげに手紙を受け取り表や裏を確認した後、再び振り返り、中身の確認をして良いのか、無言で問い掛けて来る。そのつもりだったので頷いた。封書には宛名しか書いてないからだ。
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「…………受けるのか」
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間隔は変えずにジンも再び歩き出す。
「断るよ。誰か知らねぇし」
「…神学科のシヴァ先輩は、天使と呼ばれる清廉潔白な方だ」
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「何故お前なんだ?」
回廊の終わり、突き当たりの扉の前でギルバートは振り返る。手紙を返して貰う。
「それを聞きに行くんだよ」
「相手は美人だ。顔を見たら断る気など失せるんじゃないか。
――お前は、顔が良い男が好きなようだから」
なにやら皮肉られている。
同性愛者とバレたのだろうか、こう言う事をイジる奴には見えなかったが…いや、俺がこいつの何を知ってるんだと言うんだ。
「顔が良い奴を好きじゃない奴っていんの?」
「………少なくとも、俺は顔で人を判断しない」
「俺もしてるつもりは……いや、顔が良いのが好きなのは確かだから、してるかもな。何を判断するかによるけど」
扉を開けて中へと入っていくギルバートに再びついて行く。
廊下も貴族科とは全く違い、神殿の中のようだった。
陽の光が差し込み明るいが、どこか無機質で厳かで、静かな圧迫感を感じる。
本物の神殿に行ったことはないが、きっとこの感想は間違っていない。
通りすぎる生徒達はみな修道服に似た白い制服だ。
女子生徒はシスターのように頭にベールを被っている。
そして一様に整った顔立ちをしていた。
異質な2人組を不審そうに見るが、騎士科のギルバートが先導している姿を見て何かを納得してるのか、特に止められたりはせずに奥へと向かう。
ジンは滅多に入れない他の科の内装を面白がって見ていた。
「ウォーリア。あそこにいらっしゃる金髪の方が、セシール先生だ」
立ち止まらず、歩調を緩めてギルバートが顔で正面をしゃくる。
身長の変わらないギルバートの横から覗き込み、前方を確認した。
3人の神官らしい男が立っている。
「3人とも金髪じゃねぇか」
「……む」
言われて気付いたらしく、気まずそうにする横顔は少し可愛げがあった。
「まあ、名前呼べば反応するだろ。ここで良いよ。ありがとな」
「……ああ」
歩調が遅くなったギルバートを追い越し、3人の方へ向かう際、ふと肩越しに振り返った。
「俺は面食いだが、顔が良いだけじゃ近付かねぇよ」
「……」
「じゃあな」
それからは振り返らずに3人の元へ向かった。
ギルバートも何も言わず、ジンに背を向けて元来た道を戻って行く。
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暖かで澄んだ空気に、明るく煌めくその場所は、魔術の気配満載の温室だった。
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鹿か、それに似た獣だろう。
上から降り注ぐのは太陽光に似た光属性魔術だ。
さながら妖精の国か。見たこともないが。
「うちのシヴァ君が」
「まさかあのシヴァ君が」
「シヴァ君は」
「シヴァ君」「シヴァ君」「シヴァ君」
セシールは終始シヴァを褒め称えては、何度も「なぜ貴族科の生徒を…」と怪訝な目で見上げて来た。
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彼曰く、とにかくシヴァは「神が遣わせた最高の天使」らしい。
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「シヴァ君、連れて来ましたよ」
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「セシール先生」
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「ありがとうございます」
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ロキとは真逆の麗人だ。
ジンは黙ってシヴァを見詰めていた。
「その様に見詰めては彼に失礼だぞ。挨拶くらいしたら如何だ。呆けてしまうのは分かるがね」
「セシール先生、構いませんよ。呼び出したのは私です。慣れない神学科までご足労頂いたのだから、今は彼の心が平穏を取り戻すのを待ちましょう。…ジン・ウォーリア卿。どうぞ、此方へ」
まるで取り乱しているかの様な言われ様だ。
窘めるようにセシールを制したシヴァは微笑みを携えたまま、セシールの後ろにいたジンへ、丸テーブルの向かいの席を勧めた。
セシールからもシヴァからも、貴族とはまた違う傲慢さが漂う。セシールは貴族嫌いなのだろうと思うが、シヴァは地のような気がする。
ジンは挨拶も返事もせず、浅く頷いて手紙を卓上に置きながら椅子に座る。
セシールは最後まで不服そうな目線をジンに送り、シヴァと一言二言会話をして去っていく。
改めて向かい合うシヴァの顔をマジマジと見る。
「……その様に見詰められては穴が開きそうだ」
目の前でお茶を淹れながら、見られ慣れている様子でシヴァは微笑み首を傾げて見せた。
後光差すような美貌に柔らかな空気、心地の良い声色に耳をくすぐられれば、先程のやや失礼な言い回しなど忘れて、神々しさから目を逸らし、寧ろ無粋はこちらだと許しを乞いたくなる…のだろうな、他の奴らは。確かにそれだけの魅力は感じる。
ジンはそれっぽい態度でそっと目を逸らした後、気付かれぬように視線を戻した。
この天使、先程から目が笑っていない。
これが地なのか?と思うが、セシールへ向ける笑顔は本物のように見えたので、恐らく自分に対してだけなのだろう。
お茶を正面に置かれて「どうも」と礼を述べる。
シヴァは席に座り直し、顎の下で手を組むと目の笑っていない笑みを更に深めた。
「初めまして、ジン・ウォーリア。私がシヴァ。神学科3学年で、一応、首席生徒をやらせて頂いているシヴァだ。
まずはマカマディア様とエレヴィラス様へ、この出会いの場を与えて下さった事に感謝しよう」
「………」
教員が居なくなった途端に呼び捨てだ、何も返さずジンはとりあえず頷いた。
表情を変えないまま、シヴァは自分の前に置いていたカップの縁を細い指先でなぞる。
「では、何から話そうか」
空色の目が上目にジンを見詰めてくる。
天使が
何かを企んでる。
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「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
公爵家の次男は北の辺境に帰りたい
あおい林檎
BL
北の辺境騎士団で田舎暮らしをしていた公爵家次男のジェイデン・ロンデナートは15歳になったある日、王都にいる父親から帰還命令を受ける。
8歳で王都から追い出された薄幸の美少年が、ハイスペイケメンになって出戻って来る話です。
序盤はBL要素薄め。
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