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学園編 1年目

学年末パーティー 伯爵家三男の場合

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「以前、飴をくれただろう。礼が遅くなった。改めて、ありがとう」

無愛想な学年上位の美少年、しかも家格が上の男からの突然の礼に、テオドールは内心でドギマギしつつも、何でもないように片手を振った。

「いや、俺が勝手に押し付けただけだ。気にしなくて良いぜ」

と言うか、礼ならジンから伝えられていたから、勝手に終わった話だと思っていた。
ジンの名前を出して良いのか分からず、会話が終わってしまう。

いまだに差別的に見ている連中も多いが、イルラは同じくらい男女問わずに人気がある。
見た目もそうだし、地位も高い、しかもあのアルヴィアン公爵に目を掛けられているのだから、将来的にククルカとアルヴィアンが今よりも強固な繋がりを持つ可能性が高い。であれば、優良物件としか言いようがないらしい。
最近は少し愛想も出て来て、更に人気が高まったのだが、それでも変わらず他者とは一定の距離感は保ち続けている。

そのせいで「懐かない猫」と密やかに呼ばれてもいた。

懐かない猫が、唯一懐いてるのがジンだと言うことも実は知られている。

「テオドールの格好もまた良いっすね!」

イルラの隣に立つハンスが相変わらずぱっちりとした目を煌めかせて誉めてくる。
その素直さが眩しかった。

平民の成金貴族とか呼ばれてるが、ハンスだって人気が高い。ふわふわの髪に大きな目で、明るくて気の利く奴だからだ。しかも情報通で何かとセンスが良い。悲しい事に愛人にしたいと言う意見が多いのだけど。その辺りは矢張り平民差別の片鱗なのだろう。
隣にいつもジンが居るので馬鹿なちょっかいを掛けるような奴らは居なかったようだ。

「ハヴィ家と言えば赤がイメージだったっすけど、黒の剣士服もあるんすね」

「剣士服なのか、通りで皆と違う。…ハンスはよく知ってるな」

「情報は金と同じ価値があるんすよ」

ハンスは変に物知りで、イルラと共に感心してしまう。
スーツのせいか、髪型がいつもと違って整えられているせいか、グラスを傾けて笑う姿が大人びて見えた。

ジンが居たら、なんか喜びそうだ。

「お前らも良いじゃん。似合ってる」

語彙力のない俺は端的にしか誉められなかった。
ジン抜きでこいつらと話す事は、この1年で多分5回もなかった筈だ。ハンスは兎も角、イルラ相手には緊張を隠す為に余計に口数が減ってしまう。
仲良くしたい気持ちはあるのだが。

ハンスにはバレているのか、アレコレと会話を進めてくれている。
イルラは俺に興味がないのか、ハンスの話を聞きながら頷いては近場のテーブルから料理を取って、首元の2つ首の大蛇に食わせていた。
時々左斜め上にフォークを差し出しては、刺さっていた料理が消える。

ドラゴだろうとぼんやり考えた。

「……ォ、テオって」

「…っ!…あ?なに?」

ハンスが覗き込んで来ていた。

「話全然聞いてくんねぇじゃん」

「えっ…あ、悪い。ちょっとボーッとしてた」

「テオはジンがいねぇとすぐボーッとするっすね。まあ、居ても結構ボーッとしてるっすけど」

持っていたシャンパングラスを口にして、気を取り直そうとしていたのに、急にジンの名前が出て咽せた。
がはごほと咳き込む俺へ、イルラの手が背中を叩いてくれた。こいつ、優しい面もあるのか。

「…ごめんっす。大丈夫?」

「だ、大丈夫だけど、なん…っ…イルラもあんがと…ちょっと、咽せただけ」

口を拭う。革製の手袋をしていたので、表面が濡れてしまった。

「テオは本当にジンに弱いっすね」

やれやれ的な声で言われて、何を言われてるのか分からず、いや、分かったけど分かりたくなく、だけど身体は素直に反応してしまう。
顔が一気に熱くなった。
隣のイルラの顔が固まったのが視界の端に見えて、羞恥心を煽られ、思わずバッと顔を逸らした。
手の甲で口許を隠す。

「別に、弱くはねぇよ。つか、居ねぇ人間の話なんてしなくて良いだろ」

そもそも何で、お前らの方が平気そうなんだよ。
俺が気付いてないとでも思ってんのかよ。

喉の奥まで出かかった声を押し殺す。
ある日を境にイルラの空気が変わった。
その後、ハンスの空気が変わった。
1番変化が分かりやすかったのは、ジンの前に居る時だった。

声が違った。
かなり微々たるものだったけど、ジンと話す2人の声色がより親密なものに変わっていた。

そして気付いた。

こいつらは、ジンと友人以上の関係になったんだと。
その証拠のように、今、ハンスの左脚にはフィルが居て、見えないがイルラにはドラゴがくっついてる。

顔の火照りが治まらず、不意に、会場入りする前に会ったジンを思い出した。

.
.
.

「やっぱお前って、黒が似合うんだな」

会場入りする前の控室でジンの姿を探していた俺は、急に腕を掴まれて引っ張られた。
目隠し用のカーテンを引きながら、半個室となる休憩スペースへと引き摺り込まれ、驚き過ぎて腰の剣を握ろうとしたが、学生の帯刀は許されていないので空を握る。
驚きと恐怖の中、呑気な声が届いて、やっとジンの存在が認識出来た。

「…なっ…んだ、ビビらせんなよ」

「悪い、このままじゃお前のおめかし姿見れずに終わりそうだったから慌ててた」

「何言ってんだよ、パーティー始まればすぐ…に………え、お前、何で私服なんだよ。もう会場入りの時間になるぞ」

控室はクラスメイト達で賑わっている。わざわざ人目を避けて連れ込んだ理由も分からない。
連れ込まれた事には、意味もなく、少し胸が高鳴っている馬鹿な俺がいる。
ジンは「シィ」と唇の前に指を立てた。
カーテンの表側に何人か移動して来たらしく、声が近くなった。

顔を近付けられて、それだけで顔が赤くなるのが分かる。
無言で奥を指差すから、そっと移動した。

「…な、なあ、どうしたんだよ」

2人きり。別に珍しい事じゃない。
近い位置にいるジンを窺うように見た。赤褐色を縁取る黒い睫毛とか、形の良い唇だとか、薄らと首元に見える傷痕だとかに、どこかで何かを期待している自分がいる。
バカだ、俺には婚約者がいるのに。

ジンの手はあっさりと俺の腕を離れて、微笑みながら事もなげに言う。

「パーティーには出ないからさ。今回はハヴィ家の正装じゃなくて、特別仕様だって言ってただろ?近くで見たかったんだよ」

「…………は?出ないって…」

そんな奴いるのか

思考が一気に吹っ飛んだ。

「見に来て良かった。すげぇかっこいい」

相変わらず笑うと顔付きが甘めになる男だ。
不参加の事に言及すれば良いのか、褒められた事に反応すれば良いのか、動揺して唇を少し動かす事しか出来なかった。

「……」

サボりは良くない。
この学園は、特に貴族科なんてのは成績が悪くても、素行が悪くても、退学こそあっても進級も卒業も出来る。
だけどこのパーティーは公式的な催しだ。授業をサボるのとは訳が違う。と言うか、サボったなんて話を聞いたことがない。
俺が何も言えずに唇を浅く噛むと、ジンは眉を下げて微笑んだ。

「楽しみにしてくれてた?」

「…っ、……すこし」

嘘だ。めちゃくちゃ楽しみにしてた。

「そか、ごめんな。実は、」

「言うな」

「え」

「俺に謝る必要はねぇよ。お前が何の理由もなく、こんな大事なイベントをサボるなんて、思ってねえ。だから、謝んなくて良いし、無理に説明もしなくて良い。話したい内容なら聞くけどさ」

ジンから笑顔が消えた。一瞬、ちゃんと説明を聞くべきかと、対応を間違えたかと思った。
だけど本心だし、俺は続けた。

「お前は、少し悪い所が、良い所でもあるから」

俺には出来ない。真似すらも。
自由奔放で悪びれないお前が、俺は。

「気にすんなよ。お前の分まで、俺が楽しんで来てやるよ」

ニッと歯を見せて笑ってやった。
気にすんなよって言葉が強がりに見えないように。

「……すげぇ頼もしい」

笑ったジンの目尻に、さっきはなかった笑い皺が出来た。肺がギュッてなって心臓がうるさくなる。

「そ、その返事はなんか変じゃねぇか」

「はは、そう?……なあ、テオから見て俺って、紫色は似合うと思う?」

「紫?」

唐突過ぎる質問に意表を突かれる。
ジンの身体を上から下まで思わず見回す。
いつも白黒茶の衣服を着ているイメージしかない。

「色なら赤が似合いそうだけど…渋めの紫なら、似合うんじゃねぇ?紫って黒とも相性良いし。…青紫よりは、赤紫系の方が良いかも。赤ワインみたいな」

目の色が赤褐色なので、特に紫でも違和感はなさそうな気がした。

「ちょっと…自信ねぇけど…」

色もそんなに知らなければ、他人に似合う色なんてますます分からない。何でも似合うんじゃないか。
白が似合わないと言っていたが、剣術大会の日の白い騎士服すら着こなしていたのだから。
でも白よりは紫の方がきっとジンの魅力を引き立てる。

「そう、分かった。来年は渋めの赤紫のスーツで参加する」

俺の返事にジンは嬉しそうに笑った。少し珍しい笑顔に見えたし、来年の参加の意思が入った返事が、俺は嬉しかった。

「ん、じゃあ、来年は一緒に楽しもうぜ」

「ああ、だから今年は俺の分を託すよ」

ジンが俺の胸に掌をつけた。

「お前に」

飛び出してしまいそうな心臓の、鼓動ごと掴まれそうな大きな掌に、俺はただただ息を飲んで熱くなった全身を震わせた。
ジンは赤褐色の目を色っぽく細めて、そっと手を離した。


親が決めただけの婚約者とは言え、婚約者は婚約者で、ジンに対する気持ちは諦めないといけないって分かってる。
でもこんな気持ちは初めてで、どう諦めれば良いのか分からない。

いや本当は、諦めたくないんだと思う。
初恋だ。本当に、初めてなんだ。
こんなに誰かを強く欲しいと感じるのは。

目の前の2人が羨ましい。
熱い頬を、グラスを飲み干して冷まそうとする。いっそこれが酒なら言い訳になったのに。

イルラはゆっくりと瞬いた後、そっと視線を外してくれた。

「こんな事言うのは失礼かもしれないが」

くそ、嫌な前置きだ。

「意外だ。テオドールはジンに似た、飄々としたタイプだと思っていた」

「テオは猫被りが凄いんすよ。実際はただの恥ずかしがり屋さんっすよ」

「は、恥ずかしがり屋さんって何だよ!」

少し優しい言い回しだったイルラの言葉を、ハンスが遠慮なく叩っ切る。
思わず怒鳴ると、ハンスは平然としたまま、グラスを持った手の指でテオドールの鼻先を指差した。

「だってすぐ顔赤くするじゃねぇっすか」

「いつも顔が赤くなるわけじゃねぇよ!」

言いながらも顔が赤い自覚もある。
ハンスは「ふーん?」と手を引いたが、その目は揶揄うような含みがあって、唇を戦慄わななかせるしかなかった。
こいつの前でジンが揶揄ってくるから全部バレているのは分かっていたが、最近遠慮がない。
何も知らなかったはずのイルラの前で言わなくても良いだろ。

頭の中がパニックになって言葉が声にならない。

「……ギャップが凄いと言うのは、こう言うコトを言うんだな」

イルラの言葉がトドメを刺してきて、俺はその場から逃げたくなった。
そんな俺の目の端に颯爽と歩いて来る人物が居た。
貴族科が集まる場所では目立つその男は、真っ直ぐと俺達3人に向かって突き進んで来る。

柔らかな髪質の柔らかなグレーの髪色を斜めに分けて、甘めの垂れ目の銀目が光の反射でブルーに見える。
白い騎士服にペリースを靡かせ、威風堂々たる歩みと姿勢はまるで凱旋してきた騎士のようだった。

ジンと同じような背丈で、似た体型のその男は、優しげに見えそうな顔立ちに似合わない、眉間の皺を深めて俺達の前で立ち止まった。

ハンスとイルラが少し怪訝な顔をしている。
気持ちは分かる。
目の前の男が口を開く前に、友人である俺が声を掛ける事にした。
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