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学園編 1年目

魔術教員の入学式

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生徒と手を重ねるなど、授業中に致し方なくやる以外になかった。

隣に立つ彼を盗み見る。
黒髪で体格の良い生徒。感じ取る限りでは魔力は平均か、少し上かくらいで珍しくもない。
顔立ちは良いが、フェロモンが薄いせいで印象も薄く思う。

フェロモン
体臭に混ざる分泌物の一種。
当人の魅力値に大きな影響を与え、濃ければ惹きつけられ、薄ければ印象に残りにくくなる。
見た目の良し悪しよりも、フェロモンの濃さの方が優先される事も多い。ある種の本能なのだろう。
性的興奮を煽る場合もあるので濃ければ良いと言うものでも無いが、やはり薄過ぎる方が問題になり易い。
相性が合う相手が見つかりさえすれば濃度の問題の半分は解決するのだが。

そう言う意味では、隣の男子生徒は惜しい存在と言える。
フェロモンが強ければ、さぞモテた事だろうに。

(…生徒相手に何を)

彼がモテようが、フェロモンがなかろうが、教員である自分には関係なかった。

それよりも今は、もっと魅力的な存在が目の前にいるではないか。

賢く気高く、その美しさと強さから、神の牙とも言われるフェンリル。
ギルド員や冒険者などの目撃情報は度々報告されるが、それもかなり上のランク依頼をこなしている時とされている。
おまけに目の前の子は本来見る事は叶わないと言われている幼獣だ。

銀の光を弾くスノーホワイトの毛に、シャンパンゴールドの瞳は月のように澄んでいる。太い首周りに長い脚、揺れる尾の先まで美しい。

心臓が高鳴る。
なぜこれ程まで惹きつけられるのか分からないが、幼少の時よりずっとフェンリルが好きだった。

動くフェンリルなど、一生の内に一度でも見掛ける事が出来ればと思っていたのに。今、触れられる程近くに居る。
冷静さを欠くほど子供ではないが、ドキドキは止まらず、隣の学生に気付かれまいと気を張っていた。

何でもないような顔して、言われるままに彼の手の上へと掌を乗せる。

「…!」

予想以上に骨張った手に驚いた。
背丈は少しこちらが高いのに、彼の手の方が大きい事も驚いた要因だ。
そして何よりも

(魔力の相性がかなり良い)

フェロモン同様に魔力にも相性がある。
しかし量に圧倒的な差がある場合は相性の良さを測る事さえ困難な事が多い。
ロキの魔力は平均の5倍ほどある。
魔術学の権威である魔塔主から直接引き抜きの声が掛かるほど、ロキの魔力量は類を見ないものなのだ。

それ故に、相性が良いと感じたことは片手で数える程度しかなかった。

驚いて触れ合った時に指先が少し跳ねた。

「どうしました?」

「…いや」

こんな短時間の接触でこれ程はっきりと感じたのに、学生は平然としている。
こちらが感じたのだから、同じく彼にも伝わる筈なのだが。

(勘違い、か…?いや、そもそも勘違いなど起こるか?)

動揺を見せたくはなく、困惑を無表情の下に押し隠して手を重ね直す。
温かな手から感じる魔力の波動は、やはり指先をくすぐる様に心地良い。

「先生は手をそのままに…」

学生は何も感じてないのか、態度も空気も変わらない。
こうなると気取られたくないものだ。

彼が手を引き抜く。
残ったロキの手は支えをなくして、フェンリルの毛へと乗る。

「……っ」

感極まるとはこの事か。
硬い毛質だが、長くボリュームがある毛並みはとても気持ち良い。
その毛の下から確かに伝わってくるフェンリルの魔力。
まだ全てを出し切っていない、殻に覆われている様な気配も残しつつ、その波動は己の魔力など取るに足らないものだと思い知らされる。

「…素晴らしいな、これは…本当に素晴らしい」

フィルはジッとしている。
嫌がられてはいないのだろう。
様子を見ながら、そっと撫でてみる。

「こいつは雪国生まれだから毛足が長くて厚みがあるらしい」

「らしい、とは」

「俺が知ってるフェンリルはこいつしかいないから、他と比べようがなくて。火山に居るフェンリルは赤毛で巻毛気味とか聞くし。こいつは厚手の絨毯みたいにふかふかで気持ちいいだろ。首のたてがみん所とかおすすめ」

ほら、と生徒に手を掴まれ、首許の毛に指を埋められた。
背中と違って柔らかく、手が沈むほどの毛量。

「…これは」

気持ちいい、と口にはせず、いよいよ両手を首に添えた。フィルが目だけでこちらを見上げて来る。
嫌がられたかと手の動きを止めた時、学生が隣で笑った。
思っていたよりも優しく笑う子のようだ。

「フィルも気持ち良いって。もっと撫でてあげてよ」

「…そうか。なら、もう少し」

首元を撫でると鼻先を上げて喉を押し付けてくる。
莫大な魔力量に反して仕草は子犬っぽくて、それがまた愛らしく思えた。

「ところでロキ先生」

「ん?」

「従魔登録ってさ」

「ああ」

隣からの声にフィルから目を離さずに上の空めいた声で返事をする。

「魔物と契約してなくても出来るもん?」

あまりの気軽さに何を聞いてるのか、最初わからなかった。
手を止めて彼を見る。憮然とした顔がそこにある。
世界が一時停止でもしたのかと思うほどの衝撃をロキが受けている事など思ってもない顔だ。

「契約、してないのか?…いや、そうか。そうだよな。余りにお前らが自然だったので気付かなかったが…ドラゴンを従属させるだけの魔力が無ければ契約は出来ない…」

フィルから手を離し、生徒に向き合うように姿勢を正す。彼をじっと見据え正確な魔力量を測ろうと目を凝らす。鑑定魔術の一種だ。

(……平均、に見えるが、なんだこれは)

ロキの目には全身を巡る魔力の経路が血管のように光って見えるのだが、ジンの魔力は所々でノイズが混ざっている。
色収差のように光が二重三重に見える箇所があったり、管が複雑に絡み合って大きな塊になっていたり。
一つ一つは珍しい現象ではない。条件によっては誰にでも起こり得る事なのだが、複数が重なっている状態は始めて見る。

魔力経路に異常があると様々な支障が起こる。
だが彼に異変があるとは思えない、先程触れた時も違和感はあったが不調を感じた訳ではない。
違和感に次ぐ違和感。

「ドラゴンと契約しようもんなら魔力持っていかれて、俺カッスカスになりますよ」

恐らく彼の言う通りだろう。
経路に見えるノイズは謎のままだが、必要な魔力量を満たせていないのは確かだ。

「ドラゴンは魔力コントロールが出来ると聞くが、幼体では難しいのだろうか。いや、それでも今のお前の魔力量では…」

「いやー、困りましたね」

頭を掻いて年寄り臭い返しをしてくるが、真実困っているようには見えない。

「やっぱり従魔契約してないなら登録は出来ませんよね?フェンリルの方とも同じ理由で出来ませんし…」

こちらの顔色を窺ってくる生徒の顔に、先程ドラゴが言っていた「わがまま」の単語を思い出した。目立ちたくないからと、登録せずに済む方法をまだ模索してるのではと疑う。

「……両手を出せ」

「え」

「魔力循環を知ってるか?互いの魔力を交互に流し合う事で、魔力値の底上げが出来る」

出来た所で微々たるものだが、これはただの口実だ。両手を握る事でもっと正確に魔力の質や量を鑑定出来る。
フェンリルとドラゴンと言う生きる奇跡を易々逃したくなく、ロキは何か突破口を探ろうとしていた。
ついでに経路のノイズについても何か判明するかもしれないと。

「……手を握るだけじゃ、たかが知れてるでしょ」

「知ってたか」

「まあ…もっと効率の良いやり方なら、やっても良いけど」

「……」

眉がピクリと上がる。
生徒の気配が急激にオスになった気がしたからだ。
当たり前だが見た目が変化した訳じゃない。

「お前…フェロモンをコントロール出来るのか」

「少しだけ」

「少しと言うレベルじゃないだろ。…やめろ、フェロモンを抑えろ」

「俺のフェロモン効くんだ」

「例え効いてもするつもりはない」

「魔力循環してくれるって」

「生徒と性行為をするつもりはない」

素肌を合わせれば魔力循環は何処であろうと可能だ。掌だろうが、足の裏でさえ良い。だが皮膚が厚いと魔力は流し込み難くなる。薄ければ薄いほど、接触面積は広いほど、触れ合う時間が長いほど、効果が出る。
最も効率良く、且つ大幅な魔力の底上げが期待出来るのは性行為だ。

目の前の生徒は断られてもハハと楽しそうに笑った。
フェロモンのせいか、先程よりもずっと色気のある男に見える。
手を重ね合わせた時の感覚を思い出し、指先を擦り合わせて痺れを拭う。

この様子だと生徒は同性などの括りは気にしてないようだ。同類であるから、そこは言及しないでおこう。

「そんな事よりも、従魔登録の続きを話そう」

「そうですね…」

「お前は何がそんなに嫌なんだ」

「そうだぞ、何がそんなにイヤなんだ。オレ様たちと一緒に居たくないのか」

「わんわんわふっ」

「だから一緒に居るのが嫌なんじゃなくて……おい、前が見えねえ」

ジンに纏わりつく二頭。長身の彼が白と黒の壁中に隠されてしまう。

「まあ、目立つな。その二頭は」

「だろ?俺は目立たず穏やかな学園生活を満喫したかっただけで。いだだ…!フィル足を踏んでる!」

ドラゴの背中から声だけが聞こえてくる。見た事もない光景につい口が緩む。

「しかしな、ドラゴンにフェンリル。この二頭に懐かれるなんて誉れ高い事だろう」

「誉れとか言う問題じゃなくて…契約出来ないって事は何かあっても俺は制御出来ないわけで。さっきも俺の話も聞かずに飛んで行ったドラゴンが居ますしね」

「オレ様は言うことを聞いている。聞かないのはおまえ。ケーヤクするか?しても良いぞ」

「簡単に言うな。俺は容易く死ぬぞ」

「オレ様がジンを従えればいい」

「結果は同じだ。俺に死んで欲しいのかお前は」

「おもしろくない」

良い案を思い付いただろと鼻を鳴らしていたドラゴだったが、拗ねてしまった。死んで欲しくはないのだろう。
ぐいっとドラゴの顔を押して白と黒の壁からジンが出て来る。フェロモンの匂いが消えている。本当にコントロールしているらしい。末恐ろしい若造だ。

「お前らちょっとマジで小さくなって」

「しょうがない」

「くうん」

ドラゴは少し浮かび上がり、フィルはぶるぶると全身を震わせた。
ほんのりと光を帯びたと思ったら、徐々に圧縮されていく二頭の身。
ドラゴはジンの胴体より少し小さめに、フィルは大きめの狼のサイズへと変化した。
くるりと宙を回るドラゴは定位置だと言わんばかりに、ジンの背中側から左肩に両手を置き顔を覗かせる。
べったりとジンの脚に胴を張り付けるフィルの尾は千切れんばかりに振られていて、彼への親愛度が目に見えるようだ。

「何をしたらそこまで懐かれるんだ」

「…親代わりだからじゃないですかね、分かりませんが」

「親代わり?」

「一応ですね……でも、もう一人でも生きていけると思うんですが。楽させ過ぎたのか、離れないんですよ」

「好んで傍に居るのか。本当に珍しい関係だな」

「そうですね……」

肩から覗くドラゴの額を指先で撫でながら、生徒は何か考え込んでいる。
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