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最終章

 母の悔恨

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 初老の女は、昼間にカーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、床に臥せっていた。自分の命がもう長くはないことを女は知っている――。

 うつらうつらと、はっきりとしない意識で思うのは、己の愚かさと娘に対する悔恨――もう10年以上前に家を出ていった美弥のことだ――。

 ここ最近は毎日そうだ。そしていつも同じところに辿りつく――。

 不意に女の目に前に、まだ幼い頃の美弥が現れ、ふっと消えた。女は、伸ばしかけた手を力なく床に戻した。
 

 女は、誰に聞かせるわけでもなく床に臥せったままひとり語った―――。

  ―――美弥は元気にしとるやろか、どこにおるんやろかねえ。
 あの子には申し訳ないことしてしもた……。こんな阿呆な親のとこに生まれてなかったら、全然違う人生があったやろに……。

 あの時、うちがあんなカスみたいな男と付き合うてなかったら、あの子はあんな地獄を見ることはなかった――。

 ある日、男のアパートに行ったんよ。酔いつぶれとる男を脇に、浮気なんかしとらんやろね……おもうて、軽い気持ちで携帯をいじくってたら、信じられんもんを見つけてしもうた。
 体中の血がいっぺんに凍りついたような気がしたわ……。

 美弥の裸の、あられもない写真が何枚も―――。

 携帯を握り締めたまま、すぐ横で寝てる男を見たら不思議なもんやね……こんな時は頭の中が溶岩みたいに煮え立つんかとおもとったけんど、怖いぐらいに冷え冷えとしとった。その上で迷い無くおもうたんよ。

 ―――殺す―――って。

 ようも、うちの娘にこないな地獄を見せたな……愚かな親やと自分でもわかっとるけど、娘をこんなにされて我が身可愛さにへらへらしとるほど腐っとらんけんね……。

 その場で即座に台所から包丁とってきて、首を掻き切って殺すことも一瞬考えたけんど、それやと捕まってしもうて美弥にまた辛い想いさすけん……

 目の前にええ方法が転がってるんに気付いたんよ。男の小汚い乱雑な部屋に、うちはたまにしか来んかったんも好都合やった。いり浸ってたら人目についとったわ。


 あの男は、酒のアテにイカをあぶるんが好きで、わざわざ七輪で炭火焼きしとったけん……いつも窓を全開にしとった。
 あほのくせに一酸化炭素中毒になることは知っとたんやね。だから酔いつぶれてもそのまま安心して寝るんよ。
 その日はもう炭は消えとったけん、次――次に、うちがここに来たとき、あんたの命は終わりや……、うちの娘にこないな地獄みせた代償は払うてもらうけん――そう思いながら寝てる男をほうって帰った。

 その『次』は、すぐに来たわ。
 
 自分でも怖いくらいに凍てついた冷酷な気持ちで、いつも通りを装って酒を飲んで、男が酔い潰れて寝るんを待ってね……。

 男は、寝よったわ―――。

 うちは男の携帯の中の美弥の写真を消して、赤々と燃えてる炭を確認してから、窓を閉めて部屋を出た。

 ほな、さいなら――言うて。ただ、それだけよ――。
 
 睡眠薬や毒を盛ったわけでもなく、男の部屋で一緒に酒を飲んで、窓を閉めて帰っただけ。
 この世からゴミを一つ掃除しただけ――――。

 ―――1週間もせんうちに警察がきたわ。携帯の履歴からか知らんけんど。でも、どないもならんかった。

 うちが窓を閉めたことを誰が知ってるん? どうやって証明する? 仮にうちが窓を閉めたとして、そのとき炭が燃えてたと、どうやって証明する?
 半分ヤクザみたいな男が一酸化炭素中毒で死んだところで、警察が必死に捜査なんかするかいな……。

 無事に墓場まで持っていかしてもらうわ……。

 それからも男好きは治らんかったけど、美弥にだけは絶対に手を出させんおもてたけん。
 新しくできた男が美弥をいやらしい目で見たりしたら、目を見据えて、そのたび言うたったんよ

「美弥に手出したら――殺すけん――」
 
 そういわれた男は一瞬目を見開いて、
「ははっ…そんなん、せんよ……」って言うとったわ。
 皆、似たような反応やった。
 勢いとかはずみで人を殺してしもうたんやなくて、明確に意志を持って人を殺した人間の目には、なんか宿るんかもしれんね……。

 やけん、美弥には誰も手出してないはずやけど、美弥はそれでも怖かったんやろねえ。家に寄り付かんようになってしもうた。
 勉強もようできたし、きっと大学も行きたかったやろに……。
 うちみたいな阿呆な親の子に生まれてなかったら、普通に叶えられてたかもしれんことを、あの子はどれだけ諦めてきたんやろか……。

  親になりきれん女は、母親になったらあかんね……
 
 最近は起きてニュース見る気力もないけんど、うちみたいな愚かな母親は今も多いみたいやもんね……。

 美弥……、どんな形でもええけん幸せになんなさい、こんな事いう資格はないけんど、それでも娘やけん……、幸せになってほしいんよ……。

 明日は目……醒めるんやろか……、醒めんでもええのにね……。

 女の意識はやがて遠のいていった―――。


                   (最終話へ)
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