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第1章
違う世界の住人
しおりを挟む約束の日、多少は小奇麗な格好をしなければと思ったが、その小奇麗な服がない。
長い間、そんなことにすら気付いていなかった自分に、美弥は苦笑いがもれた。
仕方がないので服装は普段着のままに、少しだけいつもよりちゃんとメイクをし、職場では後ろにまとめている髪をおろした。
鏡を見てみると、少しだけいつもと違う自分がいた。どちらにしても冴えない、どこにでもいるアラサー女であることに変わりはない。
待ち合わせ場所に現れた美弥をみとめ、男は大げさに驚いて見せた。
「全然雰囲気がちがうね」そう、うれしそうに言った。
美弥は気恥ずかしくて、うつむくだけで気の利いた答えも返せない。いつものことだ。
男は、高そうな中華料理屋を予約していた。
コース料理だった。好物の天津飯でよかった。それに餃子でもつけてくれたなら十分なのに――申し訳なく思いながら、たくさんの小さな皿に乗る料理をつまんだ。
男は自己紹介がてらか、よくしゃべった。48歳で10年ほど前からバツイチであることや仕事のこと、3LDKのマンションで一人で暮らしていること。
そして――美弥のことを聞きたがった。
美弥は質問はかわし、心底不思議だった自分を誘った理由を訊いた。
「なんかね、雰囲気がよくてね。ちょっと他の子とちがって独特のものを感じたから、ゆっくりと話してみたくて」男は照れくさそうに言った。
答えになっているのか、いないのか、よくわからなかった。
別れ際に「よかったら、また食事に付き合ってほしい」といわれ、押されるまま承諾した――。
帰ってから――、ひとりの部屋で少しぼんやりとした。
いつもの決まりきった毎日に異質なものが突如として現れたのだから当然だった。
ウサギ小屋のようなワンルームの部屋で、男の名刺を眺めてみた。誰でも知っている大企業の社名に肩書きと倉重康史という名があった。
社会の底辺をさまよってきた美弥とは別の世界の人間のはずだ。違う世界の人間同士は、たとえ一時期なんらかでその人生が交錯したとしても、やがて互いの居場所に帰っていく。
だから次の約束も決まっていたが、心が浮き足立ったりはしなかった。
きっと今日よりもっと、この倉重は私のことを聞きたがるだろう、そう思った。
それは、できるものなら過去を忘れ、過去を消すように生きてきた美弥には煩わしいことだった―――。
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