花と夢路の幸せな日々

染井しのぶ

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第2章

2 朝の風景

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「花も朔弥も、ここの暮らしには慣れたかな?」
 夢路はそうたずねながら、きれいな仕草で食事をする。
 おれは「ああ」とうなずき、朔弥は「おかげさまで」と答える。
 夢路は満足そうにうなずいた。
「それはよかった。花も日に日に身支度が速くなっている。慣れてきた証拠だね」
「本当かっ?」
 嬉しくて、つい大声をあげてしまった。夢路がくすくす笑う。
「本当だよ。でも、藤縞が残念がっていたから、たまには世話をやかせてやってくれ」
「藤縞が、残念がる?」
 おれは思わず、夢路の傍に立っている藤縞に目を向けた。藤縞は「妙なことを言いふらさないでください」と顔をしかめる。
 夢路がまた笑う。
「だって事実だろう。藤縞は人の世話をやくのが好きだから」
「主人の身支度を手伝うことは、使用人にとって当然の仕事であり誇りなのです。……誰かさんは、それを一切許してくださいませんが」
「自分でできることにきみたちの労力を割かせるなんて、もったいないからね」
「それが貴族というものでしょう」
「貴族なんて言っても端くれじゃないか。どうせじきにそんな制度はなくなるよ。おじいさまも良くおっしゃっていた。身分にあぐらをかくなってね」
「身支度を手伝わせるからと言って、あぐらをかいているわけではないと思います」
 思いがけない勢いの言い合いを、おれと朔弥は食事の手も止めて見守っていた。
 おれたちの視線に気づいたのか、夢路は「藤縞は、僕が身の回りの世話をさせないことを怒っているんだ」と肩をすくめる。
「でも僕は、自分のことは自分でできる。そういう仕事は、自分でできなくなったときに改めて頼むことにするよ」
「……かしこまりました」
 藤縞は低く言って頭をさげた。
 二人はときどきこんな風に、朔弥いわく『主従らしくない』やりとりをする。普通は藤縞がするように、使用人が主人を叱ったり、文句を言ったりはしないらしい。
 たいていは藤縞の言うことに夢路が従うかたちで決着がつく。でも今回は、夢路が勝ったみたいだ。
 夢路は「ところで」とおれたちに目を向ける。「今日の二人の予定は?」
 おれは「散歩と勉強」と、いつも通りの答えを返した。朔弥は「午前は仕事。午後は勉強」と答える。
 夢路は「そうか」と肩を落とした。
「一緒に買いものでもと思ったのだけど、仕事なら仕方ないね。そういえば朔弥、仕事のほうはどうだい?」
「おかげさまで、だいぶ慣れた。……でも、仕事っていうより慈善活動だろ、あれは」
「いいや、仕事だよ。もとは僕がしていたことを、きみにお願いしているんだから」
 朔弥は週に数回、夢路に頼まれた仕事をこなしている。
 内容は、近くの孤児院や学校・医療施設などへ食べものや生活用品を贈ったり、そこでの仕事を手伝うというものだ。
 おれも何度か、朔弥と一緒に孤児院をたずねた。でも、子どもたちと遊ぶのにも仕事の手伝いにも体力が必要だ。不慣れなおれは、終わるころにはずいぶん疲れた顔をしていたらしい。心配した藤縞から『仕事は追々』と言われ、朔弥が働いているあいだも、おれは体力づくりと勉強に専念することになった。
 勉強は、朔弥と二人で藤縞に教えてもらっている。文字の書き方や言葉づかい、外の世界についてなど、内容はいろいろだ。
 夢路が「ちなみに、午後の勉強を休むというのは……」と藤縞をうかがう。
 藤縞は、鋭い眉をひくりと動かした。
「構いませんが、ご自身のご予定をお忘れではありませんか。二人にどれだけ時間があろうと、今日の夢路さまに時間はありませんよ」
「僕の予定も後日にまわして……」
「だめです」
 ぴしゃりとした藤縞の言葉に、夢路が肩をすくめる。
「残念だ。買いものはまた今度にしよう」
 今回は藤縞の勝ちだ。おれはなんだかおかしくて、口もとのムズムズをこらえながら食事を再開した。食事中に面白いことが起きると食べるのが難しくなることも、ここにきてからはじめて知った。
 ゆっくり朝食をとったあと、朔弥はさっそく仕事に出ていった。七緒の運転する車で、他の使用人も連れて向かうのだ。日によっては夢路の会社の人も手伝いにくるらしい。おれはまだ出会ったことはないけれど。
 朔弥を見送ったあと、おれは散歩のため屋敷の外へ向かった。
 すると、うしろから夢路が追いかけてきた。
「散歩だろう。僕もお供させてくれ」
「用事があるんじゃないのか」
「庭を歩くくらいの時間は平気だよ」
 夢路は上着を羽織りながら微笑む。おれたちは二人で屋敷を出て、庭の小道を歩きだした。
 おれは藤縞の言いつけで、毎日朝と夕方に屋敷の庭を散歩している。
 庭はずいぶん広くて、ぐるりと一周するだけでもけっこう良い運動になる。庭師の仕事を眺めるのも、水やりの手伝いをさせてもらえるのも面白い。
 最近は歩くのにもだいぶ慣れて、つまずいたり滑ったりすることも減ってきた。
 ちなみに、屋敷の外を一人で出歩くことはまだ許されていない。
「いい天気だね。おかげで気温もあたたかい」
 夢路が空を眺めながら言う。おれは「ああ」と返事をして、ゆっくり庭を歩き続ける。
 おれの散歩に、夢路はときどきこうして付いてくる。
 蒐集家なんて名乗っているけれど、夢路は会社を経営していてとても忙しい。屋敷にいるあいだも部屋にこもって仕事をしているし、今日のように出かけることも多い。本当なら、散歩なんてしている暇はないはずだ。
「……なんでおれに付いてくるんだ」
 たずねると、夢路は「ん?」と首をかしげた。
「迷惑だったかな?」
「違う。忙しいなら、付いてこなくてもいい。おれだって散歩くらい一人でもできる」
 夢路はぱちぱちと瞬きをして、苦笑した。
「花を心配しているわけじゃないんだよ。僕ももともと、散歩が日課なんだ」
「そう……なのか」
「たまには身体を動かさないといけないからね。でも、一人で散歩するよりも、きみと一緒のほうが楽しい。だから迷惑でなければ、同行させてもらえると嬉しいな」
「……迷惑じゃない」
「よかった」
 微笑んだ夢路が、「ごらん」と赤い花のついた植物を指さす。
「薔薇がまた新しい花をつけている。きれいだね」
「……ああ」
 陽の光をうけた赤い花は、なんだかキラキラ光って見える。
 迷惑じゃない。だっておれも、一人でする散歩より、夢路がいるときのほうが楽しい。
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