花と夢路の幸せな日々

染井しのぶ

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第1章

6 外の世界

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「高そうな店……」
 とめられた車の窓から外を見て、朔弥が言った。
 辿りついた『衣料品店』は、幻夢郷や、あのあたりにあった他の見世とはちがって、ずいぶんきれいで立派な建物だった。
「よし。花、朔弥、店にいこう」
 そう言って、夢路はおれたちに手を差し伸べた。
 おれは思わず手をとりかけて、それからふと気づく。
 あの店の中には、他の人間もたくさんいるのだろう。
 おれは裸で、そのうえうろこの脚のばけものだ。おれを見た人間は、おどろいて、不気味がるだろう。
 ばけものは外の人間に嫌われる。お客も番頭たちもそう言っていた。
「おれは、いかない」
 夢路は「ええっ」と残念そうな声をあげた。
「いろんな服を見て、選ぶのは楽しいよ。採寸しないと、きちんと身体に合うかもわからないし……」
 朔弥が「俺もやめとくよ」と言葉を続ける。「俺らを連れてくと、目立つだろ」
「そうかな? 僕は構わないけれど……」
 食い下がる夢路に、藤縞がため息をついた。
「私は構います。あらぬ噂をたてられては困りますから。それに、彼ら自身も目立ちたくはないでしょう」
「そういうものか」
「どうせ、着せ替え遊びがしたいだけなのでしょう。楽しみは後日、十分になさってください。いまはひとまず、当面必要な分だけを私が買ってきます」
「僕も一緒に」
「駄目です。車で休んでいてください」
 そう言って、藤縞は一人で店に入っていった。残された夢路は「けちんぼだなぁ」としょんぼりしていた。
 藤縞はすぐに、大きな荷物を抱えてもどってきた。
「こちらが花さま。こちらが朔弥のものです」
 そう言って、それぞれに箱が渡される。
 ぱかりと蓋をあけた朔弥が「うわあ……」と顔をひきつらせる。
「この高そうな店を見た時点で気づくべきだった……。こんな服、とてもじゃねえけど、もらえねえよ」
「好みではないかな? では今度、やっぱり僕と一緒に服を選びにいこう」
「ちがう。こいつはともかく、俺にはこんな高価なもの、与えられる義理も価値もねえよ。……それだけの働きを返せる自信もねえ……」
 夢路はきょとんとした顔をして、それからにこりと笑った。
「まだ何もしていないのに、そんなことを言うものではないよ。僕はきみに、これだけの投資をする価値があると思っている。もちろん、花にもね」
「でも……」
「それに、朔弥にはすぐにでも働いてもらうつもりだ。義理を感じてもらう必要はないが、このくらいの働きは、きっとすぐに返せてしまうよ」
 藤縞も前の席から振り返る。
「夢路さまは他人を着飾るのが好きなんですよ。あなたがたのはじめの仕事は、着飾られてやることだと思ってください」
「そう。僕は他人を着飾るのが好きなんだ。着飾られてくれ」
 おれたちは顔を見合わせ、それからおずおずと、服に袖を通していった。
 おれにとっては、身につけたことのないものばかりだ。
 やわらかくて手触りのいい下着。しっかりとしたズボン、きれいなシャツとベスト、それから、白い靴下と、黒い靴。
 となりで着替える朔弥を見ながら、真似をするように一つ一つ身につけていった。
 シャツのボタンは、とめ方がわからずに戸惑っていると、夢路がとめてくれた。
「ゆっくりやってごらん」
 そう言われて、残りの釦は、なんとか自分でとめきった。ベストの釦はシャツよりも大きくてとめやすかった。
 はじめて履いたズボンは、すこし窮屈で、暖かくて、不思議な感じがした。靴下は身につけるのが難しく、これも夢路が手伝ってくれた。
「革靴だから、はじめはすこし窮屈かもしれないけど」
 そう言って、夢路がおれの前に黒い靴を置いた。
 目でうながされて、そっと足をいれる。
 うろこよりもかたく、しっかりとしたものに包まれる感覚。
 靴下と靴をはいたうろこの脚は、となりにいる朔弥と何も変わらない、普通の脚に見えた。
「……おまえのそういう格好見るの、はじめてだ」
 そう言う朔弥は、茶色いズボンと、襟もとに飾りのついたシャツ姿だった。
 いつもの服よりもシャキッとした印象で、よく似合っている。
「二人とも、よく似合っているよ」
 夢路は満足げに笑ったあと、「でも……」と眉をひそめた。
「ちょっと地味というか……シンプルすぎやしないかい? 花にはもっと装飾のあるシャツも似合いそうだし、朔弥には変わったデザインのものも似合いそうだよ。藤縞、やっぱりもうすこし買いものを」
「言ったでしょう、これは当面の分です。他にも数着購入してありますので、しばらくそれで我慢してください」
「……わかったよ」
 しょんぼりと肩を落とす夢路に、おれは、さっきまで肩にかけっぱなしだった夢路の上着を差しだした。
「これ……」
「ああ。ありがとう」
 夢路は受けとると、にこりと笑い、上着を羽織った。
 礼を言うのはおれのほうだ。そう気づいて口をひらいたけど、タイミングを逃してしまって、声にすることができなかった。
「七緒、車を出してください」
 藤縞の言葉で、車が進みだす。夢路は車内に積まれた他の箱を開け、「これはいい」「これは藤縞が好きそうな服だ」などと言いはじめた。ますます礼を言いづらくなって、おれは言うのを諦めた。
 しばらく車は走り続け、おれはずっと、窓の外を眺めていた。
 外の世界は、きれいだったり、うす汚れていたり、ぐちゃぐちゃしていたり、すっきり整っていたり、場所によっていろいろだった。
 途中、緑色の大きなかたまりが見えて、あれはなんだとたずねたら、朔弥が「山だ」と教えてくれた。道のような、けれどきらきら光る大きなものは、『川』だと夢路が言った。そのときおれたちの車が走っていたのは、その上を通る『橋』だ、とも。
 山や街の上にあるのは『空』。そこで眩しく光っているのは、『太陽』。
 ──おれは本当に、別の世界にやってきたんだ。
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