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腕枕
しおりを挟むジュンちゃんとこたつでミカンを食っていた。昼ご飯のあと、テルおばちゃんは忘年会の準備と言って公民館にでかけた。俺とジュンちゃんのふたりだけになった。
茶の間の窓から見える空はどんよりして今にも雪が降りそうだ。やっぱりきょうはエイちゃんちに行くのはやめよう。あしたはジュンちゃんが帰る日だし。
おばちゃんちでいっしょに冬をすごすのは三年目だ。美人で明るくて、中学二年で、頭が良くて、スケートがうまくて、口が悪いこと以外、いまだになぞの女子だ。
俺もそうだけど、ジュンちゃんは家のことや地元のことはなにも話さない。テルおばちゃんちにいれば、そういうことを話さなくても楽しくて、ほっとできた。
「ゆうべ、おばさんから聞いたんだけどさ」
ジュンちゃんはいつも唐突だ。
「なにを?」
「シゲおじさんがはじめて腕枕してくれた人なんだって。いいよねぇ、初腕枕。キスじゃなくて腕枕。なんか初々しくない?」
「別に」
「青年団の旅行だったんだって。夜、みんなが集まってる薄暗い部屋でコッソリ。修学旅行といっしょよね。男子が女子の部屋に忍び込んで。初恋よねぇ」
「もう修学旅行いったの」
「あのね、イサ。別にとか、もう修学旅行いったのかとか、そういうピント外れなこと言ってると女子にモテないぞ」
「じゃ、なんて言うのさ」
俺は口をとがらせた。
「子どもみたいにいじけないの。そうだねぇとか、いいねぇとか、合わせてあげるの女子に」
こうやって俺はいつもジュンちゃんにやりこめられる。いやじゃないけど、彼女にはしたくないタイプだ。
「あたしだったらどうかな。初恋の相手と結婚なんてちょっともったいないかな」
「なんで?」
「だって、ほかの人とはデートもキスもセックスもできないってことでしょ」
ちょ、ちょっと待てよ、ジュンちゃん。セックスとか平気で言っちゃうなよ。どう反応していいかわかんねえだろう。
「なに、イサ。変な想像してる?」
「し、してねえよ」
「イサはもうしたの?」
やめろよ、そういう質問。
「あたしはセックスはまだ」
じゃ、キスはしたんだ。
ジュンちゃんがみかんに手をのばした。俺もうまそうなのをみつけて皮をむく。妙に静かな時間が流れた。
「ねえ、イサ」
「なに」
「あたし、本当は帰りたくないんだ。お正月もここにいたい」
「なんで」
ジュンちゃんがむきかけのみかんを置いた。
「みんなあたしのうわべしか見てない。パパもママも、学校の人たちも」
俺もみかんを置いた。
「こんなこと人に言えないし、女子の前では絶対に言えないけど、あたしは、美人だしスタイルもいい。でも、これはあたしの実力じゃないわけ。たまたまこういうふうに生まれただけなの。わかる?」
「うん」
ジュンちゃんは真剣な顔をしていた。こんなジュンちゃんははじめてだ。
「見た目じゃなくて、あたしが何を考えて、何をがんばってて、何を大切にして、何に悩んでるのか、そういうことを気にしてほしいの」
それはわかる。俺だってそうしてほしい。
「美人だからモテる。なんでも思うとおりになる。女優、モデル、アナウンサー、何にでもなれる。良いところにお嫁にいける――そういうのはもう、うんざり」
「ジュンちゃんにも悩みがあるんだ」
「あるわよ。あるに決まってるでしょ。人の気持ちがわからない。言わなくてもいいことを言っちゃう。わがままで、飽きっぽくて、女子の友だちがいない――わかってるのよ。なおさなきゃいけない、ガマンしなけりゃいけないって」
「でも、やっちゃうんだ」
「そう」
さみしそうにうなずいて、ジュンちゃんは口をむすんだ。
ジュンちゃんの話を聞きながら、俺は二学期の終わり頃、アライ先生が言ってたことを思い出した。
「そういうのをさ、謙虚のはじまりっていうんだって」
「謙虚のはじまり?」
「自分のいやなとことか悪いとこに気づいてて、直そう、改めようって、自分をいかしめ、いらしめ、あれ?」
「いましめ、でしょ」
「そうそう。気づいていて、自分をいましめ続けてれば、いつかかならず謙虚な人になれるんだって」
「へえ、いいこと言うじゃん、イサ」
「俺じゃなくて、先生」
「ふーん、なるほどねぇ」と言いながらジュンちゃんは何度も小さくうなずいた。「うん、ちょっとスッキリしたかも。ありがとね」
それから俺たちは食べかけのみかんに手をのばした。おばちゃんちのみかんは家で食うよりずっとうまい。たぶん、ジュンちゃんもそうだ。
「イサ、腕枕する?」
みかんのすじを取りながらジュンちゃんが言った。
「え?」
俺は思わず聞き返した。
「愚痴を聞いてくれたお礼。大サービスだぞ」
ジュンちゃんがにっこりと首をかしげる。
圧倒的。ジュンちゃん、たぶん、ジュンちゃんは自分のすごさがわかってない。俺は圧倒的な笑顔に呑まれてバカみたいにかたまっていた。
「イサ」
「はい」
「あたしだって初めてで、こう見えてすごくはずかしいの。だから、ちゃんと受け止めてもらえると、うれしい」
「わ、わかった」
俺はなんだか神妙な気分になって、こたつの中で体を左に寄せた。布団をあげてジュンちゃんが入れるようにした。わかってるじゃない、と言いながらジュンちゃんがとなり座った。
それだけで俺はもうドキドキだ。ほら寝て、とジュンちゃんがうながす。仰向けにたおれて右腕を伸ばす。ジュンちゃんがゆっくり降りてきて頭をのせた。途端にその重さが電気になって体を駆け抜けた。
「どう?」
「どうって……」
「初腕枕の感想。あたしは、思ってたよりずっといい」
ジュンちゃんの声が急に近くなった。ゆっくり首を回すと目の前にジュンちゃんの顔があった。十センチもないじゃないか。
「キスはしないからね」
「しってるよ」
かろうじて答えた。ノドがからからだ。
「好きな子のときは、ここで見つめ合って、キス」
なんてこと言うんだよ。
「あたしとキスしたい?」
うなずきたくても体が動かない。心臓が止まりそうだ。
「誰かにとっておきたいのね」
ちがうよ、そんなことない――が声にならない。
「いいわ」
と笑って、ジュンちゃんは俺のほっぺたにキスをして起き上がった。
「ココア飲む?冷たいの」
「の、のむ」
雪が降り始めていた。この冬はじめての雪。
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