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【エピローグ】
しおりを挟むぽかぽかと日差しが温かい、初夏の頃。
「カナン様! 旦那様がお戻りですよ!」
庭でひなたぼっこをしていると、クレアに呼ばれた。
「はーい、今行く!」
椅子から立ち上がって、玄関のほうに向かった。
「ただいま、カナン」
「おかえりなさい!」
屋敷に戻るとすでにユージーンがいて、そばにいたメイドにコートを預けていた。メイドはユージーンが一言「ありがとう」と伝えると、にこやかに笑って下がる。
ユージーンと番になり、結婚してから一年ちょっとが経つ。
以前に比べると、家の雰囲気はずいぶん変わった。
この一年をかけて、少しずつ新しい使用人を雇ったからだ。
前当主の時代から唯一残ったクレアが笑って、毛布を持ってくる。
「ほら、旦那様。午後になって冷えてきましたから、これを使ってください」
「ああ」
ユージーンはそれを受け取って、僕に視線を戻す。
「カナンは、このあとは?」
「国境へ行って、警備隊の人たちと会議をしてくるよ。ちょっと帰りが遅くなるかも」
「そうか。議題は?」
「最近また亡命者が増えてるらしいから、その対応について。今日はダチュラ側から指揮官が来るんだって」
ユージーンは頷いて、すっと両手を差し出した。
「僕は、今日はもう書類作業だけだ。代わろう」
出された両手に、僕は――抱きかかえていた赤ちゃんを渡した。
「ほら、お父さんに抱っこしてもらおうか? すぅちゃん」
「おいで、スピカ」
娘のスピカは、僕たちのどっちにも懐いてくれていて、抱き手が変わってもおとなしく指をしゃぶっていた。
髪はふさふさと黒く、同じ色をしたちっちゃな狼の耳がふたつ生えている。
それに対して、白い顔と碧い瞳は人間そのもので、二つの種族の血が半々に織り交ざっていた。
「かわいい、かわいいスピカ。愛してるよ」
ユージーンがとろけるような声で言って、スピカの丸い額にキスをする。
今からはユージーンがおんぶ紐を使って子どもを見ながら仕事してくれるから、僕は自分のやるべきことに専念できる。
僕は今、辺境伯の仕事を部分的に請け負っていた。
ダチュラ出身の元奴隷として、同じ境遇で苦しんでいる人たちを少しでも助けたい――僕や北斗のような人間をなくしたいと願って、亡命者の救助や、向こう側との折衝役を買って出ている。
「気をつけてね、カナン。ダチュラの軍部は頑固だから当分決着はつかないだろう。あまり根を詰めすぎないように」
「うん。分かってる」
すやすやと眠り始めたスピカの頭を撫でて、ユージーンの頬にキスをした。
「ユージーンも、お仕事がんばって」
「今のキスで三徹はできる気がするよ」
真顔で冗談を言う彼に笑って、抱いている子供ごと強くハグした。
「僕はユージーンみたいに大きな体じゃないし、狼にもなれないけど、僕なりのやり方で闘いたいと思うんだ」
「カナンなりのやり方、か」
ユージーンは面白そうに反芻する。
彼の手を握って、僕はその淡いグリーンの瞳を覗き込んだ。
「今日が無理でも、明日は勝てるかもしれない。
そうだよね、ユージーン」
「うん。きっとそうだ」
お互いを支えるそれぞれの左手薬指に、金色のリングが光る。
――不思議なものだ。
一人で国を出たときは、僕は自分の身を守ることすらままならなかった。
なのに、今はこの手に抱き締めている二人を、自分が守るつもりでいる。
「じゃあ、そろそろ時間だから行くね」
「カナン、頑張って」
「うん!」
ユージーンから体を離して、外へ繋がる扉へと歩いていく。
なんとなく首に手をやって、そこを飾るベルベットのチョーカーに触れた。
ほんのりと冷たい青い石の感触を確かめて、微笑む。
「行ってきます!」
振り返ると、かわいい我が子を抱いた愛しいつがいが柔らかく笑っていた。
春先の氷柱みたいに透き通ったその笑顔に見送ってもらえば、どんな楽園にだってひとっとびで行ける気がした。
完
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