上 下
32 / 65

しおりを挟む

「四年前、十二歳で館に売られてきた僕を世話してくれたのが北斗でした」

 オメガは家を出るものだと知っていても、子どもだった僕は家族と離れるのが寂しくてずっと泣いていた。自分を売ったのは両親なんだと分かっていても。

「奴隷館に来たばかりの頃は、慣れないことだらけでなにも手につかなかったんです。窮屈な首輪をはめられて、手と足は鎖で繋がれた。週に一度は籠に詰められて、檻の中から自分を品定めする貴族たちの目にさらされて。オメガとして“使われる”よりも先に、心が潰れそうだった」

 ユージーンは眉を顰めて「話せることだけ教えてくれたらいい」と言ってくれた。奴隷だったころのことを思い出すのは確かに辛いけど、今日は話を聞いてもらいたいって気持ちのほうが大きかった。

「そんなときに北斗が声をかけてくれたんです。雑用がうまくできなくて僕が館の使用人に叱られていたら、北斗がその男を殴りつけて脅したんです。『次に俺の同室をいびったら、あのことバラすぞ』って」
「暴力沙汰を起こして問題にならなかったの?」
「はい。北斗は、その男がしょっちゅう客の金品を盗んでるってネタを握ってたから。証拠も握ってて、相手は泣き寝入りするしかなかったみたいです」
「たくましいな」

 唸るユージーンに笑って、頷く。

「僕は弱くて、いつもおどおどしてるだけだったけど、北斗は怒るか何か考えてるかのどっちかでした。館の職員になにをされても絶対落ち込まないで……僕がへこんでると、こう言ってくれました」

 ――落ち込むことないぞ。果南はなにも悪くない。悪いのはこのくだらねぇ鳥籠だ。籠の鍵を隠してるクズどもだ。
 いつか俺がお前をここから出して、ユスラへ連れて行ってやる。あの国に行けば、全然違う人生が待ってるんだから――。

 それが、この国のことを初めて知ったときだった。

 北斗は知識が豊富で、奴隷になる前はたくさん本を読んだと言っていた。
 監禁部屋で寝る前に彼が語り聞かせてくれるユスラ国の話は、どんなおとぎ話よりも嘘みたいで、魅力的だった。

「あそこでの生活は、狭い籠に閉じ込められて……いつ体を売るように言われるか、びくびくしながら待つ毎日でした。辛かったけど、あの人が話をしてくれる時間だけは大好きだった。でも……」

 もう北斗はいないのかもしれない。
 後に続くその言葉は、あえて言わなかった。
 話せば話すほど彼のことが恋しくなる。
 黙り込むと、考えていることがなんとなく伝わったのか、ユージーンは静かに言った。

「カナンにとっては、お兄さんみたいな存在だったのかな」
「兄……そう、ですね。あの人は僕より二つ年上だから、先に奴隷館にいて……色々教えてくれた先輩だし、あそこで僕を守ってくれた唯一の人です。僕はダチュラではずっと北斗を頼ってたから、たぶんそういう関係に近いんだと思う」
「僕には兄弟がいないから、少し羨ましいな」
「一人っ子なんですか」

 驚いて口にすると、そう、と軽い返事が返ってきた。
 言われてみれば、リベラ邸に来てから一度もユージーンの家族には会ったことがない。兄妹がいなくて、お父さんは亡くなっていて……お母さんはいるんだろうか。とても踏み込んで聞けないけど、頭の片隅に引っかかった。

「それで、カナンは彼の提案で国を出る決心をしたんだね」
「北斗と一緒なら、どこにでも行ける気がしてたんです。いま思えば僕は甘かった……あの国を出るなら命懸けになるのに、そんなときでも自分は守ってもらうつもりでいたんだ」

『連れ出してやる』と言われたからって、自分の命のことまで全部他人に任せきりにしていいはずがなかったんだ。目の前で北斗を失った今なら分かる。

「館を脱出した日――あなたに出逢った日。僕はヒートもまだ経験してないような身体なのに、客の相手をさせられそうになりました」

 ユージーンはそれを聞くと、一瞬表情をこわばらせた。何か言いたそうに口を開きかけたけれど、それを閉ざして「……それで?」とだけ呟いた。

「北斗は僕を守るために、脱出計画を早めることにしたんです。そうじゃなければ、もっと安全に抜け出せてたはずでした」

 その後のことはユージーンも知っている。脱出してすぐに大人に気付かれた僕たちは、国境の上で引き裂かれた。
 僕は川で誰かに救われ、ユージーンに拾われて。
 北斗はダチュラ兵に連れ戻されて、後はどうなったか分からない。

「……はぁ……」

 一通り話し終えると、どっと疲れてしまった。
 同時に、胸でぐるぐるしていた重いものがすっと無くなったような、妙な爽快感もある。

「今日まで、よく頑張った」
「……はい」

 話を聞き終えたユージーンは、テーブル越しに手を伸ばした。

「つらかったろう。そんなことを一人で抱え込んで」

 ふわふわ頭を撫でられて、「思い詰めすぎるな」と柔く揉まれる。

「よく生き延びたね」

 優しく触れてもらえて嬉しいのに、泣きたい気持ちになる。
 どんなに褒められても、いま僕がここにいられるのは――北斗の犠牲のおかげだから。

「君は幼いのに、すごい」
「すごいのは僕じゃないんです」

 僕は、ユージーンの称賛を手放しで喜ぶことはできない。

「あなたの言うように、北斗は僕を本当の弟みたいに面倒をみてくれてたんです。だから……どんくさい僕を押して、先に国境を越えさせた」

 自分が犯したあやまちを思ったら、和みかけた心がまた冷え切っていく。

「僕がもうちょっとしっかりしていれば……北斗が手を貸さなくても自分の身を守れる人間だったら、あんな最後にはならなかったのに」
「カナン。そんな風に言わないで」
「っユージーン」

 椅子から身を乗り出したユージーンは、僕を強く引き寄せた。正面から抱き締められて、その胸に顔を押しつけられる。ほのかに甘い香りがした。

「誰もがその子のように強いわけじゃないんだ。人にはできることとできないこと、それから、まだできないことがある」
「まだ……できない?」

 ユージーンは僕の背中をあやすように叩きながら、そうだ、と頷いた。

「そのときのカナンには無理だったんだ。それが分かっていたから、君の親友は君を守ると決めたんだろう。なら、カナンが今こうして穏やかに生きていることは、彼の本望のはずだ」
「でも、北斗だって国を出たかったんですよ。僕がもっと強ければ、二人でここに来られたはずなのにっ」

 つい感情的になりかけた僕に、ユージーンは囁くように言った。

「――なら、次に会うときまでに強くなればいい」

「え……?」

「そして今度は君が彼を救ってやればいいんだよ」

 人にはできることと、できないことがある。それから、まだできない……これからできるようになるかもしれない、ことがある。

「次なんてあるのかな」
「友達が死んだと思いたい?」
「嫌です」
「じゃあ生きている。それなら、必ずまた出会うチャンスがある」

 ユージーンは出会ってから、一度も大きく表情を変えたことがない。僕がダチュラ国での経験を語ってもおおげさに泣いたり、領主様や向こうの兵士たちに怒りを剥きだしにしたりすることもない。
 だけど、耳に吹きこまれる息は温かく、肩を撫でる掌はどこまでも優しかった。

 ――ユージーンを『氷血』なんて呼ぶ人は、きっとこの人のことを何も知らないんだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

いつも余裕そうな先輩をグズグズに啼かせてみたい

作者
BL
2個上の余裕たっぷりの裾野先輩をぐちゃぐちゃに犯したい山井という雄味たっぷり後輩くんの話です。所構わず喘ぎまくってます。 BLなので注意!! 初投稿なので拙いです

「霊感がある」

やなぎ怜
ホラー
「わたし霊感があるんだ」――中学時代についたささいな嘘がきっかけとなり、元同級生からオカルトな相談を受けたフリーターの主人公。霊感なんてないし、オカルトなんて信じてない。それでもどこかで見たお祓いの真似ごとをしたところ、元同級生の悩みを解決してしまう。以来、ぽつぽつとその手の相談ごとを持ち込まれるようになり、いつの間にやら霊能力者として知られるように。謝礼金に目がくらみ、霊能力者の真似ごとをし続けていた主人公だったが、ある依頼でひと目見て「ヤバイ」と感じる事態に直面し――。 ※性的表現あり。習作。荒唐無稽なエロ小説です。潮吹き、小スカ/失禁、淫語あり(その他の要素はタグをご覧ください)。なぜか丸く収まってハピエン(主人公視点)に着地します。 ※他投稿サイトにも掲載。

天の采配~捨てられ騎士は引きずらない~

オレンジペコ
BL
愛している────けれど国と秤にかければ答えは言わずと知れた。 魔導大国シュトレン皇国の王宮で王が一人の騎士へと別れを告げる。 穏やかな愛へと変わった関係に終止符を打って、王は自分の生涯の伴侶を探すことを選んだ。 捨てられた騎士は毅然と別れを受け入れその複雑な胸中を飲み込む。 そんな彼の前に現れたのは一人の優しい文官だった。 このお話は捨てられた騎士と、婚約破棄をした文官の新しい恋のお話。 *************** Rはできれば最後の方に入れたいなぁと考え中です。 途中で王様の横槍が入ったらごめんなさい。 ※他サイト様でも連載中です。更新はのんびり予定。

人間嫌いの公爵様との契約期間が終了したので離婚手続きをしたら夫の執着と溺愛がとんでもないことになりました

荷居人(にいと)
BL
人間嫌いと言われた公爵様に嫁いで3年。最初こそどうなるかと思ったものの自分としては公爵の妻として努力してきたつもりだ。 男同士でも結婚できる時代とはいえ、その同性愛結婚の先駆けの1人にされた僕。なんてことを言いつつも、嫌々嫁いだわけじゃなくて僕は運良く好きになった人に嫁いだので政略結婚万歳と今でも思っている。 だけど相手は人嫌いの公爵様。初夜なんて必要なことを一方的に話されただけで、翌日にどころかその日にお仕事に行ってしまうような人だ。だから使用人にも舐められるし、割と肩身は狭かった。 いくら惚れた相手と結婚できてもこれが毎日では参ってしまう。だから自分から少しでも過ごしやすい日々を送るためにそんな夫に提案したのだ。 三年間白い結婚を続けたら必ず離婚するから、三年間仕事でどうしても時間が取れない日を除いて毎日公爵様と関わる時間がほしいと。 どんなに人嫌いでも約束は守ってくれる人だと知っていたからできた提案だ。この契約のおかげで毎日辛くても頑張れた。 しかし、そんな毎日も今日で終わり。これからは好きな人から離れた生活になるのは残念なものの、同時に使用人たちからの冷遇や公爵様が好きな令嬢たちの妬みからの辛い日々から解放されるので悪い事ばかりではない。 最近は関わる時間が増えて少しは心の距離が近づけたかなとは思ったりもしたけど、元々噂されるほどの人嫌いな公爵様だから、契約のせいで無駄な時間をとらされる邪魔な僕がいなくなって内心喜んでいるかもしれない。それでもたまにはあんな奴がいたなと思い出してくれたら嬉しいなあ、なんて思っていたのに……。 「何故離婚の手続きをした?何か不満でもあるのなら直す。だから離れていかないでくれ」 「え?」 なんだか公爵様の様子がおかしい? 「誰よりも愛している。願うなら私だけの檻に閉じ込めたい」 「ふぇっ!?」 あまりの態度の変わりように僕はもうどうすればいいかわかりません!!

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

兄の恋人(♂)が淫乱ビッチすぎる

すりこぎ
BL
受験生の直志の悩みは、自室での勉強に集中できないこと。原因は、隣室から聞こえてくる兄とその交際相手(男)のセックスが気になって仕方ないからだ。今日も今日とて勉強そっちのけで、彼らをオカズにせっせと自慰に励んでいたのだが―― ※過去にpixivに掲載した作品です。タイトル、本文は一部変更、修正しています。

正妃に選ばれましたが、妊娠しないのでいらないようです。

ララ
恋愛
正妃として選ばれた私。 しかし一向に妊娠しない私を見て、側妃が選ばれる。 最低最悪な悪女が。

【完結】糸と会う〜異世界転移したら獣人に溺愛された俺のお話

匠野ワカ
BL
日本画家を目指していた清野優希はある冬の日、海に身を投じた。 目覚めた時は見知らぬ砂漠。――異世界だった。 獣人、魔法使い、魔人、精霊、あらゆる種類の生き物がアーキュス神の慈悲のもと暮らすオアシス。 年間10人ほどの地球人がこぼれ落ちてくるらしい。 親切な獣人に助けられ、連れて行かれた地球人保護施設で渡されたのは、いまいち使えない魔法の本で――!? 言葉の通じない異世界で、本と赤ペンを握りしめ、二度目の人生を始めます。 入水自殺スタートですが、異世界で大切にされて愛されて、いっぱい幸せになるお話です。 胸キュン、ちょっと泣けて、ハッピーエンド。 本編、完結しました!! 小話番外編を投稿しました!

処理中です...