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第一章「異世界転生侍」

第十五話「妖怪の仕業」

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 足洗邸で弁天の六郎一味が袋叩きになった次の日の事である。久恵の泊まる宿に夢野が訪れていた。訪れているのは夢野だけではなく、綾女や粂吉といった長屋の隣人や、大手版元の虚屋もである。

「さあ、お返しするよ。久恵さん」

 夢野は久恵の前に、一本の簪を差し出した。六郎一味に取り上げられていたのだが、昨日のどさくさに紛れて取り返してきたのである。六郎一味が集めた財宝があまりに大量で探すのに苦労したのだが、皆で手分けして何とか見つけたのであった。

「ありがとうございます。夢野さん、それに皆さん。このお礼は必ずや」

「まあ気にしなくて良いよ。面白かったし、スカッとしたしな」

「そうよ。この人はいつもこんなのだから、本当に気にしなくていいのよ。困ってる人を見るとすぐに手助けするんだから。あなただけじゃないのよ」

「そうなんですか? 綾女さん」

「そうよ。この人が書いてる読本の主人公みたいに、困ってるひとがいると見境なく助けるんですからね。いつも手伝わされるんだから」

 感謝の念を述べる久恵に、綾女が気にする事は無いと諭した。綾女の言う事は全て事実である。夢野はどういう訳か、何か問題を抱えて困っている人に出くわす事が多い。そして何の報酬も求めず、助けようと力を尽くしてしまう性質なのだ。ただし、綾女が言う様に女人ばかりを助けているのではなく、爺だろうが子どもだろうが万遍なく助けているのだが。

「まあ良いじゃないか。今回の事も、多分執筆するためのいいネタ元になりそうだしな」

 そう、異世界転生侍という読本で戯作者として人気を博した夢野枕辺は、単に思い付きでその筋書きを考えたのではない。困っている人の事件を解決した経験を、話の展開に活用しているのである。異世界転生侍の基本展開が、主人公が行く先々で困っている女人を助けて惚れられるという少々一本調子であるのも、夢野自身の経験が元になっているからである。

 なお、異世界転生侍の主人公は助け出した多数の女人に惚れられているが、夢野本人はそんな事にはなっていない。そもそも手助けしているのは若い女人に限らないので、爺に惚れられても困る。その辺りは完全な創作である。この、妄想をかき立てる話の展開が読者に受けているのであるが。

「ははっ、それにしても昨晩は本当に上手くいったぜ。ちょっと誘導しただけで、皆も怒り出したんだからよ。ま、ちょっと怖くなっちまったけどな」

 粂吉が笑いながらそんな事を言った。これは昨晩六郎一味を締め上げた時の事を語っているのだ。

 昨晩夢野が妖怪見物と称して町民を集め、六郎一味が財宝の隠し場所としていた足洗邸に誘導していった時、粂吉もその中に一般の町人として混じっていた。そして、屋敷で夢野と六郎が言い争っていた時、ちょうど良い時期を見計らって六郎に対する怒りの声を上げたのだ。これに先導された町人達はこぞって六郎に対して怒りの矛先を向け、それに気圧された六郎はいつもの威勢を発揮する事が出来なかったのだ。

 これが大勢を決したと言っても良いだろう。当然粂吉が声を上げるのにちょうど良い条件を作るまで、六郎を弁舌で追い詰めたのは夢野の手柄である。もしも夢野がいなければ策は成功しなかっただろう。だが、夢野だけでは六郎が開き直る気になってしまった場合とても止められず、その場合町人達も威圧されて怒りを発するどころでは無かっただろう。

 機先を制して場の空気を支配したからこそ、百人を超える町人の力が効果を発揮したのである。

「確かに粂吉が言う通りだな。なるべくあんなことはしない様に気をつけよう」

 夢野は粂吉の意見に賛同し、重々しくうなずいた。夢野の様に少しは名の知れた者がばの空気を作り、そこにサクラを仕込んでしまえば民を誘導するのは難しい事ではない。やりようによっては、数年前大坂で反乱を起こしたという大塩平八郎の様に、江戸の町を揺るがす大事を起こす事も可能だろう。それによって今のお上の横暴に抗う事も出来るかもしれない。だが、それは民の血が流れる諸刃の剣である。夢野は暴力沙汰を好まないのだ。それは、自分が直接蛮行に加わる事もそうであるし、他の誰かが巻き込まれる事も含めてである。

 現に、昨晩弁天の六郎一味が怒れる町人の群れに袋叩きにあった時も、最早抵抗する気力が失われたのを見て取った段階ですぐに止めさせたのだ。この連中はこれまで江戸中の庶民を苦しめた屑どもであるが、それでも死ぬべきとまでは思えなかったのである。もっとも、

「あの後、結構すぐに町奉行所の連中が駆けつけて来て、皆捕縛していってしまったな」

 弁天の六郎一味は、全員が町奉行所の捕り方に引っ立てられていった。ちょうど月番が変わったばかりであり、六郎が岡っ引きとして働いていた南町奉行所ではなく、北町奉行所の手によるものであった。

 六郎はお上の贅沢品禁止のお触れを自分の欲望のために利用し、没収した財宝を我が物にしようとした。俗に五両盗めば死罪と言われているのが判例である。数万両に及ぶ横領では死を免れないだろう。

 哀れとは思わないが、その様な事態になってしまった事自体は悲しく思う夢野である。

「ところであの勘定吟味役はどうなったんだろうな? 町方に連れられて行ってしまったけど、そもそも動いていなかったぞ」

「さあ? あたしが天井から木箱を投げつけた段階でもう気絶していたけど、見た限り死んじゃあいなかったみたい」

「まあ良くて切腹かな?」

 六郎達の後ろ盾であった勘定吟味役の網野も、捕らえられる事になった。れっきとした武士であり、幕府に役目を持つ立場を有しているために縛にこそつかなかったが、連れられて行った先で厳しい詮議を受けるだろう。老中の政策を私欲のために悪用したのだ。厳しい沙汰が下るだろう。

「それにしても、あれは傑作だったな。綾女が天井から放り投げた木箱であの網野って侍が頭を打って気絶した時は、着いて来た連中はみんな足洗邸の巨大な足は本当にあったんだって驚いていたぞ」

「やあねえ。あたしは単にあいつらが隠した財宝が天井に隠しているのを見つけだしたら外であんた達がちょうど騒いでいて、それで網野が逃げてくるのが見えたから、最初から空いていた穴からちょっと放り投げただけよ。重いから一撃だったけどね」

 昨晩、粂吉がサクラとしての役目を果たしたように、綾女も別の役目を果たしていた。六郎達が足洗邸に隠した財宝を探し出し、持ち逃げされない様に探索する役目である。その結果天井裏に隠されているのを発見したのである。

「多分あいつらが天井裏に木箱を隠して、それでうっかり天井を壊してしまったんだろうな。それを偶然目撃されるか音を聞いたとかで、足洗邸には天井を蹴破って巨大な足が降って来るなんて妖怪話が広まったんだろう。ちょうどあの屋敷に近づかれないように怪談話の工作をしていたから、そっちと一緒にな。それで結局自分達が広めた妖怪話で成敗されたんだから、皮肉なもんだな」

 六郎一味の策謀や、昨晩の事件の事を総括した夢野であったが。ここでしばし沈黙した。何やら思いついたらしく視線が彷徨う。

「夢野先生。もう事件は解決した事ですし、もうそろそろ新しい作品の執筆にとりかかってくれませんかね?」

 黙り込んだ夢野を見て虚屋が催促をした。昨晩、妖怪見物の名目で大勢の町人を集められたのは、虚屋の協力によるものだ。出版業界のみならず、各方面に顔が効くのである。夢野の策に協力して事件を解決しない限り、執筆活動に集中しないであろうことは前々からの付き合いで理解しているから協力したのである。事件が解決した以上さっさと書き始めてくれないと協力し損なのである。

「妖怪、事件、成敗……これだ!」

 虚屋の言葉が聞こえていたのかいないのか、しばらく考え込んでいたゆめのであったが唐突に叫んで立ち上がった。その顔には精気が溢れている。

「じゃあな!」

 別れの挨拶もそこそこに夢野は久恵の泊まる宿を足早に立ち去ってしまった。付き合いの長い綾女は兎も角、他の者達は唖然とした顔つきだ。

「えっと、書いてくれるって事ですよね」

「そうね。それもかなり自信があるみたいね。私も挿絵の相談があるから先に帰るわね」

 そう言うと綾女も暇乞いをし、夢野の後を追って行ってしまった。

 これから夢野が書き始める作品が、新たな事件に巻き込まれるきっかけになろうとは、この時誰も知らなかったのである。
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