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第一章「異世界転生侍」

第七話「簪と事情」

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 弁天の六郎一味の追手をどうにか撒いた夢野と少女は、辺りを警戒しながら夢野の長屋に向かった。少女は宿をとっているのだが、ここからは少し遠い。少女は逃げる途中で足を挫いていたので、とりあえず長屋で手当てをし、その後駕籠を呼ぶなり長屋の住人達の付き添いをするなりで宿に行く事にしたのだ。

 もしも六郎一味と出くわしたらな厄介な事になる。注意を怠るのは得策ではない。

 夢野は少女に手を貸しながら、自分の長屋に戻って来た。長屋の中は行燈で少しばかり明るくなっており、誰かが中に居る様だ。

「綾女、帰ったぞ。ちょっと厄介な事になったから手を貸してくれ」

「はいよ……って、その娘一体どうしたのさ。どこでひっかけたのよ」

「弁天の六郎に因縁をつけられててな。それで見てらんなくて助けたんだよ」

「それで自分の長屋に引っ張り込んできたってわけ? あんたの書く読本みたいに」

「ああ、ちょっとばかし怪我したみたいだしな。それに、ここまで来れば綾女に手を借りれると思ったんでな」

「ああはいはい、そうですね。あんたの頼みなら挿絵も描きますし、女の子もたすけますよ。私は」

 何となく話が噛みあっていないが、綾女は夢野とこれ以上話しても無駄だと考えた様だ。手をひらひらとさせて答えると、夢野に外に出る様に促した。これから少女の足の応急手当をするので出て行けと言う事である。晒を足首に巻いて固定するのであるが、裾を少し捲るからだ。薄暗い長屋の中であるが、年頃の少女である事を考えると医者でもない男は出て行った方が良いだろう。

 ただ、単に外で待っているだけでは芸が無い。自分の長屋の外に追い出された夢野は、向かいに住む金物職人の粂吉の所に行くと駕籠を呼んでくれるように頼んだ。荒くれ者も多く、場合によっては強盗に早変わりする者すらいる駕籠かきであるが、信用のために受けた仕事はきちんと果たす者もそれなりにいる。懇意にする駕籠屋さえ見つけてお得意様になってしまえば安全に利用できるのだ。夢野は売れっ子戯作者であり、虚屋うつろやの様に大手の版元とも付き合いがあるので、多少は金回りが良く、正統派の駕籠かきとも付き合いがある。

 顔見知りの駕籠かきに頼めば少女を宿まで安全に送り届けてくれるだろう。また、荒くれ者の腕自慢が多いので、弁天の六郎一味が気付いたとしてもおいそれと手は出せない。客に怪我をさせてしまっては駕籠かきの恥になり、今後の商売に差し障りがあるからだ。それにこういった男達の世界では舐められたらお終いだ。そうなったらもう落ちるしかない。酒場でも賭場でも色里でも、後ろ指をさされるだろう。
 
「終わったよ」

 部屋の中から綾女の声がしたので夢野はすぐに戻った。中では綾女と手当てを受けた少女が並んで座っていた。

「綾女、ありがとうな」

「どうって事無いわ。それよりあんた、久恵さんの簪のことなんだけど……」

「久恵? 誰だそれ」

「この子の事に決まってるじゃない。あんた、助けた子の名前くらい聞いておきなさいよ」

「確かに……」

「確かにじゃないわよ。全く」

 綾女は額に手を当てて嘆いた。夢野は、自分が書く読本では主人公が格好良く行く先々の娘を助けた際、気の利いた科白の一つでもかけるのだが、当の作者はこんなものである。まあ、こんな性格であるから、売れっ子戯作者として金回りが良くなっても妙な女に引っかかる事も無かったのであるが。

「で、久恵さんの簪がどうしたって? 残念だけど、あれは戻ってこないだろう。ご禁制の贅沢品なのは確かなんだから。六郎達にはむかつくけど、諦めるしかない」

 確かに弁天の六郎は破落戸であるが、それでもお上の指示通りにしているのは本当の事だ。どれだけ遣り口が乱暴であっても、極論を言ってしまえば六郎に目をつけられるような事をした者が悪い。そして、現場で働く町奉行所の同心がどれだけ体を張って庶民の暮らしを守っていたのは既に知っている。いくら久恵の簪が大切な物であったとしても、それをどうにかするまでは野次馬気質の夢野と言えど、関与するつもりは無い。

「あの簪は、簪そのものが重要では無いのです。模様や細工が重要なのです」

「ほう? それは一体どういう事かな?」

 夢野の興味の虫が湧いてくる。遠目に見ただけだが、久恵の簪は金製で豪華な作りであった。かなりの値が付くに違いない。それなのに、簪そのものが重要では無いとはどうした事か。

「あの簪に掘られた家紋は、私の主筋に関わる紋様なのです。ですので、簪の材質よりも、紋様が入っている事や、他の細工自体が重要なのです」

 久恵の言う事によると、名前は明かせないがとある大名家の命を受け、江戸にいるとある人物を探しているらしい。その人物は、久恵が持っていたのと寸分たがわぬ簪を持っているのだという。なので、身元を確認するには重要な品であったのだ。

「なら、その大名家の名前を出したら流石に六郎も返してくれるんじゃないか?」

「そうよ。もしも久恵さんが行っても無理だったら、藩邸にいるお侍に頼めば何とかなるんじゃないかしら」

 六郎が如何に札付きの悪党であったとしても、一つの藩に真っ向から反抗する気は無いだろう。もしもそれが一万石の小藩であったとしてもだ。交渉がこじれた場合、隠密裏に殺される恐れすらある。

 それに、各大名家は江戸に藩邸を与えられており、そこには江戸での様々な事を差配する家老がいる。この江戸家老は大抵町奉行所に付け届けをしており、もしも江戸勤番の侍が問題を起こした時、速やかに知らせて貰ったり内々に処理するための手助けをしてもらう手筈を整えている。

 弁天の六郎は南町奉行所の同心に従う岡っ引きであり、町奉行所を通じて交渉すれば、必ずや良い結果になるだろう。

「いえ、それは難しいです。この件で江戸の藩邸を頼るなと言われていましたし、国元でもこの件は意見が割れているのです」

「そうか、何か事情があるんだね。まあそうでもなければあんたみたいな娘さんが危ない真似をして江戸まで来ないか」

 考えてみれば、そんな当たり前の手が仕えるなら、元よりこんな事になっていないだろう。

 良い手が浮かばず三人は黙り込む。すると戸が開き、粂吉が入って来た。

「駕籠が到着したぜ。すぐに行くんだろう」

「おう。ありがとうな。とりあえず宿に送るよ。考え込んでても仕方がない」

 粂吉に礼を言うと、夢野は久恵に立ち上がるように促した。久恵は綾女の肩を借りて立ち上がり、駕籠の中に入った。

「じゃあ、俺はもうそろそろ寝るんで。夢野さんも、牢屋から出たばかりなんだから、ゆっくり寝た方がいいぜ」

「そうだな。今日は妙な事になったから余計疲れたしな。明日から、また何か書かなきゃいけないし」

「お上にお叱りを受けたっていうのに、仕事熱心だねえ。俺はお上に贅沢な金細工や銀細工は御法度だっていわれてから全然やる気が起きねえよ」

「そりゃあ、しゃあねえな。俺だって、どうやってお上に睨まれない様な話に出来るか不安でしょうがないよ」

 ここまで言った夢野は、ある事に気が付いた。思い付きが正しければ、久恵の問題を解決できるかもしれない。

「粂吉さあ。明日、暇か?」
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